5 彼女の家にお呼ばれ

 J授業から二日後の放課後。

 空人はひとりで自宅近くのスーパーへとやって来ていた。

 向かう先は食品売り場である。


 これまでは入学後のあれこれで忙しかったこともあって、朝昼晩と出来合いの弁当やカップ麺で済ませていた。

 だが、これから一人で暮らしていくならば、自炊のひとつもできなくてはダメだろう。

 そう思い至り、こうして買い物にやってきたのである。


「しかし、何を作ればいいんだ……?」


 実家で食卓に上がっていた献立を思い出しながら考えてみる。

 とりあえず米とみそ汁は必須だ。

 あとはオカズだが、最初は魚料理でも覚えてみるか?

 レジの横に簡単な料理本が置いてあったので、それを立ち読みしながらいろいろ考えていると、


「星野君?」


 急に名前を呼ばれ空人は慌てて本を閉じた。

 別にやましい本を見ていたわけではないのだが、売り物の本を立ち読みしていたことを咎められるかと思ったのである。


「え……あ、赤坂さん?」


 話しかけてきたのは店員ではなかった。

 あこがれの女の子、赤坂綺である。


「やっぱり。こんにちは、星野君も買い物?」

「うん。今晩の夕食をどうしようか考えててさ。まだ自炊したことなかったし、これから覚えようと思ってたんだ。せっかく自宅から持ってきた炊飯器や調理用具も埃をかぶりっぱなしだし」


 つい気恥ずかしくて早口になってしまう。

 そんな空人の態度がおかしかったのか、赤坂綺は口元を押さえてふふっと笑った。

 空人はごまかすために話題を変えることにする。


「そういえば、赤坂さんもこのスーパーを利用してるんだね」

「うん。東水からだと学園下商店街に行くよりも流瀬台の方が近いからね」


 この辺りは二つの駅のちょうど中間地点にある。

 赤坂さんの住む東水瀬学園からだと少し歩くが、それでも駅前に出るよりはだいぶ近いのだ。

 実は空人の家からだともっと南側の駅寄りにあるスーパーも同じくらい近いのだが、こちらを選んで本当に正解だったと思う。


「今日は食料の買い出し?」

「実は私も空人君と一緒なの。一人暮らしを始めたのをきっかけに料理を覚えてみようと思って」


 さっき笑ったのはそういう理由があったからか。

 なんてことのない偶然だが、空人は少し嬉しい気分になった。




   ※


 結局、空人は米とみそ、それとチャーハンの素と豚肉と卵を買った。

 最初から難しい料理に挑戦して失敗しても仕方ない。

 最初はお手軽でも簡単なことから練習していこう。


 一方、赤坂さんは結構な量の野菜を買い込んでいた。

 女の子らしくサラダでも作るんだろうか? それとも野菜炒めとか?


「荷物、よかったら僕が持つよ」

「え? ううん、大丈夫だよ」


 男らしいところ見せようとしたが笑顔でやんわり断られてしまった。

「遠慮しないで」などと言える強引さを空人は持っていない。

 というか言った後で気づいたが、赤坂さんの家はここから逆方向だ。

 まさか家までついていくわけにはいかないだろう。


「あっ……」


 ふと、頬に冷たいものが当たった。

 見上げれば、ぽつりぽつりと雨が降っている。

 宙はいつのまにか薄暗く、これからさらに雨足が強くなりそうな気配があった。


「どうしよう、傘を持ってくるの忘れちゃった」


 三十分前まで快晴だったのだ、予想しろと言う方が無理だろう。

 L.N.T.ではスマホや携帯の類を所有することが認められていない。

 天気を知るにはこまめにテレビを見ておくしかないのである。


「傘、買っていく?」

「うーん。持ってきたお金は使い果たしちゃったから。銀行カードもタンスの中に閉まったままだし」

「ちょっと待ってて」


 空人はそう言ってスーパーの中に引き返した。

 財布の中身を確認すると、傘を一本分くらいのお金は残っている。

 それをレジで購入して赤坂さんが待っている店先に戻る。


「はい。良かったら使って」

「そんな、悪いわよ。それに星野君はどうするつもりなの?」

「僕の家はここから近いから」


 正直に言えば歩いて十分くらいはかかるのだが、好きな子の前では格好つける方が優先だ。

 それで赤坂さんに頼れる男と思ってもらえるなら濡れて帰るくらいなんでもない。


「あ、そうだ。だったら……」


 赤坂さんは空人が差し出した傘を見つめてしばし考えていたが、やがて名案を思い付いたとばかりに両手を慌ててこう言った。


「よかったら、一緒にうちに来ない?」




   ※


「どうぞ」

「お、お邪魔します」


 女の子の家にやってくるなんて初めての経験だった。

 ましてやひとり暮らしを始めたばかりの女子高生。

ご両親や家族もいない彼女だけの家である。

 空人の緊張はすでにピークに達していた。


 余裕がないのを誤魔化すため、当たり障りのないセリフで間を持たせる。


「いい家だね」

「東京育ちの私からすれば今でも信じられないよ。こんな広い家にひとり暮らしできるなんて」


 L.N.T.に住む学生はみな、信じられないような格安で都市内の好きな家が貸し与えられる。

 一人で住むには広すぎると思えるような庭付き一戸建てだって思いのままだ。

 赤坂さんの家もその例に漏れず、立派な一戸建てだった。


 家の中はさすがに綺麗に片付いている。

 空人と違って引っ越しの際の段ボールが未だに積まれているなんてことはない。

 赤坂さんは買ってきた食料を丁寧に冷蔵庫や戸棚にしまい始めた。


「奥のテーブルでゆっくりしてて。いまお茶を入れるから」

「うん。あ、いや。お構いなく」


 空人はダイニングのテーブルに腰掛けて赤坂さんが来るのを待った。

 何かいい匂いがすると思ったら、窓際に花が飾ってある。

 天気はますます崩れ、雨が地面を打ち付ける音が聞こえてくるほどだ。


 それにしても……まさか赤坂さんの家へ上がることになるとは。


 しかもここに来るまでは相合傘。

 結果として荷物を持ってあげられた上に、お礼として晩御飯を作ってごちそうしてくれるらしい。

 空人は突然のにわか雨に感謝したい気持ちでいっぱいだった。


「きゃーっ!」

「えっ、どうしたの!?」


 赤坂さんの叫び声。

 空人はテーブルから立ち上がった。


 名前を呼ぶのをはばかるあの虫でも出たかと思ったが、ドアを開けた瞬間に赤坂さんは空人の横を通り過ぎ、慌ただし気に二階へと上がっていく。


「洗濯物を干しっぱなしだったわ!」

「あ、ああ……」


 そういえば空人もである。

 とはいえ今さら慌てても仕方ないし、どうせもうびっちょびちょだろう。

 家に帰ったらまた改めて洗濯しなければ。

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