7 古大路偉樹の招集
本郷蜜は路上を滑るように移動していた。
足下の空気を操って立ったまま地面スレスレを飛ぶ。
列車も止まり、自家用車もない現在のL.N.T.においては驚異的な移動速度である。
千田中央駅から西へと続く千田街道を途中で右斜めに曲がり、右手に曽崎団地を見ながら北西へ。
そのまま数キロほど進むと御山裃という辺境地区に入る。
ここまで来れば前方に見える景色はほとんど手つかずの外周山である。
いくつかの小ぢんまりとした民家がある以外はこれといって特徴のある施設もない。
能力者たちの戦火もほとんど及んでいない場所。
奥地も奥地、L.N.T.の果ての手前にその異様な建物はあった。
四階建ての真っ白な建物。
門扉はあるが、施設の名称を記す看板はない。
一見すると病院のようにも見えるが、朽ちた雰囲気は廃工場のようでもある。
敷地手前で停止した蜜は迎えの人物を目にとめた。
「やあ本郷蜜さん。ようこそ僕たちの城へ」
「あなた自らお出迎えとは、少し不用心ではないでしょうか? 御曹司さん」
「遠路はるばる来てくれた協力者に対して、最低限の礼節をもって迎えたいと思っているだけだよ」
さわやかな笑顔がまぶしいオールバックヘアの青年。
名は古大路偉樹。
動乱の前に亡くなった大地主の古大路一志氏の孫である。
直接会話するのは初めてだが、蜜と同じ水瀬学園の同学年だったはずだ。
彼が部下の密偵を介して寄こしてきた手紙。
それは蜜に足を運ばせることを決意させるだけの内容だった。
危険を承知していながら一人で来たのは、罠だった時のことを考えたからである。
自分一人だけならいくらでも逃げる自信はある。
「上に行こう。すでにみんな揃っている。お茶菓子も用意してあるよ」
今度こそ状況を変える何かがあると信じて――いや、期待をしている。
蜜は古大路の一挙手一投足に注意を払いながら、先導する彼の後に続いた。
※
「この建物はL.N.T.に疫病が蔓延した時のための隔離病棟として建てられたんだ。完成する前に工事は中止になったんだけどね」
偉樹が聞いてもいない説明を始める。
蜜は答えず黙って歩いた。
「存在すら知らない人も多いだろう。こういった場所に人々を避難させられればいいんだけどね。だが、争いまで呼びこんでは意味がない。ならばいっそ基地にしてしまおうと考え、ここを僕らの本拠地に決めたんだよ。守るだけでは混乱は収まらないからね」
守るだけでは終わらない……
そんなことは蜜もわかっている。
たとえ北部自警団が中央の争いに参加したところで、何かが変わるわけでもない。
結局、より大きなチームに飲み込まれて埋もれてしまうだけだ。
蜜たちは北部住宅街の平穏を守るだけで精一杯。
平和な街を取り戻すための大きな変化を蜜は求めている。
だから以前は、水学生徒会が提案した対豪龍組同盟会議にも参加した。
ところがあの会議の参加者たちは到底一つにまとまりそうもなかった。
手を組んだところで無用な争いを生み出すだけと判断し、同盟参加を拒否した。
はたして蜜の思った通り、あの後すぐに荏原恋歌が暴走した。
その後の支社ビル奪還作戦でようやく豪龍が打倒されたが、代償として多すぎる犠牲者を出し、街の混乱はますます激しくなった。
人任せは無責任かもしれない。
それでも、変化をもたらしてくれる人物に期待しいている。
今日はこの古大路偉樹という男に、それだけの器があるか確かめに来たのである。
「どうぞ。狭いところだけど寛いでくれ」
案内された部屋は狭く小さな会議室だった。
先客は三人、全員とすれ違った程度の面識がある。
その内ひとりはある意味で古大路以上に有名な人物であった。
「あっ、イサキが声かけた最後の人ってあんたなんだ。意っ外―」
その有名人……フェアリーキャッツのリーダー、深川花子が話しかけてくる。
「こっちこそ意外です。なぜ貴女がここに?」
「イサキに呼ばれたからに決まってんじゃん。こう見えてあたしらも結構キツイ状況なわけよ」
荏原恋歌が新しく立ち上げた新興グループ『エンプレス』がにわかに勢力を伸ばているため、フェアリーキャッツは中央の覇権争いで大いに苦戦を強いられている。
