9 魔天使の翼
「ふぅ……」
服の汚れを叩き落とした綺がこちらを見る。
いや「ふぅ」ってて。
これ、あいつ普通に死んだんじゃないのか?
「大丈夫? 怪我はない?」
「あ、うん。僕は大丈夫だけど」
空人は黙って奇妙なオブジェとなったリーゼント男を指差した。
僕の体を心配してくれるのはいいけど、あっちの方が大変なことになってるぞ。
「彼らは大丈夫。Dリングの防御を解除されたからしばらくはまともに動けないけど、夜明け前には掃除の人が片付けてくれるでしょう」
「掃除の人?」
「ところで、ダメじゃない! こんな夜中に出歩いちゃ。夜のL.N.T.は能力者たちの戦場なんだからね。『
説明口調なのは気を使ってだろうが、何一つ言っている意味がわからない。
――なので、少し整理してみよう。
まず、夜間の外出が禁止されていたのはちゃんと理由があった。
その理由は、夜中は超能力みたいな力を使うやつらが好き勝手に暴れているためだ。
……ダメだ、この時点でアニメの世界だ。
「綺もその能力者なのか?」
「まあね。J授業……つまり
「さっきと名前が違ってるぞ。綺やこいつら以外にも能力者っているのか?」
「もちろん。
なるほど、読めてきた。
つまり、それがL.N.T.ことラバースニュータウンの真の姿なのだ。
生徒たちに特殊な能力を与えてその効果を試すという。
学校の授業はあくまで能力を発現させるための準備期間なのだ。
その危険な能力の促進は生徒たちに自主的に行わせる。
そう、自主的に。
あくまで生徒たちの意思でそうしているという体を作っているのだ。
新技術のモニターと言えば聞こえはいいが、こんなことを一般の都市で行うわけにはいかない。
「第二段階に上がれば僕もそのジョイストーンをもらえるの?」
「Dリングが光ればすぐに貰えるわ。この指輪は素質を計る指標であると同時に、身を守るための鎧でもあるの。だから第二段階に進む前には必ず光らせなきゃいけないんだって」
「素質がないのにジョイストーンを使ったら?」
「最悪の場合、体が耐えきれずに爆発して死んじゃうんだって」
「爆発って……よくそんな危ないものを使えるな。逃げ出したいとか思わなかった?」
「逃げ出せないよ。そんなことしたら退学になるし、強制退学になった人がどうなるのか誰も知らないんだから。秘密裏に始末されるんじゃないかってみんな言ってるよ。多分、当たらずとも遠からずと思う」
ますます恐ろしいことを平然と伝えてくる。
「冗談じゃない。聞いてないよ、そんなこと……」
「私もこういう話は全部、第二段階に入ってから聞かされたの。超能力みたいな技術についてはうっすらと聞いていたんだけど、この街で何が行われているかを知ったのはその時が初めてだったわ。『知ったら絶対に卒業するまで外の世界には戻れないぞ』って念を押されて、同意したらこの力をもらえたの」
確かにこんな特殊な実験を行っているなんてこと、L.N.T.外の人たちに気づかれるわけにはいかないだろう。
なにせ、異能力だ。
世間に知られたらとんでもない混乱になるのは間違いない。
水瀬学園は全寮制である。
もし在学半ばで誰かが命を落としても、すぐに家族や外の友人にバレることはない。
周りを深い山で囲まれたL.N.T.と外界を繋ぐのは、開通したばかりの社有高速道路と貨物列車のみだ。
当然ながら家族への手紙は検閲されるだろう。
帰省前には長期休暇中に許可を取ると聞いているが、この分では許可なんかでないに決まっている。
まるで実験動物扱いだと空人は思った。
「騙されたって思わなかった?」
「それは少し思ったけど……私、気にいっちゃったから」
綺は背中から生えた、美しくも威圧感のある真っ赤な翼を撫でた。
彼女の白い腕がより深い赤を際立たせる。
「これ、≪|魔天使の翼(デビルウイング)≫っていうの」
「悪役っぽい名前だな」
