第228話☆ ダンジョンのお仕舞いと新たなる始まり


 目の前が真っ暗になっていたのは、ほんの数秒だったと思う。

 耳鳴りはまだ残っていたが、辺りの低い地響きが段々と戻って来た。


「ヨぉっ げほっ、げほぉ……」

 全身が重くけだるく、頭の中がスピード狂のメリーゴーランドみたいに回っている。   

 しかし吐いてる場合じゃない。

 まだ視界がハッキリとは戻らない中で、俺は這いつくばりながら床を手探りした。


 右手が平べったい棒状のモノに触れた。

 剣だ。

 更にその剣の溝伝いに手を滑らすと、柄を掴んでいる手にぶつかった。


「よ”ぉえる ”ざん”……」

 擦れた声しか出せない。

 返事もない。


 腕から肩、頭へと探った。

 バンダナが外れていて、火傷の痕に触れた。

 首筋はひんやりと冷たかったが、幸い傷は浅かった。

 良かった、切り落とされてない。


「ヨエルざん”” しぃかぁりしぃて くれ。へぇんじ してくれよぉ”」 

 揺すってみたが、やはり返事は返って来ない。

 

 やがて視力が戻って来ると、目の前にただ灰色に見えるだけの体が転がっていた。

 ざわざわと体の奥から悪寒と不安が込み上げて来た。


 震え出した手でなんとか彼を仰向けに起こすと、残酷なことに体が硬直を始めていた。

 そんな……、そんなはずじゃ……。

 硬くなった頬を叩いたが、何の反応もない。

 閉じた目は開かれなかった。


 …………俺は彼の昇天を祈ってなかったはずだ。


 ただ、止めようと思って、とっさに全力でエナジーを注いだだけなのに。

 そうすれば、生気に満たされれば、しばらくは人心地に落ち着けるかと思って――


 ―― 俺はとうとう彼に引導を渡してしまったのだろうか…………


 胸の奥から込み上げてきた瞬間、ポンと頭に手が乗った。

 ついでフワフワするするとしたモノが、頭から内側に浸透してきた。


「まったくお前は無茶ばかりやりやがる。

 一度に出しすぎなんだよ。

 一つ間違えれば、お前が干上がっちまうとこだったんだぞ」

 相変わらずムスっとしかめっ面した奴が、俺の隣に屈んできた。 


「ヴァリアス! 彼はっ、ヨエルは、逝っちゃったのか?!」

 回復のおかげでやっとハッキリ声が出せた。


「いや、まだカローンの渡し場にも行っちゃいねえよ。

 よく見ろ、って言ってもそんなエネルギーが残ってなかったか。

 だがもう視えるだろ?」

 

 俺は恐る恐る回復した探知で、彼を調べてみた。


 脳の細胞がほぼ壊死している。どこにも生命のシグナルの光が……視えなかった。

 それどころか異なるエナジー、魂の痕跡さえもわからない。 

 ……死後硬直した死体にしか感じられなかった。


「…………わからないよ……」

 それとも近くにいたりするのだろうか?

 俺はあたりをキョロキョロと探知と一緒に見回したが、やはり壊れた壁と床、遠くで落ちそうに動いているシャンデリアしか見えなかった。


「まだお前には無理か。

 じゃあこれで視てみろ。それならわかるはずだ」

 と、俺の額を突っついた。

 言われて額からシートを外し、ヨエルの体を世界に見立てて集中してみた。


 暗くて深くて何も掴まるモノのない、まったく手応えの無い闇の中を、ひたすらに下がって行く落下感が続く。

 どこまで落ちるのか、高まる不安を必死に抑えながら降りて行くと、やがて着底した。

 

 そこに彼がいた。

 やはり床に横たわる姿同様、ぐったりと目を閉じたまま倒れている。

 けれど色があった。


「ヨエル!」

 触れると頬は柔らかかったが、冷たくも温かくもない。

 何度揺すってもグニャグニャと動くだけで、一向に目も開かない。

 これじゃ硬直がないだけで、死んでるのと変わらないじゃないか。


 パチンッと耳元で音がして、こちらに引き戻された。


「会えたか?」

 鳴らした指をコートのポケットに戻しながら、奴が言った。

「あれはなんだ? どういう状態なんだ。ヨエルの中に更にヨエルがいたが、やっぱり起きないぞ」

 俺は額のシートを張り直しながら訊ねた。


「簡単に言やあ、奥深くに魂が落ち込んだ状態だ」

 奴が軽く肩を揺すった。

「以前、あの攫われた修道女ナタリーの状態を覚えてるだろ? 