日々の戦いで戦死者は増える一方。
エンプレスに流れるメンバーも出始めた。
それでも、まだまだ最大規模のグループなのは間違いない。
もしフェアリーキャッツが偉樹に協力することを確約しているのなら、思ったよりも意味のある会合になるだろう。
反対側の人物に目を向ける。
同じく以前の同盟会議で会った人物だ。
「……」
芝碧。
同盟会議の時は風のように現れ、何も発言せずにいつのまにか去っていた謎の女。
蜜が今この部屋に入った時も顔を上げることすらしなかった。
そして、もう一人。
前回は姿を見せなかった、戦十乙女の最後の一人――
「はじめまして、本所市と申します」
「本郷蜜です。実は以前に一度お会いしているのですけどね」
可愛らしい柔和な感じの女性だった。
身に着けているのは美隷女学院の制服だが、スカートの下はジャージを穿いている。
市は微笑み小さく首をかしげた。
どうやら彼女はこちらの事を覚えていないようだ。
まあ去年の対抗試合の時、同じ部屋で観戦していた程度の関係なのだけど。
「彼女たち三人にはすでに協力を約束してもらっている。あとは本郷さんが手を貸してくれさえすれば、僕たちの計画はすぐにでも動き始めるんだ」
「一つ質問してよろしいでしょうか?」
「何だい?」
「なぜ私に声をかけたのでしょう」
蜜は偉樹の顔をまっすぐに見た。
相変わらず張り付けたような笑顔を浮かべている。
しかし、見返す眼には抜き身の刀のように強く鋭い光が宿っていた。
「荏原さんに対抗したいのなら、私たちのような地方の勢力を引き入れるよりも、水学や美女学の生徒会と手を組むべきでは? あるいは現状で唯一彼女に対抗しうるアリスさんを引き入れるか……」
「あん?」
なにか気に障ることでもあったのか、話の途中で花子の表情が険しくなる。
蜜は特に気にもしなかった。
「一つずつ答えていこうじゃないか。その前に椅子をどうぞ」
「身の危険がないと証明されるまではこのままで」
「なるほど。慎重な人物は好感が持てるよ」
偉樹は納得したように頷くと、蜜の質問に答え始めた。
「まず、君は自身を随分と過少評価しているようだね。それは大きな間違いだ。君くらいのレベルの能力者になれば、周りに対する影響力も含めて絶大なる価値がある。君は地方の自警団のリーダー程度で終わる器ではないんだよ」
「買いかぶりでしょう。私は私を頼って集まってくれた人たちを守るだけで精一杯です」
謙遜ではなく、本心から蜜はそう答えた。
古大路は構わず話を続ける。
「次に、生徒会は絶対にダメだ。現状、一大勢力となった荏原恋歌は大きな当面の脅威だが、僕らの真の敵は彼女たち体制側なのだからね」
不穏な言葉に蜜は眉根を寄せた。
ただの新グループ設立ではないと思っていたが、この男は何を考えている……?
「最後にアリス君だが、いずれは彼女も引き入れようかと思っている」
「いずれ、とは?」
「行方がわからないんでね」
荏原恋歌と並ぶと言われる能力者、アリス。
彼女は能力制限の解放以来ほとんど表舞台に姿を現していない。
前の同盟会議で見かけた時を除いて、噂ですら彼女の行方を聞いたことがないのだ。
「つまり、私に声をかけたのはアリスさんの代わり……虎の威の代替として、猫の手でも借りておこうというわけですか」
ガタッ、と大きな音がした。
花子が椅子から立ち上がった音だ。
「ちょっとあんたさ、さっきから黙って聞いてりゃ、一体なんなのその態度? 喋り方とかもいちいち癇に障るんだけど。もしかしてケンカ売りに来たわけ?」
「呼ばれたから来たんです」
「まあまあ、争うのはやめよう。深川君も落ち着いてくれ。本郷さん。さっきも言った通り、僕たちは君が思っている以上に君の持つ力に期待をしているんだ。判断するのは最後まで話を聞いてからにしてもらえないかな?」
「ちっ……」
花子は小さく舌打ちして腰を下ろした。
不満そうな彼女を隣に座る本所市が宥めている。
「わかりました。もう余計な口は挟みませんから、最後まで説明をお願いします」
蜜は偉樹に話の続きを促した。
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