第225話☆ もう一つの追跡劇(その2)


 ヘルマンはこれまでの生涯で味わったことのない焦燥に駆られていた。


 サーシャ一味を捕縛し、忠義の誉れとして地元に名誉ある帰還を果たす。

 主君からその輝かしい功績を褒め称えられ、名誉たる勲章を授与される己の姿に家臣たちから羨望の眼差しを受ける――

 

 ――はずだった。

  

 それが何故このような場所で、未だに彷徨っている?

 

 地下にあの女が姿を現わしたと聞いた時、すぐに事は終わると思っていた。

 今までどんなに捜索、猛追しても、いつも僅かな痕跡を知るだけで姿さえ捉えることは出来なかった。

 それをここまで追い詰めたのだ。

  

 きっと逃げ場のないダンジョンで、愚民の犬どもの煽りに焦って出てきたのだろう。

 こんなに肉迫したことはない。千載一遇のチャンスだった。


 なのにどうしたことか。

 何故このような大事の時に、このような災厄が起こるのか。

 

 あの女は元は異国の神子だと言う。

 まさかあの女の仕業なのか?

 いや、流石にそこまでの能力はないだろう。これは人間技ではない。


 おそらく近隣のダンジョンアジーレで起きた異変が原因なのだろうと彼らは思った。それは半分正解ではあったのだが。


 何もこのような時に起こらずとも良いものを……。

 憤懣やるかたないが、とにかくは現状の打破が先だった。


 40人近くいたはずの兵は、一気に自分も入れて3人となってしまった。

 あの異変により兵は一瞬にして解体された。

 何より不味いことに、ヘルマン達はこのような環境には不慣れだった。


 彼らは親衛隊。本来、主君の警護をするのが役目。

 むろん主君が狩りをする際には、身辺警護として一緒にダンジョンに入場する事はある。


 だがそれは事前に調査、確認した上で、案内人や魔導士等を伴っての行事だ。

 今回のように準備無しに入る事などはこれまでなかった。

 しかもこのような深層に。


 慣れぬ場所と一気に勢力が削がれたせいもあって、疲労の度合は著しかった。

 まずは地上に戻り、隊を立て直すことが先立っての課題だ。

 ヘルマンは焦燥した頭でまた考えた。


 さもするとサーシャ一味もこの災禍に見舞われ、慌てふためいて地上に逃げたかもしれないが、1層とを繋ぐ中間部屋には兵が待機している。

 また罠を転移ポートにも仕掛けてある。

 

 この時すでに中間部屋に待機していた兵達も、とっくに引きずり込まれて失踪していたのだが、もちろんそんな事態を考えもしていなかった。


 すでに奴らは捕えらえている可能性も低くない。

 ならなおのこと、早く上に戻り皆の指揮を取らねばならぬ。


 もしかすると上ではすでに罠を撤去し、転移の魔法陣にて我々の連絡を待っているやもしれない。

 だがその転移ポートはおろか、一向に出口すら見つからないのだ。


 それにすでに半日以上の時間が経過している。

 早ければ彼らの地元から後発の本隊が到着する頃だ。手柄を何もせずに後から来た運の良いだけの奴に持っていかれる。

 彷徨っている自分がとにかく歯痒かった。


 そんな焦燥に更に、この異常な状況がのしかかって来ていた。

 ダンジョンにあまり馴染みのない彼らでも、これが異常事態なのは分かる。

 だからこそ一時も落ち着くことも出来ず、緊張と警戒のために始終、防御力を上げていた。

 そのため今やその原動力の魔石はすでに残っていない。魔力ポーションもなかった。


 後は己自身の魔力だけに頼らざる得なくなっていた。

 それは致し方ない事だが、いつ出られるとも分からない状況で、それは後がない事を意味する。

 その不安がいっそう、全員の焦りを増長していた。


 いくら訓練された人間でも、ずっと緊張状態を休みなく保つのは難しい。

 必ずどこかで弛緩する時が出る。そうして疲労がそれを助長する。

 

 だから集中力が落ちているのはおかしくなかった。

 隠れていた罠が半ば露出され、目視出来るようになった油断もあったかもしれない。

 先頭の兵が、つい隠れていたソレを踏んでしまった。

 コロッと小石が足元から転がり出た。


『ヴワァア ァ゛ァ゛ァァァァァァ  ヤ˝ア˝ァ˝ァァァ ァヴェァバァアァァアァーーー』

 いきなり足元から奇声が発した。


「な、なんだっ!?」

「トラップか!」

 動揺した兵たちが反射的に地面を見やった次の瞬間、足元が揺れ出した。

 また蠕動が――

 だが急激に体の奥から湧きあがって来た、吐き気を催しそうな眩暈。

 この音が原因だ!


