第151話☆ 食料を準備する
ふと、『亜人が多い』という言葉が聞こえて、顔を上げた。
声のしたのはあの衝立の向こう側、応接間のスペースだ。
2人の男が先程から、何やら話し合っている。
1人は小太りの初老の男で、色も量も薄くなった髪と同じ、チリチリした口髭を生やしている。
もう1人はどうやら男だろうとは分かるのだが、護符のせいでぼんやりとしか分からない。
ただ、そのもう1人の男がどうやらお客で、口髭の男に質問をしているのは分かった。
「じゃあ、また来ますから、どこか候補を調べておいてもらっていいですか?」
「もちろんでさ、ちゃんとご報告できるようにしときますよ」
話が終わったようで、男たちが衝立の陰から出てきて、俺の横を通っていった。
小太りの男と一緒に出てきたもう1人は、カラシ色のフチなし帽を被っていたが、その下から狐色のクセ毛の中に、丸く湾曲した角が見えた。
羊系の獣人だろうか。
口髭の男は客を廊下まで送り出すと、こちらにやって来て机に手をついた。
「ありゃあ、訳アリだね」
小太りの男は口髭をポリポリ掻きながら、チコに呟いた。
「獣人のくせに王都から出来るだけ離れた、しかも亜人も多い大きい町を探してるってさ。
普通王都に近いとこが治安も亜人も多いのに。わざわざそこから離れるって、なんか居られなくなるような事をしたのかもしんねぇな」
「マルサン、滅多な事言っちゃいけねぇぜ。曲がりなりにもお客さんなんだから」
チコがたしなめると、マルサンと呼ばれた男は薄い眉を大きくあげてみせた。
「違いねぇ。だけど調べる条件が簡単そうで、ちょいと難しいんだよなあ。王都から離れてて治安もいい所で、亜人も多い町ってさ。
人種が混ざるとどうしても治安がなぁ……」
と、ぶつくさ言いながら少し離れたところで地図を広げた。
「何か観光案内みたいなのもするんですか?」
「あー、一般的な案内所じゃ分かんないような事を訊きに来るんでやすよ。案内所じゃ何が有名だとか、物価とか特産品とか、そんな事は教えてくれやすが、実際に住むとなると、治安やらその土地にどんな人間がいるとかが重要でやしょ?
そういうのは案内所じゃ教えてくれやせんからね」
ふーん、地球じゃネットで一発で調べられるけど、ここは情報後進国だからな。
遠い町の話とか、ある程度ファクシミリーみたいな通信システムで共有できるんだろうけど、限られた情報のやり取りしかないし、ましてや一般市民が知りたいような情報ってなかなか得られないんだ。
だからこういう情報屋が必要なんだな。
しかしさっきの人、訳アリなのかな。そんな風には見えなかったが。
「ところで、兄さんたちはこれからどうするんで?」
チコに訊かれてハッとした。
「ええと、ダンジョンに潜る予定ではあるんですけど……」
「それは何処ですかい?」
何か読み取ろうとするように、ググっと顔を近づけてきた。
「いや、ダメですよ、チコさん。また付いてきたって面白くないし、それに奴が今度こそ怒りますからね」
「うへぇっ、わかってますよ。ただちょっと訊いてみただけでやすよ」
チコが大袈裟に手を振った。そしてさっきの応接間を指した。
「やっ、応接間も空いたようなんで、またあちらにどうぞ」
どうしたもんかな。
みんなが忙しそうに仕事してるところで、客でもないのに応接間を借りてるのも迷惑な気もするし、何より店長らしい男から、あまり良い感じに見られていない気配を感じる。
あいつも帰ってこないし、ちょっと出かけて来るか。
「あの、ちょっと出かけてきます」
「えっ、何処にいかれるんで?」
チコが少し慌てたように言った。
「ダンジョンに入用な物でも調達しようかと……。そういえば、ハンターギルドって何処にあります?」
絶対に戻ってきてくださいよと、しつこく言うチコに約束して建物を出た。
どうせあいつのことだから、俺がここにいなくてもすぐ見つけるだろう。たまには1人でうろつくのもいいかもしれない。
俺はそのまま教えてもらった通りの人混みの中を歩いていった。。
外は相変わらず紙吹雪がキラキラと舞っている。
人にぶつからないように端を歩きながら、また当たり籤を探すことにした。
相変わらず人々の飛ばしてくる思念が、探知や索敵の触手を真っ直ぐ広げることを妨害してくる。
3等はたまに視つけることは出来るが、1等はなかなかヒットしない。ホントにあるのか怪しいもんだと疑い始めていたら、やっと2等を発見した。
壁面に沿ってするすると上にリバースしていく紙吹雪の中に、六芒星のマークが2つ描かれた紙があった。
すかさず風魔法でこちらに引き寄せる。
よっし、2等ゲットだぜ!
