第116話 小さな奇跡とそれぞれの道 その3
「君、ここに例の刑吏たちはまだいるのかね?」
畑の前にしゃがんで、思考錯誤しながら土魔法を操作している時に、男が声をかけてきた。
あの晩、奴隷商人達を門の前で診ていた、官吏専門の治癒師だった。
確かキルギルスとか言ったか。
次の日、朝食を済まして、みんながそれぞれの仕事の準備をしている時だった。
俺はまだやることがないので、施療院横の庭の畑の手入れをしていた。
葉っぱについた虫はもれなく酸欠魔法でコロッと仕留める。あとは放っておいても鳥が食べてくれる。
大変だったのは野菜の土壌を調節する土魔法のほうだった。
ドードーの糞を発酵させた発酵鳥糞(肥料)を、まんべんなく均等に土に混ぜるのが意外と難しいのだ。
この肥料は結構強いので根っこに直に触れないよう、だが根のまわりを包むように混ぜるのが良い。そしてこの野菜と今の土壌だと、1000分の30くらいの割合で混ぜるのがベストだと、ヴァリアスの奴が言った。
そのさじ加減が難しい。
それに俺はそんな繊細に土魔法は使えない。
練習に丁度良いと奴が言って、俺一人に任すとどこかへ行ってしまった。
「君、確かあの時に彼らと一緒にいた人だろ?」
俺は頷いた。
治療師のキルギルスは細身だが上背のある初老の男で、肩にかかる髪は白髪混じりの黄緑色だった。この前と同じく、小柄だが横幅の広い助手がお供についている。
先生によると、官吏専門医というのは結構儲かるようだが、それなりに忙しいらしく、先生が資金繰りのために時々手伝いにいくバイト先でもあるようだ。
「あの2人に何か用ですか?」
「ああ、今いるかね?」
俺は2人を中庭に案内した。
2人は鐘塔の上にいた。
今朝は珍しくアルが早起きしてきた。上手い施術を受けた時に、こうしてスッキリと起きることができると言っていたが、やっぱり昨日のあの女は只者じゃなかったんだ。
ヴァリアスは何も言わなかったが、おそらくリベロマーレ様の遣わした水の使いなのだろう。
だとしたら、もうアルは今後、内臓の不調で悩まされずに済むはずだ。
何しろ根本から治されてるはずだから。
尖った塔を見上げる治療師の前で、俺は近くで話すくらいの声で2人を呼んだ。
するとすぐに2つの影が、高い塔の上から滑走するように降りてくると、そのままの勢いですぐそばまでやってきた。
ものの1秒で塔の上から目の前に飛んでこられて、治療師と助手はちょっと後退ったが、すぐに威厳を取り戻すと
「君たち、ブリガンに何かしたかね?」
「はぁ?」
「何のことでしょう?」
キルギルスは疑わし気に目を細めて2人を見ながら
「昨夜、奴隷商ブリガンが牢内で毒死した」
それを聞いて俺のほうが動揺して2人を見てしまった。
「ふ~ん」と言ったきり、アルは顔色を全く変えなかった。
セオドアの顔色はわからないが、少なくとも顔つきは変わっていないように見えた。
「今日未明に牢でブリガンが息絶えてるのを、見回りの看守が見つけた。傍に毒の入った小瓶が落ちていて、それを飲んだらしい」
「もう死刑になるのは免れないと思って、自分でサッサとけりつけたんじゃないの?」
アルが興味無さそうに言った。
「まだ裁判中だぞ。それにどこにそんな毒入りの小瓶を隠し持ってたんだっ?!
