2 彼女の名前は赤坂綺(あや)
ここはラバースニュータウン。
通称『L.N.T.』と呼ばれる、関東某県の山中にある新興都市である。
開発面積はおよそ七〇平方キロメートル。
世界一の総合電機メーカーである『ラバース社』完全出資の下に開発が開始され、十数年前までは何もない山奥だったが、西暦二〇一七年現在では人口十五万人に迫る一大都市に発展してる。
この街には三つの高等学校がある。
そのいずれもが生徒数が数千から万を超えるマンモス校で、小中学生を含めれば街の学生比率は四十パーセントを超えていた。
教育施設関係者を含めると町の大半が学園運営のために暮らしている、
まさに街全体が巨大な学園都市なのだ。
空人が通うのはその中でも最大規模を誇る『水瀬学園』と呼ばれる学校である。
在校生はおよそ一五〇〇〇人。
今年度の新入生は一万二千人という、空人が住んでいた地方では信じられないような生徒数である。
街の中心からやや南東部にある
学園前駅の駅舎を出て、目の前に伸びる坂を上るとその威容が見えてくる。
周りを森に囲まれ、一つ一つが貴族のお屋敷のようなヨーロッパ調の校舎が十八棟。
新入生の波に乗りながら順路の標識に従って歩き、入学式会場であるスタジアムのような競技場に入ろうとしたとき、軽そうな感じの男子生徒から声をかけられた。
「よう、どうした。友達とはぐれたか?」
空人より少し背が高い。
どうやら自分に話しかけているようだが、当然ながら知り合いではない。
同郷でこの学校を受験したのは空人だけである。
「いや違うよ。なんで?」
「きょろきょろ周りを見てただろ。それとも、かわいい女の子でも探してた?」
「あ、その……」
「この学校はレベル高いもんな。隣の美隷女学院もさすがだけど、オレの知る限りこっちだって負けてないぞ。特に二年の純水組はどこのアイドル養成機関かって思うくらいハイレベルだぜ。学園設立当時はリアルで外見も選考基準に入れてたらしいからな。まあそう言うオレも中学からこっちなんだけど……」
空人は言葉に詰まって何も言えなかった。
勢いに押されたという理由もあるが、ある意味では彼の言うとおりだったからだ。
今朝の女の子の姿を探していたのである。
不良から助けてもらうという最高にカッコ悪い出会いだったが、できるならもう一度会いたいなどと考えながら周りを見回していたのだが、その不審な挙動が彼の目には友達とはぐれたように映ったようだ。
「一緒に行こうぜ。オレも知り合いがいなくてさ」
「あ、うん」
にぎやかなだけど、悪いやつじゃなさそうだ。
何より入学早々友達ができるのはうれしい。
実は一人きりは若干心細かったのだ。
「オレは内藤清次(ないとうきよつぐ)。よろしくな」
「僕は星野空人、よろしく」
※
ほぼ先生の話を聞くだけの入学式を終え、人波に流されるまま空人たちは割り当てられたクラスに移動した。
一年四十二組という普通では考えられない数字が書かれた教室は、しかし中学の頃と対して変わり映えのしない至って普通の教室だった。
これだけ人がいるにも関わらず、やはり地方から来た人間が多いのだろうか、会話をしている生徒は少ない。
清次の言う通り、この学校の生徒たちはかわいい娘が多いように思う。
男女比率も女子の方がずっと多く、教室内の八割は女子生徒である。
容姿で新入生を取っているという噂も?じゃないかもと思える。
先ほどの入学式の時に壇上で先生方もまた美人ぞろいだった。
男女比率は生徒より更に女性が多く、学生と比べてもそん色ないほど若々しい人たちばかりである。
清次が熱心に説明をしてくれるのを空人は教室の後ろの席に座って聞いていた。
「中でも学園長のエイミーさんはすごいぜ。あんな奇麗な人は見たことねえよ」
「学園長って……いくら奇麗って言っても四十とかそこらじゃないのか?」
「いや、まだ三十代半ばだって。もっと下に見えるけどな」
「そんな若い人が学園長とかちょっと信じられないけど。生徒から先生まで女の人ばっかりって不自然な気がするな」
「企業お抱えの実験都市だし、誰かが手を加えてるんじゃね? 年寄りやむさい男に教わるよりずっといいと思うぜ」
式が終わるころには空人は完全に清次と打ち解けていた。
このわずかな時間の会話で、この青年が人懐っこくおしゃべりなのに、嫌味な感じのない好青年であることがわかった。
「清次はここの生まれなのか?」
「実家は仙台。でも中学からこっちに来たから、オレの方が四年ほど先輩だな。わかんないことあったら何でも聞けよ」
「四年?」
中学から住んでいるなら今年で三年目のはずだ。
それを指摘すると清次は気まずそうに頭をかきながら説明した。
「中学時代に留年してるんだよ。だから同学年で話せるやつもほとんどいなくってさ。何人かは知ってるやつもいるかもしれないけど、これだけでかい学校だから違う校舎までわざわざ会いに行ってられねえし」
長く住んでいれば友達くらいいるだろうと思っていたが、わざわざ見ず知らずの自分に話しかけてきたのは、そういう理由があったからだったのか。
「まてよ。ってことは年上なのか?」
「おっと、年齢差別はやめてくれよな。同級生だし三月生まれだから下手したら年もそう変わらない。普通にタメと思っていいよ」
もちろん、そんな理由でせっかくできた友達と距離を置きたくはない。
