デビルエンジェルAYA - LOVERS SAGA Ⅰ-

すこみ

第1話 能力者の街

1 こういうの、普通は逆じゃない?

 星野空人ほしのそらとがマンガのようなヒーローになれないと気づいたのは小学生の終わりごろだった。


 悪と闘う正義のヒーローには人並み外れたパワーや知性が必要だ。

 空人は普通の家庭に生まれ、普通の親に育てられた普通の人間である。

 空を飛ぶ能力もなければ、年齢に不相応な知力も持ち合わせてはいない。


「いつか見知らぬ世界の住人が目の前に現れ、隠されていた自分の本当の力を引き出してくれる」


 と、そんな空想ばかりを浮かべて格闘技のひとつも習うことなく、漫然と幼少時代を過ごしてきた身には、当然ながら人並み外れた能力など備わるはずもなかった。


 中学に入ってからは少しだけ非日常の世界に近づいた。不良の世界である。

 小さいころにあこがれたヒーローとは少し違うけれど、信頼し合う味方がいて倒すべき敵がいて、命をかけて戦う日々がある。

 不思議な力はなくともハラハラドキドキする男の世界が待っていると思ってた。


 けれど現実にはマンガのような不良の世界はなく、クラスの不良たちは単なる素行が悪いだけの仲良しグループだった。

 こんなやつらなら自分でも勝てるぞと内心ではバカにしていたけれど、授業中に彼らがケンカを始まったときは正直びびってしまい、それから不良にあこがれるのはやめた。


 非日常の世界に憧れるのをやめた後、健全な中学生男子が次に望むのはひとつ。

 かわいい女の子との出会いである。


 さりとて気に入ったクラスメートがいても友達以上の関係になれることもなく、不良に絡まれている彼女をさっそうと助けるようなシチュエーションでもあれば、ドラマティックな恋愛ができるのに……などと、子供時代から変わらない空想もとい妄想をするだけの日々を送っていた。


 ヒーローになる夢はついえ、不良になる度胸もなく、女の子と付き合うこともない。

 マンガやゲームのような生活を諦めてからも年月は過ぎ、空人は高校生になった。


 山奥の新興都市で、親元を離れての一人暮らし。

 親には反対されたが、滑り止めを含めて他の学校は効率私立含め全部落ちたんだから仕方ない。


 どんな田舎かと心配したけれど、世界的大企業『ラバース社』の出資の下、住宅街は広範囲にわたって奇麗に開発されており繁華街も非常ににぎわっている。

 周囲は山々に囲まれているものの、空人が今までに暮らしていた山梨県郡内地方の片田舎よりもよっぽど都会だった。


 新しい生活の幕あけに、前途洋洋な気分で入学式に向かう。

 その途中に事件は起こった。


「ガキが、どこに目をつけてやがらぁ!?」

「このままで済まされっと思うなゃ!」


 不良に絡まれてしまったのだ。


 相手は三人。時代錯誤な学ランを肩に引っ掛け、右から順番にリーゼント、スキンヘッド、モヒカンという、まさにマンガから飛び出してきたような不良たちだった。絡まれた原因はよそ見していた空人がしゃがんでいたモヒカンの頭に膝をぶつけてしまったためなのだが、今更後悔しても遅い。


 何度も謝っても不良たちは聞き取りづらいダミ声で脅し言葉を並べるばかり。

 もういいからさっさと終わりにしてくれ。早くしないと入学式に遅れるんだ……

 などとは言えるわけもなく、彼らが機嫌を直して無事に解放してくれるのを願うばかりである。


「すいません、本当に勘弁してください」

「なぁに調子のいいこと言っとらぁ」


 いくら謝っても許してもらえる気配はない。

 それどころか態度が生意気だと、ついにモヒカンから胸倉をつかみ上げられた。


 もはや一、二発殴られることは避けられそうにない。こうなったら玉砕覚悟でやってやろうかとも考えたけれど、入学早々問題を起こしたら退学になってしまうのではないかという不安がよぎり、結局はそれを言い訳にして見逃してもらう方法を考え続ける。


