第148話☆ ――契約書


「その前に確認してもいいか?」

 ヨエルがジョッキと料理を避けて、先程奴が渡したタブロイド紙を見せた。

「さっきのこれ、事実なのか? それはいつから――」

 彼が指した記事はあの『ハメを外し過ぎてしまった外国の大使』の騒動だった。

 なんだこの人、もしかしてこの大使の支持派だったのか?


「事実だ。大袈裟に書いてあるが、内容はほぼ合ってるぞ」

「いや、おれが聞きたいのは――」

「分かってるよ、ちょっとからかっただけだ」

 そう奴がニヤニヤしているのに反比例して、ヨエルの顔が曇っていく。

「おい、なんだか分からないが、そういう人を小馬鹿にするような物言いはやめろよ」

 横で俺は注意した。こいつは時々、ライオンが小動物を虐めるようなことをする。


「じゃあストレートに言っちまっていいか。この『未成年者の奴隷制度』が廃止されたってのは本当の事だ」

「しっ! 声が大きい」

 奴が発した大声に、ヨエルがうろたえる。

「心配するな。まわりにゃ聞こえねぇよ。まわりの声もわからねぇだろ?」

「えっ?」

 そう言われてあらためて耳を澄ますと、ざわざわした喧騒は聞こえるのに、それがただの音であって、1つも言葉として聞こえてこない。まるで複数の声が同時に発せられて、被ってしまったかのようだ。

 向かいのヨエルもあたりを見回している。


「いいか、蒼也、これが音魔法だ。ただ遮音するより不自然じゃないだろ? こちらの会話も聞き取れないように、まわりの声も分からない方が話に集中できるしな」

 それを聞いてヨエルが、はぁーっと1つ息をついた。

「さすがSS様だ。今更ながらに恐れ入ったよ。それで……おれのことはもう知ってるようだから、なんでおれがそんな事知りたがるか分かってるんだろ?」

「ああ、本当ならこんなの大使館にでも行けば、調べられる事なのに、お前は自らは行きたくないんだろ?

 というか、行けないんだよな。大使館の中は治外法権、あそこは小さなR国だから」

 それを聞いて男が少し視線を下に落とした。

 その2人の会話をただ聞いてる俺だけが置き去りなんだが。


「安心しろ。お前のことをチクったりしやしねぇよ。そんな事しても、オレ達になんの得もねぇからな」

「その代わりに仕事をさせるんだろ……」

「あのすいませんが……ヨエルさんって、R国で何かしちゃったんですか?」

 もういい加減、蚊帳の外なのは御免だ。


「んー、されたと言うべきかな。ヨエル、コイツにも話していいんだろ?」

「……どうせ後で話すんだろ? だったら今でも同じだ」

「だと。蒼也、お前もこれ読んだだろう」

 そう言って俺に折りたたんだタブロイド紙の、その記事を見せた。

「このR国は大陸の海寄りの国で、ここから3国ほど離れたところにある。

 で、ご多分に漏れず、奴隷商や奴隷がうじゃうじゃいる国だ。

 その奴隷が一番よくやる罪ってなんだか分かるか?」

「罪?……主人に刃向かうとか?」

「逃亡することだよ。コイツは逃亡奴隷なんだ」

 パサッとテーブルに新聞を放った。


 俺はヨエルの方を見た。

 男は放られた新聞の方に視線を落としている。

 彼はベーシスで、亜人じゃない。なんとなくミックスでも無さそうだと感じる。人種のせいじゃないとしたら――借金のカタならまだしも、犯罪者だったらちょっとヤダなあと思った。


