第18話 鱗を納品する その1


 せっかくの澄んだ水は、どんよりと曇った空を映して灰色に見えていた。

 俺達はさっき岩山の上から見た、湖のほとりに立っていた。

 覗き込むと水は濁りなく、下の方に藻のような水草がびっしり生えてゆらゆら揺れていた。水草の隙間から時々小さな魚が見える。

 俺は草むらに集めた鱗を出して水辺で1枚づつ洗い始めた。

「そのまま渡しても問題ないぞ」

「いや、商品として納品するんだから、せめて泥汚れぐらい落とさなくちゃ」

 周りの空気は重いが、水は匂いもなく冷たくて気持ちいい。さっきの洞窟での臭いも耐汚染してあったのか、服についてないようで良かった。

 俺は鱗を洗いながら欠けている物とそうでない物と、分けながら草の上に1枚づつ置いていった。


「索敵してるか?」

「いや、してないけど……」

 俺はヴァリアスの方を振り返った。

 その時左目の視野に、水面から何か浮かび上がってくる黒い影が映った。

 反射的に後ろに飛び退いたのと、水面からデカくて長く伸びた口が飛び出してきたのが同時だった。自分で避けたつもりだったが、一瞬早くヴァリアスが俺の襟首を掴んで後ろに引いていた。

 俺が草むらに尻もちを着くと同時に、空中に上がりきったそいつの白い腹が見えた。


「ワニかっ !!」

 だがそいつは再び水の中には戻れなかった。空中で虚空を噛んだ瞬間に、黒いショートソードが首に深く差し込まれたからだ。

「こういう所では警戒を怠らないのが基本だぞ。こういう水場には、水を飲みに来る獲物を待ち構えてる獣や魔物がいるからな」

 まだ脚と尻尾がピクピクしているワニを、刺したままヴァリアスが言った。


「すまん、迂闊だった」 

 確かにこんな何が出るかわからないような所で、注意してなかった俺が悪い。ドラゴンの件が終わったあとなのでちょっと気が抜けていたようだ。

「コイツはな、グレンダイルと言う水に棲む魔物だ。こうして水を飲みに来た獲物めがけて、急に飛び出して引きずり込む。

 水辺から離れても脚が早いから、陸上でも危険なやつだ」

 そいつは腹以外は黒ずんだ灰色で、目が左右に2つずつあり、顎の下に数本のナマズのようなヒゲがある以外は、ほぼワニによく似ていた。

ヴァリアスが肩の高さまで持ち上げてても、腹が水の中に入ったままだから4メートル以上あるんじゃないか。


「肉はフライにすると美味いんだぞ」

 ふーん、味もワニに似て鳥肉に似てるのかな。

 って、血! 血が水の中にドクドク流れ込んじゃってるよ!

「おいっ、助けてくれたのはいいけど、血で水が汚れちゃったよ。もうここじゃ洗えないぞ」

 せっかく洗った鱗も返り血で汚れてしまった。

「いつ気づくかと思ったが、そんなの水魔法でやればいい。ここでなくともできるぞ」

 その手があったか-!!

 もう魔法生活一年生だから、そういう応用に気が付かないんだよな。練習もかねてやってみるか。

 俺は初日に平原で出した時のように、空中に直径1mくらいの水球を浮かび上がらせた。その中に残りの鱗も全部入れて両手でガシャガシャ洗うことにした。


「あれっなんか……他にも来てないか」

 水魔法に集中しているのでブツブツと切れ気味だが、索敵したままにしていた俺の感覚に、水の中から近づいてくる大きな生き物が引っかかった。

「気付いたか。仲間の血の匂いでおびき寄せられてきたんだ。ついでだから獲っていこう。お前は少し下がっていろ」

 言われなくても下がりますよ。俺は水球を持ったまま水辺から離れた。

 ヴァリアスはワニもどきの首を掴むと、ショートソードを引き抜いた。そのまま後ろの草むらに絶命した獲物を放る。


 途端に2本の水柱が上がって、ワニもどきがほぼ同時に飛び出してきた。

 が、俺に見えたのは2匹がそれぞれ大きく口を開けた瞬間までで、次には両方とも目の上を切られ地響きをたてて草の上に落ちていた。

「うむ、まあまあ太ってるかな」

 倒した獲物の血を水魔法で全て空中に抜き取ると、草むらや水中に落ちた血も吸収して、大きな深紅の球が空中に出来上がった。

「ここに放っておくとまた蛭が来るからな。今度はプランクトンの餌にしておくか」

 そういうと紅の球は勢い良く水の上を滑るように飛んでいき、湖の真ん中あたりで大きな血飛沫を上げて落ちた。


「血も抜いてあるし、爬虫類なら抵抗感ないだろう?」

 そう言って今度は空中から刃渡り20センチくらいのダガーを出した。そうしてひっくり返した獲物の下腹に一筋切れ目を入れると、中から薄い膜に包まれた丸いものを取り出した。

