3 ヒーローに憧れて

 これは夢だろうか。


 女の子と二人きりの登下校。

 中学生時代の空人が毎日のように夢想したことが現実に起こっている。

 しかも隣にいるのはこんなとびきりの美少女だ。


 赤坂綺あかさかあや

 今日初めて出会い、さっきまでは名前も知らなかった娘。

 なんで自分に声をかけてきたのかはわからないが、まさか一目ぼれをしたなんてことはないだろう。

 空人も今朝の出来事で好印象を与えられたなどと期待するほど馬鹿じゃない。


 しかし、こうして現にいま二人きりなのはまぎれもない事実だ。

 このチャンスを無駄にはしたくなかった。

 どうにかして好印象を与えたい。


 そうは言っても女の子と付き合ったことはもちろん、楽しくおしゃべりした記憶すらほとんどない空人である。

 気の利いた会話などできるはずもなく、無言のまま気まずい雰囲気で歩き続けるだけの時が過ぎていく。


 ええい、このままじゃダメだ。

 高校生になったのだから積極的に変わっていかなくては。


 変な下心を持ってるからうまく話題も作れないんだ。普通にすればいい、普通に。

 彼女も高校からこの街に来たって言うし、ここはたわいのない世間話から始めてみよう。


 空人が最初の一声を発するため、全身全霊の気を高めていると――


「あのね」

「あっ、はい」


 彼女の方から話しかけてきて、思わず肩透かしを食らう。


「今朝のことなんだけど……みんなには内緒にしておいてほしいの」

「え」


 今朝と同じシャンプーの香り。

 振り向いた空人の目の前に、赤坂綺の端正な顔があった。


 空人は顔が赤くなるのを自覚したが、ここで視線をそらしたら負けだ。

 何にかはわからないが、とにかく負けだ。

 よくわからない使命感と戦いながら空人は聞き返す。


「け、今朝のことって?」

「ほら、不良に絡まれた貴方を助けてあげたこと」


 予想外の一撃を食らって空人は思わず頭を垂れた。

 もちろん彼女に悪気なんて少しもないんだろうが、入学式初日に女の子に助けてもらうという恥ずかしい出来事を、助けてくれた本人の口から再確認されては泣きたくなる。


「えっと……」


 いやいや、落ち込んでいても仕方ない。

 出会いとしては最悪だが、ここは出会えた幸運に感謝しよう。

 そのおかげでこうして二人きりの下校というおいしいシチュエーションを得ることができたのだ。

 ここから良い関係を築いていけばいいだけの話じゃないか。


「その、朝はありがとうございました」


 出会いが出合いだけに気の利いた言葉など思い浮かぶはずもない。

 空人は素直に感謝の言葉を伝えるにとどめておいた。


 これが逆の立場だったらどんなによかったことか。

 いや、自分じゃ不良たちを追い払うことなんかできないか。

 もし勇気を振り絞って立ち向かったとしても、逆にコテンパンにされていただろう。


 妄想の中ですら望むように振る舞えない。

 そんな自分が悲しくて、また泣きたくなった。


「いいのよ。困ってる人を見過ごせなかっただけなんだから。それに私、弱い人を集団でいじめる人なんて最低だと思うわ」


 弱い人だって、弱い人。

 そりゃ、あの体格のいい不良たちや、赤坂さんに比べれば自分は弱い人かもしれないけど。

 悪気はないんだろうけど、思いっきり胸にナイフを突き立てられた気分だ。


「すごかったね。格闘技とか習ってるの?」


 それでもめげずに空人は会話を続ける。

 弱いのは仕方ないとして、会話もできないようなつまらない男だとは思われたくない。


「あ、ううん……」


 赤坂綺はなぜか言葉を詰まらせて視線をそらした。

 なんだろう、聞いちゃ不味いことだったのか?

