11 赤坂家の秘密
香織とちえりは薫園長の保育園に戻ってきた。
敷地内に足を踏み入れると、園バスがものすごい勢いで突っ込んできた。
「御覧なさいっ、雷速ドリフトぉ!」
「もう少しまともに曲がらんかぁ!」
もうちょっと前に出ていたら完全に轢かれるところだった。
L.N.T.の戦乱を生き延びたのにここにきて事故死じゃシャレにならない。
和代はがんばって運転の練習をしているようだ。
今の様子を見る限りはまだまだ不安はありそうだけど。
「まったく、あのクソガキが……」
バスはUターンをして園庭の向こう側に走って行く。
それを見やりながら薫園長は頭を抱えていた。
香織は彼に近づいて声をかけた。
「ただいまです。園長先生」
「おお、帰ったか。友人とは無事に会えたみたいだな」
「はじめまして、江戸川ちえりです」
ちえりが丁寧なお辞儀をする。
薫園長は満足そうに頷いた。
「長距離を歩いて疲れただろう、二人ともゆっくり休むといい。出発はまだ先だからな」
「あの、それで、向こうの保育園の子どもたちなんですけど……」
「いいんだ。連れて来られなかった時点で何となくわかる。辛い思いをさせて申し訳なかった」
説明しようとした香織を園長は首を振って遮った。
その瞳には悲しみだけでなく、いろんな感情の色が混じっている。
この人も子どもたちを逃がすのは善意のためだけでないのだろうか。
あちらの園長と同じように心の奥底にどす黒い憎悪を隠しているのだろうか。
「さて、俺はもう少しあのバカに付き合ってくるよ」
薫園長は肩をすくめてバスの方を見る。
香織は歩いて行こうとした彼を呼び止めた。
「待ってください、赤坂薫さん」
薫園長の動きが止まる。
その反応を見る限り、わざわざ確かめる必要はなさそうだ。
「……戸雁の奴か。余計なことをしゃべりやがって」
「本当にあなたはあの赤坂綺さんのおじいさんなんですか?」
L.N.T.の能力者たち全てを恐怖のどん底に陥れた平和派のリーダー、赤坂綺。
向こうの園長から聞いたのだが、薫園長は彼女と血の繋がった親類らしい。
「確かにあの子は俺の孫だ。息子の一人娘を利用されて黙って見ていることしかできなかった、役立たずで愚かなジジイだよ」
「あなたの息子さん、赤坂綺さんのお父さんは……」
「名前は赤坂剛。ヘルサードや新生浩満の同級生だった」
薫園長は遠くの空を眺めながら過去を語りはじめた。
※
薫の息子、赤坂剛はミイ=ヘルサードや新生浩満の友人だった。
三人は互いにライバルのような関係で、数少ない対等に付き合える同士だったらしい。
特に剛は薫園長と同じく世界最強を名乗ってもおかしくないくらいケンカが強い人物だったようだ。
だが、惚れた相手がまずかった。
剛はヘルサードの支配下にある女性を好きになってしまった。
すでに『人ではないモノ』になっていた女性を。
友人であるヘルサードは何ら惜しむことなく剛にその女性を譲り渡した。
剛からすれば友人の友人相手に普通に恋をしていたつもりだった。
だが、ヘルサードの≪テンプテーション≫はそんなに甘い能力ではない。
女は『自分の友人を愛して幸せになれ』というヘルサードの命令に従って剛と結婚したのである。
そして二人の間に生まれたのが赤坂綺であった。
「綺は大切に育てられたはずだ。八年前に剛が事故で死ぬまではな」
屈強な肉体を誇っていた剛も、ただの交通事故で命を落とした。
彼の愛した女性は娘の綺ともどもラバース社の施設に引き取られることになる。
「そこで母娘はヘルサードに出会い、その後に生まれた子が翔樹だ」
「ヘルサードは剛さんの奥さんを……」
ヘルサードの血を引いている人間がこの保育員にもいる。
その子の名前は赤坂翔樹。
赤坂綺が死んで以来、ずっと引きこもっている子である。
赤坂という苗字を名乗っているのは、薫園長が翔樹君を引き取ったからだろう。
ヘルサードは夫を亡くした友人の妻との間に血を残したというのか。
香織は最悪の想像をして気分が悪くなったが……
「違う」
「え?」
現実は香織の想像よりもはるかに醜悪で残酷であった。
「ヘルサードはどうしても赤坂の血を強く引く人間が欲しかったらしくてな。翔樹を産んだのは剛の妻ではなく、当時まだ十歳になったばかりの綺だよ」
「……え?」
「綺はその事実を覚えていない。翔樹のことはずっと弟だと思っていたはずだ」
年端も行かない少女に子を産ませた?
それも、親友だった人の娘に?
「そんな……」
あまりにもひどすぎる。
ヘルサードはどこまで彼女たちを弄べば気が済むのか。
赤坂綺は最初から最後までただの道具として作られ使い捨てられたというのか。
あの人を愛していた空人君はいったい、何のために頑張っていたのか。
「仕方なかったとは言わん。知った時にはとっくに遅く、理由もわからぬままVIP待遇でこの街に呼ばれた俺は、とにかく翔樹と他の子どもたちを守るだけで精いっぱいだった。だがその箍も外れた。もはや何も失うものはない」
薫園長もまた、憎悪を内に秘めて行動しているのだ。
怒りのままに暴れるのではなく、確実な復讐を果たすために。
「……ヘルサード」
香織はその名前を自ら口にする。
「ヘルサード!」
もう一度、声を大きくして叫ぶ。
「ヘルサードっ!」
その名を口にする時、心の奥祖から湧いてくる不思議な心地よさ。
香織はその甘く醜い感情を必死になって否定した。
この名は誰よりも憎むべき敵の名だ。
支配なんかされてやるものか。
愛してなんかやるものか。
「絶対に許さない、人の命をオモチャみたいに扱う男。私たちが絶対やっつけてやる。何があっても!」
香織も今なら実感を持ってわかる。
戸雁園長や薫園長が持つ狂気の正体が。
唇から血がにじむほどの怒りに全身を震わせる。
そんな香織に対して薫園長は事務的に告げた。
「出発予定は三日後を予定している。それまでに英気を養っておけ」
そして背を向け、わずかな感情を込めた短い言葉を吐く。
「孫のために怒ってくれて……ありがとう」
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