9 本郷蜜VS深川花子

 蜜は病院の敷地を出て、来た道を逆方向に歩いていた。

 飛んで帰らないのは偉樹の話をじっくり頭の中で整理したかったからだ。


 このL.N.T.はジョイストーンの研究のために作られた巨大な実験場である。

 そんなことはこの街に来て初めてジョイストーンに触れた時からわかっていた。


 この街の常識が外と異なることは知っている。

 だからといって自分たちにどうこうできる問題じゃない。


 高校卒業まで家に帰ることができないのは覚悟していた。

 受け入れなくてはならない問題だと思っていた。


 街の体制そのものをぶち壊すなんて、考えたこともなかった。


 L.N.T.の住人はもちろん、外の世界でもその名を知らない者はいない。

 相手は世界的大企業ラバース社なのである。


 学生が歯向えるような相手じゃない。

 この箱庭の街はすでに何人もの死者が出している。

 企業として、そんな事実を世の中に公表できるわけがない。


 街の外への情報漏洩は特に厳しく管理されていた。

 豪龍組に支社ビルを乗っ取られた後も外界との連絡は断たれたままになっている。

 このような異常事態になってもなお、ジョイストーンの秘密は絶対に外に漏れることはないのだ。


 でも、このまま混乱した状況が続けばどうなる?

 すでに今の時点でラバースに強い恨みを持っている者は多い。

 自由の身になれば学生たちはL.N.T.で行われた非道な実験を公表するだろう。

 企業を訴えようとする者も出てくるはずだ。


 争いが終わって平和になったとして、住人たちは素直に解放されるだろうか?