 即座に踏みつけた兵が、足元に炎のカーペットを広げた。

『ヴァッ ブブブウゥゥ……』

 ボウッと、腕程の長さの何かが音を立てて燃え上がる。

 音が掻き消えていった。

 

 地を這った火の触手に感じられたのは確かにヤブルー。と、その他に――?! 

 兵士が振り向いた刹那――


「ガッッッ!!」

 先頭にいた火の使い手が、激しくスパークする光に包まれ飛び上がった。

 続いてその手前にいた兵士が、何かに強く頭を殴打され転倒する。


 考えるより早く、ヘルマンは反射的に今出せる最大の閃光を放っていた。

 それを目くらましに彼は無意識にその場を遁走した。

 敵に背中を見せるなど、本来ならプライドが許さない行為だが、相手が何かがまずわからない。


 いま最も仇敵に近いところにいながら、ここで自分がいなくなれば、残る兵共を束ね、誰が主君の恥辱を晴らすというのだ。

 すでに彼の頭の中には、生きる為の都合いい言い訳が巡っていた。

 まずヤブルーの奇声のせいで、彼は軽くパニックになっていたのだ。


 だからその背中に浴びせられた声にも気がつかなかった。

 もし少しでも聞こえていれば、相手が人であるぐらいはわかったものを。



    ******



「あの野郎っ、仲間を置いてく気かっ」

 閃光が消え去った後、ギュンターが咄嗟に築いた石の壁から顔を出した。

「くそっ! いけ好かねえと思ったら、やっぱり光の奴かよ」 

 光に過敏な目を持つユーリが、手で目をかばいながら悪態をついた。

 隠蔽は解いてしまっている。  

 

「もうちょっとで目ん玉やられるとこだったぁ」

 ぼやきながらユーリが盾にした兵士の体を転がす。

「全くだ。魔石を入れ替えといて良かったな」

 ギュンターが、膝の下で呻いている兵士を後ろ手に拘束しながら言った。


 仕掛ける際、彼らはアミュレッ護符トの効果を上げる為、本来脱出用に使うための魔石を二つに分けて装着していた。

 流石は王都の近衛兵が使用する代物、そこら辺の警吏が通常持っているブツとは質もパワーも違う、と2人はあらためて感心した。

 おかげであの光の毒から身を護ることが出来た。


 ヘルマンが発した光は、ただの目くらまし程度でのものではなかった。

 一般的に『光』は生活魔法の明かりに使われることが多く、攻撃魔法としては『闇』属性への対極的エネルギーとだけ認識されているところが少なくない。


 だがご存じのとおり太陽光の中にも見えない波長があるように、光と言っても色々ある。

『光』の属性を持つ者は、それを独自に見分け、使いこなす者がいる。

 そうしてエネルギーは圧縮するほど強力になる。


 集約された熱エネルギーは光のカッレーザーターになるが、ヘルマンが発した光はだった。


 長く維持するのは大変だが、一瞬の爆発力で内部を焦がし、回復ポーションだけでは治せない厄介な傷を残す恐ろしい放射線。

 護符のおかげで影響は受けなかったが、反射的に追撃するのを躊躇ためらすだけの脅威はあった。


 先程ユーリは、ヤブルーを通路の真ん中に置くと、自分たち自身と一緒にソレの姿を隠蔽で隠した。

 口に詰め込んだ小石は、ちょうど彼らの真ん中に来るタイミングでギュンターが動かす計画だったが、都合よく踏んでくれた。


 そうして奴らが奇声に驚いて隙を作ることに賭けていたのだが、思った以上の効果を与えたようだ。

 奴らのアミュレットの効力が落ちているのか? 

