10 憎しみの連鎖

 清次と別れて千田街道方面に向かう。

 カメラがないことを確認して慎重に街道を渡ると、目的のビルにはすぐにたどり着いた。


「小石川センパイ!」

「ちえりちゃん!」


 無事な姿の後輩が駆けてくる。

 ちえりは香織の顔を見るなり飛びついてきた。


「うううっ、怖かったです」

「大丈夫。もう大丈夫だからね」


 必死に恐怖と戦っていたのだろう。

 ちえりは香織の胸に顔をうずめて涙を流す。

 可愛い後輩を抱きしめ、愛しむように頭を撫でる。


 今は知り合いが無事だったことが嬉しい。

 だが、ゆっくりと再会を喜んでいる余裕はなかった。


「ちえりちゃん、この建物に保育園があるの知ってる? 園長さんに会いたいんだけど」

「……え? あ、ああ。それなら」

「ここにおるよ」


 抱き合う二人にメガネをかけたよぼよぼの老人が近付いてくる。


「薫ちゃんの使いのモンか?」

「かおるちゃん?」

「あの極道みたいな風貌の筋肉バカの名前じゃろうが」


 香織は向こうの園長の顔を思い出して愕然とした。

 ひらがなで自分と一文字違いというのもショックである。


「そ、そうです。この子を匿ってもらってありがとうございました」

「構わんよ。ひとりでも多くこの腐った街から脱出できるなら、それに越したことはない」

「実は、その件でお話があるんですけど……」

「子どもたちなら渡せんよ」


 こちらが話を切り出すまでもなく即答で断られた。


「ど、どうしてですか? 一人でも多く逃げられるのが嬉しいって言ったばかりなのに」

「……ついて来い」


 老人園長は背を向けて廊下の奥へと歩いて行った。

 香織は素直にその後についていこうとしたが、


「小石川センパイ」


 服の袖をちえりが掴んで離さない。

 さびしくて離れたくないのかと思ったが、違うようだ。

 彼女の眼は何かに怯えるように潤んでおり、しきりに首を左右に振っている。


「見ない方がいいと思います」

「何か知ってるの?」

「それは……」


 香織は口ごもる後輩の頭を撫で、笑顔を作って言った。


「何があるかは知らないけど、私は見なきゃいけないんだ。みんなの希望を背負って逃げるんだから。この街であったことを一つでも多く知っておかなきゃ」


 ちえりは俯き、ぽろぽろと涙を流した。

 やがて袖を掴んでいた指の力が抜ける。


「ちえりちゃんはここにいてもいいよ」

「いえ、私も行きます」


 涙をぬぐってちえりは顔を上げた。




   ※


 奥の部屋に案内された香織は思わず口元を抑えた。

 カッコいいことを言っておいて情けないが、数分前の自分の決意を後悔した。


 近づくにつれ、うすうすと気づいてはいた。

 耐えがたい悪臭は人間の生理的な嫌悪感を呼び起こす。

 決して見るべきではない物がそこにあると強く警告していたのに。


「どうじゃ。無理にでも連れて行くかね?」

「な、なんで……」


 聞きたいことはいくつもあった。

 なぜこんなことになってしまったのか。

 なぜこの子たちを墓にも入れずにこのまま放置してあるのか。


 その部屋には無数の子どもたちの腐乱死体が積み重なっていた。

 内臓を抉られ、五体をバラバラにされている子もいる。

 目を背けたいような地獄がそこにあった。


「もう数日もしたらまとめて火葬してやるがな。それまではしばらくこのままにしておく。悪いがワシは神やら呪いやらは信じとらんし、人は死ねばただの肉の塊じゃと思っておるからな」

「なんで、なんで」

「決まっとるじゃろ。恨みを忘れんためじゃよ」


 眼鏡の奥に見える老人園長の目は、眼球が飛び出しそうなほどに見開かれていた。


「可愛い子たちじゃった。こんな街でも子どもたちの笑顔は変わりやせん。毎日のように伝わってくる不穏なニュースにも負けず、みな希望を信じて暮らしておった。ところがどうじゃ。たった三時間。両派のボスが死んだという事実を確認するため、ワシが外に出ていたわずか三時間の間に、この子らは侵入してきた名も知らぬ暴漢共に弄ばれて殺された。男の子も女の子も関係なく一人残らず全員じゃ」

「そ、その犯人たちは……」

「もう居らんよ。細切れにしてクソと一緒に便所に流してやったわ。……だが、真に恨むべきは極限状態で暴走したクソガキどもじゃない。こんな状況を作り出したラバース社そのものじゃ!」