 そんなことはあり得ない。


 廃棄処分。

 頭に浮かんだその四文字を消そうと蜜は首を振った。


 自由に振る舞っているつもりで実は大人の手の上で踊っている。

 そんなのは外の世界でも同じことだ。

 重要な事は体制に逆らうことではなく、ルールの中で自分の生活を守ること。


 偉樹の誘いを断ったのはきっと間違いじゃないはずだ。

 この緩やかな支配を終わらせないことを優先しなければならない。

 なぜなら蜜たちは、もう何年も前からこの街で捕らわれの身なのだから。


 とはいえ、いつまでこんな生活が続くのだろう。

 すでに授業は行われていないとはいえ、初年度からL.N.T.にいる学生は今年で高校三年生だ。

 今の事態が予定されたものだろうが、イレギュラーであろうが、この街で青年期を過ごした若者たちが外の生活に戻れることはもうない。


 蜜は深く溜息をついた。


 この街には愛着もある。

 別に一生ここで暮らしても構わないとも思っている。

 だが、やはりどこかで閉塞的な息苦しさを感じ、その思いは消えることはないだろう。


 たまには外の世界に帰ってみたい。

 ラバースの社員にでも就職すれば、それくらいの自由は認められるだろうか……


 蜜は足を止めた。


 さっきから不穏な気配には気づいていた。

 空気を操る能力者にはそれがハッキリ見える。

 そうでなくても感のいい人間なら感じることができる。

 この張りつめた空気は『殺気』と呼ばれる種類のものである。


「出てきてください」


 正面右側の木が大きく揺れる。

 枝の上に深川花子が立っていた。


 彼女は猫のような身のこなしで地面に降り立つ。


「忘れものだよ。あたしからのお土産、鉛玉」


 花子の手には拳銃が握られていた。

 おそらく普通の銃ではなく、彼女のJOYだろう。

 ただで逃がしてくれるとは思っていなかったが、やはり追っ手が来たか。


「古大路さんは私の考えを理解してくださると仰っていましたが」

「あたしがあんたをに気に入らないんだよ。仲間にならないってんならいつ敵になるかもわかんないし、後顧の憂いは断っておきたいじゃない?」

「難しい言葉を使えるんですね、意外です」


 花子の眉根がつり上がる

 殺気が一段と増す。


 別に蜜は個人的に彼女を嫌っているわけではない。

 こういう軽いタイプの人間を見ると、つい余計な挑発をしてしまうのだ。

 一言多いのは自分の悪い癖だとはわかっている。


「えっと、そんじゃブッ殺すけど、いいよね?」

「よくありません。私が戻らないと友達が悲しむので」


 蜜もジョイストーンを取り出した。

 手の中で握った宝石が溶けて消える。

 体の体と一体化する。


 花子の姿が消えた。

 おそらく高速でその場から移動したのだろう

 彼女が機動力に優れたSHIP能力者ということは有名である。


 蜜は慌てずに空気の流れを探った。

 密度の薄い足跡をたどる。

 左後の木の上。

 そこに花子の存在を察知する。


 蜜は圧縮した空気を突風に変えて自らの体を上昇させた。


 一瞬前まで立っていた場所に小さな穴が穿たれる。

 高速移動と銃撃のコンボ、並の人間なら何をされたのかもわからずあの世行きだろう。


 花子が跳躍する。

 まっすぐこちらに接近してくる。

 蜜はさらに強い風を起こして方向を転換した。


「逃がさない」


 小さな呟きがハッキリと耳に届いた。

 すでに眼前に銃を構える花子の姿がある。

 真っ黒な銃口は吸い込まれそうなほどに深い。


 小さな闇が閃光を放ち火花を上げる。


 流石に速度はあちらの方が速い。

 しかし、


「はあああっ!」


 極限まで圧縮した空気の壁を前方に展開。

 高密度の空気の層が迫る弾丸の威力を完全に相殺した。

 連続で放たれた鉛玉の軌道はすべて逸れ、あらぬ方向へ流れていく。


「正面からの攻撃は私に通用しませんよ」

「ちっ、マジかよ!」


 攻撃を防がれた花子は驚愕の表情を浮かべた。

 その隙に蜜はレールを敷くように空気の道筋を作る。


 滑るように花子の背後に回る。

 しかし花子も簡単には隙を見せない。


「そこっ!」


 花子は振り向きざまに引き金を引いた。

 一度の跳躍の中で行っているとは思えない反射神経と運動能力だ。


 この攻撃も空気の壁で直撃は防ぐ。

 二人の少女は同時に着地して睨み合う。


「まだやりますか?」


 先に口を開いたのは蜜の方だった。

 花子はそれに答えず、


「なんで攻撃してこないの?」


 逆に質問を返してくる。


「私はあなたの命に興味ありませんから。自分の身を守るので精いっぱいなんです」


 先ほどの空中での攻防、蜜が攻撃するチャンスは二回あった。

 そのどちらもスルーして防御に全力を注いだ。


 花子にはそれが手を抜いたように映ったのだろう。

 もちろん、相手を侮っているわけではない。


 花子はあれでも最大勢力フェアリーキャッツをまとめ上げているリーダーだ。

 こちらの能力の全容は知られていないとはいえ、簡単に勝てる相手だとは思っていない。


 だが、防御に徹すれば何時間でも戦い続けることは可能だ。

 下手に攻撃してカウンターを狙われるより、そちらの方が安全なのである。


「ちっ」


 花子は武器を引っ込めた。

 拳銃がジョイストーンに戻る。


「やめた。あんたとヤッても時間の無駄だわ」

「逃してもいいんですか?」

「いいわけない。あんたとは絶対仲良くなれないし、敵として会ったら次は絶対に殺すから」

「では、二度とお会いしないことを祈ってますよ」


 蜜が言い終わるより早く、花子は姿を消した。

 空気の乱れはもう感じられない。

 本当に帰ったようだ。


「ふぅ……」


 性格的にあしらいやすいとはいえ、手ごわい相手だ。

 蜜は腕から流れる血を眺めながらそう思った。


 最後の銃撃。

 三発のうちの一発が、空気の壁を破って蜜の腕を掠めていた。


 たった一度、防いで見せただけ。

 それで花子は空気の壁による弾道の乱れを計算し、こちらの動きに合わせて当ててきた。


 ……というのは考えすぎだろうか?

 ただ偶然軌道がそれて、運悪く腕を掠めただけかもしれない。


 どちらにせよ、常に最前線で争っていただけあって、とんでもない戦闘センスの持ち主だ。

 こちらも他生の油断があったのは確かだし、次に戦う機会があれば完全に防ぎきる。

 攻撃をくらっとは癒え、この程度は傷の内にも入らない――


「……ふっ」


 蜜は乾いた笑いを浮かべた。

 こんなふうに考えてしまうのは、もう普通の女子高生の感覚ではないだろう。


 あれだけの能力者が偉樹の下に集うなら、L.N.T.の騒乱はまだまだ加速しそうな感じがする。

 戦十乙女のうち三人が集まれば荏原恋歌も注目せざるを得ない。


 生徒会が力を失った今、この街はいったいどこへ向っていくのだろうか


 考えても答えは出ない。

 蜜は仲間たちのいる弦架住宅街へと戻ることにした。


 いまの自分の安息は、あの場所にある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る