 ふっと影が射した。

 顔を上げると給仕がまた酒を持ってきたところだった。

「すぐそばに来ても、内容は分からないようにしてるぞ。心配するな」

 ちょっとビクついたヨエルに向かって奴が言った。


「ほら、お前も飲めっ 飲んだ方が気分も軽くなるぞ」

 奴がジョッキをヨエルの方に押しやった。

「あぁ……そうだな。それよりも、煙草吸ってもいいか?」

「オレは構わん。蒼也は?」

「私もいいです」

 俺は吸わないが、友人にヘビースモーカーはいる。


「じゃあ……」

 男はズボンのポケットから、銀色のシガレットケースを取り出した。中には細い紙巻煙草らしいのが何本か入っている。

 そうして一緒に出した、ハンコぐらいの小さな金属のスティック状の物に、先を押し付けた。

 ポッと煙草の先に火が付く。火種入れみたいな物か。

 フーッと吐き出された煙は俺達のほうには流れずに、そのまま引っ張られるように真っ直ぐ横の柱から天井を伝って流れて消えた。

 おそらく風魔法を使っているのだろう。


「それでさっきの件だが……」

 煙草を少し吹かしてから、ヨエルが訊いてきた。

「ああ、4年と7カ月前に法律が改正になって、12歳未満の未成年者に奴隷契約させるのを禁止したんだ。

 人道的配慮でな」

「人道的配慮するなら、いっそ奴隷制なんか無くせばいいのに」

 つい俺は口に出した。

 知り合いが無理やり奴隷にされそうになったのに、そんなの擁護ようごする気には到底なれない。


「お前はまだよく分かってないな。そういう国にとって、奴隷は国の原動力、大事な働き手なんだ。コイツらがいなくなったら、国が立ち行かなくなるくらい、生活に浸透しているんだ。