 そんなことをふと考えるギュンターの横で、ユーリが兵士から武器や荷物を取り上げていた。


「ハズレだな、こいつら。ポーションどころか、予備の魔石も食糧も持ってねえや」

 コレはここじゃ何の役にも立たないし、と呟きながらもコインの入った革小袋は自分のポーチにそそっと入れ込んだ。


 そんな様子を半ば白い目で見ながら、ギュンターは1人を肩に担いで立ち上がった。

「早く入ろうぜ。モタモタしてると、今の騒ぎでハンターが集まって来る」

 だがユーリは、黒いドアとは反対方向に目を向けた。


「先に行っててくれ。おれはあの野郎を捕まえて来る。

 早くしねえと匂いが(ダンジョンに吸収されて)かき消えちまうかもしれねえ」


「はあっ?  とりあえず(任務は)2人で十分だろ」

「いやっ、まだだ。

 こちらに振り向いたユーリの金色の虹彩に、赤い筋が湧き出して来た。


 彼らが来る際、地上の転移ポートにはサーシャ達への罠が仕掛けられていた。

 転移ポートを使って脱出する為に、先に身代わりで罠を無効化させる計画をユーリは考えていた。

 少なくとも檻は4つあったが、まず罠を減らす事が重要だった。


 先に地上に戻してやるが、魔石を十分に使ってやるつもりはさらさらない。不足分は贄自身のエナジーで賄えばいいのだ。

 何しろ奴らの生死は不問なのだから。

 

 だがギュンターには別の不安が湧いた。

 この状況ではまた蠕動ぜんどうで、転移ポートが移動する可能性が高い。

 ギュンターはダウジングが出来るが、ユーリは出来ない。

 ユーリはダンジョンに慣れているが、絶対大丈夫という事はあり得無い。ここで別れたら最悪迷宮の迷子だ。


 実は彼の危惧した通り、先程からこの転移ポートは度々その位置を変えていた。

 4層に留まっていたヘルマン達が、ずっとこれに辿り着けなかったのはそのせいでもある。


「待て待て、いくらなんでも1人で行くのは危険だ。おれも行くからとにかく先に――」

「さっきはちょっとビビったが、二度はやられねえよ」

 心配の意味を取り違えて、ユーリは走りだしていた。 

 

 駄目だ、こりゃ。狩猟モードになっている。

 理屈とかではなく元来の気質なのか、逃げる獲物を追いかけないと気が済まないようだ。

 仕方ない。


「ユーリ!」

 ギュンターは叫ぶや、10メートルほど先の扉に向かって緑色の魂を投げつけた。

 それは炸裂し、黒い金属の表面に細かな緑の粉末が拡散した。

「これを目印にしろっ」


 匂い玉とも言われているその苔玉は、獣人系の警吏たちの使う追跡道具――いわゆるカラーボールだった。

 日本で使われる防犯ボールは、まさに蛍光塗料などの色素で犯人を追跡する道具だが、これは鼻の利く獣人使用の物だった。

 

