9 足止め部隊
「あれっきり誰もやって来ないな」
緊張の糸を自ら断ち切って、清次は気の抜けた声を出した。
「油断しないで下さい。万が一ミスって小石川センパイに迷惑をかけたら絶対に許しませんからね」
「はいはい……」
ちえりにたしなめられ腰を上げる。
空人は苦笑しながらそんな二人の会話に入った。
「エンプレスが姿を見せないってことは、千尋さんたちはうまくやったんだろうな」
ここは曽崎台団地の中央にある三街区。
東端の1号棟の空き部屋に空人たち三人はいた。
作戦が上手くいっているなら今頃エンプレス本隊を団地手前で足止めしているはずだ。
荏原恋歌を集団から引き離し、香織と蜜の二人で襲撃するために。
空人たちの役目は水学側の足止めである。
戦力で劣る水学生徒会は必ず進軍しながら斥候を出す。
より有利な地形で戦うためは周囲の情報が欠かせないからだ。
つまり、斥候の目さえ欺ければ生徒会の足を止めることはできる。
罠を疑って足を止めざるを得なくなる情報を与えてやればいいのだ。
例えば進行方向にある給水塔が倒れて通行できなくなっているという
生徒会の連中は頭がいい。
勝手に深読みして慎重な行動をとってくれるだろう。
清次はリラックスしているが、これは彼の能力が頼りの非常に危険な任務である。
たった三人で水学生徒会の動きを止めなければいけない。
斥候が予想以上に勘の良い人間だったり、生徒会本隊が構わずに進軍してくる可能性もある。
その時は大人しく逃げるしかない。
高速機動が可能な空人が囮になって二人を逃がす手はずになっている。
蜜はどのような場合でも最悪の状況を回避できるような作戦を立ててくれた。
だが、彼らの足止めが成功するかどうかで全面衝突になる可能性が大きく変わってくるのだ。
先ほど水学側の斥候がたった一人でやってきて上手く清次の幻覚にかかってくれた。
それ以降なんの音沙汰もないので少なくとも動きが鈍ったことは確かである。
そもそも生徒会はエンプレスを迎撃する立場なのだから、積極的に前に出る必要はない。
彼女たちにとって最も有利な場所がここより水瀬学園側にあることも調査済みだ。
「裏街道、側道、街道からのまわり道、すべて異常なし」
目をつぶったちえりが律儀に能力を使って得た情報を報告する。
このまま水学が進軍して来なければ、空人だけが全く働かずに終わってしまう。
活躍の機会がないのは残念だが、それはむしろ良いことである。
一目だけでも今の綺を見たいという思いがないわけではないのだが……
生徒会百五十人を率いている立場なら、遠目に見るだけでも相当な危険が伴う。
自分勝手な都合で作戦を台無しにするわけにはいかない。
何事も無ければそれでよし。
時間は十分に稼いだ。
もう少し経ったら引き上げ時だ……と思ったその時。
「裏街道に不審な気配!」
ちえりの緊張した声が響く。
空人と清次は即座に身構えた。
「数は?」
「二人です。上手く隠れているのか、姿は見えません」
全員の表情が緊張で強張った。
敵との直接戦闘は空人の役目である。
二人となれば、どちらかを倒して素早く拘束する必要がある。
「清次」
「ああ、わかってる」
握りしめた手の中でジョイストーンの感触を確かめつつ、部屋を出て近くの茂みに移動する。
少し後を歩くちえりが逐一敵の様子を伝えてくれていた。
※
足立美樹は赤坂綺の友人である。
彼女は自分が何の取り柄もない人間であることを自覚していた。
そんな美樹が唯一他人に自慢できることは、綺に対する忠誠心だけであった。
初めての出会いは入学式の後の教室。
なんて奇麗な人だろうという印象を持った。
荏原恋歌による誘拐事件で綺に救出してもらってからは、明確な憧れの対象になった。
偶然にも生徒会見習いになることを許され、秘密の授業という形で彼女との付き合いが始まった。
自分の退屈な話にも綺は嫌な顔一つせず付き合ってくれる。
生徒会の活動が多忙になってからも教室ではいつも気にかけてくれていた。
綺が誰に対しても優しく接する人物であることはわかっている。
それでも美樹は彼女とずっと仲良くしていたいと願った。
