第158話☆ 危険への心構え
「どうした?」
その場に急にしゃがみ込んだ俺に、ヨエルが振り返った。
「……行きたくない」
「え、」
「もう先に行きたくないです……」
俺は駄々をこねたガキそのままに、その場に膝を抱えて座り込んだ。
「おいおい」
ヨエルが戻ってきて、そばにしゃがんできた。
「そりゃあ、あんなの見ちまったら怖じ気づくのも無理ないが、少なくともハンターやってりゃ覚悟の上だろ?
まあ、まだ日が浅いのかもしれないが。
それにあの旦那がいてくれれば、まず5層も大丈夫だよ。なんたってSS様なんだから」
「その、あいつだからヤバいんですって!」
あいつが今まで助けてくれたのって、ホントにヤバいギリの時だけじゃねぇか。
しかも厄介なとこに進んで連れまわしやがって。
絶対にこれはその『拷問部屋』とやらに連れていかれる……。もうそんな絵しか見えない。
う~ん、とヨネルも横で首をひねった。
「気持ちはわかるが、依頼主はあくまで旦那だ。
しかもおれを自由にしてくれた恩人の依頼だ。無視するわけにはいかねぇしな」
俺は顔を上げた。
青い瞳と目が合った。
見慣れてきたはずなのに、どうも男の青い目というのは、どこか底冷たく感じるのは、俺がやはり日本人だからなのだろうか。それともこの薄暗い場所のせいだろうか。
そういや逆にアルの奴はいつもギラギラして見えていた。
あれは
こうしててもしょうがないと、ヨエルが立ち上がった。
「なんだか矛盾してるが、あんたを泣かすなとも言われてる。そこは無理だと証明出来ればいいんじゃないのか?」
ううぅ……。泣く暇もなかったから、そのまま済まされてるが、今までにその無理を何度越えた時があったことか……。
しかし……今回は第三者もいるし、なんとか回避出来るだろうか……?
「なんでよりによって、こんなダンジョン選んだんだろ……」
絶対あいつの嫌がらせなんじゃないのか。俺は渋々立ち上がった。
「目的はハンター試験なんだろ? ここは迷宮とトラップの混合型だし、色々なトラップを体験出来るからじゃないのか」
「だから体験しちゃ、マズいでしょっ」
わかってる、わかってると、ヨエルが俺の肩を軽く叩いてきたが、本当だろうか。
それから歩いてすぐに、またストップがかかった。
また地面を指す。
足元に小さな石の欠片が落ちていた。
「上だ。穴があるだろ」
そう言われて上に目を凝らすと、薄暗い天井に小さく穴が開いている。
「あれが『落石』の罠だ。下を通ると落ちて来る。ここの大きさはこれくらいだけどな」
お金を現すゼスチャーのように、指で丸を作った。
「もちろんこの大きさでも、当たり所が悪けりゃ危険なのはわかるよな?」
俺は無言で頷いた。これは俺でもわかる。
以前テレビで、窓やベランダの外に着けている植木鉢が、もし落ちて人に当たったらどうする? というインタビューに、ある主婦の答えた返事が恐ろしかった。
『当たっちゃったら『すいませ~ん』で済ませるられるかなぁ。スゴク怒られちゃったらどうしよう』
とんでもない事である。
植木鉢がもしプラスッチック製だとしても、中には土がパンパンに詰められて重たくなっている塊だ。
うっかり足に落としても痛いはずなのに、あんな2階や3階から落としたらどうなるか。
マネキンを使った実験では、見事に工事現場用ヘルメットが凹んだ。
落ちるという事は落下速度が加わる。つまりその分、衝撃荷重が増すという事。
植木鉢は葉っぱのように、フワフワ落ちるわけではない。
サスペンスドラマでは、植木鉢より軽い灰皿で人を殴り殺せるのだ。
ゴルフボールだって、猛スピードで当たったらどうなるか。実際にそんな事故がある。
とはいえ、俺も先程の落とし穴に対して、笑っちゃいそうになったくらいだ。
人は育った環境や場所によって、対峙する物事への考え方が変わって来る。