 その時、予想もしていなかったことが起こった。


「その人を放しなさい!」


 どこからともなく降ってきたのは、高く澄んだ女性の声。

 空人は声の聞こえた方を見上げた。


 なんと民家の屋根の上に人が立っていた。

 逆光で顔はよく見えないが、長い髪をたなびかせたスカートをはいたシルエットは女の子らしい。

 しかも着ている服装は空人が今日から通う水瀬学園の女子制服じゃないか。


 空人は混乱した。

 なぜ女の子が屋根の上にいるのかも謎だが、このシチュエーションはいったい何の間違いか。

 不良に絡まれる女の子を助ける妄想はしたことがあったが、自分が助けられるなどという状況は夢にも思ったことはない。


 ふと視線を戻すと、不良たちも空人以上に困惑している。

 そのうち「てやぁ!」という掛け声とともに女の子が屋根から飛び降りてきた。

 屋根の上という高さを考えて空人は焦ったが、女の子は家の塀に足をかけ、猫のような身のこなしで危なげなく地面に着地する。


「もう一度言うわ、その人を解放しなさい!」


 言われて、空人は自分が胸倉をつかまれたままであることを思い出した。

 しかし言われた当のモヒカン男は自分に向けられた言葉であること気づいていないのか、ぼう然としながら屋根から降りてきた謎の女子生徒を見ている。


 もう一度女子生徒に視線を向ける。


 腰まで届く長い黒髪は水瀬学園の古風なセーラー服と相まって、お嬢様然とした雰囲気を作り出すのに一役買っている。

 アイドルのような小さな顔に澄んだ瞳と形の良い小さな鼻梁、ほんのり色気をたたえた唇がこれしかないという絶妙なバランスで配置され、袖口からのぞく手は透き通るような白さである。


 スカートから伸びる清らかな紺のハイソックスに包まれたスラリとした足は細く、たった今屋根から飛び降りた人物のものとは思えないほど細い。


 美少女なのである。

 それも空人に数秒前までの恐怖と不安をすっぱり忘れさせるほど、神の造形としか言いようがない目を見張るような女の子だった。

 そんな子が突然屋根から舞い降りてきたのだから、男たちが言葉を忘れるのも無理はない。


 いち早く正気を取り戻したのはリーゼントの男だった。


「お前、何だぁ? 関係ねえやつはひっこんでらぁ」


 言葉を失っていたことを恥じるかのように大声ですごんでみせる。

 男はプロレスラーのような体格で、細身の女子生徒と並ぶと二周り以上も巨体である。

 あわよくば白磁のようなその肌に触れようと考えたのだろうか、リーゼント男は女の子に手を伸ばした。


 直後、信じられないことが起こった。

 くるりと反回転した女の子が、その細い足でリーゼントの首に回し蹴りを放ったのだ。


 男の巨体が揺らぐ。

 次の瞬間、懐に入り込んだ女の子が腰をかがめて男を背負う。

 そのまま足を払って投げ飛ばした。


 リーゼントの体が宙を舞った。その表現は大げさだとしても、空人にはそう見えた。

 ドン、という大きな音とともに男が地面に倒される。


 打ち所が悪かったのか起き上がる気配はない。

 とたんに女子生徒の表情が青ざめ、リーゼントの隣にしゃがみ込む。

 脈を確認して額に浮かんだ冷や汗を拭い、一息吐いて残る二人の不良たちを指差した。


「さあ、あなたたちもこうなりたくなかったら、早くその人を解放するがいいわ!」


 空人の首を絞めていた圧迫感が消えた。

 胸元をつかんでいたモヒカンが腕を放したのだ。


「この女、イカれてやがる!」


 モヒカンとスキンヘッドは倒れたリーゼントを二人掛かりで担ぎあげると、一目散にこの場から離れていった。


「ふっ、捨てぜりふまで三流悪役ね!」


 去っていく背中を見送りながら女子生徒は得意げな表情を浮かべた。

 状況の整理が追い付かない。奇麗な横顔がこちらを振り向いた。


「さて、もう大丈夫よ。悪の不良たちは去ったから……」


 空人を見るなり女の子の表情が固まる。


「……その制服、もしかして水瀬学園の人?」

「あ、はい。今日からですけど」


 空人が言い終わるより前に女子生徒はきょろきょろと周りを確認し、誰もいないことを確認してすり寄ってきた。


 アイドルみたいな顔がこんなに近くにある。

 ほんのりとシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐる。

 ドキリとした。


「その、今のことは内緒にしてね」

「え」

「あ、もうこんな時間! じゃあ、気をつけて。朝から不良なんかに絡まれちゃダメだよ」


 絡まれたくて絡まれてたわけじゃない。

 空人が反論するよりはやく、女子生徒は学校の方に向けて猛ダッシュを開始していた。

 とても追いつけそうな速度ではない。


 空人は謎の女子生徒の後ろ姿を眺めながら、しばらくの間そうして立ち尽くしていた。

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