「魔石って聞いたことあるか?」

 膜を剥がしてから、その石らしいものを俺に放ってよこした。

「あるよ。本当に魔物の体内にあるんだな」

 それは完全な球体じゃなく、ちょっといびつに凸凹した、水色がかったシルバーの真珠のような石だった。大きさはテニスボールくらいか。結構重い。


「魔物は体内の魔素の量が多いからな。それがグルグル体の中で回るうちにこうして固まって、結晶化したりするんだ。一般的に魔力量の多いヤツほど大きくて、その持ち主の属性を帯びる。

 こいつのは水属性だな」

 他の2匹からも魔石を取り出しながら

「ちなみに魔人や魔力量の強い人間でも出来たりするぞ」


「それって結石じゃないのか。痛くなったりしないのか?」

「痛みはない。それにこれは魔素の塊だから体内電池みたいなものになる。これに自然と魔力をため込むようになるから、魔力切れを起こしづらくなるんだ。早くお前も出来るといいな」


 いや、そんなの体に作りたくないんだけど。

「特殊な例としては、東の方に棲むスカイドラゴンが、体が蛇のように細いから、ある程度魔石が大きくなると吐き出して外皮袋に入れたりしているけどな」

 あっ アレか、龍が手に持ってる珠って魔石だったのかよ。


 全部洗い終わって水を弾く。袋も洗って中に割れたり欠けた物だけを先に入れる。

 綺麗な形をしたものだけを草の上に並べてどれを取っとくか考えた。

 やっぱり黒と赤の2色バージョンだな。筋だけじゃなくグラデーション模様のようになっているのがいいかな。


「これなんかどうだ?」

 ヴァリアスが完全な形をした艶の良い鱗を5枚、トランプのように目の前の空中に並べてきた。

「確かに艶は良いけど、模様ならこっちかな」

 結局拾った時に気になっていた3枚だけを取っておくことにした。


「しかし、さっきグレンダイルに襲われたのに、余り騒がなかったな」

 ワニを収納しながらヴァリアスが言ってきた。

「ああそう言えばそうだな。ビックリしたけど、なんだかドラゴン見た後だから、感覚が麻痺しちゃってるのかもしれない」

「そうだろう。ドラゴンに対峙して生き残った奴は大概、死生観が変わったり肝がすわるんだ」


 確かに後半はグダグダだったが、初めて対峙した時の、あの絶対死的圧迫感を味わった後だと、ライオンぐらい出てきても怖いけど冷静に判断出来そうだ。

 人間突き抜け過ぎちゃうと、それを上回る事でもなければ動揺しなくなるみたいだ。

 悔しいがヴァリアスの目論もくろみが当たったようだ。


 ギルドに戻った時、腕時計は9時53分を示していた。

 まだ全然午前中だ。移動時間がカットされているから当たり前だが、改めてさっきまでドラゴンと対峙していたのが夢のようだ。


「なぁ、あんまり早すぎて怪しまれないか?」

 俺はちょっと心配になった。

 鱗をすぐに用意出来たこともそうだが、何よりドラゴンのところに行って、帰ってくるのに時間がかからなさ過ぎる。

「転移を使ったと正直に言えばいい」

「テンイって、瞬間移動の事か?」


 転移というのは簡単に言うと瞬間移動というか超高速移動の事らしい。

 主に魔法陣や、魔法式を書き込んだ門を通る事によって、瞬時に別の場所に行けるらしい。これのおかげで大陸間の貿易や旅行がかなり安全に行えるようだ。


 ただ距離によってエネルギーもかなり使うようで、それなりの魔石や魔力を消費するらしい。

 また目的地の緯度・経度・高度を正確に示さなくてはならず、認定されていない潜りのところでやると、何処に跳ばされるか保証はない。

 こういった道具を使わない、ヴァリアスがやっているような転移の魔法もあるようだが、感覚的なものは難しく、この能力を持つ者は非常に少ないそうだ。

 だから必然的に道具を使った、土地の位置を確認済の安全な場所のみの行き来となる。

 