余談だが、第2次世界大戦時のフィンランドに伝説的な狙撃手がいた。
彼はスコープを使わずに目視で、300m以内なら100%のヘッドショットが出来たと言われる。(450m先も当てたともいわれる)
なぜスコープを使わなかったかというと、光でスコープが反射するのを嫌ったとも、スコープを使用することで3,4cmだが頭が上がるのを恐れたとも言われている。
このホンの僅かな差が生死を分ける。
警戒し過ぎかもしれないが、危険に対する想像力は大切だ。
自然界でもその警戒心から、生き残ってきた種はいっぱいいる。
ここダンジョンでも、その警戒心が無い者はおそらく淘汰されてしまうのだろう。
俺は臆病者のくせに先程の『落とし穴』といい、その想像力が足りないところがある。
後にそのことを心が震えるほどに、痛感することになる――。
少ししてふと気がつくと、足元の地面に少しづつ、草やコケが生え始めていた。
それは段々と数を増やしてきて、そのうち足元の石畳が見えづらくなり始めてきた。その頃には壁や天井にも蔦や木の枝がうねるように、隙間から伸び生えていた。
もうこうなってくると目視で罠がわかりづらい。
その代わり、設置された松明の数が増えて来ていて、辺りは先程より薄明るくなっていた。
ヨエルは例の棒で、時々草を動かしてみたりしながら歩いていたが、俺はやっぱり探知に頼ってしまう。
まわりが赤茶一色から、緑が半々になってきた頃、目の前に壁が現われた。
その苔むしたレンガ壁の右伝いに視線を動かすと、▲の亀裂が見えた。
明るい光がそこから漏れている。
「クールスポットだ。ちょっと早いけど寄ってくか。旦那も追いつくかもしれないし」
それは心配無用です。例え星の裏側にいても来るときには来ますから。
亀裂は高さ2mくらい、一番広い横幅は1m弱か。
まさしく緑のカーテンのように、向こう側から青緑色の蔦が垂れ下がっていた。
その入り口で入る直前に、ヨエルがまた中に向かって探知の触手を広げた。
さっきもそうだが、水面にキレイに波紋が広がるように伸びていく。やはり技量の差なのだろう。
本当ならこういう新しい場所に入る時には、そうやって確認は必要なんだろうけど、彼がやったからやらなくていいか。
そんな甘えがあった。
本当はやるやらないではなく、その心構えだったのだが、当時の俺はそんなこと考えてもいなかった。
「ふうん……」
ヨエルはちょっと首をひねったが、そのまま蔦を棒で避けて中に入っていった。
中はちょっとした森の中のようだった。
緩く隆起する草地に、緑青の葉を茂らせた樹々が生えていた。周りの低木にはピンクや赤い小花が咲いている。
樹々が伸ばす枝には、先程の青緑の蔦や、赤紫色の蔓が巻き付いて垂れている。
上を見上げると、ぼんやりと光る雲のような霧のような、白く発光する気体が漂っていて森を照らしている。
後ろを振り返ると、蔓草が隙間から生え覆ったレンガ壁が左右にずーっと伸びていた。
「地下なのに結構明るいんですね」
「ここは植物のエリアだからな。(植物の)餌として光を作りだしてるんだ。おかげで小動物も棲むってわけだ」
そう樹を見ていたが、ふいに枝葉からガサガサと音がした。
と、中からポンと急に茶色のボールが飛び出してきた。それはまるで投げられたようにこちらに飛んでくると、前に出したヨエルの手の上に落ちた。
「ほら、これがモモンガだ」
そう言って見せてくれた焦げ茶色の毛玉は、丸まったハムスターのような顔をしていた。
「えっ、もしかしてテイムしたんですか?」
「違うよ。気がつかなかったか? 今、俺は風を使ったんだ。空気にこう、圧をかけると触手みたいに使えるんだよ」
いきなり俺の右足に、グルンと見えない触手が巻き付いてきた。目では見えないが、探知で空気の層がガッチリ付いているのがわかる。