留置所に入れる時、隅々まで検査したはずだ」
「知らないよ。だけどそんなの、後からいくらでも調達できるだろ。金さえあればさ」
「少なくともわたし達じゃない。これは我が守護神に誓って言う事ができる」
セオドアが右手を顔の横に上げて言った。
「おう、おれも同じくだ。誰かが気に食わなくて、殺っちまったのかもしれねぇけどさ」
アルがニヤニヤしながら言った。
「ったく、これだから刑吏って輩は……」
治療師は少し苦々しく眉を上げたが、ハァーと息をひとつ吐くと肩を落とした。
「……ブリガンが急死したせいで、手下達が焦り出したらしい。今まで一切認めてなかったのだが、酌量減軽してくれるなら話すと言いだしてきたそうだ」
「フンッ、いくら減刑してもらっても死刑は免れないだろうに」
「車刑から縛り首か斬首になるなら、それはかなりの恩赦だろう」
だけど……とセオドアが続けた。
「そろそろ潮時だな。裁判所にわたし達を早く帰すよう、地元から要請が来ているらしいし」
「そうだなー」
クルッと俺のほうに向き直ると
「兄ちゃん達も帰るって言ってるし、今夜はパーッと騒ごうぜ」
アルは結局飲みたいだけだろう。
「ところで来たついでに、その湧き水を飲ませてくれんか?」
暗い話はこれで終わりだと、顔を上げたキルギルスが俺の後ろを指さした。
「たまに来た時に、ここの水を飲まさせてもらってるんだ。そこら辺の下手なお茶より全然美味い」
「ああ、でしたらどうぞ」
俺はコートのポケットから出す振りをして、マグカップを取り出した。ドラえもんのポケットじゃあるまいし、ちょっと無理があったかな。
「いや、手で掬うから結構だ。直に飲むのも冷たくて美味いからな」
カップの出し方に別に不審を感じなかった治療師は、スタスタと女神像に近づいて行った。
「この水量がもう少し多ければ、絶対売れると思うのだがなぁ」
「そうなんですか? 教会の前で売るとか?」
ギーレンでも水売りがいたが、まさかサウロとかが外で売りに行くには時間がないだろう。
「そんなことせんでも、酒類製造業者に販売契約をすればいいのだよ。良い酒には美味い水はかかせんからな。
ただ、この水量だと卸すのに十分な水を貯めるにも時間がかかりそうだし、こう細い湧き水は、いつ枯渇するかわからんからな。持続供給できる保証がないと無理だしなあ」
そう言いながらキルギルスは手で水を掬って一口飲んだ。
「うん……?」
もう一度掬ってゴクリと飲む。
「ん、んんん……?!」
「どうした、オッサン。まさか不味くなってるなんて言うんじゃないだろうなぁ」
横からアルが少し心配して顔を出した。
「ハァッ! これはっ ?! 君、さっきのカップを貸してくれ」
慌てて出した俺のカップで水を貯めると、ゆっくりと味わうように飲んだ。
「ふうぅーーーっ……」
キルギルスはそのまま目を閉じると立ち尽くした。
彼の次の言葉を見守る俺達も、その場で動けずにいた。
「大丈夫か、オッサン。魂抜けてないか」
「……抜けとらんわ。いや、感覚はそんな感じかもしれん。なんということだ。これは――」
アルが横から直接水を飲んだ。
「うん、確かに美味いな! 極上じゃねぇか。久しぶりに美味い水飲んだ。いつも水分は酒からとってるから、たまには水もいいもんだなあ」
「美味いだけじゃないぞ、これは。なにか感じないか?」
「うん? 美味くて染みわたるようだけど……」
「ああ、君はストレスが無いようだな。じゃあ他の人、君はどうだ?」
俺を手招きした。
飲んでみると、確かに美味くて体に染みわたっていくのを感じる。それとともに頭がスッキリと軽く、脳細胞の1つ1つが爽やかに澄み渡っていく。
さっきまで土魔法の練習で疲れた頭が、ぐっすり眠れた朝のようになっていった。
「これはもしかして……」
似ているモノを最近飲んだことがある。
「そう、ヒールポーション。精神や細胞の疲れを癒してくれる、神経の癒し。これは天然の癒し水だ」
セオドアも飲んでみて青い目を大きく開いた。
「本当だ。どうしたんだこれは……」
「えっ なに、おれだけ? わからないのは……??」
アルが納得いかない顔をしていたが、おそらく体が治ったおかげで、今治すところがない状態だからだろう。これは主に疲れに作用するのだから。
「なんたることだ。このようなモノがそのまま、無駄に垂れ流しにされているなんて―――」
バッと俺の方を振り返ると
「君、何か水を汲めるものっ、壺でも鍋でも何でもいい! すぐに持ってきてくれっ、早くっ!」
「は、はいっ!」
治療師に言われて俺は慌てて厨房にすっ飛んでいった。
この中庭の湧き水が突然、
多分間違いなさそうだが、多分ではいけない。似ている作用をするものもあるのだからと言う。
そこで湧き水を貯めた水差しを自ら持つと、助手を伴って慌ただしく帰っていった。
そんな事をしなくても、俺にはこれが本物なのはわかっていた。
だが、空間収納と一緒で軽々しく解析能力を明かすことはできないし、ましてや解析結果を証明することも難しい。なんとももどかしい限りだ。