 あれの強化版ってとこだな。魂ごと昏睡しちまってる。

 お前の強力な一発で伸びちまったってとこだ」


「それは咄嗟だったから……」

「自覚が足りねえな。お前は半神なんだぞ。

 そんな神の資質を持つ者が、生のエナジーを一度に大量にアンデッドに放ったらどうなると思う?」

 そう奴が片眉を上げた。


 本当なら危なく浄化するところだったようだ。

 ただ俺の気持ちが彼を現世に繋ぎとめる一心だったために、こんなややこしい状況になってしまったらしい。


「じゃあこのまま俺が回復をかけ続ければ――」

 俺はヨエルに手を伸ばした。

 まず元となる生きた細胞を見つけてそこを足がかりに。

 しかしそれは、芯にも満たない状態だった。


「蒼也、さっきコイツにも言われただろ。現実を見ろ。

 お前は1つのミトコンドリアから人間を作る気か?

 それまで何年かかると思う」

「何年かかったっていい! 出来る可能性があるんだろ?!」


 ヴァリアスがまたワザとらしく肩をすくめて、大きくため息を吐いた。

「まず24時間ぶっ続けで出来るわけないだろ。

 それに腐敗との追っかけっこだ。ダンジョンは変化進行するのが早いからな。

 魂が奥に引っ込んでいる以上、その作用は大きいぞ」


 確かに急激に死後硬直が始まった。続いて細胞の融解も。


「だったら早く地上に連れて行く!」

 俺はヨエルを背負って立ち上がった。

 とりあえずあの転移ポートを目指すのだ。

 あそこまで行けば地上に戻れる。そうすれば僧侶たちに見て貰えるはずだ。

 それまで何とか持ってくれよ。


 けれど背中越しにじわじわと、彼が劣化していくのを嫌でも感じることになった。

 待て待て、待ってくれ。

 俺は来た道を急ぎ引き返しながら、彼に回復をかけることに気を注いだ。


 だがポーション同様、彼の体を素通りしてエナジーが宙に虚しく消えて行く。


 しかし全く効果がない訳じゃない。

 現に腐敗の進行が止まった。どうやら回復をかける力が劣化を押しとどめているようだ。

 それに心なしか、ほんの僅かだがあちこちでまだ死にきっていない細胞が、プチプチと活性化する気配があるのだ。

 東京の夜空の星ぐらいだが。


 それでも希望がある!

 とにかく回復・細胞の再生を意識して、いつもの何倍ものエジーを送った。


 本来落ち着いてじっくりやれば、ここまで大量なエナジーの無駄使いはしなくてもいいのかもしれないし、プロの蘇生師ならもっと要領よく出来るのだろう。


 だが当然、落ち着いてできる場所ではないし、俺は蘇生にはずぶの素人だ。

 まわりにも最低限注意を払わないといけないし――


 ――なんてこった! 道が塞がれている。

 俺は自分の痕跡オーラを辿っていたのだが、通ってきた通路の先が行き止まりになっていた。


 くそぉ! 近くに別の抜け穴はないのかよ。

 

 すると額のシートを外さなくても、頭の中に一気に現在地から転移ポートまでの最短ルートが3Dマップのごとく走り浮かび上がった。

 どうも俺のたかぶりが沸点に来ると、力と精度が増すらしい。


 さすがは全てを見透かす神の目は、ルートと共に罠の所在やハンターたちの動きも全て網羅できた。

 ちょっと眩暈が起きたが助かった。

 

 俺は迂回路を走りながら、とにかくエナジーを流した。ひたすら流し続けた。

 そのほとんどが相変わらず霧散していく。 


 いや、ダンジョンに吸収されているのだ。近くに面した壁や床に吸い込まれていくのを感じる。

 俺のエナジーはやはり格別なのか、吸い込んだ壁面が歓喜に震えるようにブルブルと蠢く。 

 あのダンジョンズエクスタシーのように。


 クソッ! お前ダンジョンに食わすために出してるんじゃねえぞっ!