綺にとって少しでも良い友人でいたい。
美樹の学園生活はその一言に尽きると言っていい。
正式に生徒会の一員になれた時は本当に嬉しかった。
自分はお茶汲みくらいの役にしか立てなかったけれど。
綺の大切な場所で一緒に働けることが何よりの幸せだった。
綺と前生徒会長の美紗子の関係についてはうすうすと気づいていたが、美樹は綺の傍にいられればそれで満足だった。
美紗子の死によって綺が変わり始めてからも、美樹の思いは変わることはなかった。
むしろ前よりも一層強くなったと言っていい。
綺は美樹を第一の側近として重用してくれるようになった。
新生徒会長として多忙を極め、常に血風を纏う過酷な戦いの日々。
美樹は全力を尽くして彼女を補佐した。
時には綺の溢れ出るような暴力的な衝動をこの身で受け止めることもあった。
麻布美紗子の代わりだとしても、彼女が自分を求めてくれることが嬉しかった。
やがて美樹もJOYに目覚め、戦場でも綺の片腕を務められるようになった。
絶対に失敗しないよう、彼女が喜んでくれるのなら何だってやる。
この時も美樹は下級生のお守り役を全うするつもりだった。
麻布紗枝が≪
それに同行し、気づかれた時は敵を打ち払って彼女を守るだけの簡単な任務。
この仕事が終われば、きっとまた綺は褒めてくれる。
想像するだけで美樹の心は躍るようだった。
そしてそれが美樹のすべてだった。
これから行われるエンプレスとの決戦など、彼女にとってはどうでもいいことである。
しかし。
「紗枝はどうしたの」
敵と遭遇することなく戻ってきた美樹を待っていたのは、綺の蔑むような視線だった。
美樹はなにが何だかわからなかった。
紗枝はすぐ隣を歩いていたはずなのに。
気がついたらどこにもいなくなっていた。
失態があったとすれば、給水塔に向かう前に謎の突風を受け、紗枝と繋いだ手を離したことだけ。
一瞬だけ透明化の効果が失われたが、すぐに紗枝に触れて効力を取り戻したはずだ。
互いに透明になっているため美樹から紗枝の姿は見えなかったが。
そして、
「誰かに見られなかったとも限りません、団地の中を通って向こう側の様子を探りましょう」
あの時確かに紗枝はそう言った。
美樹は頷いて、周りに気を配りつつ三街区の中へ入った。
倒れた給水塔を迂回して向こう側を調査。
荏原恋歌率いるエンプレスは給水塔向こうの道で陣を敷いていた。
それを確認すると、美樹は事前の取り決め通りに、握った手に三回力を込めた。
二人は通ってきた道を真っすぐ戻って再び団地内を抜けて生徒会本体の元へと戻った。
美樹はそれから一度も紗枝の手を離さなかったはずだ。
「なんなの、これは……」
「こっちが聞きたいわ。どうしてあなたはそんなものを後生大事に持ってるのよ」
美樹の手には灰色のこんにゃくが握られていた。
紗枝の手だと思って握っていたのはずっとそれだった。
普通なら感触の違いに気づきそうなものなのに。
綺に咎められるまで何の違和感も持たなかったのだ。
美樹たちは姿を消していたはずなのに綺は普通に話しかけてきた。
最初はそれを綺の愛による奇跡だと思った。
けど違った。
ここに戻ってきた時、美樹は透明になっていなかった。
透明化のJOYを使える紗枝がいなかったからだ。
「幻術か、催眠か……この分だと給水塔が倒れているっていう情報も信憑性に欠けるわね」
美樹は呆然と手の中のこんにゃくを見つめ続けている。
「とはいえ迂闊に近づくのは危険ね。予定通りにここで待ちましょう」
「ま、待ってください」
「何よ、聡美」
「紗枝が敵の手に落ちているかもしれないんですよ。助けに行かないんですか?」
「確実な罠があるとわかった以上、無理な救出は得策ではないわ。下手すれば犠牲が増えるだけよ」
「けど……」
「紗枝も危険は覚悟していたはず。無事に帰ってくるのを信じて待ちなさい」
綺と聡美の言い合いも、今の美樹の耳には届いていなかった。
彼女の頭の中にある感情はただひとつ。
「綺ちゃんに、おこられた……」
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