 その匂いは不愉快なタイプではないが、他の匂いと区別化するために独自にブレンドしたオリジナルの苔玉を使う者もいた。 

 その媒体の苔は小さな菱状をしており、服に付くと布地に入り込んでちょっとやそっとでは落ちることはない。


 そうして匂いの粒子はアロマオイルのように濃いエッセンスで、最後まで香りを放った。

 だからたとえ服を着替えたとしても、髪や体毛に少しでも残っていれば追跡に足りることが出来た。

 扉表面の細かく刻み込まれた文字盤にも、その細かな粒子がこびり付いた。


「おれもすぐ後を追うから、無茶すんなよ」

 ユーリが片手を軽く振ってカーブに消えたのを見届けると、ギュンターはもう1人の兵士を引っ掴んだ。


 かくして2人は一時的に別行動となった。


 今まで一本道だった通路は今や所々に横穴が通った、言わば路地のように入りこみだしていた。

 また不規則な蠕動のせいで、空気(風)の動きも瞬時に変化した。

 だがユーリには、ヘルマンの通った軌跡が残留オーラを視るように分かった。


 それはどんな汗や血の匂いよりも、熱情を主張してくるムスク麝香の芳香。

 オイルでの希釈や熟成でもとの臭いから遠のいているとはいえ、元々は動物のフェロモン。

 存在感を強く残さない訳がない。 


 ぼんぼん野郎め、その気取りが命取りなんだよ。

 ユーリは少し残酷そうな笑みを浮かべた。


 普段なら地位と権力に守られているせいで、手出しなぞ出来ない鼻持ちならない相手だが、今回は法の下まさしく堂々とブチのめすことが出来る。

 しかも相手は『光』の使い手。

 闇の反対だからという理由ではなく、彼は『光』スキルを持つ者に少なからずやっかみを持っていた。


 余談になるがユーリが5歳の時、初恋の幼馴染にフラれた理由がかなりのショックだった。


 小さいながらマセている幼女カノジョは、

「あたし 将来結婚する人は『火』と『光』が使える人って決めてるの」と彼にイカズチのごとき打撃を与えた。


 彼女は僅かながら『水』が使えた。その他の生活力を連れ添いで埋める気なのだ。

 それは親を見てなのか、それとも教育のせいか、とにかく彼女は将来に夢よりも現実に目を向けていた。

 実はこれはただの笑い事で済まされなかった。


 生活魔法を制する者は、ある程度の生活を保障できる。

 生活魔法を使えるかどうかは、庶民の一種のステイタスでもあった。


 使用人を雇える裕福な者なら必要とは感じないだろうが、自分たちで身の回りの家事一切をやらなくてはいけない下層民にとって、これはあるとないとでは大違いだったのだ。


 たとえ井戸が家のすぐ裏手にあったとしても、家の水瓶を満たすように水を何度も汲んでくるのは結構な重労働だ。しかも毎日の事。

 水道を引けるところはある程度整った環境で、その汲み上げるポンプは結構な頻度で故障した。

 水の魔石を使うことは、一般庶民には贅沢な話だ。


 日々の煮炊きに使うかまどや、冬になれば暖炉に使用する薪代も馬鹿にならない。

 人口が過密の町の安アパートのような狭い部屋には、自前の薪を置いておく納屋なぞないから、必然的に薪売りなどから逐一買うことになる。


 また現代人よりも早く寝るとはいえ、まったく灯りをつけないわけにもいかない。

 油は高いし、安価な獣脂を使った蝋燭は煙が出たり嫌な臭いを放ったりする。

 その臭いが髪や服に染みついてしまったりするのも悩みの種になる。

 まさしく貧乏臭いというやつだ。

 

 そんな悩みや生活の負担が魔法で補われるなら――労力や肉体的負担は抜きにして――こんなに有難いことはない。


 また『土』も庶民の間では人気の能力の1つである。

 これは畑を耕したり、壁や家屋の修理、または鍛冶仕事に使えるとして広く重宝されていた。


 それに比べて『闇』はあまりに需要がなかった。

 強力になれば、闇眼以外に隠蔽や傀儡などの特殊能力を発揮するが、地方によっては役立たずどころか胡散臭くみられた。


 自分と同じく実体のないエナジーを操作するのに、『光』は持っているだけでその人物の品格まで明るくみられることが少なからずあった。


 実はネクロマンサーのように忌み嫌われる能力も、遺族の癒しのために使われることもあるのだ。

 心地よい眠りに誘う空間を作り出す、それは『闇』の本領でもあるのだが、そういった『明』の部分はあまり知られていなかった。


 神様、どうか 闇を光に変えてください……。

 幼い彼は毎晩本気で神様に祈ったが、もちろんそんな願いは通じなかった。

 持って生まれる能力の種類は、三高以上に努力で何とかなるものではない。 


 挙句の果てにユエリアンである彼は、8歳の時に攻撃性の高い『雷』が発現してしまった。雷は闇によく光るものである。


 だが明かりの代わりとするには激しすぎるし、持続性がない。

 もしこの世界に家電なる物が存在すれば、彼の能力も生活魔法となったかもしれなかったが。


 結局のところ成人して村を出た彼は、その力を生かしてハンターや傭兵となり各国を渡り歩いた。

 そうして警吏に転職して現在に至る。

 そうでなければ愛妻ドロレスとは出会っていなかったはずであるが、未だに生活魔法保持者を妬ましかったりするのは、幼い頃の酸っぱい記憶からもしれない。   

 

 とにかくユーリはこの滅多にない機会を逃したくなかった。

 見つけたらどうしてやるか。


 電撃で麻痺パラライズさせるのもいいが、やり過ぎてさっきみたいに殺しちまうのはもったいない。

 何しろもっと防御力が高いと踏んでいたから、思い切りやってしまったのだ。

 力量は手合わせして初めてわかる。


 さっきの『光』の調子から、相手の力量がある程度推測できた。

 あれならおれの『闇』の方が強い。


 あんな傲慢な野郎はそう簡単に楽に死なせやしない。

 そうだ、手足をまず取っ払っておくか。その方が跳ばす転移エネルギーが少なくて済む。

 頭だけ無事なら良いんだから。

 不意打ちをかけてバインドした瞬間、耳から――


「ギャッ!」

 右側から激しく何かに弾き飛ばされ、床に思い切り叩きつけられた。


 頭の中をガンガンと痛みと共に警鐘が鳴っている。

 体中が激しく痛み、耳がおかしくなった。

 自分のまわりには薄く闇を伸ばしているのに、全く気付かなかった。

 そんな、それ以上の光の隠蔽目隠しか……?!