やっぱり見つけることが出来るとテンションが上がる。
早速、十字路にあった景品交換所に持って行く。
「2等おめでとうございます!」
中国の大きな被り物のように、頭の3倍くらいの大きさの赤い牛の頭を被った係がハンドベルを鳴らした後、ボックスからお弁当の持ち帰りぐらいの袋を出してきた。
3等より急に大きくなった。
「どうぞ、
げんなりだ~~~~~。
俺のテンションが一気に下がった。
「あの……ちなみに1等って何なんですか?」
念のために聞いておこう。これで1等がまた何か虫系だったら、今度こそ探す意欲が削がれそうだ。
「1等はグリーンボアの肉ですよ。見つけるのは難しいですけど、頑張ってくださいね」
ううむ、虫じゃないけど、今度は蛇かよ。みんな長い紐状のもんばっかりだな。微妙~~。
その後も3等ばかりがみつかった。
ただ、せっかく視つけた当たり籤なので、とりあえず取っといて、籤を探しているらしい子供の近くに落としてやった。
後ろで子供の歓声が聞こえるのは、ちょっと微笑ましい。
そんな事をしながら、40分くらいかけてハンターギルドに到着した。
「ダンジョンの地図ですか?」
受付で今度入ることになるダンジョンの情報を仕入れたくて、地図が売っているか訊いてみた。
その名前は『マターファ』。あの『アジーレ』と同じく、このバレンティアの町が所有・管理しているダンジョンの1つだ。
奴がいたらきっと予備知識なしで入れとか言われそうだから、この隙に情報を仕入れておきたい。
「残念ですが『マターファ』は地図がないんです」
「えっ、地図がないんですか?」
「ええ、この『マターファ』がどんなところかご存じないですか?」
「え、ええ……『トラップ』型としか聞いてなくて……」
なんだ、地図が作れないくらいヤバいとこなのか?
「そうです。『トラップ』型であると同時に、『迷宮』型なんです。だからちゃんとした地図が存在しないんですよ」
雉猫っぽい受付嬢が教えてくれた。
なんでもこの『マターファ』はトラップと迷路の混合型だそうだ。その為、ダンジョンのトラップや地形がコロコロ変わってしまって、地図らしい地図が作れないだというのだ。
何それ、本当に人が入っていいとこなのか?
「中級クラスですけど、まだ1層とかでしたらそれほど危なくないですよ。ダンジョン初心者の方も試しに入る方もいるくらいですからね。
ただ、全員初心者パーティはやめた方がいいですけどね」
はい、それは大丈夫です。1人はエキスパートで、もう1人は神クラスですから。
「もしダンジョン初めてでしたら、こちらが『ダンジョンの心得』1冊525エルになってます。いかかですか?」
受付嬢はニッコリ笑って、しっかりと商売をしてきた。
結局その小冊子を買ってしまった。一緒に『マターファ』のペラペラのチラシのようなパンフレットをくれた。
初めからこれをくれればいいのに。
受付横の壁に木製の長椅子がベンチのように設置されているのでそこに腰掛けた。
パンフレットによると『マターファ』は5層まであるらしい。
1層はさほど難しくなく、トラップも簡単な落とし穴や落盤、回転岩ぐらいとなっている。
全然簡単じゃねぇっ。
字面だけだとしっかり物騒じゃないか。
なんだ、その落とし穴とか落盤てのは、ドリフのコント並みなのか?
回転岩ってなんだ? もしもインディ・ジョーンズみたいに転がって来るなら、笑い事じゃ済まされないぞ。
チラシのようなパンフレットには、罠の詳しいことは書いていない。
しかも2層以降のことは変化するため、詳細掲載不可となっていた。
クソッ、一番そこが重要なのに。
ただ、よく生息している魔物や、注意するべき魔物等は書いてあった。
1層にはレッドスライムとブルーホーネット等、注意すべきは
なんだよ、階段降りて出合い頭にいたら嫌だな。俺はゲーム『ダンジョン・マスター』を思い出した。
『ダンジョンの心得』本は俺が持っている常識本と大して変わらなかった。買って損したか。
ただ、ダンジョンに入るにあたっての、基本の持ち物というのが目を引いた。
『食料は予定の2日分は多く予備を用意』『ポーション類は出来る限りハイ以上』『迷ったら即帰還』……。
そうだ。潜るんだから食料の用意しとかないと。
今、俺が持っているのは奴用の酒のツマミを除けば、タッパーに少し残っている肉じゃがと、インスタント味噌汁とお握りが6つだけだ。
今回もどうせほとんど食堂で食べるつもりだったから、そんなに用意してこなかった。
食事は確かに重要だよな。
俺はもちろん収納出来るので、そのままホカ弁や惣菜を持っていけるが、普通はダンジョン用に持っていく携帯食となると、干し肉とか乾燥果実とか、お湯で戻す前のレトルト食の素材みたいなのしかない。
もちろんカップヌードルのような物なんか無い。
だからダリオのようなダンジョン内のキオスクが、とても重宝されるのだ。
もしかしてカップヌードルとか缶詰とか売ったら、大儲け出来るのかな?
