第3話 腹をくくってリアル異世界 その1

 次の日は朝から良く晴れて雲一つない晴天だった。天気予報でも降水確率10%と洗濯日和だ。

 俺は朝から溜まった洗濯物をベランダに干していた。


 ここは築30年近くの木造モルタルアパート3階の1Kの角部屋、俺はここに1人暮らしをしている。

 施設を出たのは社会人になって会社の寮に入ってからだ。

 以後2回ほど引っ越しを繰り返して、現在東京は下町の入谷に住んでいる。今まで通っていた会社に近かったからだ。

 この辺りは商店街や駅にも近く、遅くまでやっているスーパーや弁当屋も何軒かあり、俺のような独り者でも比較的住みやすい地域だと思う。


 だが失業した今、いつまでここにいられるのか。

 倒産したせいもあって退職金は出なかったものの、失業保険と貯金のおかげでしばらくは生活を維持できる。

 だけどさすがに何年もは続かない。


 このまま停年まであの会社にいて、65から年金とバイトで暮らしていこうかと考えていたのに……。

 なんだか考えると気が滅入ってくる。とりあえず朝飯でも食うか。

 昨日の残りもので軽くメシを食うと、なんだかコーヒーが飲みたくなってきた。

 といっても、ドリップやサイフォンを使った本格的なものでなく、インスタントなんだけど。


 が、一昨日切らしていたのを思い出した。

 時間もあることだし、近所のスーパーに買いに行くか。

 もしかするとスーパーのカウンターの脇に、新しい求人雑誌が出ているかもしれない。

 このまま12月になっても仕事が決まらなかったら、福利厚生とか言ってないで何か長期のバイトを見つけよう。このままの状態で年を越したくない。


 俺は鴨居に引っかけていたジャケットをとって財布を探した。

 と、俺の指に何か硬いものが触れた。

 取り出すとそれは鎖のついた銅色のプレートだった。


 人間というのは驚くと記憶を無くすらしい。

 気が付くといつものスーパーのレジで会計していた。そして何故かインスタントコーヒー以外に、缶コーヒーまで2本買っていた。


 混乱しながらずっとポケットのプレートの感触を確かめつつ、俺は家路についた。

 とりあえず落ち着こう俺。

 缶のプルタブを開けながらあらためてプレートを見る。

 定期券くらいの銅色の金属面に見たこともない文字が刻まれている。

 見たこともないはずなのに俺はこれが読める。


 ≪名前:ソウヤ≫ ≪種族:ヒューム族 ベーシス系≫など………夢で見た事と一致している。

 あれは夢じゃなかったのか。

 いやそれじゃ余りにも馬鹿げてる。マンガの世界じゃないんだから……。


「戻ってきたか」


 わぁぁっ! 心臓に衝撃来たっ!! 止まるかと思ったっ!  コーヒーこぼしそうになっちゃった!


 腰を抜かした俺の後ろには、いつのまにかサメ男ヴァリアスが立っていた。

「ああ、すまん。こちらでは靴を脱ぐんだったな」

 そうだけど、いや、そういうことじゃなくて――。


「お前が帰ってくるのを待っていた」

「そ、それはど、どうも、良かったら、ど、どうぞぉヴァリアスさんっ」

 俺はもう1つの缶コーヒーを差し出した。

 とにかく落ち着け、俺。

「うむ、昨日も言ったが敬語は使わなくていいぞ。呼び捨てでかまわん」

 はぁ~っ、夢じゃないのかよっ!


 昨日ハローワークでの時は、人間の顔をしていたのに、ここには俺しかいないせいか、今日はのっけからサメ男のまんまだ。

 これ特殊メイクじゃないよな? 

 目は何とかなるとしても、さすがにあの牙は無理なんじゃないのか……?


「で、今日もこれから行くか? どうせ暇だろう」

「いや、そりゃ暇だけど……、いろいろ心の準備が―――」

 いきなり待ってくれよ~~~っ。グルグル混乱してる脳が落ち着くのを。


 ハッ、てことは、父親の件も本当ってことか?!

