10 女帝が倒れる日

「はあああっ!」


 荏原恋歌はこれまでにない敵を前に、驚愕と戦慄を覚えていた。

 普段の彼女では決してあり得ない攻撃の発声が彼女の心中を物語っている。


 恋歌が作り出した≪七星霊珠セブンジュエル≫の光球が四方から目標に襲い掛かる。

 目の前の小柄な少女はわずかに足を踏み出して光球との相対位置をずらした。


 正面と右方のふたつを拳で叩き落とす。

 その場でしゃがんで背後から迫るひとつを避ける。

 ステップを踏み、左方の光球をハエでも払うかのように撃ち落とす。

 

 恋歌はただちに残りのみっつも攻撃に参加させた。

 それと同時に避けられた光球も反転させる。


 小石川香織は巧みな体さばきで光球を避け続けた。

 しかもただ避けるだけではなく、隙あらば拳で叩き落とそうとする。


 一度攻撃を食らった光球は何故かしばらく操作不能になった。

 恋歌の精神力もわずかずつではあるが削られていく。


 ≪七星霊珠セブンジュエル≫による猛攻を凌いだ相手と言えばあの赤坂綺が思い出される。

 だが奴でさえなどという芸当はしなかった。


 恋歌はJOYに攻撃を食らうと自分の精神力も削がれるということを初めて知った。

 小石川香織は赤坂綺のような曲芸的な動きをしたり、鉄壁の防御を持っているわけでもない。

 Dリングの守りはあるが、それだけなら≪七星霊珠セブンジュエル≫の直撃を一度でも当てれば決着はつくのだ。


 なぜだ。

 なぜ攻撃が当たらない。

 奴の身体能力は機動力特化のSHIP能力者には及ばない。

 これだけの集中攻撃を食らえば、深川花子でさえ避け切ることは不可能だろう。


 単なる身体能力だけで全てを避けているのではない。

 まるで、こちらの攻撃の先を読んでいるみたいだ。


「この小娘がァ!」


 恋歌は咆哮を上げた

 よっつの≪七星霊珠セブンジュエル≫を集め空中で回転させる。

 四つ分の光球の攻撃力を累乗させた必殺技『四連星』だ。


 一度に集中させられる光球は四つが限界である。

 しかし、一つ少ない三連星でも≪魔天使の翼デビルウイング≫の上から赤坂綺を吹き飛ばすだけの威力があった。


 赤坂綺との再戦用に取っておいた新技。

 だが、出し惜しみでこれ以上の消耗をするわけにはいかない。

 この一撃で決めてやる。


 恋歌はまず、残りの光球のうち二つを先行させた。

 あえて避けやすい足元を狙い、香織の動きを誘導する。


「っと!」


 目論見通り、香織はジャンプで攻撃を避けた。

 本命である四連星が宙に浮いたままの香織に向う。

 わざと速度を落として回転力を強化した破壊の光弾が。


 認めたくないが、こいつの拳は≪七星霊珠セブンジュエル≫よりも強い。

 ひとつだけならば拳で撃ち払われてしまうが、この四連星は桁違いの威力だ。


 奴が着地する前に直撃させる。

 避けるのは不可能、叩き落とせるものか。


 恋歌は完全に勝利を確信した。


「はあああああああっ!」


 香織が叫んだ。

 不安定な体勢から拳を突き出す。

 奴は防ぐことなく四連星を正面から迎え撃った。


 閃光。

 四連星の輝き。

 香織が拳に纏った輝き。

 二つのエネルギーが激突して、目も眩むばかりの光を放つ。


「……バカな」


 受け止められるはずがない。

 アスファルトの地面に大穴を穿つ威力の技だぞ。

 人の身で食らえば原形を留めないほどバラバラになるに決まってる。


 例えるなら、この世で最も強固な盾を持っている人間がいたとしても、時速一〇〇キロで突っ込むダンプカーを受け止められるはずがないのと一緒だ。


 辺り一面を覆う光の中、恋歌は膝が崩れ落ちるほどの脱力感を覚えた。

 結果を目にするよりも明確に四連星が打ち破れたことを知る。


 いけない。

 これ以上の消耗は本気でヤバイ。

 恋歌はただちに残った光球を引き戻した。

 そしてもう一つのJOY≪火炎の傷跡フレイムテイル≫を発動させる。


 直後、光の奔流が急激に止んだ。

 光量の変化に恋歌は一時的に視界を失った。


「くっ!」


 視力が回復する時間を稼ぐため、周囲を残りの光球に守らせながら自身は後ろに下がった。

 やがて、おぼろげながら前方の状況が見えるようになる。


 視界を取り戻した恋歌が最初に目にしたもの。

 それは、目前に迫っていた小石川香織の姿だった。


「や、やめ……」

「≪天河ブロウクン――」


 燃えるような眼差し。

 光を放つ拳。