彼が話したがらない限りは留年にお理由を聞き出すつもりもなかった。
「一人暮らし始めたばっかりじゃ大変だろ、近所のスーパーとか教えて――」
清次の言葉がそこで途切れた。
いや、彼はしゃべり続けていたのかもしれないが、空人の耳には届いていなかった。
彼の背中越しに教室に入ってきた女子生徒の姿が空人の目に映ったからだ。
間違いない、今朝の――
「おい、どうした?」
目の前にちらつく手のひらに視界を遮られ、空人はハッと正気に戻った。
「おお、なかなかの美人じゃんか」
空人の視線の先に気がついた清次がニヤケながらそう言った。
「あれだけの美少女は純水組にもそういないぞ。入学早々えらい娘に目を付けたな」
「いや、別に目をつけたとかいうわけじゃ……」
「照れるな照れるな。そういうのがあった方がいいんだって。学園生活には恋愛っていうスパイスがあった方が――」
そこでまた清次の声が耳に入らなくなった。
あの娘と目が合った。
向こうも驚いた顔をしている。
ひょっとして覚えていてくれたのだろうか。
視線をそらすのも失礼だが話しかけるには距離がある。
かといって、このまま見つめ合っているのもまた気まずい。
どうすべき悩んでいると、あの娘に続いて先生らしき人が教室に入ってきた。
「新入生のみなさーん、席に着いてくださーい」
先生の掛け声に従って友達同士でしゃべっていた生徒たちも自分の席に移動する。
あの娘は教室の一番前、左はじの席だった。
席順は出席番号順のはずだから、「あ」から始まる名字なのかな――
空人はそんなことを考えながら、自分の出席番号の数字が書かれた席に座った。
※
赤坂綺(あかさかあや)――
それが彼女の名前だった。
「東京からこの街に引っ越してきたばかりで、まだわからないことだらけですが、皆さんどうかよろしくお願いします」
自己紹介をする澄んだ声は間違いなく今朝と同じで、お嬢様然とした立ち振る舞いは少しイメージが違うが本人に間違いはない。
「星野空人。山梨県から来ました」
自己紹介のときにこちらを振りむいた綺と目が合い、つい視線をそらしてしまう。
非常に気まずい思いだったが、クラスメート四十人の自己紹介が終わって先生の話になると、空人はまた綺の後ろ姿を眺めることにした。
クラス中を見渡しても彼女ほどの美少女はいない。
それにしてもまさか同級生だとは。
てっきり上級生だとばかり思っていたし、クラスメートになれるとは考えもしなかった。
入学式の朝に出会った娘と同じクラスなんて、これは運命ってやつじゃないだろうか。
できれば出会い方は逆パターンがよかったけれど。
皆の自己紹介を聞いてわかったことがある。
空人と同じで高校入学と同時にこの町にやってきた人間が大半を占めるようだ。
清次のように中学からいる生徒は全体の四分の一程度である。もちろん見知った顔は一つもない。
坂綺のことはとりあえず置いておくとしても、他のクラスメートたちの顔と名前も覚えるよう努力しなきゃいけない。
「それじゃ今日はここまでです。明日も二時間目まではミーティングですけど、その後は早速授業が始まりますから、教科書の準備は忘れないように。それじゃ、きりーつ」
かわいらしい先生の号令に従って礼をすると、生徒たちはパラパラと帰宅を始めた。
清次と一緒に帰ろうと思ったが、教室から出ようとした先生が思い出したように彼を呼びとめる。
「内藤くーん。ちょっと一緒に職員室まで来てー」
「あらら」
やはり帰る準備をしていた清次がずっこけるマネをする。
「なんだ?」
「あの先生オレが留年してるって知ってるからなー。仕事の手伝いでも頼まれるのかも。悪いけど先に帰っててくれや」
清次は空人に一言告げて先生と一緒に教室を出て行ってしまった。
一人になってしまうと途端にさびしくなる。
さて、これからどうしようか。
まっすぐ帰ってもやることもないし、適当に誰かに声をかけてみようか?
それか学校の敷地内を探検してみるのもいいかもしれない。
これだけ大きな学校だ、いろんな施設の場所を覚えておいて損はない。
「ねえ」
もらったプリントを整理しながらかばんに詰めていると、正面から女の子の声が聞こえてきた。
顔を上げると赤坂綺が天使の笑顔でこちらを見ていた。
「もしよかったら一緒に帰らない? 家、同じ方向だよね?」
「え、あ」
空人は一瞬にしてパニックに陥った。
もう一度話してみたいとは思っていたが、まさか向こうから声をかけてきてくるとは。
しかも、一緒に帰る?
まさかの急展開に空人は喜ぶことも忘れて慌ててしまった。
「いいよね?」
かわいく首をかしげる赤坂さん。
しかしその声色には有無を言わさぬ強さがあった。
こちらが戸惑っているのを理解しているのか、もう一度念を込めるように繰り返す。
「あ、はい! 僕でよかったら、是非!」
つい声が大きくなってしまった。
赤坂綺はびっくりしたように身を引く。
クラスの何人かがこちらを振り向いた気がした。
しまった、美少女に誘われて浮かれていると思われたらどうしよう。
せっかく声をかけてくれたのに、変なやつだという印象を持たれたら大失敗だ。
しかし赤坂綺は何事もなかったかのように笑顔で言った。
「それじゃあ、一緒に帰りましょう」
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