 お袋とんでもないヒト(神)とランデヴーしちゃってるよ――っ!! 

 あれ………。


 ちょっと待て……。

 こいつ本当に神様の使いなのか?  

 小説とかマンガのテンプレだと確かに神様が多いけど、こいつの目は銀色で猫の目みたいだし、おまけに歯が犬歯どころか全部牙という、多重歯のジョーズみたいになってる。

 しかもこの凶悪ヅラ…………。


 昨日はあんまり直視しなかったし、夢だと思ってたから深く考えなかったけど、神様というより…………。

 

 男の手を見ると、爪は伸びてないが晒したように白かった。

 昔見た映画で、ロバート・デ・ニーロがやった悪魔も確か爪は白だった。

 真綿で首を締めるようなやり方で、魂を取りたててくるんだったよな……。


「どうした? 心拍音が乱れてるぞ」

 サメ男が俺の顔を覗き込んできた

 どうしよう。もうなんか契約だか登録だかしちゃったし。

 いや、仮登録って言ってたし、血でサインしてないよなぁ。

 今ならクーリングオフ出来るのかなぁ。

「あの―――」


 だが、俺の口から出たのは違う事だった。

「その……俺の母親、母さんってどんな人だったんですか?  ……俺のこと手放したのって、母さんってことですよね」

 どうせヤバいことに巻き込まれるなら、せめて聞いておきたい。


「詳しくは知らないが、当時彼女は17歳だったそうだ。

 都内の喫茶店で給仕をしているところを、たまたまあるじが見染めたそうだ。

 あるじと別れた後、お前を身ごもっているのに気がついたようだが、世間体や生活費に困って、結局お前を手放したらしい」


 あぁ、保母さんから聞いた。

 俺は子供のいない東野家に養子にもらわれたけど、1年後になんと双子が生まれちゃったらしい。

 1人どころか3人となるとさすがに経済的に余裕がないので、さんざん悩んだそうだが、結局俺を施設に出したらしいんだよな。

 罪の意識なのか会いには来なかったけど、何度か誕生日にプレゼントを贈ってもらったことがある。

 この両親自身のことも覚えてないな。


 昔は実親も恨んだりもしたけど、この歳になるとそれなりの理由があったのかなって考えられるようになってきた。

 今でこそシングルマザーって少しは理解があるけど、50年前じゃ大変だったろうし。


「ちなみに養子の仲立ちをしたのは出産した病院で、基本的に養子先を教えてはいないらしいぞ。

 だからお前の名前も、その後の事も彼女は知らないはずだ」


 あぁっ そうか! 母さんは俺が養子としてそのまま育てられてると思っていたから、連絡してこなかったんだな。

 ――なんで本当の親が迎えに来ないのか、やっぱり要らない子なのかとか悩んだこともあったけど、それじゃ無理なかったのか…………。


「会いたいか?」

 急に何十年かぶりにこみ上げてくるものが目頭が熱くしてきて、俺は下を向いた。

 その様子を見ながらサメ男が訊いてきた。

「まぁ、そこまでは苦労続きだったようだが、神の慈愛を受けた者であるからな。その後はある実業家に見染められて、今は海外で裕福な生活をしているらしいぞ」


 なんだよ。ちょっと心配したのに、リア充満喫かよぉ。慈愛も加護も受けてないのって俺だけじゃん。

 ………まぁ幸せなら良かったけど。


 両親の事は実際、本当の事かは分からない。

 が、俺は信じたいと思った。


 どうせ相手が神だろうが悪魔だろうが、一度関わってしまったから、綺麗に無かった事にするのはもう無理だろう。

 ちょっとヤケにもなってきた。


「あの……、失礼は十分承知なんですけど、あなたが本当に神様の使いか、まだ半信半疑なんですけど……」

 言っちゃったよ。怒るかな。


「そう言われても、こればかりは信用してもらうしかないな。お前を神界に連れて行く訳に行かないし、もし連れて行ったところで全て幻と思ったら、これはもう不可知論になるからな」

