6 涼風の今

 心地よい風が木々を揺らしていた。

 水瀬学園北部に広がる菜井住宅街のさらに北。

 宇ヶ谷地区を挟んだ向こうに弦架つるかという名の住宅街がある。


 そこから北へ三十分ほど歩いた場所。

 山中の開けた場所、眼下には弦架住宅街が一望できる高台。

 そこで能力の修行をしている男がいた。


「うりゃあっ!」


 彼の声に応えるように風が荒々しさを増す。

 渦を巻いて舞い上がった葉や木屑があちこちで暴れ回る。

 風はやがて中心へと集まっていく。


 能力名は≪悠久の涼風エターナルヴィント

 それを扱う自分の名前は星野空人である。


「せいっ!」


 空人が地面を蹴った。

 体が急激に加速する。


 眼前に大岩が迫る。

 衝突する直前、逆風のブレーキをかけた。


 急激な方向転換を行い目標から離れた場所で再停止。

 そのまま岩を正面に見ながら、大きく回り込むよう飛翔する。

 先ほどの位置から岩を挟んだ反対側にやってくると、再び加速をした。


「うおおおっ!」


 気合を込める。

 風圧を纏った拳で大岩を殴りつける!


 しかし……


「ぐっ、ぬわわっ!」


 岩を破壊することはできなかった。 

 ゴムの塊を殴ったような不快な感触が腕に伝わる。


「うわっ!? わあーっ!」


 気を抜いた途端、空人の体は自分自身の起こした風に吹き飛ばされてしまった。




   ※


 したたかに打ち付けた腰をさすりながら、空人はゆるゆると立ち上がる。


「いてて、やっぱ無理か……」

「いやいや、だいぶサマになってきてるぞ。特にボディコントロールは最初の頃と比べ物にならないくらい上手くなってる」


 傍で見ていた内藤清次からフォローの言葉を贈られる。


「あとは蜜師匠みたく、決め手になる攻撃技があれば完璧なんだけどな」


 似たような能力を持つ本郷蜜は、空人にとって能力の師匠でもある。

 今日は来ていないが蜜の能力は空人より遥かに戦闘向きだ。


 コントロールが良くなったと清次は言ってくれた。

 だが風を纏った高速移動も、まだまだ蜜の足元にも及ばない。


 それでも少しずつ上達しているとは思っている。

 まあ、非能力者になら負けない程度には……


「やっぱ肝心なのは攻撃か」

「技がなければ上位の能力者とは戦えないんだ。風を圧縮して拳で叩くのは悪いアイディアじゃないと思うけど、いまいち威力がなくて……」

「Dリングの守りを持った敵には通用しないか」


 いくら練習しても、空人は蜜のように空気を刃にして操ることはできなかった。

 自分なりの技を見つけ出さない限り、いつまで経ってもトップクラスの能力者たちと肩を並べることはできない。


 空人は丘の向こうに視線を向けた。

 そして小さくため息を吐く。


 眼下には弦架住宅街の町並みが広がっている。

 遠くにうっすらと見えるのは千田中央駅近隣のビル群だ。


「また赤坂さんのことを考えてるのかよ」

「なっ、違……」

「大丈夫だって。この辺りにはまだ争いの手も伸びてないし、じっくりと鍛えてればいつか必ず彼女の力になれるさ」


 勝手なことを言う奴だが、無理に否定するのはやめた。

 実際、清次の言う通りなのだ。


 水瀬学園のある方角に目を向ける。

 菜井地区の高台が邪魔をしているため、校舎は見えない。

 一般生徒が通わなくなって久しい学園を拠点に、綺たち生徒会は今も活動を続けているはずだ。




   ※


 能力制限解放からすでに半年が経っていた。


 真っ先に行動を起こしたのは豪龍組。

 彼らのせいでL.N.T.はめちゃくちゃになった。

 街の治安は乱れ、特に千田中央周辺は無法地帯と化した。


 生徒会とフェアリーキャッツの連合による支社ビル奪還の後も、治安が回復することはなかった。

 能力を持たない一般人は中央から離れた地域で怯えながら暮らすことを強いられている。


 弦架地区もそのような辺境地域の一つである。

 別名を北部住宅街とも言い、主要施設がない割には人口は多い。


 もちろんL.N.T.のどこに居ようが戦火が伸びてくる可能性はある。

 運営の保護は期待できず、市民たちは各地域ごとに自衛グループを結成。

 平和主義の能力者たちが中心となって、無法者たちから一般市民を守っている。


 この辺りを守るのは水学弓道部を母体とした本郷蜜率いる『北部自警団』と言う組織だ。

 グループを結成するときに暫定的に決めた名前だが、今では仮名のまま定着してしまっている。


「街の状況、少しは良くなってるのかな?」


 仮宿にしている団地の一室に戻り、空人は畳の床に寝転んだ。


「良くはなってねえよ。むしろ争いは激化する一方さ。街道沿いのグループに所属してる奴に聞いた話だと、エンプレスは水学の一歩手前まで勢力を伸ばしてるってさ」


 エンプレス女帝

 その名が示す通り、グループを率いるのは……


「荏原恋歌のグループか」

「だな」


 空人はかつて一度だけ向き合ったことのある女の姿を思い浮かべた。

 こうして思い出すだけでも身震いするくらい恐ろしい奴だった。


「あいつも凄いよな」

「とんでもない女だよ。この一か月で完璧に第二の豪龍になっちまった。規律がしっかりしてる分、豪龍組みたいな略奪はやらないけど、ひたすら戦火を広げる分よけいにタチが悪い」