 つまり先程行ってきたような場所には、普通は直接行く事は出来ず、何か所かを経由して一番近いプラットフォームから目的地に向かうわけだ。

 また、街を出入りすることになるので、正規なルートは入出関手続きをしなくてはいけないらしい。


「それって何処から行ったとか言わなくちゃいけないんじゃないか?」

「そんなこといちいち馬鹿正直に言わなくていい」

 本当かよ。


 俺が心配症なのか、そんなこちらの心配をよそにヴァリアスはスタスタと大広間に入って行った。

 受付でまた所長を呼び出してもらおうと思っていたら、カウンターの中に見慣れたハンプティダンプティの姿が見えた。奥で書類を見ながら受付嬢に何か指示している。

 ふと、書類から上げた顔と視線が合った。


「ヴァリアスさっ、さん、ソーヤさん!」

 書類を女の子に渡してすぐにカウンター横からポンポンと跳ねるように走り出てきた。

 昨日宿の階段を上がる時も思ったが、この体型の割に風船のように軽く動くのが不思議だ。

「何か他に御用が御有りで?」

「信じてもらえないかも知れませんが、鱗取ってきました」

「えっ……?!」


 俺はDバッグから別にしておいた3枚を見せる。

 こんな人がいっぱいいる場所では、堂々と収納魔法を見せられないし、Dバッグからあんなデカい袋が出る訳ないから怪しまれるのを恐れたからだ。

「もっとありますが、ここじゃ出せないので」

 俺は周囲を気にしながら小声で言った。

 トーマス所長は、一瞬口をあんぐり開けたが

「わ、わかりました! また4階にどうぞ」

 跳ねるように階段を先に上がると、今朝と同じ応接室の鍵を開けた。

「どうぞ、中で待っていてください。すぐに参りますので」

 そういうと所長は転がるように出て行った。


『あの人、体型の割にフットワーク軽いよね』

 念のため日本語で俺は言った。

『あれぐらい、仮にもハンターギルドの長におさまる身なのだから当たり前だ』

 やはり昔はハンターだったのだろうか。

 

 そんな事を考えているとノックの音がして、今朝とは違うブロンドヘアの女性がお茶を持って入って来た。

 今度はお茶以外に茶菓子付きだ。

 なんか段々待遇が良くなってきている。そのうちお酒とか出されるんじゃないだろうか。

 お姉さんが去ったので、今のうちに鱗の入った袋と例の遺品を横に出しておく。

「これブランデーケーキだな」

 あれっもう食べたのか。ってすでに酒入りかい。


 俺も美味しくケーキを頂いてお茶を飲んでいると、ドアの外で慌ただしい靴音が聞こえてきた。

「すみません、遅くなりました」

 ノックと共に所長達が入って来た。

「もう鱗が揃ったとか?」と副長。


 俺は早速袋をテーブルの上に置いた。

「割れたり、欠けたりしたのが混ざってるのですが、これで足りますかね?」

 袋を開けて「おおっ !」と2人とも声を上げる。

「足りるも何もこれだけあれば、兜も作れそうだ。しかしこの短時間に一体どうやって?」

 やっぱり聞かれるよね。

「転移を使った」

「えっ? それはどちらで?」と所長。

「言いたくない」

 スパッと切った。一瞬場がシンとなってしまったが

「わかりました。鱗が無事に入ったのですから、こちらも詮索致しません」

 所長達はどう思ってるんだろ。まぁ嘘はついてないから、そちらで勝手に想像してもらうしかないよな。


「ではこちらは預からせていただきます。代金はシュクラーバル様にお届けしてからになりますので、今すぐにはお渡しできないのですが……」

「いらん。その領主に献上する」

「「「エェッ!?」」」


 これには俺も一緒に驚いた。

「その代わり、オレ達の事をとやかく詮索したりするな、そっとしておけと言っておけ。出来れば国王にもそう伝えろと」

「しかしこれだけあれば、どのくらいの礼金が入るか分かりませんよ」と副長。

「構わん。それにこれくらいしとけば、領主殿にコイツの覚えも良くなるだろう?」

 と、俺の方を見てニヤリと笑った。

 慣れてきたけど凄い悪だくみをしている顔だ。


「かしこまりました。必ずお二人のお名前とご対応の件は伝えさせていただきます。

 長い間 達成出来なかった件を解決していただき、本当に有難うございました」

 所長と副長は座ったままだが、深々と頭を下げた。

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