 確かに騙されてるかどうかなんて、実際確かめようがないな。今だってそうだし。

 だけど、どうせもう失うモノはない身だ。諦めて最後まで見てみるのも一興かもしれない。

 それにもしかしたら、親の手掛かりがもう少し掴めるかもしれないし。

 そう思うと少し肝が据わってきた。


 するとサメ男がまた銀色の目で、俺の目を覗き込みながら訊いてきた。

「念のために聞くが、『こちらで一生遊んで暮らせるだけの金をやる』と言われたら受け取る気はあるか?」

「えっ? そんな大金……」

 そりゃ欲しいけど、逆に貰ったら怖い気がする。

 それこそ悪魔の契約じゃないが、代わりに魂を売る事になりそうじゃないか?


「もし、それでいいなら金を渡してオレは消える。もう2度と干渉することはしない。

 だが、このまま地球にいたら身体能力の違いや長寿のせいで、いずれ面倒な事になるかもしれないぞ。

 大体こちらで何百年も同じ戸籍で済むと思うか?」


 いや、そりゃそうだけど、ホントにそんなに生きるのか確証が持てないし。

 ……でも確かに俺の異常回復能力がバレたら、気味悪がられるどころか変な機関とかに目をつけられて、研究材料とかにされる可能性はあるな。

 あらためて不安になってきた……。


「だが、もしこちらに来るなら守ってやれるぞ。お前が幸せに暮らせるようにサポートしてやる!」

 ちょっと待って。そんな大事なこと急に言われても………。


「すぐに決めなくてもいいぞ。とりあえずこちらと地球を、行ったり来たりして考えてみてはどうだ? 

 すぐに籍を移動しなくても、まずこちらに来れば仮預かりになるからな。目の届くところに来てくれれば、あるじも安心する」

「……本当にすぐに決めなくて良いんですか?」


あるじは急がなくて良いので、お前の意思を尊重するように言われた。それにお前、仕事を探しているのだろう。

 だったら昨日ハンター登録もしたのだし、あちらで仕事をすればいいじゃないか。

 それに仮登録のままだから、このまま依頼をこなさないと登録抹消になるぞ」

「いや、俺はまだハンターになるとは考えてないし……。あっ、俺、本当にすごい長寿なのだとしたら、年金どうなっちゃうんだ!? まさか100年も200年も貰えないよな。

 俺の年金生活が―――」


 頭をかかえる俺の前で、サメ男は缶コーヒーをグビグビ飲んでいる。

「とりあえず仕事して老後のお金貯めなくちゃ。

 ちなみにそちらの物質で、こっちのお金に出来るものとかあるんですか?」

 俺はむっくり顔を上げた。

 まさか、通貨は交換できないだろう。

 なんたって国どころか星が違うんだからなぁ。


「金と宝石は、こちらとほぼ同じ元素構成で出来ているから、こちらでも通用するぞ。向こうでも通貨に代わり、価値のあるものだからな」

 えっ、それなら換金はできるんだ。こちらのお金に換金できるものがあるなら話は別だな。

 どうしよう、心が揺らぎだした。


「あと再三言うが敬語はよせ。

 これから長い付き合いになるんだから疲れるぞ」

「………わかった。ではまず、そっちの世界とこっちの世界って、時間の流れは同じなのかな? そっちで一週間過ごして戻ってきたら、こっちでは何十年も経ってたっていうようなことはないのか?」

