9 解り合うこと

 会議を終えた後のこと。

 蜜が陰鬱な気持ちで廊下を歩いていると、後ろから肩を叩かれた。


「よっ、お疲れ」


 声をかけてきたのは花子だった。

 会議終盤の不満そうな様子はまるでない。

 いつも通りの陽気さで、気安く話しかけてきた。


「これから暇? よかったら一緒にお茶しない?」

「は?」


 耳に届いた言葉の意味がわからずに思わず聞き返してしまう。


「退屈な会議ばっかでうんざりしてるっしょ。美味しいお茶があるんだ。それ飲んでリフレッシュしながら、ついでにちょっと話でもしようよ」

「私とあなたが一緒に……ですか?」

「あたしがあんたを誘ってんだからあたしとあんた以外にいないっしょ。それともあたしとお茶すんの嫌?」

「嫌というわけではないですが……」


 さっきの会議で蜜は彼女の発言に水を差すようなことを言った。

 肩を叩かれた時は文句を言われるのかと思ったくらいである。


 それでなくとも衝突の多い相手だ。

 嫌と言えば嫌だが、それをハッキリ口に出すほど蜜は空気が読めないわけではない。


「んじゃ決まり。本校舎の一階にカフェがあるからさ、そこに行こうよ」


 花子は強引に決めてさっさと歩きだす。

 しぶしぶと蜜は彼女の後についていった。




   ※


 花子はカフェと言っていたが、実際には単なる食堂だった。

 白を基調にした食堂内は教室三つ分を縦に並べたほどの広さがある。


 窓は一面のガラス張りで豪奢な雰囲気だ。

 そういえば、この建物は将来的に学校になる予定だった。

 ここだけ見れば反体制組織の本拠地には似つかわしくない煌びやかさである。


 日差しの差し込む窓際の丸机に腰掛け待つこと数分。

 花子が持ってきたのは電気ポットと二人分のティーカップ。

 それから山盛りのクッキーとインスタントのティーパックであった。


「はい、どうぞ」


 パックを入れて、お湯出しをしただけの紅茶。

 差し出されるままにそれを受け取った。


 ミルクを入れて一口飲む。

 決して不味いわけではないが……


「このメーカーのが一番美味しいんだよね」


 美味しい紅茶があると言って誘ったのに、ティーパックなのはどうかと思う。

 ともかく、出されたのは本当に普通の紅茶だった。

 毒が入っているわけでもない。


 花子は話を切り出すでもなく、見ていて気持ち悪くなるほど紅茶に砂糖を入れ、しかもそれにクッキーを浸して食べ始めた。


「なぜ私を誘ったのですか?」

「何でって、いっちゃんは偉樹と話があるって言うし、一人でいるのもつまんないから」

「あなたは私が嫌いなのではなかったのでしょうか」

「ま、ぶっちゃけ言えば好きじゃないけど」


 花子のこのようにハッキリとモノを言うところは嫌いではない。

 しかし、だとするとますます誘われた理由がわからない。


「なんだっていいじゃん。別に深く考えて誘ったわけじゃないよ」

「てっきりさっきのことで文句を言われると思ってました」

「さっき? なんのこと?」

「あなたの強硬策に反対したことです」


 先ほどの会議で、花子は総力を尽くして水学に攻め込むことを主張していた。

 それに蜜が横槍を入れたせいで会議の流れは消極策に傾いてしまった。

 結果、現状維持という結論に落ち着くことになったのだ。


 会議の結論は総意によって決められる。

 とはいえ間接的に彼女の意見を潰したのは蜜だ。

 客観的には八つ当たりになるが、不愉快に思うことはあるだろう。


 ところが、花子は全くそのことを気にしている様子はないようだ。


「あー、いいのいいの。あんたが何を言おうが最後は現状維持になるに決まってるんだから。だって今の状況じゃそれしかないっしょ」

「弱腰な対応が気に入らなくて赤坂さんを倒すべきと主張したのでは?」

「冗談! あんな奴絶対に相手したくないし!」

「え」

「もしあたしがあいつと戦場で会ったら間違いなくソッコーで逃げるね」

「ならば何故あのような主張を?」

「そりゃ……なんて言うか、今日集まった奴の中には本気で積極策を考えてる奴も結構いるわけよ」


 それはそうだろう。

 敵が現れるたびに逃げるのは効率がいいとは言えない。

 赤坂綺を目にしたことのないメンバーの中には、短絡的に総攻撃を行うべきと考える者もいる。


「こんだけでっかい組織になるとさ、トップに逆らって自分の意見を言おうって奴とかなかなかいないじゃん? あたしがああいう場で気持ちを代弁してやればそいつらも多少は気が晴れると思うんだ。それに対してあんたらが正論で返してくれれば、ああそうなのかって納得するだろうし」