アルとセオドアの2人は、留置所と裁判所へ行ってくると言って出て行ってしまった。
カスペルが物置から使っていない水甕を持ってきてくれたので、井戸で洗ってそれで水を貯めることにした。
台所の鍋や長寸胴は昼メシを作るのに使うから、こちらに使えないのだ。
「何だか急に大変な事になったな」
急に『お前のとこの湧き水の水質検査する』と言われた先生が、事態が呑み込めず、頭を掻きながら施術室に戻っていった。
確かに急に慌ただしくなった。全て見ていた俺もついていけてない。
あの魚人の使徒リベロマーレ様が、この女神像におそらく祝福を与えたのだ。
始めはただ、水を更に美味しくしてくれたのだと思っていたのだが、まさか
さっきの治療師が言っていた通りに、もっと水量を上げてくれれば、酒造業者に売れたかもしれないのに。
ヒーリングポーションも確かに必要だから、この施療院がわざわざ高い薬草を買って作らなくてもいいようにしてくれたのだろうか。
甕にチョロチョロと伝って落ちていく水を見ながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
「なんだ、今度は水番か」
しゃがんで見ていた俺の頭の上で急に声がした。奴が戻ってきたのだ。
「あれだよ、どうやらこの湧き水がヒールポーションになってたんだ。精霊の泉が天然のエリクシルのようにね」
「ああ、知ってるよ。マーレの奴が祝福を与えたって言ってたからな。元々ここは土地が良いって言ったろ? まあ、放っておいてもいつかは成り得たかもしれんが」
「だったらもう少し多く出るようにしてくれてもいいのに」
日本昔話の養老の滝なんかは、まさしく滝から流れ出る川で全身が浸かれるほどだった。
「そんなにジャブジャブ出てたら有難みがないだろ。これくらいで十分だ」
そんなもんかなあ。
「そんな水眺めてるだけじゃ暇だろ。買い出しにつき合うか? 先にちょっと地元に戻るのもいいだろ」
「買い出しって?」
「酒に決まってるだろ。毎晩、アイツら飲みやがるからすぐに減っちまって。おかげで昨日も行ってきたばかりだ。今夜は最後だからどうせ飲み明かすだろうし」
「あ、どうりでビールや酒が切れないと思ってたら、途中で買いに戻ってたのか」
まさか同じ近所の酒屋か ?! こっちじゃ何日か経ってるが、あっちじゃ同じ日だぞ。同じ日に何度も酒の爆買いって―――何思われるか……。
そんな俺の心配なんかまさしく歯牙にもかけず、奴は目の前にいきなり亜空間の門を広げると、俺を引っ張り込んだ。
道を挟んで店の壁側面に、3台の自動販売機が見えた。
俺達はクリーニング屋の横に現れていた。確かここは防犯カメラから死角になっているところだ。向かいの酒屋の方から有線か、クリスマスソングが流れて来ている。
って、部屋の中じゃなくて、いきなり外じゃねえかよっ。
あたりを見回すとちょうど誰もいなかった。
「よし、じゃあ隠蔽を解くぞ」
「……無茶しやがって~」
「いちいち部屋から来るのも面倒だろ。さっさと買って戻るぞ」
そう言った奴は、ちゃっかり黒いヒットマンになっている。アル達がやってる、収納を使った早替わりとおそらく同じだろう。
俺はスマホを腕から外す事は出来るが、身に付けたりするのはまだやった事がない。収納から引っ張り出すのは、まだ直接手で引き出さないと出来ないし、失敗して体にのめり込まさないか、怖いからだ。
そんな事を考えながら、一歩踏み出して風の冷たさに縮みあがった。
「寒っ!」
俺は上着を着ているとはいえ、麻製の薄いチュニックに薄手のカットソーという夏服のままだった。
こっちは来週クリスマスになる12月の真冬。
小走りに酒屋に駆け込んだ。
「いらっしゃいーっ。あれっ お客さん、やっぱり何かパーティやってるんですか?」
若い3代目店長が、俺の姿を見てすかさず聞いてきた。
そうだったぁーーっ。
奴は着替えてるが、俺はそのまんまだった。
下はジーンズにトレッキングシューズだが、上着はフード付きの濃紺チュニックに、手足にそれぞれ革アーマーを付けている。
しかも腰の太いベルトには鞘に入っているとはいえ、本物のダガーを下げているのだ。
これは完全な銃刀法違反だ。
「なんの仮装です? ハリーポッター? ……じゃなくてロードオブザリングかな?」
「いや、まあ、そんなとこです……。罰ゲームで……こんな格好のまま来ちゃいました、ハハ……」
「それにしてもスゴイ大人数なんですね。今日はこれで3回目ですもん。皆さんお酒大好きなんですね。
こっちは有難いけど」
キャップのつばを後ろ向きに被った店長は、疑う様子もなく笑った。
俺も合わせて愛想笑いしながら体の向きを少しひねって、ダガーを見えないように収納した。
そんな焦る俺の様子をまったく意に介さず、奴はドカドカとカウンターに箱ごと載せていき
「蒼也、これ外に運んでくれ」
てめぇーはっ、いつもホントにマイペースだなっ!