 戻ってこれるのはいいが、浦島太郎になるのは勘弁だ。


「時間の流れに関して言うなら確かに違うな。

 惑星間の行き来をすると、光速以上で亜空間を移動するせいか、時間が縮まるんだ。

 地球とアドアステラ間だと、あちらに約50日いても、こちらに帰ってくると約1日しか経たないぐらいだ。

 ただ肉体的には通常の時間がかかっているから、普通の人間があちらに長く滞在して戻ると、急に年を取ったと思われがちだ。

 ただ、長寿のお前ならさほど問題ないだろ。

 ちなみにあちらの1日は、こちらとほぼ同じ24時間だ」


 そうか逆浦島なら都合がいい。

 もし長く滞在するようなら、アパートの家賃とかどうしようと思ってたとこだ。持ち物が少ないほうとはいえ、家財道具もあるしな。


 時計を見ると午前10時25分、洗濯ものもあるから夕方には帰ってきたいな。

「ちょっと興味あるし、今日の午後5時頃までの短時間でもいいなら、行ってもいいかな」

「よし、では行くか」

 サメ男――ヴァリアスは立ち上がろうとした。


「ちょっと、ちょっと待って。準備もあるし」

 とりあえず替えの下着とか歯ブラシとか、持ってく物用意しなくちゃ。

 俺は押し入れからボストンバッグを取りだし、下着や服の替えを詰め始めた。


「そんな袋に入れなくても、お前の能力に空間収納スキルがあるぞ。それに入れればいい」

「空間収納スキルって、物をいろいろ入れておけるアレ?  アイテムボックスとかストレージとかいうの、俺使えるの?」

「ああ、身体強化は無意識に使っているが、その他のスキルはずっと使っていないようだがな」

 いや、知らんよ、そんなもの自分が持ってるなんて。


 サメ男が前方に右手をかざす。

 そのかざした空間が水面のように揺らぐと、指先が中に入っていく。

「こんな感じだ」

 全然わからん。


「そうだな。目の前に自分専用のスペースがあるとイメージする。出来るだけ大きくしてだぞ」

 うーん。自分だけの大きな空間、空間……。空っぽの押し入れみたいなイメージ………もっと大きく、目の前に別空間がある……。

 いかんせん、54年間全く使ってないので上手くいかない。


 と、ヴァリアスが俺の額に手をかざすと、イメージが流れ込んできた。

 おおっ こんなふうに単純に考えればいいのか!

 5秒ほどして、目の前の空間に波紋が小さく出来てきた。恐る恐る触れてみると指がすーっと入った。


「やった! 初魔法!」

 俺は急にテンションが上がった。

 超能力とかに目覚める時ってこんな感じか?


「これは魔力を使わないから、慣れてくれば簡単に使うことができるようになる。

 その他にも眠っている能力スキルがあるが、それはおいおい使えるようになるだろう」

 よし、とりあえず今出来たこの空間に、このボストンバッグを入れてみよう。

 おおっ入る入る。

 面白いからなんか色々入れたくなるぜ。


「あと何か大きい袋はあるか? できれば紙とかでなく、水をはじく素材が良いが」

「だったらごみ袋でいいかな? ビニールだし。何入れるの?」

「まぁ行けばわかる」

 

 とりあえず俺はキッチンの流し下の引き出しから、45Lの半透明ビニール袋を3枚引っ張り出した。

 あと空間収納にばっかり入れるんじゃなく、Dバッグも持っていこう。


「ちなみにあちらの気候ってどうなんだろう? 昨日は建物の中だったから、よく分からなかったけど」

「今はこちらで言うところの初夏だな。ただ日本の4月下旬くらいの気候だ。湿度はこちらより低いが」

 じゃあ上着はパーカーでいいか。


「あと靴は動きやすいのが良いぞ」

 普段使ってるスニーカーでいいかな。

 玄関でスニーカーを履いていると、サメ男が玄関のドアに手を添えていた。


「用意はいいか? では行くぞ」

 昨日と同じくドアが鈍く光ったと思うと、また深い霧の漂う白い空間が出現した。

 今度は後から続いて入った。


 目の前のドアを抜けると、昨日と同じ通路に出た。

 すかさず今通ったドアを開けて中を確認すると、狭く薄暗い小部屋で、1人座れるぐらいの台座の中央に穴が開いている。

 これってもしかして……。


「他の部屋より、一般が出入りしても不自然じゃないからな」

 ヴァリアスが振り返りながら言う。


 いやいや、男2人でトイレの個室から出てくるのって、こっちじゃ不自然じゃないのか?!

 そんな俺のツッコミたい気持ちを察することなく、スタスタとサメ男はまたフードを被ると、広間の方に歩いて行ってしまった。

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