「暴力、恐怖、支配か。いつまで続くんだろうな。これ以上、人が死ぬのは見たくないよ」

「そうだな。罪もない犠牲者が増えるのはごめんだ」

「……あ、悪い」

「もう気にしてねえよ。それより少しでも平和に貢献できるよう、お前の能力を完成させなきゃな」


 清次には隠れて付き合っていた女性がいた。

 その人は豪龍組の人質となり、支社ビル奪還作戦で命を落としている。

 気にしていないなんて口では言ってるけれど、そう簡単に忘れられるわけがないだろう。


 それでも、清次は人前で落ち込んだ様子を微塵も見せない。

 平然とした顔で今日みたく積極的に能力修行に付き合ってくれている。

 強い男だ、と空人は思った。


 豪龍組は壊滅。

 L.N.T.中を敵に回したルシール=レインも倒れた。

 数々の被害を食い止めることができなかった生徒会の信用は今や地に落ちている。

 もはや彼女たちにエンプレスやフェアリーキャッツのような大グループに干渉するだけの力はない。


 美女学生徒会も中央の争いに関わることをやめたらしい。

 今は西部地方の自警グループとして辺境の人々を守っているだけの組織になっている。


 今も平和のために戦い続けている水学生徒会。

 その一員であるクラスメイト、赤坂綺の顔を思い浮かべる。

 空人は何もできない己の無力さに歯がみし、痛いくらいに拳を強く握りしめた。


 と、熱くなった気持ちに水を差すように玄関のチャイムが響いた。


「あいよー」


 清次が玄関に向かう。

 ドアを開けた彼の肩越しに来訪者の可愛らしい笑顔が見えた。


「こんにちわっ」

「ああ、小石川か」


 小石川香織。

 蜜と同じ北部自警団のメンバーの眼鏡少女だ。

 空人たちとも仲が良く、修行中によく差し入れを持ってきてくれる。


「上がってけよ。むさ苦しい部屋だけど、お茶くらい出すぜ」

「あっ、ううん。今日はちょっと二人に伝えたいことがあって寄っただけだから」

「何かあったのか?」

「蜜ちゃんがね、なんとかっていうグループの勧誘を受けて留守にしちゃったから、いつもの警備シフトを少しずらして欲しいなって思って……」


 聞き捨てならない話だった。

 空人は体を起して香織に向き合った。


「蜜師匠が勧誘されたのか? まさかエンプレスじゃないだろうな」


 本郷蜜の力を欲しがるグループはいくらでもある。

 なにせ、彼女は戦十乙女の一人に数えられるほどの能力者なのだ。

 逆に言えば北部自警団は蜜がいなければ全く成り立たないグループなのである。


 蜜は自警グループを率いるリーダーとして強いプライドを持っている。

 彼女がどこかのグループに引き抜かれるなど考えられないと思うのだが……


「ううん。なんか新しく立ち上げたばっかりの所だって言ってた」

「どうしてそんな弱小グループなんかの誘いにわざわざ行ったんだ?」

「なんか気になる人がいるらしくて、話だけでも聞いてみたいって……ねえ、空人君。蜜ちゃんは弦架地区のみんなを見捨てたりしないよね?」


 グループというものは誰かに認定されるものではない。

 ある程度の能力者が中心となって人数を集めれば、それだけで成立する。

 ほとんどの新興グループは様々な理由ですぐ消滅するが、稀にある程度の規模に膨れることがある。


 確実に勢力を伸ばすにはリーダーに強力な能力者を据えるのが一番だ。

 名前が売れている人物の下には人も集まりやすい。

 その意味で蜜はうってつけの人物だが……


「バカらし。蜜師匠がそんな薄情な人なわけがないだろ。何年友だちやってるんだよ」

「うん、わかってるけど……」

「信じてやれって。帰ってきても問い詰めたりするんじゃないぞ」

「空人って小石川にだけは偉そうだよな」

「うるさいな」


 上から目線で香織に注意していると、清次に突っ込まれた。


「僕はシフトの時間まで寝るから、時間になったら起こしてくれ」

「はいはい。それじゃ小石川、わざわざありがとな」

「あ、うん。清次君、空人君も疲れてるのにごめんね。じゃあ、またあとで」

「おー」


 横になった空人はまどろみ始めた意識の中、右腕だけを挙げて玄関に向けて手を振った。

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