5 この子たちは特殊な訓練を受けています

 学園のあちこちで水学生徒と園児たちの戦いが繰り広げられていた。


「いたぞ、あっちだ!」

「クソっ! ちょこまかと!」

「そいつは違う、金髪じゃないぞ!」

「とにかく全員捕まえろーっ!」


 たった一人の少年を捕まえるはずが、気がつけば一〇〇名以上の園児が逃げ回っている。

 ターゲットとなる少年は金髪碧眼とのことだが、直後に訪れたパニックのせいで、誰もが手当たり次第に逃げ回る園児を追う羽目になっていた。


「外人って話だけど、見た目は普通の日本人らしいぞ」

「変装して紛れ込んでるらしい」

「あれ? とにかく十人以上捕まえればいいって聞いたけど」


 情報が錯綜しているのも混乱に拍車をかける要因である。

 放送室はすでに生徒会役員によって封鎖されているので、生徒たちに改めて正しい情報を伝えることもできなくなっていた。


 さらに水学生徒にとって苦労している理由が――


「へっへーん、こっちだよーっ!」


 一人の生徒の前で、彼の半分くらいの身長しかない少年が易々と廊下の窓枠を飛び越えて外に出た。

 生徒が助走をつけてようやく窓枠にしがみついた時には、すでに少年は遥か彼方に走り去って行った後だった。


「ちくしょう、なんなんだよあいつらは……っ!」


 逃げ回る園児たちの動きは並ではなかった。

 SHIP能力者ほどではないが、並の子どもと比べると明らかに異常な身体能力を有している。


 簡単には捕まらない園児たちに水学生徒たちはとことん手を焼いていた。


「き、気をつけてくださいねっ! あの子たちは特殊な訓練を受けてますから、下手に捕まえようとして怪我をしないようにっ!」


 涙目でそう訴えながら駆けまわる古河芳子先生。

 空人はその姿を横目で見ながら特殊な訓練ってなんだよと思った。

 高校だけじゃなく保育園でも変な実験をやってるってのか、この街は。


 しかし予想はしていたが、一筋縄ではいきそうもない。

 これが学園のイベントだとして、鬼ごっこよりというよりかくれんぼのようなものを想像していたが、もはやどちらの範疇も超えている。


 昼間の水学生は普通の学生と何も変わらない。

 前回の対抗試合の時のように特別に能力制限を解除されているわけでもない。

 ちょこまかと逃げ回る異常な身体能力を持つ保育園児たちを捕まえるのは、どうにも簡単なことではなかった。


 この中から一人を探し出すなんて街で迷子の子猫を探し出すより難しいかもしれない。

 午後の授業の予鈴は鳴っていたが、教師たちも授業そっちのけで園児の捕獲活動に努めている。

 これは今更になって自分なんかが参加してもどうにもならないんじゃないかと空人が諦めかけた時、


「はい、捕まえたぁ!」


 一陣の風が吹いた。

 颯爽と目の前を通り過ぎて行く人物がいる。

 彼女は逃げ回っていた少年をがっちりホールドして捕まえた。


 逃れようともがく少年の背中に、大きく×印の書かれたシールがペタリと張られた。


「ゲームオーバーよ、大人しく先生のいる中庭に戻ってね!」

「ちぇーっ」


 シールはかなり強力らしく、少年が強く引っ張っても剥がれる様子はない。

 やがて彼は諦めてトボトボとどこかへ歩いて行った。


「綺?」


 空人は目の前で見事な捕り物を見せてくれた赤坂綺に話しかけた。


「あ、空人君。ご苦労さま」

「なんか大変なことになってるみたいだな」

「そうなのよ……あ、これよかったら使って」


 綺から手渡されたのは、先ほど少年の背中に貼りつけた×印のシールだった。


「子どもを捕まえたら張ってあげて。捕まえられた証拠があれば素直に負けを認めるだろうってことで、急いで用意したの。文句を言われたら四〇℃以上のお湯で洗えば剥がれるって言ってあげて」

「わかった、サンキュ」


 空人は素直にシールを受け取った。

 なんとなく、綺から期待をかけられた気がしてやる気が漲ってくる。


「よし、頑張るか」

「協力お願いね。捕まえなきゃいけないのはマーク君だけなんだけど、こうなったら全員大人しくさせないと授業もできないから」

「というか、何なんだよこの子どもたちは?」

「近所の保育園の園児たちよ。うちの弟も通ってるんだけど、けっこう手強い子たちばっかりみたい」


 綺に弟がいたという話は初耳だったが、それよりも気になることがあった。


「J授業みたいなことを保育園でもやってるってのか?」

「そういうのじゃなくてね……力強い子どもたちを育てようっていう園長先生の方針があって、小さい頃からかなり厳しく鍛えられてるの。おかげでみんな体力が有り余ってるのよ」


 どうやら怪しげな人体強化実験とかではないようだ。

 だが、あの身体能力は教育方針でどうにかなるレベルじゃない気もする。


 そしてもう一つ、是非とも聞いておかないといけないことがある。


「ところでさ、その外人の子を捕まえたら、生徒会に入れてもらえるっていうのは――」

「あっ、待ちなさい!」


 肝心な質問をしようとした時、空人の脇を少女がすり抜けて行った。

 綺は話を切り上げてそれを追いかけて行ってしまう。

 廊下の曲がり角まで直線のかけっこが続き、視界から消える直前で綺の手が少女を捕えたのが見えた。


「綺、がんばってるなぁ……よぉし、僕も負けていられないぞ!」


 とりあえず、生徒会役員になれるかどうかは置いておいて、事件解決のために頑張ろう。

 最悪、綺の手助けができればそれで満足――


「……ん?」


 視界の端を何かが横切った。

 具体的には下の方を右から左へと移動していく何か。

 振り向くと、金色の髪をした少年が土足のまま廊下を走っていた。


「いたーっ!」


 突然の大声に驚いたのか、金髪の少年はビクッと体を震わせて一目散に逃げ出した。


 空人は急いで少年を追いかける。

 幸か不幸か進行方向には他に誰もいない。

 手助けは得られない代わりに捕まえれば手柄はひとり占めだ。


 運動会でも見せなかったような全力疾走で追いかける。

 しかし少年との距離は一行に縮まらない。


 立ち止まって綺を呼ぼうかとも考えたが、その隙に見失っては意味がない。

 結果、子ども相手に本気の鬼ごっこをする羽目になった。


 少年が子供らしい身軽な動きで廊下を滑り角を曲がる。

 空人は強く床を踏みしめて速度にブレーキををかけ――


「うわっ!」

「きゃっ!」


 止まりきれず、向こうから歩いて来ていた女子生徒にぶつかってしまった。

 幸いにも肩が少し触れた程度で、突き飛ばしてしまうということはなかったが……


「ご、ごめんっ! ちょっと急いでて!」

「あ、へ、平気だよっ! 私の方こそよそ見してて、ごめっ、ごめんなさっ」


 なぜかぶつかった少女の方も慌てている。

 そうしている間にも彼女の肩越しに見える少年の姿はみるみる遠ざかっていた。


 あっちは確か第二競技場のある方角だ。

 空人は少し迷ったが、追走を再開することにした。


「本当にごめん! それじゃっ!」


 もういちど謝罪をして空人は再び走り出した。

 既に少年との距離はかなり開いている。

 呼吸が苦しいが全力ダッシュだ。


 必死に走っている空人は背中を見つめる少女の熱っぽい視線に気づかない。


「……えへへ、彼とお話しちゃった」

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