 初めて通る穴をくぐり、また通路に出た。

 

 ただヨエルに回復をかけ続けながら、同時に探知に注意を向けるのはかなりの負担がかかった。(しかも走っているのだ)


 疲労がどんどんと体中に溜まりだす。

 頭に少しずつ重りが載せられていくようだ。

 

 思い切って探知を切る。

 大体は見通したのだから、そんなすぐには変わらないと願いたい。

 今は回復に力を振り切るべきだ。


 しかし片頭痛が酷くなって来た。

 背中のヨエルが凄く重く感じる。

 いや、自分自身の体が重いのだ。足が鉛のように動かしづらい。

 速度が緩む。 


 それでも止めない。止めることは出来ない。

 ほんの微かだが、現れては消え、消えては現れる泡のようなシグナルを、小さいが確かにヨエルの脳に感じるのだ。


 脳はまだ完全には死にきっていない。

 この灯を消してはいけないのだ。


 また耳鳴りが地鳴りに被って聞こえてきた。

 目の前に薄っすらと白い幕が降りて来る。

 不味い、こんな時に貧血を起こしてる場合じゃないぞ。


 俺は意識して代謝を上げ、自分の頭に血液を巡らせた。

 しかしそれでも頭がボーッとするのが治らない。廻り足りないのは血液じゃないからだ。

 気がつくと歩くまでに速度が落ちていた。

 

「ヨエル……」

 呼びかけてみたが、項垂れた頭は無言だ。

 霞みだした目に、洩れたエナジーが足元に漂い流れて行くのが視える。


 思わず穴ぼこに蹴躓けつまずいた。

 やば…… 横に倒れそうになって、思わず体を捻って前屈みになった。


 と、手をつく前にガクンと体が何かに支えられた。

 ズルッと横滑りに、背中からヨエルが落ちる。


 一度支えてくれた力がすぐに消えて、俺は結局石畳に手をついた。

 けれど俺達の周囲だけ、地面は揺れていなかった。


「あ~~、イライラする!」

 そう言いながら上から奴が俺の頭を掴んできた。

 本日連続チャージだ。


「すまん、ヴァリアス。助かるよ。

 おかげでなんとか転移ポートまで辿り着けそうだ」

 とはいえ、まだ半分以上の道のりが残っている。

 あともう一回くらいチャージしてくれるだろうか。


 だが、俺の体力が戻ったのに、その手は外されなかった。

「もうお前のお粗末でザルな行動ぶりのせいで、オレの歯が(歯ぎしりで)何本抜けたと思う?」

 奴がガチガチと歯を鳴らしながら言った。

「仕方ないだろ。俺にはこれが精一杯なんだから……」

 いい加減で大雑把な奴に言われたくないが、そこはなんとか飲みこんだ。

 

「管理人のヤツなんざ、オレがここでイラついて暴れまわらないか、ビクビクしてやがる。

 いい加減、オレもブチ切れそうだ」

 やはり頭を掴んだまま。嫌な予感がする。


「ヴァリアス、何を考えてる!? 邪魔するなよな。

 本当に俺はあんたと縁を切るぞっ」

 思わず俺はヨエルと引き離されないように手を伸ばしたが、頭をガッチリ掴まれているのでギリギリ腕に触れるくらいしか伸ばせない。

 もちろんしっかり掴めたとしても、虚しい抵抗だろうが。


「やめろっ。俺は本気だぞっ!」

「オレもいつだって大本気オオマジだ」

 頭から何かが入って来た。


「えっ……?」

 ソレは俺を通じてヨエルに流れ、彼を満たし始めた。

 俺の掌の下で腕がピクピク動くのを感じる。


「ヴァリアス、あんた……、蘇生してくれてるのか?」

「毎回お前の不器用さを見せつけられて、こっちはもうゲロ吐きそうなくらいウンザリなんだよ。

 もう我慢ならねえっ」

 汚い口を利きながらも、流れて来る波動は一定している。


「おらっ、せっかくお前に教えてんだから、ちゃんと作業に集中しやがれっ!

 止めるぞ、こらっ」

 苛立っているのか、いつも以上にゴロツキ感アップだが、助けてくれるならもうガーディアンがサメでもマフィアでも何でもいい。


 蘇生エナジーは、りゅうりゅうと雲の上を流れるように波打ち、柔らかい光を放ってヨエルの全身を包んでいた。

 まるで淡金色の炎の揺らめきを、スローモーションで見ているようだ。


 その下で、ブクブクと急激に発酵していくどぶろくみたいに、細胞が生まれ入れ替わって行く。

 萎びていた脳の神経細胞ニューロンが、急に水気を取り戻した蔓のように瑞々しくなっていくのがわかる。


「あ”あ”、ウルせえなっ! 文句は後でまとめて聞いてやるって言ってるだろがっ!

