6 足立美樹と理想の女性

「へっへーん、こっちこっちー」

「そんなんじゃ一生かかっても捕まえらんないぞー」


 時々こちらを振り向いては小憎らしい挑発をしつつ逃げる二人の少年。

 そんな彼らを足立美樹は息を切らせながら必死で追いかけていた。


「ま、まってぇー」


 呼びかけてみても当然ながら少年たちは足を止める気配を見せない……

 と思ったのだが、二人は顔を見合わせると意外にもその場で足を止めた。


「あ、ありがとう、止まってくれっ、てっ」


 美樹は数秒かけて追いつくと、近くにいる方の少年に手を伸ばす。

 あと少しで手が届く所で少年は美樹の手をすり抜けて後ろに飛び退いた。


「なんでっ、逃げるのっ」


 頬をふくらませてもう一度手を伸ばす美樹。

 同じように直前で避けられる。

 諦めてもう一人の子を捕まえようとする。

 けどやはり逃げられてしまう。


「どしたのー? せっかく止まってあげたのに」

「捕まえる気がないならまた逃げちゃうけど?」


 完全に遊ばれている。

 小学校にも入学していないような小さな子に。


 美樹は泣きそうだったが、子どもにバカにされるのは絶対に嫌で強く首を振って涙を止める。


 そもそもなんでこんなことになったんだっけ。

 逃げだした外国人の男の子を捕まえれば、生徒会に入らせてもらえるって話だった。

 それがどうして学園内を無数の園児たちが走り回っているのだろう。


 よくわからないまま美樹は近くにいた子たちを追いかけた。

 すばしっこく逃げ回る少年たちは簡単には捕まらない。

 結果、こうして意味不明な追いかけっこを続ける羽目になってしまったんだった。


 息も絶え絶えになりながら、美樹はぐるぐるする頭の中で、いろんなことを考えていた。


 よく考えたら、こんな鬼ごっこみたいなゲームで勝ったからって生徒会に入れるわけがないじゃない。

 今いる役員たちはみんな学園が創立された時から活躍していた超エリート生徒たちなんだから。

 唯一の例外の赤坂綺だって大事件を解決した功があってはじめて入会を許されたんだ。


 自分みたいな何の取り柄もない人間が単なるラッキーで仲間に入れてもらえるわけがない。

 それなのにあんな放送を真に受けて必死になってるなんて、すごく馬鹿みたい。

 しかもこの二人は副会長の言ってた外国人の子じゃないのに。


 いいや、もうやめちゃおう。


「もしもーし? もう諦めたのー?」


 俯いた美樹の顔をさっきの少年が下から覗き込んでいた。

 泣きそうな顔を見られた腹立たしさに思わず反射的に手を伸ばす。

 美樹の手は宙を掻き、前に出そうとした足が絡まってバランスを崩した。


 転ぶ、と思った。

 きっとバカにされる。

 まもなく訪れる痛みよりも、悔しさに美樹は目をつぶった。


 けれど予想した衝撃はなかった。

 美樹の体が柔らかい何かに支えられ、そのまま抱き起こされる。


「大丈夫?」

「え、あ」


 顔を上げると、見知った顔がそこにあった。

 長い黒髪、整った目鼻立ち、優しくも美しい表情。

 制服の胸には生徒会役員であることを記す小さなリボン。

 その色は学年を現す赤――この学校で唯一の、第二期生生徒会役員の印。


 赤坂綺だった。


「あなたたち」


 美樹をしっかり立たせてから、綺は怒ったような表情で少年たちを睨んだ。


「いい加減にしなさいっ!」


 近くにいた少年に手を伸ばす。

 少年は後ろに跳んで避けようとしたが、綺はそこからさらにもう一歩踏み込んだ。

 袖を掴まれた少年は逃れる間もなく綺の手元に引き寄せられ、×印のシールを背中に貼られる。


「う、うわあっ!」


 もう一人の少年が逃げ出そうとする。

 綺はわずか五歩でその背中に追いつくと、次の三歩で正面に回り込んだ。