 前に奴隷商に会った時に教えたろ?」

「そりゃ聞いたけど……」

 文化だか何だか知らないが、あの羊のように大人しいサウロが騙されたり、聖女のようなナタリーが力づくで誘拐されたり、そんなのただの無法で理不尽な社会じゃないか。

 とても文明的とは思えない。


「それは……、法が成立した時点から有効なのか? それとも過去に遡ってか?」

 ヨエルが少し声を落としたが、しっかりと奴を見て訊いてきた。

「過去5年までが無効になった。それ以上すると奴隷が激減しちまうからな。それでもかなりの雇用主が打撃を受けたんだぞ。潰れた奴隷商人まで出たくらいだからな」

「そんなもの潰れちまえばいい」

 無用の長物どころか悪の権化じゃないか。キレイに無くなっちまえばいいのに。


「ふっ……そうか、そりゃそうだよな。そんなに上手く世の中出来てないか……」

 ヨエルがまた俯いた。

 そのまま短くなった煙草を隅に置いてあった鉄皿でもみ消すと、2本目を出して火をつける。

「お前、全然飲んでないじゃないか。酒がぬるくなっちまう」

「……ん、ああ、そうだな」

 そうは言うが彼はさっきからジョッキに手をつけていない。

 飲む気がないんだろう。もちろんツマミにもまったく手を出していない。

 奴がわざわざマズくするのは勿体ないとか文句を言っている。


「よし、じゃあ、酒が飲みたくなるようにしてやる」

 ぴらっと空中から1枚の紙を引っ張り出した。

 随分古いモノのようで、すっかり変色して所々に染みや破れがある。

 それを向かいのヨエルの顔の前に突き出した。

 ぼんやりとそれを見たヨエルの目が開いた。


「こ、これっ?!」

「字は読めるな。そう、『奴隷所有権利書』だ。

 所有者の名前は書き換えられてないから、まだコイツが書類上では主人って訳だな。

 まあコイツの事はどうでもいい。で、これが本当の名か?」

 そう言って奴が白い爪で指さしたところは、こちらからは紙が湾曲していて見えなかった。

 ただ、その横らしきところに、黒ずんだ手形が付いているのが見えた。

 なんかそれ、すごく小さくないか? そのサイズじゃ――。


「やっぱり、残ってたのか―――」

 男が自分のこめかみのあたりを、掻きむしるように両手で掴んだ。

 テーブルに落ちた煙草を俺は慌ててキャッチする。

 ふっと 煙がかかって、香ばしいような微かに甘味を帯びた匂いがした。

 すると、横からサッと奴が煙草を掴むと、瞬時に塵にした。

「お前はこの煙を吸うな。これはカンナビスだ」

 カンナビス? 大麻か。


 それからヨエルの方に向き直ると

「これはお前にやる」

 スルッと彼の前に紙を落とした。 

「エッ!?」

 跳ね起きるようにヨエルが顔を上げた。

「こんなのオレが持っててもしょうがないだろ。自慢じゃないが、手下てかは間に合ってるしな」

 部下じゃなくて手下というところがあんたらしいな。


「え、えぇ? ……でもこれ……本物なんだろ?」

 ヨエルがすごく戸惑った顔をして、奴と紙を交互に見た。

「偽物だと思うか?」

「いや……この、これは……本物だ、間違いない……」

 そう言って男は紙を握ったまま、震え出した。


 俺も解析でなく探知で視て、どうやらその通りだと感じた。

 とても年月が経っているはずなのに、消えずに何故か残っていたソレは、目の前の彼と同じ気を放っていた。

 これはただの紙でなく、魔法紙と呼ばれるもので、契約書などに使われる物だそうだ。サイン代わりのその人物のオーラを半永久的に閉じ込めて、認証できるようになっている。

 オーラはその時々の体調や気分で変化するが、その本質はDNAのように変わらないからだ。


「ついでにこっちもいるか? おまけでやるよ」

 奴がもう一枚の古紙を出してきた。

 テーブルに置いたので俺にも見えた。『奴隷売買契約書』と書いてある。

 売主らしき人物のサインの横に、大人らしき手形が2つ付いていた。サインの字が全て同じ筆跡なのは、おそらく非識字者の代わりに代筆したのだろう。

 サインは代行しても、横に同意を示す本人の手形を押すのだ。

 だが、その2つの手形を視て、俺はちょっと複雑な気持ちになった。その2つの手形から感じられる気と彼のソレが似ていたからだ。


「どうやって、これも……。いや、買うっ! 両方買い取らせてくれ。いくらだ?

 いくらでも絶対に買うぞ! ギルドに借金しても払うっ」

「だからオレは要らねえんだよ」

 奴が面倒くさそうに手を振った。


「ちょっとコネがあって手にいれただけだ。オレにとっちゃ紙屑同然、焚火の火付けに使うほどにも用がない。

 だがお前が欲しそうだったから、やるって言ってるだけだ」

「なんで……そんなに簡単に……」

「あの、こいつは一般常識で考えない方がいいですよ。常識なんか破壊してますから」

「オレだって常識くらい知ってるぞっ!」

「イダダダッ! 耳を摘まむなっ 伸びたらどうすんだっ」


 ヨエルはあっけにとられたように見ていたが、やがて小さく笑い出した。

「ハハハ……、そりゃそうか、さすがにSS様。おれなんか一般人とは考え方も違うってことだな。

 では、本当にこれは……貰っていいんだな?」

「何度も言わすなよ。邪魔だったら、今この場で燃やしてもいいんだぞ」

 奴が手を伸ばしたので、慌ててヨエルが紙を引っ込めた。

「いや、いい。……燃やすのはおれの手でやる。――そうしたいんだ」

「じゃあ、そうすりゃいい」

 それを聞いてヨエルが、急に手前にあったジョッキを掴むと一気に飲みだした。


「やれば出来るじゃねぇか」

 奴がニヤッと笑ってから、軽く指を鳴らした。

 するとすぐに給仕が代わりのジョッキを持ってきた。

「いつの間に頼んだんだ?」

「これも音魔法の使い方だ。声を飛ばしたんだ。お前にもそのうち教えてやるよ」

 ふーん、それなら呼び鈴要らないな。あれっ、また修行すること増えるのか?


「ハァーッ! 旨いっ! 今日は酒がすごく美味いぜっ」

 ジョッキを飲み干して、ヨエルが声を上げた。

「よし、じゃあとにかく飲め。それでこっちの依頼も受けてくれるんだろうな?」

「ああ、もちろんだ。これじゃ断る理由がない。

本当にーー有難う……」

 そう言って少し目をこすった。

「礼なんか要らねぇよ。ちゃんと仕事さえしてくれりゃあな」


「喜んでやらせてもらうよ。

しかし……ウチの親、こういう名前だったのか。もう覚えてないな」

 あらためて紙を見ながら呟いた。

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