6 夜の散歩
あの屋上での出来事の後、アリスは前の親元へ帰された。
前のパパとママとの二年半ぶりの再会。
しかしアリスには何の言葉もない。
周りの人間はアリスが恐怖で心を塞いでしまっているのだと思ったらしい。
現実はもちろん違う。
アリスの心にあったのはパパを失った喪失感だけだった。
昔のパパも、久しぶりに会うママも、アリスの心を埋めることなんてできなかった。
アリスは毎夜ごとにパパに会いたいと祈りつづけた。
ひょっとしたら、パパは今もどこかで生きているんじゃないか?
そう考えたら居ても立ってもいられなくなり、何度も家を出ては連れ戻されるを繰り返した。
あるとき前のパパがアリスに言った。
「あんなやつはパパじゃない。おまえを誘拐して酷いことをした、死んで当然の最低の男だったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、アリスの中で何かが切れた。
アリスは台所に向かって包丁を手にすると、前のパパをめった刺しにした。
それを止めようとしたママも刺し、アリスは血に汚れた体を引きずって夜の街へと飛び出した。
そしてアリスは『ガリボンヌ・ゴルゴリギー』と名乗る奇妙な男に出会った。
彼はアリスとパパの関係を知っており、パパに会わせてくれると言った。
アリスはその言葉を信じて彼とともにこのL.N.T.に来た。
しかしガリボンヌの言葉は嘘だった。
彼は単に集めた少女たちをジョイストーンの実験台にしようとしていたのだ。
ついでに自分の欲望を満たそうと、アリスや一緒に連れて来られた少女たちを手籠めにしようとした。
騙されたことを知ったアリスは、得たばかりの『能力』と得意のナイフでガリボンヌを殺した。
そして、当時は爆撃中学と呼ばれていたこの旧校舎を乗っ取った。
以来、アリスは旧校舎を根城に暇を潰す毎日を送っている。
パパと会いたいこと以外に望むものなんかない。
すべては暇つぶし。
ゲームも、作業も、夜の散歩も。
これから行おうとしていることも、パパが再びアリスの前に現れるまでの暇つぶし。
※
爆撃高校から千田中央駅までは歩いて十数分程度の距離にある。
アリスは以前から時々ふらりと旧校舎を出ては中央に散歩に出かけることがあった。
夜の間にしか開いていないショップを見て回るのが好きなのだ。
そこにはパパが好きだった、コンピューター系の雑貨が山ほどある。
アリスが夜の街に現れると街の空気は一変する。
すれ違った夜の住人たちは何も言わず立ち竦んでやり過ごす。
あるいは顔色を変えて逃げ出す者もいる。
旧校舎から出ることは滅多になくても、アリスの顔と名前は誰もが知っている。
ガリボンヌ率いる爆撃中学の教師を皆殺しにした。
旧校舎に攻め入ろうとした爆高男子生徒一〇〇人を一人残らず再起不能にした。
他にも様々な逸話があるが、この小さな爆撃高校旧校舎の主に関しての、不穏な噂は本当に多い。
そして多少誇張こそされてはいるが、どれも作り話ではないのだ。
アリスは翼の女を探そうと思った。
とはいえ、特にあてがあるわけではない。
なのでとりあえずいつものショップへ向った。
駅西部の
線路わきの雑居ビルの二階にある小さな店舗。
その中に入ると、ふくよかな女性が陽気な笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、アリスちゃん。面白いパーツが入ってるよ」
女性店主とは顔なじみである。
L.N.T.で唯一、アリスと対等に接することができる人間だ。
彼女がどのような経緯でこのような場所にショップを営むようになったのかは知らない。
アリスは何も言わずに店内を見回した。
無愛想なのはいつものこと。
店主も黙ってカウンターに肘をついている。
「これ」
「まいど。よかったら上がってゆっくりしていかないかい? いい紅茶が手に入ったんだ」
アリスはふるふると首を横に振った。
「そうかい。じゃあ、またおいでよ」
購入したパーツをポケットにしまってアリスは店を出た。
裏路地から表通りへ出て、また裏路地へ。
あてもない散歩を続ける。
昼間の太陽は嫌いだが夜中に歩くのは好きである。
大通りから離れた場所は弱小チームのアジトなどが多い。
不定期に行われるアリスの散歩は彼らに強大な威圧感を与えた。
もちろん、アリスの知ったことではない。
アリスは夜の住人たちのことなどまったく眼中にない。
そしてアリスのことを知っている人間は決して彼女に手を出したりはしない。
ところが、その日は少し違っていた。
「はーい。ちょっと待った、そこのお嬢ちゃん」
甲高い男の声が背後から聞こえた。
アリスは振り向きもせず無視して歩き続ける。
「おいおい、待てって言ってんだろうが」
男がアリスの前に回り込む。
アリスは足を止めて無言で男の顔を見上げた。
細長い顔で、にやけ顔がやたらと不愉快な印象の男だった。
「どこのチームの娘だか知らないけど、ここは俺ら『バニシングトラップ』の
言葉使いは穏やかであるが、無視されたせいで少し苛立っているように見える。
相手にする必要もないと思って通り過ぎようとすると、今度は肩を掴まれた。
「おいこら、いい加減にしろよ」
どうやらこの男はアリスのことを知らないようだ。
新入生だろうか、グループリーダーに注意は受けなかったのだろうか。
アリスはポケットの中でナイフの感触を確かめた。
無意味な争い事は望むところではないが、目ざわりな人間を排除するのに躊躇いはない。
「うちのチームのリーダーはな、あの荏原恋歌でさえ恐れて手を出さなかったほどの猛者なんだぜ。あんま調子に乗ってると――」
「そこの人、なにをやっているの!」
上空から男の言葉を遮る声が聞こえた。
向かいのビルの屋上に何者かが立っている。
アリスは目をみはった。
その人物の背中に生えているのは、まぎれもない大きな翼だった。
「てやっ」
掛け声とともに翼の女が飛び降りる。
女はふわりとアリスたちの目の前に着地した。
「争いごとは一切禁止よ! その人を解放して、さっさと自分たちの基地へ戻りなさい!」
「ちっ、生徒会かよ……」
男はアリスから手を離し地面に向かってつばを吐いた。
「命拾いしたな、チビ女。次にこの辺で見かけたらただじゃおかねえぞ」
悪態を吐いて男が去っていく。
アリスはそちらに視線すら向けなかった。
ただ、頭ふたつ分高い位置にある翼の女の顔を見上げる。
正確にはその背後にある翼を。
「怪我はないかしら?」
翼の女が腰を屈めてアリスに微笑みかける。
「この辺りは危ないから、小さい子が一人で歩かない方がいいよ。と言うか夜中は家にいなきゃ……」
「つばさ」
子ども扱いしてくる女の言葉を無視してアリスは彼女の背中の翼を指さした。
「え? ああ、これ?」
燃えるように真っ赤な翼
女は背中のそれに触れてかすかに微笑んだ。
「私のJOYよ。《|魔天使の翼(デビルウイング)》っていうの」
「赤い」
「まあ、本物の翼じゃないから……」
彼女自身も気にしているのか、少し困ったような顔になる。
そう、赤いのだ。
パパの翼は白かった。
だけどこの女の翼は赤い。
翼を背負った女の立ち姿は、その端正な容姿も相まって非常に美しい。
だからこそ翼が白くないのがもったいない。
だったら奪って白く染めてしまえばいい。
「それ、ちょうだい」
アリスはナイフを取り出した。
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