 逆にこっちが不意打ちくらぁ……マズイ、意識が飛びそうだ……。


 ところがそこに予想外の素っ頓狂な声がかかった。

「あああっ!! すいません! スイマセン! ごめんなさいっ」

 誰だよっ?!


 その声に意識を掴み直しながら、まず立ち上がろうと手をついた。 

「……このぉ、バカヤロウぅ! ったく、何処のどいつだ……このクソッたれが……」

 気配消しながら馬鹿みたいな勢いで走りやがって――。

 まず自分の事は棚上げである。


 しかし闇の触手で感じたのは、何かわからない異質な障壁のようなものだった。

 石でも鉄でもない。光とか何かのエナジー体でもない。

 強いて言うなら空間が切り取られたような……。


 グラグラしてぼやける視界で垣間見えたのは、先程と変らない茶色の通路のみ。

 それなのにまた手前で声がした。

「……うう、本当にすいません。先を急ぐんで……これで勘弁してください……」


 足元にコロコロと転がって来る物があった。

「おい……」

 返事は帰って来なかった。


 すぐさまポーチからハイポーションを取り出して飲む。

 クリアになった目であらためて見ると、転がって来たのは土器製の小瓶だった。

『ハイポーション』のラベルが貼ってある。

 詫びのつもりか?

 

 確かにハイポーション1本では完治には至らなかった。

 念のため瓶の匂いを嗅いでみる。


 複数の安酒の匂いがした。

 これは酔っ払いがベタベタと触ったのか、それとも酒屋か居酒屋の棚にでも置いてあったのか。土器に酒の匂いが染み付いていた。

 その他に別の匂いもした。

 これは…………誰のだっけ?


 多分つい最近会った奴のだと思うのだが、まだ少し頭がハッキリしない。

 さっき闇で触れたモノも見当がつかないし、とにかく姿も見せない得体の知れない奴が寄こした薬なんか、危なくて使えるものじゃない。

 小瓶は使われずポーチに仕舞われた。


 頭痛は和らいでいるし、肩や足の痛みも引いていった。取り敢えず骨はやられてないな。

 再び立ち上がろうとして、口の中に違和感を感じた。

 舌で探ると、嫌な金属系の味と共にあるべきところに穴が開いている。


「あ……くそ」

 前歯が2本欠けていた。


 アクールやユエリアンは多生歯性たせいしせいで、一生のうちに何度も生え変わる。

 種系統によって6~20回と、回数が決まっている獣人に比べて無限大だ。

 

 しかしだからと言って、折れたらその場ですぐに生えて来るわけでもない。

 早くとも2~5日はかかるだろう。

 それまでは歯っ欠けだ。

 牙を持つ者にとってはみっともないし、何より落ち着かない。


 くそぉ~! マジで頭きた。

 ユーリは口に残っていた血を手につけた。

 そうして指で鼻筋と頬の両方に塗ると、最後に手で鼻を覆い深く血の匂いを吸い込んだ。


 ドクンドクンと、心臓が高鳴って来る。頭の中で太古のドラムが打ち鳴らされるリズムを感じる。

 体中を血液が、エナジーが駆け巡り、段々と速度を増した戦車のように力が湧きあがる。回復力も一気に高まった。


 これは『オーバーウォリアー』や『ファイアスピリット』などと呼ばれる状態で、己の血の味や匂いで気を昂らせ、一時的に身体能力を極限まで高めるやり方である。

 身体強化とも似ているが全感覚が鋭くなり、魔力放出も格段にアップするのだ。


 更に鋭くなった嗅覚に、獲物の匂いがある穴の方からたなびいてくる。

「よしっ! 一気にケリつけてやるぜ」

 赤く変色した目をさせてユーリは再び駆けだした。


 ただし火事場の馬鹿力、後々の身体への負担は少なくない。

 元々は命に危機が及ぶような状況に陥った時に、生き残る為の防衛本能から生じたもの。

 本来はこのような使い方をするべきではない。 

 