 ゴチャゴチャ抜かしてるんじゃねえよっ!」

 俺は何も言ってないのだが。


 見ると奴は俺にではなく、斜め上のほうに目を動かしていた。

 どうやらまわりで天使たちが騒いでいるようだ。

 

 灰色だったヨエルに、色が現れてきた。

 俺のフィルターが解除されたんじゃない。ヨエルが生き返ってきたのだ。


 逆に焦げ茶と茶のブラウン系だった彼の髪から、色がするすると抜けていく。

 それは全体的に薄い水色になると、今度は根元から毛先に向かってコバルトブルーに染まりだした。

 所々に淡いスカイブルーのメッシュが走る。


「これはなんだ……。生き返ると色が変わるのか?」

「鈍いな、お前」

 頭の上でやれやれと奴がぼやく。

「コイツは元々逃亡奴隷なんだぞ。髪の毛くらい染めて当たり前だろ。

 これが本当の色なんだよ」


 その青い前髪が揺れて、はらりと額が見えた。

 火傷の痕は、もうどこにもなかった。

 もう奴隷だった頃の名残りは、完全に消えていったのだ。


「ああ……ヴァリアス、ほんとに本当に有難う! あんた最高だよ」

 俺はこの時だけ、これまでの奴への不満を忘れた。


「フン、お前もほんとに調子良い奴だな。

 オレはいつでも最高だ!」と胸を張って堂々と言ってのけた。

 いつもは最凶だが、今だけ忘れよう。


 それから奴はふと忌々し気に小さく呟いた。

「……オレもお前のおかげで甘くなっちまった」


 復活した心臓が規則正しい鼓動を打ち、全身に新しい血液を送り出していく。2つの肺が息を吹き返し、それに酸素を送り始めた。

 

 やがて俺の頭から手が離れ、最後の光が吸い込まれて消えていった。

 

 彼の首に触れてみた。

 柔らかいし、脈があった。何よりさっきまで消えていた、温もりが出てきたのだ。

 生きている。


「良かった、よかったよぉ、ヨエルぅ」

 俺は半泣きになりながら揺すったが、彼は目を開かなかった。


 安心したら急にまわりの鳴動が、さらに激しさを増している事に気がついた。

 あちこちで壁がガラガラと崩れる音。床や天井が割れ、煉瓦や岩が砕け落ちてくる。

 ダンジョンが崩壊する。


 奴が焦れったそうに肩を揺らした。

「もういいだろ、さっさと出るぞ」

 俺は頷いた。


 

 転移で飛び出したところは、四方を白いタイルに囲まれた白い部屋。

 その中央にある、金属の巨大リングで出来た魔法陣の上に俺達はいた。

 ホールの転移ポートだ。


 後ろで『おっ』という声と共に、カチリとドアの開く音がした。

 振り返ると兵士がドアを開けたところだった。

 その彼の横を押し退けるようにして入って来た者がいる。


『ミャミャミャアァ~~』

「ポー!」

 俺はしゃがんだまま、思わず両手を広げた。

 だが、彼女は期待した手の中には飛び込まず、脇腹に思い切りその大きな丸い頭をグイグイ押し付けてきた。


「待った、待った、ポー。そこはダメ、ヨエル踏んでるから」

 俺は慌ててヨエルの胸に乗せている、ぶっとくも可愛い前脚をどかした。

 君は結構どころか、かなり重いんだから。


 するとそんな思考を読んだのか、その分厚い肉球で今度は俺の胸を押してきた。

 うっかり踵を上げて腰を落としていた俺は、後ろにひっくり返った。

 顔に軽いパンチのようにスリスリしてくる。


【 なにか 美味しい モノ 持って来てな~い? 】

 そんな感じの思考が流れ込んで来た。


 なんか俺、餌をくれる人って認識されてないか……?

 …………まっ、いいかっ!


 俺は上に乗っかられながら、肉厚なベルベットのヌイグルミみたいなポーを抱きしめていた。

 そんな俺を傍らで、ヴァリアスが小馬鹿にしたような目つきで見下ろしていたが構うもんか。


「ソーヤ!」

 パネラとエッボも飛び込んで来た。

 ああ……、みんな本当に無事に戻れたんだ。

 やっと終わったんだな。

 



    ******




 振動は激しく、体の下の地面もいざクレバスとなって、その身を飲みこむのではないかという勢いになって来た。


 憤怒にいくら力を得ても、この度ばかりはのしかかった重しは退きそうになかった。


 すでに血液の大半を失い、先の光の攻撃で体中の神経がボロボロになっている。また全身の骨が、砂糖菓子のように砕け散っていた。

 その痛覚だけでも激痛という言葉では生易しすぎる、ショック死のレベル。

 本来ならすでに生きていられる状態ではない。


 だがそんなこと知った事か! 

 この永遠の奈落に落ち続けていく絶望と喪失感に比べれば、小虫に刺されたも同然。


 奴らをヤツらを この手で全て捻り潰すまで 止めるものか!

