10 美紗子のJOY
「冗談でしょ?」
さすがに額に汗を滲ませ花子が問いかける。
セイラは泣きそうな顔で頭を振っていた。
早口の英語で何事か捲くし立てる。
美紗子は彼女が何を言っているのか正しく理解できた。
だが英語ができない花子も状況は把握できたようだ。
さっきの戦いの最中、花子が撃った最初の銃弾が、ヘレンの持っていたカードキーを撃ち抜いた。
しかも破片がヘレンの傷口に突き刺さり、彼女の容体はいよいよ大変なことになっている。
「こうなったら、ドアをぶち抜くしかないね」
「ぶち抜くって言っても……」
美紗子が止める間もなく、花子は鋼鉄のドアに向けて≪
弾丸はドアに当たって耳障りな金属音を響かせる。
JOYで造った銃弾は跳弾することなく消滅、ドアには小さな痕が残った。
「やっぱ無理かぁ」
「どいてください」
美紗子は花子を脇に除けると、拳を強く握り締めて、思いっきりドアを殴りつけた。
がん!
「痛ったぁ……」
「いや、いくらみさっちでも無理に決まってんじゃん」
花子のJOYは本物の拳銃弾と同等の威力がある。
それが通用しなかった時点で、SHIP能力者とはいえ素手で破れるわけがない。
美紗子も当然それはわかっていたが、人の命がかかっている以上は何でも試してみるものだろう。
「Uguugg……」
「Helen.helen.Please don't die……」
今もヘレンは苦しげに呻いている。
傍らで泣きじゃくるセイラの姿が痛々しい。
花子が最初に倒した他の二人も顔色が青ざめている。
早く治療しないと本当に大変なことになってしまうかもしれない。
「これはもう、あれを使うっきゃないんじゃん?」
「何かいい案が?」
何か妙案を思い付いたのかと、美紗子は花子に問いかけた。
「とぼけないでよ。みさっちも持ってきてるんでしょ……アレ」
彼女はそう言ってニヤリと笑う。
美紗子は息を飲んだ。
花子が何を言わんとしているのか、ハッキリとわかってしまったからだ。
「持ってきてないとは言わせないよ。自分の半身を置いてくるなんて絶対にありえないし」
その通りだった。
先ほどは花子を咎めたが美紗子だったが、実を言えば自分も持って来ている。
ジョイストーン。
L.N.T.で暮らす者としては、自分の命にも等しい宝具。
例え誰になんと言われようと肌身離さず持ち歩くのは当然のことであった。
美紗子はほとんど人前でJOYを使ったことがない。
生徒の中には美紗子がJOYを使えることすら知らない人間も多いだろう。
それはSHIP能力だけでも大抵の能力者と互角以上に戦えるほどに強いという理由もあるが……
「それとも、まだ後悔してるの? あの時に
まさか速海に続いて一日に二度もその件について触れられるとは思わなかった。
中学一年生の対校試合。
荏原恋歌に四人まとめて破れた後。
打倒・荏原恋歌に燃えていたのはみな同じだった。
花子は夜の住人となり頭角を現した。
千尋は剣道部に所属し、真っ当な手段で己を鍛えた。
香織が普通に生活しながら地道に訓練を積んでいることも知っている。
美紗子も今でこそ生徒会長として街の治安維持の役目を担っているが、昔はひたすらに己の力を高めることだけに躍起になっていた時期があった。
三年半前、ジョイストーンを手にした美紗子は『剛力』のSHIP能力を手に入れた。
その時点で当然JOYは手に入らないものだと思っていた。
だが、対抗試合が終わってしばらくしたある日。
美紗子はふいにJOYに目覚めた。
その力はあまりに強すぎた。
手に入れたいと望んでいたものよりもずっと。
些細な諍いから、美紗子は人の命を奪ってしまった。
以来、表向きはJOYを封印し、ただのSHIP能力者として振る舞っている。
それでもジョイストーンを手放すことは絶対にしなかった。
花子の言うとおり、この宝石はすでに自分の半身に等しいのだから。
「……そういうわけでもありません」
美紗子はポケットから青紫色に輝く宝石を取り出した。
もちろん、あの時の記憶は今も美紗子の心に強く残っている。
彼女は自分自身を戒めた。
この力は人前でむやみに振りかざすようなものじゃない。
ケンカで使うためでも、力を見せつけて偉そうに振る舞うためのものでもない。
ただ、怖いだけだ。
この手にある巨大な力が。
今は使うべき時だ。
単なる破壊のためだけではない。
人の命を救うために必要なことだから。
そう自分に言い聞かせ、勇気を奮い立たせる。
美紗子は手の中のジョイストーンを強く握りしめた。
その手から光が溢れだす。
ジョイストーンを持った右手だけでなく、左手からも。
美紗子の手に二振りの剣が現れた。
死神の描かれた無骨な黒い柄。
龍の牙を思わせる禍々しい鍔。
それらの過度な装飾とは対照的に、いたってシンプルな銀色の刀身
全く同じ姿を持つ一対二本の長剣。
見た目以上に重く、片方でニ十キロを超える。
女子高生である美紗子には恐ろしく不釣り合いな代物である。
美紗子は静かに二度、息を吸い込んだ。
そして、手にした剣を振り上げた。
≪
まずは両方を同時に垂直に一振り。
腰を入れ、高い位置と低い位置で左右から横に薙ぐ。
最後は袈裟切り、逆袈裟と、×字を描くように交互に剣を振った。
たったそれだけの動作で、厚さ十センチはある高鉄の扉が、四つの三角形の鉄塊となって崩れ落ちた。