 女の子にそんなこと聞くなんてデリカシーのないやつとか思われてたらどうしよう。


「だ、誰にも言わないでね?」

「別に話したくないならいいんだけど……」

「私ね、正義のヒーローに憧れてるの」


 恥ずかしそうにしゃべる赤坂さんってかわいいな、と空人は思った。

 その次に、こうして並ぶと意外と小柄な娘なんだなと気づく。

 空人も背が高い方ではないが、頭半分ほど赤坂さんの方が低い。

 やっぱり女の子なんだなぁ。


 と、そこまで考えたところで、ようやく彼女の言葉が頭に入ってきた。


「……え? どういうこと?」

「近所の男の子に混じってね、特撮のヒーローものとか真似してるうちに、いつの間にかあんなことができるようになっちゃったのよ」


 赤坂さんは昔を思い出しているかのように、遠くを見た瞳を輝かせながら言葉を続ける。


「やっぱり変だって思うよね、女の子なのに……けど、大好きなの。小さい頃からずっと」


 変ではない。変ではないのだが……


「特にバトル戦隊シリーズは最高ね! 私、ファイターレッドの空中きりもみ背負い投げもできるのよ! 等身大わら人形相手にすっごい練習したんだから!」


 それは素直にすごいと感心する。

 顔を真っ赤にしながら力説する赤坂さんに、さっきまでの大人びた女性の雰囲気はなかった。

 教室でのイメージとはまるで違うが、こんなふうに目を輝かせて好きな趣味を語るんだから、きっとこっちが本当の姿なんだろう。


「……僕も好きだよ、バトル戦隊シリーズ」

「本当に!?」

「うん、全シリーズDVD持ってる」


 高校生にもなって恥ずかしいとは思うけれど、空人も未だにヒーローものの特撮番組が大好きだった。

 ヒーローになるなんて夢だとわかった後も、憧れの気持ちは消えていない。

 もっとも体を鍛えることすらしていない空人は単なるオタクに成り下がっているのだが。


「去年度放送してたソルジャーナイツは?」

「DVDが出てないところは全話録画してある」

「すごい! あの、よければ貸してもらえないかな? 入学準備で見逃してて――」


 空人はたまらず息を飲んだ。

 赤坂さんは興奮に上気した頬を更に真っ赤にして素早く顔を離す。

 なにせ、瞳に映った自分の顔が見えるくらい接近されていたのだ。


「ご、ごめんなさい」

「いや……うん、今度持ってくるよ。それと安心してよ。今朝のことは誰にも言わないから」

「そうしてくれると助かるわ」


 正義感が強いとはいえ、やっぱり女の子。

 不良相手に暴れたなんてクラスのみんなには知られたくないだろう。

 第一印象が重要なこの時期、周りから変なイメージを持たれたくないっていう気持ちは女心に疎い空人だって理解できる。


「それじゃ、今朝のことは二人だけの秘密ね。絶対の約束だからね?」


 赤坂さんが小指を立てた手を突き出した。

 空人は気恥ずかしく思いながらも自らの小指を絡ませる。


「ゆーびきりげんまん」


 こんなかわいい娘と二人だけの秘密ができた。

 幸先のいい高校生活のスタートに、空人は天にも上るような気持ちだった。

 なんだろうこれ、胸が熱い。


「嘘ついたらスクリューパイルドライバーくーらわす」


 どうやら自分は、赤坂さんのことが好きになってしまったらしい。

 一目ぼれというにはあまりに強烈な出会いだったけれど。



   ※


 それから二人は取り留めのないヒーロー談義や、こちらに来る前のお互いの生活について話題を膨らませながら帰路についた。


 幸せの時間もずっと続くわけじゃない。

 学園南部の立体迷路のような住宅街をジグザグに抜けていくと、少し広々としたバスの折り返し広場があって、その先はきっちりと区画整理された平坦なの住宅街になる。


「それじゃ、私の家はこっちだから」


 赤坂さんがそう言ったのは、今朝に空人が不良たちに絡まれた場所だった。

 住宅街のど真ん中、東水瀬学園ひがしみなせがくえん四丁目と書かれた標識が電柱に張り付いている。


 彼女の家はここの一丁目らしい。

 空人の家はもう少し南に行った先に別の町名の住宅街だ。


「あ、うん。それじゃ」

「また明日、学校でね。……あ、そうそう。明日と言えば、いよいよだよね。楽しみだね」


 赤坂さんはなぜか目をキラキラと輝かせて空人に同意を求めてきた。

 その表情があまりに可愛らしく、空人はつい反射的に適当な返事をしてしまった。


「え? あ、うん。そうだね」

「お互いに良い結果になるといいよね」


 明後日の六時限目ってなんだったっけ。


「それじゃ、また明日!」


 しゅたっ、と敬礼みたいな挨拶をして赤坂さんは全力で駆けだした。


「あ、あのっ、待って!」


 思わず呼び止めると、赤坂さんは立ち止まって振り向いた。


 しまった、どうしよう。

 呼び止めたはいいけれど「明日って何があるんだっけ?」なんてマヌケな質問はさすがにできない。

 一々呼び止めなくても帰って調べればわかることだし。

 考えた挙げ句、空人は別の質問をした。


「今朝さ、なんで屋根の上にいたの?」

「え?」


 この辺りに限らず、L.N.T.の住宅街には人の住んでいない空き家が多く残っている。

 理由は先に街並みを完成させてから人を呼び込むためらしい。

 彼女が屋根に上っていた家も誰も住んでいない空き家のはずだから別に問題はないのだが、幾ら考えても通学途中に屋根に上る理由は思いつかなかった。


 予想外の質問だったのか、赤坂さんはしばしキョトンとした表情を浮かべていた。

 しばらくして照れ笑いを浮かべた彼女から答えが返ってくる。


「高いところから登場した方がカッコイイでしょ!」


 大声でそう言うと赤坂さんは再び走り出してしまった。

 再度呼び止める間もなく、あっという間に角を曲がって姿が見えなくなった。

 変わった娘だなぁ……かわいいけど。


 空人はもう自分の中に芽生えた恋心を疑うことはできなかった。

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