俺に対してもそうだが、慌ただしくレジ打ちしてる店員さんを待ってやれよっ。
またカメラの死角に持って行こうとして、自販機前でジュースを選んでいる2人の学生に、探知で気がついた。
マズい、そこで収納できん……。
「すいません……。台車貸してもらっていいですか?」
俺と店長が台車に酒を積みなおしている間に、奴は店内をまたグルッとまわって、新入荷の酒を物色していた。
あんたは一体何しに俺についてるんだぁーーーっ !?
台車に全部載せて店を出ると、学生たちが自販機の横で缶コーヒーを飲んでいた。飲みながらこっちに視線を向けてくる。俺は顔を覚えられないようにフードを深く被って通り過ぎた。
クソぉ、全部コイツのせいだ。
先に止まっていた大型トラックのおかげでやっと死角ができた。すぐに酒を収納すると、ダッシュで台車を店に返しにいった。
クソ寒いっ。
体のまわりの空気を温めればいいのにと、後から言われた事にもムカついてしまった。
「ったく、あんたは何んのために俺についてる気なんだっ!」
中庭の戻ってきて俺は不満を爆発させた。
「なんのためって、守護と教育に決まってるだろ?」
今更なにを聞くという感じの顔をして奴が言う。
「どこが教育なんだよっ。戦いばっかに俺を巻き込みやがってっ! 守るどころかこの間は、人間同士の殺し合いにまで放り込んで、放っておいたじゃないかっ。
俺はそういうのが一番嫌いだって言ってたのに」
「人間同士の争いは生きてれば避けられないものだ。あのコボルトが言ったように、お前がもっと力を持てば避けられるようになる」
「……しかもあんな処刑紛いなものを見せられて……。前に見たくないって言っておいたのに……」
「好奇心や楽しむために見るのでなければ、それは罪じゃない。
それにお前は少しづつこういった事に慣れてきてるだろ? 兎を殺す事にも落ち込んでいたお前が、殺し合いの真ん中にいて、泣くどころか、しっかり対処出来てたじゃないか」
「それは、そうしないと殺されるところだったから、精一杯やっただけだよ」
「それが慣れってやつなんだよ」
「はぁ…………」
俺は湧き水のそばに行ってしゃがみ込んだ。
水瓶の底に少し水が溜まってきている。マグカップを出すとその水を掬った。
「おいっ、いくら天然ものとはいえ、一日に何度も飲むな。体がそれに依存するようになるぞ」
「うるさいなぁ。誰が飲まなきゃいられないようにしてるんだよ。
――― 父さんは相性だって言ってたけど、俺には全然わかんないよ。なんで相方があんたなんだろう」
『なんでだよっ』とかまたギャーギャー言うかなと思った。
だが、奴はジッと俺の顔を見てるだけで何も言わなかった。
この沈黙が逆に怖い。
「……水の番なんかしてなくてもいいんだろ? 来い。畑の土壌操作教えてやる」
そのままスタスタと中庭を出て行った。
やっぱり勝手な奴だな。
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