この圧倒的な破壊力をもつ双剣こそ美紗子のJOY。
その名も≪
かつて人に向かって使った時は、いとも容易く相手の体を三つに斬り捌いてしまった。
銃弾すら防ぐDリングの守りがまるで存在しないかのように。
忌まわしいほどに強すぎる力。
美紗子は役目を終えた二振りの剣をジョイストーンに戻した。
「さあ、早く運び出しましょ……」
「ん? どうしたのみさっち」
花子が美紗子の視線を追う。
「It's a daemon……」
そこには腰を抜かしてボロボロと涙をこぼしながら、怯えた表情で失禁しているセイラの姿があった。
「あーあ、みさっち泣かしたー」
「わ、私が悪いんじゃないですもん」
つい変な喋り方になってしまったが、しかし美紗子には能力を使って命を救えたという確かな手ごたえがあった。
※
金髪美女たちとの地下室での戦いから四日が過ぎた。
部屋を脱出した後、ヘルサードに連絡を入れてすぐに怪我人を専門の病院に運んだ。
姉妹たちは幸いにも一命を取り留めたらしい。
昨日にはもう帰国しており、現地の病院に入院することになったそうだ。
結局、あれ以来彼女たちとは一度も会うことはなかった。
勝手に決闘を受けた件にも特にお咎めはなしだった。
むしろヘルサードは「君たちのおかげで良い条件を引き出せた」と笑っていた。
慣れない護衛任務はこれで終わりである。
その後の四日間は外で自由に過ごす許可が与えられた。
※
美紗子は久しぶりに神奈川県にある実家に帰った。
四年ぶりに再会した母親や、歳の離れた下の妹とのんびりと過ごした。
花子は実家が東京から遠いので家に帰るつもりはないらしい。
「よかったらうちに来ますか?」
「いいよ。家族の水入らずの邪魔はしたくないし」
とのことである。
適当に都内を見学して時間を潰したらしい。
それでも三日目に美紗子は彼女を誘って、家族と一緒に市内の遊園地に遊びに行った。
実は子ども好きという花子の意外な一面も見ることができたので、誘って正解だったと思う。
技原と速海はどこで何をしていたのか全く不明である。
四日目の集合場所である新宿西口には、時間ピッタリに到着した美紗子よりも早く着いていた。
「や、久しぶりのシャバは楽しんで来たかい?」
「刑務所から出てきた犯罪者みたいに言わないでください……まあ、楽しかったですよ」
L.N.T.にいる他の生徒たちを思えば、自分たちだけ里帰りなんて申し訳ないと思う。
まあ今回は美紗子たちもかなり大変だったので、役得だと思っておこう。
どこに行ってもこっそり尾行していた監視の目さえ気にしなければ、十分にリフレッシュできた四日間だった。
「そいつはよかった。けど、居心地が良すぎて帰りたくなくなったんじゃないか?」
「そんなわけないでしょう。私はこれでも責任ある水学の生徒会長ですからね」
それは偽らざる美紗子の本心である。
久しぶりの外の世界は本当に楽しかった。
だけど、それに心奪われてL.N.T.に帰るのを嫌がることなんてありえない。
「そういう速海さんたちこそ、どこで何をやってたんですか?」
「適当にその辺をぶらついてたよ。技原がほとんど見境なしにケンカを売ろうとするから、止めるのが大変だった」
速海はつまらなそうに言って肩を竦めた。
以前に外の世界に興味がないと言っていたのは本当なんだろう。
やがて、集合時間に十五分ほど遅れて花子もやってきた。
「わりー、おまたせー」
彼女は両手に山ほどの紙袋を抱えている。
その姿をいち早く見つけた技原が文句を言う。
「おっせーよお前。つーかなんだそれ」
「おみやげ。あたしだけ楽しんでちゃ、あっちで待ってるみんなに悪いっしょ」
四人揃ったところで来たときと同型の貸し切りバスに乗り込む。
中にいるのはサングラスをかけた運転手だけで、ヘルサードの姿はない。
花子と技原は来た時と同じように一番後ろの座席へと駆け込んだ。
美紗子は少し迷ったが、速海が後ろから二番目の席に座ったので、花子の隣に座ることにした。
「楽しかったね、みさっち!」
「ええ、そうですね」
遊園地で子どものようにはしゃいでいた花子の姿を思い出すと、ほほ笑ましい気持ちになる。
彼女はL.N.T.に戻ればまた夜の街を統べる夜叉となるのだろう。
それならそれでいい。
やり過ぎないよう、自分がきっちり取り締まればいいことだ。
生徒会のみんなにも早く会いたい。
お気に入りの後輩に土産話を聞かせてあげたい。
美紗子は早くL.N.T.に戻りたいと思っている自分に気づいた。
外の世界は確かにすばらしい。
だが、自分が帰るべき場所はあそこなのだ。
青春を捧げると決めた仲間たちがいる街、ラバースニュータウン。
バスが走り出せばどうせまた眠気が襲ってくるのだろう。
大人たちの造り上げた深い闇、閉じられた監獄の街。
けど、それでいい。
街が作られた理由だとか、企業たちの思惑だとか、そんなことはどうでもいい。
学校があって仲間がいる。
それが青春の全てである。
隣を見ると、すでに花子は寝息を立てていた。
どうやらはしゃぎ疲れてしまったらしい。
美紗子はクスリと笑い、彼女の肩に寄り添って目を閉じた。
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