 この種族が少数派なのは、この好戦的な性質が主な原因、と説を唱える生物学者も少なくないようだ。

 



   ******




 万が一、この中に奴らの残党がすでにいる可能性を考慮して、ギュンターはドアの死角に2人を降ろすと、そっと開く扉を覗き込んだ。


「おっ」

 幸い中に親衛隊の兵はおらず、代わりに3人の民間人らしき男女がこちらを不安そうに凝視していた。


「警吏さん……? 助けに来てくれたのかい」

 喜色を浮かべて近寄ろうとした中年男が、ギュンターが抱えてきた者を見てつと足を止めた。


「って、そいつらは……」

「スマン、ちょっとゴタついててな。まだ助けられないんだ」

 そう言ってギュンターは、抱えていた兵士を壁際に転がした。


「すぐ戻って来るが、こいつらが何を言っても拘束は絶対に解かないでくれ。

 何しろ反逆罪の容疑者だからな」

 と言っても1人はもう喋れるか分からないのだが。


「もちろん何を言われようと、そいつらには手は貸さないよ」

 身構えるように立っていた初老の女が口を歪めた。

「そいつらのせいで、ウチの子たちが全滅したんだ。体中刺してやりたいくらいだよ」

 ブブブッと、彼女の肩の火蜂が呼応するように羽音を立てる。


「そうか。まあ殺さない程度に頼むよ」

 再び扉を開けようとしたところへ

「警吏さん、その……魔石なんか余ってないっすかね」

 先程の細っこい男がまたおどおどと声をかけてきた。 


「あ、ああ……、余ってるのはないな」

 自分たちの分しかないとは言いづらい。

「それに分かってると思うが、いま転移は使えんぞ。上に罠が仕掛けてあるからな」

 こいつらのせいで、と兵士の方に顎をしゃくった。


「えっ! いつの間に?!」

 男と蜂使いが顔を見合わせた。

 もう1人の若い男は床に横になったまま、ため息をついた。


「ついさっきまでそんなモノはなかったのに。だからせめて救助信号を送ろうと思って……」

 男が額に手をやって嘆いた。

 確認のために老女が魔法陣にしゃがむと、手を当てて向こう側を視た。


「んん、やっぱり変わらないようだけど」

「なに?」

 ドアを閉めかけたギュンターの耳が動いた。すぐさま中に戻ると自分も手を当ててみた。


 視えたのは白い壁と、中央に魔法陣があるだけの部屋。 

 向こう側へのドアは閉まっていたが、覗き窓は開きっぱなしになっている。

 という事は、罠が隠蔽化された訳でもないようだ。


 だが、どういうことだ? おれ達が入った後、撤去出来たのか?

 と、―― ぐるりと視ると、部屋の片隅に1メートル角程の布が敷かれてあった。

 その布一杯に、こことよく似た魔法陣が描かれている。


 あーーっ! ギュンターは慌ててポーチから、例の簡易脱出用の魔法陣布を取り出した。

 ひらりと広げた布から紙が落ちる。

 5層で読んだ伝書は、その場で破り捨てている。これは新しいものか。


 もどかしく冒頭の謝罪文は読み飛ばし文字を追うと、ギュンターの目が見開かれた。


 内容は曰く、先程とは状況が変った。

 ―― 念のため転移室内に転移先の魔法陣布を置いたが、罠は解除されているので安心して戻って来られたし…… ――


 あいつら~~っ!!

 コロコロと言う事を変えやがってっ! おれ達を何だと思ってやがんだ!

 貴族の不条理さは諦めてはいるが、やはり頭に来る。

 

 ドンッと思わず床を強く踏みつけたのを、3人が驚いて見つめた。


「くそっ、こうしちゃいられん」

 もう一度3人に言い含めると、ギュンターは今度こそユーリを追いかけに出て行った。




    ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 う~ん、そろそろ生活エピソードも描きたくて、余計な話も入れてしまいました💦

 ただどんどん話が長くなってしまう……。

 次回は蒼也に戻ります。

 そうしてやっとヨエルと再会する――ところまでなんとかしたい……( ̄▽ ̄;)

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