 恋歌は驚愕に目を見開いた。


虹霓レインボー≫ーーっ!」


 あらゆる防御を吹き飛ばす最強の一撃が、女帝の腹にめり込んだ。




   ※


 爆発的な閃光は蜜のいる場所にも届いていた。

 蜜は動じずに逆光を利用して敵に躍りかかる。


「――『dream hold!』」

「ぐじょおおおおおっ!?」


 無数の空気の刃が敵を包む。

 蛙が潰れたような低い声が辺りにこだました。

 全身を切り刻まれた荏原恋歌の側近、翔子は血塗れで気絶した。


「ふう……」


 流石に手強い相手だったが、蜜は傷を負いながらもなんとか勝利した。


 気づけば背後の光は止んでいる。

 蜜はダメージを受けた脇腹を抑えながら後ろを向いた。


「はぁ、はぁ」


 気力を振り絞って風を操作。

 ゆっくりと親友が待つ場所へ飛んで戻る。


 数十メートル離れた場所に二人の女がいた。


 倒れている女が一人。

 膝に手を当て、前屈みになりながらも両足で立っている女が一人。


 蜜は立っている方の――

 親友の名前を叫ぶ。


「勝ったんですね、香織ちゃん!」

「蜜ちゃん……へへ」


 小石川香織は蜜に気づくと、はにかみながらVサインをした。


 よかった――

 香織ついに宿願を果たしたのだ。

 全身全霊で拍手を送ってあげたい気分だった。


 だが、ゆっくりしている場合でないことは蜜も香織もよくわかっている。


「疲れてるところ悪いけど、すぐに……」

「ええ、行きましょう」


 香織は荏原恋歌の髪の一部を切って蜜の背中につかまる。

 蜜は最後の力を振り絞って空気を操って上昇を開始した。




   ※


「荏原恋歌は討ち取ったわ! 女帝の支配は終わりよ!」


 千尋や花子が率いる六十名ほどの混合チームとエンプレスの本隊が入り乱れる戦場。

 その上空に蜜と香織は姿を現した。


 切り取った荏原恋歌の髪をばら撒きながら、香織は大声で叫ぶ。

 二〇〇人を超えるエンプレスのメンバーたちは茫然としながら立ちすくんでいた。


「まもなく生徒会がやってくるわ! その前にエンプレスはただちに解散しなさい!」

「ひ……!」

「嘘だろ、恋歌さんが……」

「うわああああああっ!」


 エンプレスメンバーたちは恐慌に陥った。

 すぐさま端の方から我先にと逃亡を開始する。

 力によって統一された集団もこうなれば脆いものだ。


「蜜ちゃん、やっぱりこういうのは恥ずかしいよ……」


 香織は自分をおんぶしている蜜に囁きかけた。

 大勢の注目を集めることに香織は不慣れなのである。

 しかし、そんな香織に親友はにこりと微笑んでこう言った。


「胸を張っていいんですよ。香織ちゃんはそれだけのことをしたんです」


 あの荏原恋歌を倒した女……といっても、香織はやっぱり香織だ。


 二人は人の少なくなった道路に降り立った。

 そこに千尋と花子が駆け寄ってきた。


「お疲れ様。とうとうやったね」

「まさか、かおりんが恋歌をやっつけちゃうなんてね。マジでびっくりだよ」

「ありがとう、二人とも」


 二人とも五年前の対抗試合では共に水学代表として戦った仲間である。

 花子とはあれ以来あまり付き合いはなかったが、祝福してもらえば嬉しいものだ。


「で、これからどうすんの? 香織ちゃんが恋歌に代わってL.N.T.の女帝になる?」


 豪龍爆太郎。

 ルシール=レイン。

 そして荏原恋歌。


 新たな強者が以前の強者を倒すたび、街の治安はどんどん悪くなっていった。

 理屈で言えば荏原恋歌を破った香織には新たな支配者となる資格があるのかもしれない。


 しかし、香織はそんなことを望んでいなかった。


「どうもしないよ。生徒会がまとめるか、まだしばらく争いが続くのかはわからないけど、私はこの戦いを阻止できただけで十分」


 荏原恋歌を倒すため修行を続けてきたのも、決して彼女が憎かったからではない。

 越えるべき目標として荏原恋歌という存在はずっと香織の中にあった。

 多少の誤解を覚悟で言えば憧れだったと言ってもいい。


 こうして決着がついた今は、ただ満足感があるだけだった。

 この後のことなんて考えてもいない。

 もちろん戦いが続くのなら友達を守るため頑張る。

 けれど、今はこれで十分だと思えた。


「帰ろうよ、私たちの街へ」


 香織は雲ひとつない澄み切ったL.N.T.の空を見上げて微笑んだ。

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