「これで
ふっと右足にかかっていた力が消えた。
確かに凄い力で抑えられて、足が動かせなかった。
圧縮空気か。
「これを空中に固定すれば足場にもなる」
「う~ん、そこまで出来るかな……」
俺がやれたのは強風で、空中の自分を動かしたりすることである。
「確かにこれは結構パワーがいるからな。いきなりは無理だろうけど、慣れてくると力まずに出来るようになるぞ」
もちろん教えるよと言いながら、モモンガを渡してきた。
モモンガは
その小さな手足で、自分の尻尾を抱えるように丸まっている。その頭から背中にかけて、深緑色だが縞リスのように筋模様が縦に入っていた。
小さいが暖かくて本当に毛玉のようだ。
だけどなんで動かないのだろう。眠っているのだろうか。
「これもしかして冬眠中とかじゃないですよね? なんで起きないんでしょう」
「そりゃ、いきなり掴まれて驚いて気絶してるんだよ。そういう小動物によくある、
「え、それは可哀そうに。というか、もし天敵の前とかでそうなったら、一巻の終わりじゃないですか」
そういや『狸寝入り』って、本当は気絶だと聞いたことがある。DNAとしての自然の仕組みだとしたら、種としての保存に差しさわりが出るのじゃないだろうか。
「死んだと思わせて、敵をやり過ごすっていう話は聞いたことあるけど、そもそも自分を喰おうとしてきた敵の前でそうなったら最後ですよねえ」
俺は前にその『狸寝入り』で聞いた、騙し説に疑問があった。
「それこそ神様の最後の慈悲ってもんじゃないのか?」
「慈悲……?」
「だってこれから喰われるっていうのに、意識がずっとあったら地獄だぞ。
死の恐怖と魂が剥がされる苦痛は凄まじい。
助からないならせめて、その恐怖と痛みだけでも取ってやろうって事なんじゃないのかな」
ヨエルが俺の掌のモモンガの背中を、軽く指でさすった。
小さな鼻がヒクヒク動いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ちょっと死の恐怖をあおってしまいましたが、
これはあくまでヨエル個人の感じ方です。
そのところをどうかご容赦お願いします。
話変わって、
知ってる方もいらっしゃると思いますが、念のためちょっと解説を。
『フィンランドの狙撃手 シモ・ヘイヘ』氏は、結局顎を撃たれて退役してしまいますが、それでも2年間で計測しただけで500人以上、推定800人以上撃ったというから、ギネスものです。
もちろんこれは母国をロシアの侵略から守ろうとした、愛国心からによる行動のようです。
彼は退役後、猟師に戻って2002年4月静かに息を引き取ります。(意外と大往生だった)
寡黙で小柄で、常に目立たないように、写真を撮るときも皆の後ろにひっそりと行くような男。
だけど上司のおかげで、彼の活躍が世間に知れ渡ってしまうのです( ´艸`)
『アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン』大尉(最終階級)
シモと違って、大柄で豪胆でとにかく目立つ存在。
エキサイティングで上官に刃向かう(?)とこもある半面、部下には『
シモの才能を見出して、決まった小隊ではなく、狙撃手に任命したデキる上司!
そうしていつも目立たないようにしている自分の部下を、マスコミに『こいつスゲーんだぜっ』とばかりにアピールした男。
正反対な2人だけど、意外と相性がよかったのか、シモが退役しても交流があったらしい手紙が残ってるという。
いやあ、この2人の実録だけでもストーリー作れるなって、思ってたら、もう沢山作られてた( ̄∀ ̄;)
そりゃ当たり前でしたわ……。
私め最近知ったので失礼しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます