7 偽物
空人は第二競技場にやってきた。
競技場とは言うが、その規模は小さい。
生徒たちから『体育館』と通称で呼ばれている。
中に金髪の少年の姿は見当たらない。
乱れた呼吸を整えながら空人は膝に手をついた。
「ちくしょう、逃げられたか……っ!」
苦しさから思わず悪態を吐く。
すると後ろから足音が近づいて来た。
探していた少年かと思って振り向いたが、そこにいたのは綺だった。
「あ、空人くん! マークくんは見つかったの!?」
「い、いや、ここに逃げ込むところは見たんだけど……」
根本的に体力が違うのだろうか。
綺も走って来たのに、呼吸一つ乱れてはいない。
空人は息も切れ切れになっている自分の貧弱さを恨めしく思う。
「あっ、あれ!」
綺が上の方を指さした。
力を振り絞って顔を上げてみる。
中二階の通路に金髪少年の姿が見えた。
少年はニヤニヤしながらこちらを見ている。
どうする、と空人が問いかける前に綺はすでに走り出していた。
彼女が目指すのはステージの舞台袖。
そこから中二階の通路に上がれる仕組みになっている。
左右の通路は完全に独立していて入口はそれぞれに一つずつ。
カーテンの開け閉めとスポットライトの照射のためだけにある通路なので、完全に袋小路だ。
綺はあっという間に舞台袖に消えてしまった。
空人は未だに走れるだけの体力が回復していない。
せめて少年が捕まる瞬間だけでも見ようと顔を上げる。
すると少年はなんと柵を跨いで乗り越えようとしていた。
「まさか、飛び降りるつもりなのか?」
確かに他に逃げ場はない。
窓には金属製のネットが張り巡らされて出るのは不可能。
綺が通路の入口から現れたら、少年は完全に追い詰められた形になってしまう。
しかし、あの高さから飛び降りるのはいくらなんでも……
「あ」
ところが空人は少年の下にマットが積み重なっていることに気づいた。
あれをクッション代わりにすれば、怪我することなく降りられるかもしれない。
「逃がすかっ!」
気づけば空人は走っていた。
いくら運動神経が良くても、飛び降りた瞬間は動きが止まるはず。
上下から綺と挟み撃ちにして今度こそ捕まえてやる。
その考えが甘かったと気づいたのは、飛び降りてくる少年の下に滑り込んだ直後のことだった。
「よっと」
「ぶべっ!」
少年は下に控えた空人に構わず通路から飛び降りる。
顔を踏みつけられ、その反動で少し離れた場所へと見事に着地する。
少年はゴム状のロープを持っていた。
その反対側は中二階の柵に結んである。
あれを使って落下の衝撃を相殺したのだ。
「ぉう……」
顔面を足蹴にされた空人は仰向けに倒れ込む。
視界の端に体育館出口に向かって走る少年が見えた。
せっかく追い詰めたのに、まんまと逃げられてしまった――と思った瞬間。
「逃がさないわっ!」
「うわっ!?」
少年の行く手を塞ぐように綺が空から降ってきた。
彼女は中二階通路に昇った後、そこから少年を追って飛び降りたのである。
同じようにゴムロープを使い反動を利用して空中で二段ジャンプ。
とんでもない距離を跳んで少年の前に回り込んだ。
空人はその奇跡の一瞬をしっかりと見た。
ふわりとめくれ上がったスカートの中の純白までバッチリと。
「観念しなさい!」
「はっ、はなせ、はなせっ!」
綺はなおも抵抗しようとする少年の腕を取り床に組み伏せてしまった。
その背中に×印シールがペタリと張る。
結局、少年は綺が捕獲した。
だが空人は別に悔しいとは思わない。
負けた相手があの綺ならば仕方ないと思う。
っていうか二段ジャンプとか現実で初めて見たぞ。
痛む頭をさすりながら起き上がり、ゆっくりと綺に近づく。
「やったな。ようやく探してた子を捕まえ……って」
「残念だけど、違ったみたいね」
観念せずジタバタ暴れる、床に組み伏せられた金髪少年。
その頭頂部は根本だけが見事に真っ黒のプリンカラーだった。
※
中野聡美は歯噛みしていた。
ここは三つの校舎棟に囲まれた中庭である。
聡美は苦し紛れに勝手なルールを追加した。
×シールを張られた園児をここに集めるようにしたのだ。
子どもたちがこれをゲームだと思っているのなら、それを逆手にとって条件付きで大人しくさせようという作戦だ。
その方法を思いついてから約三十分。
現在この場にいる子どもたちは、わずか五人。
それとは別にシールの貼られた上着が十五着ほど奇麗に畳んで置いてある。
さっきまで捕らえていた少年たちが着ていたものだ。
一度は捕まえたものの、監視していた古川芳子が目を話した隙に、ほとんどの子たちに逃げられてしまったのである。
「ちっ、クソの役にも立たないゴミ教師が……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
芳子は泣いて謝罪しているが許してやろうという気にはこれっぽっちもなれない。
あの常人離れした子どもたちを捕まえるのに皆がどれだけ苦労したと思ってるんだ。
聡美も本当なら今すぐマークを探しに行きたい。
しかし下手な人物に見張りを任せて、また園児たちに逃げられたらたまったものではない。
今は情報の集積と見張りを兼ねてこの中庭を暫定的な対策本部にしている。
だが、先ほどからめぼしい報告はまったく入ってこない状態が続いていた。
どこそこで園児の集団を見つけたが逃げられたとか、ヒートアップした生徒が勢い余って鏡に突っ込んで破損させたとか、伝わってくるのはそんな情報ばっかりだ。
マークの目撃情報に至っては皆無である。
「ったく、こんな時に美紗子はどこで何やってんのよ」
「し、仕方ないよ。美紗子ちゃんだって今ごろお仕事で大変だと思うよ」
聡美のイライラに当てられた芳子が遠慮がちに今は不在の会長をフォローする。
「つーか、なんでさらりとあんな爆弾を置いていったのよ、あいつは……」
あの美紗子が残した不穏当な発言さえなければ、こんなに焦ることもなかったのだ。
嘘か本当か知らないがL.N.T.の存亡がかかっているなんて言われたら、子どもの悪戯で済ませられるわけがない。
「……せめて深川花子がいればね」
決して協力的な人物とは言えないが、花子は一流のSHIP能力者である。
彼女に手伝ってもらえれば園児たちもすぐに捕まえられただろう。
残念なことに彼女も美紗子が連れて行ってしまったのだが。
水瀬学園の二大SHIP能力者が不在。
先の試合のように能力開放が認められてもいない。
現状、能力を使って事件を収束させることは不可能なのである。
ふと聡美はあることを思いついた。
「JOYの使用許可を運営に打診してみようかしら」
「そんなことしたら、街のどこで事件が発生するかわからないわよぅ!」
「街の存亡には変えられないわよ」
対抗試合の時のように能力制限中和の機材を運ぶのは無理。
なので、やるとしたら街中の制限を解除するしかない。
とは言っても存亡云々は美紗子の言葉に過ぎず、街の運営に能力制限の解除を許可させるだけの説得力があるかと問われれば、やはりそれは難しいだろう。
存亡云々が本当なら、せめてきちんとした根拠を残しておいてくれればよかったのに。
いろいろと考えていたら段々と美紗子に対して腹が立ってきた。
秘密の遊びをばらしてやろうかしら。
「つまんないねー」
「はやくもういっかい逃げたいねー」
数少ない捕獲済みの園児たちは退屈そうにおしゃべりをしている。
こうして大人しくしている分には可愛いんだけどね……
などと思っていると、ふと地面に影が差した。
雲でも出てきたのか?
雨が降ったら困るな、と思って顔を上げた聡美は目を瞠った。
「スマンが、放送室まで案内してもらえんか」
彼女の視界を覆っていたのは雲などではなかった。
※
捕まえた少年の金髪は単に染めているだけだった。
もちろん外国人ではない、顔は明らかな純日本人である。
五歳かそこらのくせに色気づきやがって……
と、空人は内心でグチを漏らした。
「はなせっ! もう捕まったのわかったから、はやくどけっ!」
綺の下で暴れるエセ金髪少年だが、完全に腕を極められてジタバタもがくことしかできない。
綺は小さく溜息を吐いてから彼を解放した。
「もう逃げようとしないのよ。大人しく中庭に行きなさい」
「わかってるよっ!」
少年は何度かシールを剥がそうと試みていた。
無駄だとわかると、むくれた顔で体育館から出て行く。
綺と空人は互いに顔を見合せて、もう一度深い溜息を吐いた。
「顔、大丈夫?」
「ちょっと痛むけど、子どもの体重だし問題ないよ」
また綺にみっともないところを見せてしまった。
とはいえ、いつまでも突っ立ったままじゃいられない。
せっかく捕まえた相手も人違いだったのだ。
早く本物の金髪少年を探さないと。
ふと横を見ると、さすがの綺も疲れたような顔をしている。
何か言ってあげようかと思って口を開いた、その直後。
ジジッ……というノイズがスピーカーから流れ、
『おまえたち、いい加減にせんかぁーっ!』
耳をつんざくような怒声が学園中に響き渡った。
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