 園長は喉が張り裂けるほどの大声で怒鳴る。

 その後、スッと落ち着いて香織の方を向いた。


「ワシはやらねばならん。非道と承知しても、この恨みを伝えていかねばならんのだ」

「伝えるって、誰に――」


 問いかけようとして香織は気がついた。

 腐乱死体の山の横で何かが動いた。


 香織は最初、それを山から崩れ落ちた死体の一つかと思われた。

 よく見れば他の子とは違って五体満足で横たわっている。


 その少年は生きていた。

 生きて、死体の山の傍で眠っている。


「生き残りがいたの……? まさか……」


 こんな場所に自らの意思で閉じこもっているとは考えづらい。

 老人は眼鏡越しに感情の見えない目を少年に注いでいた。


 この人は、この少年にわざとこんなことをさせているのだ。

 仲間を殺された恨みを植え付けるため、無理やり死体と同じに閉じ込めている。


「や、やめさせて! いくらなんでも可哀想だよ!」

「承知しておるわ。だが止めるわけにはいかん。この子はワシの切り札なんじゃ」


 老人は寝ている少年に近づき、慈しむような目でその寝顔を眺めた。


「この子はな、ミイ=ヘルサードの息子なんじゃ」

「っ!」


 その名前を人の口から聞くだけでなんとも言えない感情が体の内側から湧き上がってくる。

 怒りや悲しみ、絶望、そしてわずかな愛しさが混じった不可解な気持ち。

 自分という存在を根底から覆しそうな異様な感情が。


 たとえ目の前にいなくても、異性に対して絶対的な支配をもたらす男の名。

 ラバース社長と並んでもっとも憎むべき相手のはず……なのに。


「もちろん、ヘルサードの子など探せば山ほどいるじゃろう。あいつほど節操のない人間をワシは知らん。だがこの子は特別じゃぞ。なにせ母体が不死身の人間だったんじゃからな」

「不死身って、もしかして……?」

「ヘルサードがエイミー=レインとの間に残した五人の子のうちの一人じゃ。やつは姿を消す直前にこいつをここに預けていきおった。義理立てのつもりだったんじゃろうが、あいつ自身を倒すためワシは遠慮なくこの子を使わしてもらう」


 優しかったエイミー学園長。

 どんな風に扱われても決してヘルサードを憎まなかった女性。

 そんな人が必死になって残した子どもを、復讐のための道具に使うなんて。


 香織はやるせなさに拳を握りしめる。


「こんな……罪のない小さな子まで、憎しみに巻き込むんですか」

「ああ。そして、お前さんらにも協力してもらうぞ」


 老人は再び香織に、そして後ろでずっと黙っているちえりに眼を向けた。 


「その子の能力は聞かせてもらった。実に都合の良い時にいい能力者が現れたもんだ」

「ち、ちえりちゃんはあなたに渡しません。私たちはこの街を脱出するんですから」

「構わんよ。むしろ無事に脱出してくれなきゃ困る。薫ちゃんにも期待はしているが、奴はこの街の外に、ワシは中に希望の種を残すんじゃ」

「何を言って……」

「小石川センパイ」


 今まで黙っていたちえりが小さく低い声でボソリと呟いた。


「ごめんなさい。実は私のJOYには、センパイにも話していないもう一つの能力があります」


 香織は黙って話を聞いた。

 まずはちえりの口から彼女のもう一つの能力を。

 そして老人の口から、それを使って香織たちにさせたいことを。


 とても長く、気の遠くなるほど長い、壮大な復讐計画を。


「ワシはもう長くはない。たぶん次の実験の終了までこの子の面倒を見切れんじゃろう。遠くからでもいいから、あんたにはこの子の支えになってやってもらいたいんじゃ」


 すぐには答えられなかった。

 これを老人の狂気だと一言で片づけるのは容易い。

 子どもを利用することに対して文句を言ってやりたい気持ちもある。


 思うだけで実行できないのは、きっと香織も心の奥底で似たような感情を持っているからだ。


「……ひとつだけ、お願いがあります」

「なんじゃ」

「あなたの恨みは私が分かち合います。だから、あの子たちを早く埋葬してあげてくれませんか」


 香織は死体の山を眺めた。

 この光景を絶対に忘れないために目に焼き付けておく。

 だからせめて、可哀相な犠牲者たちには、一刻も早く安らかな眠りを与えてほしい。


「里親の頼みは断れんな」


 もう後には引けない。

 決して引いてはいけない。

 香織は強い決意を持って、この街を脱出することを誓った。

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