 サーシャに手を下した者、口では彼女を義賊と言いながら役人に密告した裏切者、彼女を助けなかった者、そいつら全てを地に叩きつけ塵芥ちりあくたにするまで。

 貴族も王も、この世界の人間全てがサーシャの敵だ。

 

 再び凄まじい憎悪が湧き出して、複雑骨折をしている体とは思えぬ力で、再び鋼鉄のシャンデリアを押し上げようとした。


「まったく何をしてるんだい、お前は」

 懐かしい声にメラッドは動きを止めた。代わりになんとか顔を横に向ける。

 目の前に淡いパーブルの細身の靴甲、それに続く美しく締まった足首。

 ぱさりと、赤紫と銀色に彩られたシルクのような髪が屈みこんできた。


「姐さん……!」

「せっかくお前だけは生きて地上に戻れると思ったのに」

 ふうっと、その魅惑的な唇から息がもらした。

「しかも霊体どころか、こんな人でもない者になってしまって、これからどうするつもり?」


「あ、あっしは、姐さんとずっと一緒にいたい!」

「お前はロイエみたいに家族には会いたくないのかい?

 ロイエは心から嬉しそうだったわよ」


「そりゃあ後でいい! いつかは会える。ただ、あっしはまだ姐さんと離れたくないっ。

 …………またみんな、失いたくないんだ……」


「困った奴だねえ」

 綺麗な眉を曇らせて、サーシャが立ち上がった。

「ホントにお前は昔からちっとも変わらなくて」


 気がつくと、あれだけ煩かった轟音がはたと消えていた。

 今まさに崩れかけた壁も床の亀裂も動きを止めていた。

 全ての時が止まったかのようだった。

 そうして音もなく、体に圧し掛かっていた金属の照明具が、ボロボロと崩れ落ちた。

 メラッドは体を起こした。ギシギシとした感触どころか、痛みもない。


 切れ長の金色の瞳がジッと見据えた。

「言っておくけど、これまでみたいに壊すだけじゃ済まないわよ。

 貴族の奴らを弄んでやるのとは訳が違うからね。

 私について来るなら、どんな面倒なつまらない事でもする覚悟はあるのかい?」


「もちろんでさ! 姐さん、喜んで手伝いますぜ」

 メラッドは勢い込んで己が胸を叩いた。


 フッと、サーシャの長い睫毛が揺らぎ、目元が柔らかくなった。

「仕方ないねえ。まあ嫌になったらその時はどこにでも逝けばいいさ」


「姐さんと一緒なら、絶対に嫌気なんか起きないでさあ」

 腰を落とし床に手をついて、大きな体を屈めながら真剣な顔をするメラッドに、思わずサーシャがクスクスと心地よい笑みをこぼした。

「メラ、お前はどんな姿になっても、その太い首は変わらないんだね。

 遠くからでもすぐにお前とわかるわよ」


「あ、いや、こりゃあ……」

 ちょっと恥ずかしくも嬉しそうにメラッドが首を摩った。

「ガキの頃、首の後ろにこう天秤棒担いで野菜を売ってたもんで……」

 メラッドはやや顔を突き出し、首の後ろに回した架空の棒を両手で握るような仕草をしてみせた。


 子供の頃、世話になった教会の裏の畑で採れた野菜を、町に売りに行くのがメラッドの仕事になった。

 そのおかげで力も強く、こんな大男になったのだが。


「じゃあ今度はその頼もしい力を、この地の開拓に使ってもらうわよ。

 この4層と5層は私の庭になるのだから」


 そう、このダンジョンの最深部は私のささやかな箱庭。

 外と比べてとても小さいけれど、誰にも邪魔させない私の花園にする。

 私の、私のための自由で素敵な世界に。


 あたかも宙に沸き立つように、白い霧が2人の前に立ち込めてきた。

 彼女が踵を返してその中へ入って行くと、その後を黒い大男が嬉しそうについて行った。




     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ああ、やっとやっと、長かったダンジョン編に一つの終止符が打てました。

 我ながらビックリですが、ダンジョン潜ってすでに一年と十カ月の月日が経ってましたΣ( ̄□ ̄|||)

 賞味三日間の話なのに、もう浦島や~ん💦


 こんな長話にお付き合い頂き、これまでお読み下さった方々に本当に感謝申し上げます。


 そうして長かったこの第三章もあと少し。

 残りは地上での後始末やその後のこと。

 またもムクムクと出てきた蒼也の気鬱PTSDと、癒しの話となります。

 このような感じですが、次回も宜しくお願いいたします。

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