「へえ……」


 実をいうと、蜜は花子もその短絡的な思考の持ち主の一人だと思っていた。

 なので彼女がそんな風に考えていたことは非常に意外だった。

 思わず素直に感心してしまう。


「意外と細かい事まで考えているんですね」

「やめなよ。褒めてもなんにも出ないよ」


 花子は古大路と合流する前はフェアリーキャッツという大規模グループを率いていた。

 長い間この街の不良たちのトップに君臨していた人物なのだ。


 天性の明るい性格的もあって、下の人間の面倒を見るのは得意なのだろう。

 少しだけ彼女に対するイメージが良い意味で和らいだ気がする。

 ついでなので、蜜は聞きたかったことを訪ねてみた。


「深川さんは、どうしてフリーダムゲイナーズに所属したのですか?」

「どうしてってどういうこと?」

「失礼ですが、あなたには従来通りのL.N.T.の雰囲気が似合っていると思います。自由派がその目的を達成すれば、私たちはこの街から出て行くことになるでしょう」


 若者たちが毎晩のように繁華街を占領して抗争を繰り広げる。

 そんなことは外の世界ではありえないことだ。


 大人たちにはない能力を持ち、夜間限定とはいえ何物にも縛られない。

 そんな若者たちの中でのし上がって一時は最大のグループを組織するまでになった。

 花子の立場を考えれば以前のL.N.T.を守ろうとする生徒会側の方が性に合っているように思える。


「みっちゃんさ、この街に来る前はどこで暮らしてた?」


 蜜は最初、それが自分のことを差す名前だとわからなかった。

 別にあだ名で呼び合うほど仲良くなった覚えはないのだが。

 訂正させるのも面倒なので、聞き流して質問に答える。


「南青山です」

「……えっと、ごめん。それ何県」

「何県って……東京都港区の青山です。渋谷駅の近く」

「マジか」


 花子は何故か視線を泳がせた。

 よくわからないがショックを受けているらしい。


「あの、あたしが住んでたのは島根県の吉田井村ってとこなんですけど、知ってますか?」


 なぜいきなり敬語になったのだろう。


「島根県はわかります。さすがに町名までは知りませんが」

「まあ、田舎だったよ。けどそう遠くない所に地元で有名な海水浴場があってね。親が生きていた頃は何度か家族みんなで泳ぎに行ったりしてた」

「はあ」

「楽しかったよ。肌が真っ赤になるまで泳いでさ、夜になって布団に入るとまだ波に揺られてる感覚がするんだ」


 花子は何となく都会人のイメージがあったが、意外にも純朴な幼少時代を過ごしていたらしい。

 蜜も小さい頃は家族と一緒によく日帰りで湘南の海まで遊びに行ったものだ。


「でさ、いっちゃんいるでしょ。本所市。あの子がね、生まれてからずっとL.N.T.で暮らしてるから一度も海を見たことがないって言うんだ」


 本所市は古大路家に次ぐ街の有力者である本所家の跡取り娘だ。

 彼女はL.N.T.という閉鎖された実験都市で生まれた少女。

 一度も海を見たことがないというのは本当だろう。


「いっちゃんにあの景色を見せてやりたいんだよ。だからあたしはこの街を出たいんだ」

「それだけのために……?」

「ま、夜中に仲間たちとバカ騒ぎするのも楽しいけどさ。いつまでも遊んでばっかもいられないっしょ。能力だって大人になれば自然に使えなくなるって話だし」


 何も考えずに生きているように見えたが、花子はちゃんと将来のことも考えていたらしい。


 今がどんなに楽しくてもいつまでも子どもではいられない。

 時が未来に進めばいろんなことが変わっていく。

 それは当たり前のことだが、この街では誰もが忘れそうになっている。


 蜜は今になってはっきりとわかった。

 今のままのL.N.T.を守ると言う赤坂綺の言葉は甘美な誘惑である。

 だが、そんなのは大人になりたくないと駄々をこねている子どもと変わりがない。


「私は大人になりたい」


 曖昧だった気持ちが一つの言葉になって蜜の口から自然に漏れた。


 誰も子どものままじゃいられない。

 学び、知り、苦難を乗り越えて成長して大人になる。

 学校とはそのための場所であって、楽しさだけを求めていつまでもしがみ付いてはいられない。


「大人にって……え? みっちゃん、ひょっとして、まだ……?」


 何を勘違いしたのか、花子は口元を手で押さえて若干引き気味になっている。


「違います。そういう意味じゃなく、自分で責任を背負える人間になりたいと」

「うんうん、大丈夫。この街にいるとマヒしちゃうけど、そういうのって人それぞれだから。あたしはみっちゃんが乙女だからって差別なんかしたりしないよ」

「違うって言ってるでしょう!」


 蜜が怒鳴ると、花子はびっくりしたように肩をすくめた。

 自分でもこんな大声を出してしまうとは驚きだった。

 怯えた花子の仕草がなんだかおかしかった。


「……ふふ」

「へへっ」


 花子もつられて笑いだす。

 いつしか二人は一緒になって笑い合っていた。

 笑い声が収まったとき、蜜の中にあった花子に対する嫌な印象は完全に消えていた。


「今日は誘ってくれてありがとう。おかげで良い気本転換になりました」

「あたしも面白かったよ。みっちゃんの秘密も聞けたし」

「だから違いますってば」


 腹を割って言葉を交わしてみるのもいいものだ。

 彼女とは面白い関係を築くことができそうな気がする。


「あ、それからさ」

「はい?」


 花子は空になったカップを置くと、ちらりと食堂を見渡した。

 今ここには花子と蜜の二人以外の人物はいない。


「こいつは極秘だけど、赤坂をやっつけるアテはあるんだ。古大路はまだみんなに公表するなって言ってるけど、あんたくらいは知っておいた方がいいかもしれない」

「……それは?」

「みさっちが殺された時にあたしと技原がエンプレスからこっそりと持ち出したジョイストーン」


 花子は口元に手を当て、蜜にだけ聞こえるギリギリの声で言った。


「神器・≪白命剣アメノツルギ≫」

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