ふと商売を考えてしまった。
ただ、こちらの人にインスタントヌードルの味が合えばだが。
ひとまず食事を用意しておこう。こちらでも弁当というか、ランチのような物を売っているところはあるだろう。
以前、ギーレンでもお惣菜屋さんがあったし。
あと必ず持っていく物として、傷薬とか毒消しとかのポーション類が書いてあったが、俺はどうせヴァリアスがいるし、毒は護符で受け付けないから要らないな。
この時は安易にそう思っていた。
後に俺はこのことを、酷く後悔することになる。
ハンターギルドを出て、向かいの通りに渡る。大抵ギルドは同じエリアにあるので、商業ギルドもこのハンターギルドの斜め向かいにあった。
こちらの観光案内所で、持ち帰りランチを売っている店を訊いてみた。出来れば商店街みたいなとこがないか。
するとこの町の簡単な食べ歩きマップのようなパンフレットをくれた。
大きく推しで書いてあるのは、どうやら会費以外に広告料を出している店のようだが、人気メニューが紹介されているのは有難い。
持ち帰りと書いてなくても、こちらでは普通の食堂でも言えばテイクアウト出来るのだそうだ。
その際に、自分で皿なり鍋なりを用意しておかなければならないが。
これを見ながらなるべく帰りの方角にある店に行くことにした。
あまりあちこちに行くと、勝手知らない異国で迷子になる可能性があるからだ。自慢じゃないが俺は方向音痴なところがある。
最近は能力の発現のおかげでなんとか補えるようになってきたが、この人混み中ではその妨害電波(?)のおかげでまた鈍ってしまうのだ。
まず推し広告が載っていた、中央通りのパン屋に行ってみる。
ここは間口も広く、創立135年という老舗らしく、その麦の穂の絵が描かれた赤茶色の壁が、長年パンを作り続けてきた風格をあらわしていた。
余談だが、旧市街からこちらに移ってきてまだ15年ではあるらしい。確かに老舗の割に新しい建物だった。
中に入るとパン屋特有の香ばしい良い匂いが立ち込めている。
壁に長机と棚、そして中央の大台に乗せたバスケットに色々なパンが、これでもかと盛られている。
奥の仕切り壁の向こうで調理しているらしく、開け放された窓とドアから、数人の男が生地を練る様子や、大きな半円の口を開けた窯が見えた。
ご飯代わりに食べるので、まずはプレーン味の柔らかい白パン。それと甘い果実入り豆パンと、肉に合う酸味の雑穀パンを選んだ。
パン以外にも棚には、パンに載せて食べる惣菜がチョイスできるように量り売りされている。
それ以外にサンドイッチペーストなるモノが、竹筒に似た容器に入れて売られていた。
こちらではガラスは高価なので、ジャム瓶ではなく、このような容器に入っているようだ。ちなみにこの竹に似た植物の茎を利用した入れ物は、防腐効果があるらしい。
ティースプーン分くらいの味見をさせてもらって、木の実混じりのピーナッツ風味のと、卵とマスタードの絡んだペーストを購入。
なんだかあのアグロスの教会で、買い出しをした時みたいな量になってしまった。
まっいいか。どうせ腐らせないし、もし残ったら地球に帰ってから食べてもいい。多分これくらい持ち帰っても大丈夫だろう。
会計をして、その場でショルダーバッグに入れる。もちろん俺自身の収納にだが、はた目からはこのバッグが収納アイテムと見えるだろう。
さて次は、惣菜だな。
マップによると下町よろしく、比較的安価な出来合いの食べ物を売っている店が、ポツポツと固まっている通りがあるようだ。
さながらオカズ横丁と言うところなのか。
店先で煙を漂わせているスモーク屋は、壺の中に魚や肉などを燻煙材と一緒に入れて、蒸し焼きにした燻製を扱っていた。
オーソドックスなチーズとドードーの卵の燻製を買う。
他にも肉屋でゴブリンのバラ肉と山菜・キノコ和えを、魚屋で川魚のソース焼きを買った。これらは空になったタッパーに入れてもらった。
ただスープ屋で美味しそうな匂いに惹かれたが、もうタッパーの空きがなく、さすがにポリ袋に入れるのは憚られて断念した。
今後はもっと、空タッパーを持ってきた方が良いかもしれない。
まだ明日もあるし、今日はこの辺にしておくか。もしかすると奴も戻ってきているかもしれないし。
ギルドのある新市街地から長い橋を渡ると、ちょっとくすんだ、言い換えると味のある感じに落ち着いたレンガ壁や古びた石畳のエリアに出る。
こちらが旧市街地だ。
もちろんこちらでも祭りの賑やかさは変わらない。
大道芸人達のパフォーマンスや華やかなパレードが道一杯に通っていく。
どこもかしこも凄い人だ。
パレードのおかげで皆して壁際に寄っているので、更にすごい人出に感じる。
ぺしゃんこのショルダーバッグしか持っていないのに、あちこで人に引っかかるようにぶつかり擦り合っていく。もう渋滞が起こっているかのように、なかなか前に進めない。
と、その時、ふと腰に違和感を感じた。
見ると袈裟懸けにかけていたバッグ本体が無くなっていた。肩にはショルダー部分しか残っていない。
「えっ!?」
そのショルダーの先は鋭利な刃物で切られていた。
スリっ?! ひったくりっ ?! とにかく泥棒だっ!
俺は慌ててまわりを探知した。
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