「私も思ったわ。このJOYを手に入れたとき、その言葉が頭の中に浮かんだの。みんなそうやって名前をつけてるんだって……あっ」
と、綺は翼をいじる手を止め、真剣な目で空人を見つめて言った。
「いま言ったこと、第一段階を突破してない人には秘密になってるよね。もしかしたら空人君は、今ならこの街から逃げることはできるかもしれない。だから――」
「僕は学校を辞める気はないよ」
綺の声を遮って、空人ははっきりと自分の意思を口にした。
「知ってるだろ。僕だってヒーローにあこがれてるんだ。大企業の実験だか知らないけど、そんな素敵な能力なら僕だって欲しいよ」
「でも、命の危険だってあるんだよ?」
「関係ないね。それを言うなら綺だってそうじゃないか。見てろよ。すぐに指輪を光らせて第二段階に進んでやる。僕のまだ見ぬ能力と綺の≪|魔天使の翼(デビルウイング)≫のどっちが強いか、勝負だ!」
綺はしばらく呆気にとられたような顔をしていたが、やがて口元を押さえて可笑しそうに笑い始めた。
「空人君って変わってるね。普通、こんな危険な目にあったら逃げたくなるよ」
「僕が危険な目に会ったのはルールを破って能力を持たないまま表に出たからだ。これからは第二段階になるまで外出は控えるよ」
「うん、それがいいね」
綺はまだ笑っている。
空人もなんだか可笑しくなって、二人して大声で笑い合った。
やがて笑いが収まると綺は心持ち声を小さくして言った。
「ところで、今日私に会ったことは秘密にしておいてね。第一段階の生徒や学外の人に話をしたら厳しいペナルティがあるみたいだから」
「それはいいけど、綺のことクラスで噂になってるよ。空飛ぶ天使がいるって」
「うそっ!?」
「正体まではバレてないけど、あんまり目立つように飛ばない方がいいんじゃないかな。せめて住宅街の傍は避けるとか」
「うう……もっと飛ぶ練習したいのに。でも、中央の勢力争いに巻き込まれるのは嫌だしなあ……」
空人はなんだか安心した。
綺は正義の味方ごっこが好きでも、ケンカをするのが好きなわけじゃないみたいだ。
「僕の方こそ今日のことは秘密にしておいて欲しい。第二段階の秘密を知っちゃったら、Dリングが光るまでずっと隔離されちゃうらしいから」
「あ、うん。それはもちろん……ふふっ」
頷いた後で何故か綺はまた笑いだした。
「今度はどうしたんだよ」
「なんか私たち、秘密ばっかり増えていくね」
不意の笑顔に胸がドキリとした。
この前彼女の家で触れた唇の感触がよみがえってくる。
こうして見ると、綺はやはりとびきりの美少女である。
奇妙な出会い、そして奇妙な関係。
この街に来てから信じられない出来事ばかりが起こる。
けど、綺と出会えたことだけは本当によかったと思える。
やっぱり僕は綺のことが好きなんだ。
今はまだそれは伝えないでおこう。
このままの関係で、もう少しこの奇妙な学園生活を楽しんでいたい。
頑張って第二段階に進んで、少しでも綺に近づく。それが空人にできる精いっぱいの努力だ。
「ところで、なんでこんな時間に外出してたの?」
「あ、いけね。清次にゲームを返しにいく途中だったんだ」
「どこまで?」
「流瀬駅前のマンション」
「今日はもうやめた方がいいんじゃないかな」
確かにその通りだ。
ゲームを返すのは明日にしておこう。
清次も事情はわかってくれるだろうし、そもそも警告を無視して外出したのは空人の方なのだ。
心配させないためにも帰ったら一本電話を入れておこう。
「じゃあ、帰るよ」
「送っていくわ。また能力者にからまれたら大変だもの」
空人は苦笑した。
何から何まで、憧れた男女関係と逆じゃないか。
けど、みてろ。
すぐに綺を守れるような強い男になってやる。
そんな決意を胸に秘めつつも、今はただ綺と二人きりの帰り道に、胸をときめかせる空人であった。
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