 観念してうなだれる少年の背中にも×シールを張る。


 あっという間だった。

 美樹が十分以上も翻弄された二人の少年。

 綺は十秒と経たないうちに大人しくさせてしまった。


 あの時もそうだった。

 美樹たちが荏原恋歌とかいう恐ろしい人に誘拐された夜。

 怖くて震えることしかできなかった美樹の前に颯爽と現れて、悪いやつをやっつけてくれた。


 まるでヒーローのように。

 彼女の姿は美樹が思い描く理想の女性そのものだった。


 赤坂綺に対する憧れの気持ちは入学して同じクラスになったときから持っていた。

 見た目も奇麗だし、J授業では初日から第二段階に進んでいた、すごい人。

 この人と仲良くなりたいという気持ちはあの夜を境により強くなった。


 友だちじゃなくてもいい。

 せめて、もう少しお近づきになりたい。


「はい、二人ともゲームオーバーよ。大人しく中庭に向かってね」

「はーい……」


 がっくりと首を落としながら、二人の少年はテクテクと歩いて行く。

 彼らの姿が角を曲がって見えなくなるまで綺はその様子を満足そうに眺めていた。


「大丈夫? 怪我はない?」


 美樹は最初、それが自分に向けられた言葉だと気づかなかった。


「あ、はい。助けていただいて、ありがとうございました」


 見とれていたなんて知られたら恥ずかしい。

 美樹は赤くなった頬を隠すため大げさに頭を下げてお辞儀をした。


「いいのよ。っていうか、こっちこそごめんね。私たち生徒会がもっとしっかりしていたら、一般生徒に迷惑をかけないで済んだのに」

「い、いえ。私も水学の生徒ですから」

「美樹ちゃーん!」


 生徒会の役に立てるなら嬉しいです……

 と言おうとしたところで、自分の名を呼ぶ無粋な声がそれを邪魔した。


 せっかく憧れの赤坂さんと二人っきりだったのに。

 美樹は間の悪い友人Aを全力で睨みつけた。


「うわっ、どうしてそんな呪い殺そうとするみたいな目で私を見るの!?」

「別に」

「ああ、そうそう。そんなことどうでもいいの。あのね、さっき向こうの角で彼とぶつかっちゃってね。なんか金髪の男の子を追いかけてたみたいだけど、あれ絶対にわざと私にぶつかってきたんだと思うんだよ。もしかして彼も私に気があるのかも、なーんて」

「どこで!?」

「ふえっ!?」


 美樹は頭のおかしなストーカーなど無視するつもりだったが、なぜか綺が彼女の話に食い付いた。

 肩を掴まれた友人Aは驚いた顔で綺の質問に答える。


「その金髪の子。どこで見たの?」

「あ、あの……さっき向こうで、第二競技場の方に走って行きましたけど」

「ありがとう!」


 綺は友人Aにお礼を言うと、もはや美樹の事など忘れたように走り去ってしまった。


「ふわぁ~、びっくりした。変な人。なんなんだろうねアレ。ねえ美樹ちゃ――」


 さすがの友人Aも向けられた殺意に気がついたようだ。


「せっかく赤坂さんとお話するチャンスだったのに……」

「お、落ち着いて。あ、そうだ。千田中央駅に新しいスイーツの店がオープンしたんだよ。よかったら今日の放課後寄っていかない? たまには私がおごってあげ」


 有無を言わせずに伸ばした手が、友人Aのスカーフを掴む直前で空を切る。

 さっきから何度も繰り返されたその避け方がさらに美樹の心を苛立たせる。


「ね、ねえ、落ち着こう。落ち着いて話し合えば私たちきっとわかりあえるよ」

「そうね。じゃあまず一発だけ殴らせてちょうだい。そうすればきっとわかりあえると思うの」

「そんな少年漫画みたいな友情はいらないよぉ!」


 こともあろうに背を向けて逃げ出す友人A。

 美樹はそれを無言で追いかけた。


 まだまだ不毛な鬼ごっこは続きそうである。

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