5 たとえ偽りだとしても
「やはり水気の多い場所であの能力は使えないようね」
続けざまに襲い掛かる光球。
その向こうで荏原恋歌の声が響いた。
「くt!」
立ち上がったルシールは横へ飛んで二度目の直撃を避けた。
一発目での致命傷はことは何とか免れることができた。
しかし≪
一体どうして≪
正確には濡れている場所でも能力は発動できる。
だが、効果が出るまでに数倍の時間がかかるのだ。
もし霧状の能力というだけで特性を見抜いたのなら恐るべき洞察力である。
この期に及んで恋歌が能力を発動するまでの余裕を与えてくれるとは思わない。
次々と迫ってくる光球はすべてルシールの両腕を狙っていた。
「さらに言えば、あの白い剣。黄色い霧と同時発動させなければ使えないのでしょう? SHIP能力者と言えども、私の攻撃をいつまで避け続けられるかしら?」
これも恋歌の言うとおりだった。
ヘルサードから与えられた≪
その反面、並の人間が発動させても、その強すぎるエネルギーを支えきれず弾き飛ばされてしまう。
ルシールは≪
それでも、あの威力なのである。
だが今はそれも使えない。
身体能力だけで避け続けられるほど≪
そしてついに、光球の一つがルシールの右手を直撃する。
「ぎゃっ!」
ルシールが握っていた白いジョイストーンが零れ落ちて地面に転がった。
「もらったわ!」
攻撃が一時的に弱まる。
恋歌が走るのが見えた。
いけない。
あれはヘルサードから預かった大切なもの。
まだ認めたわけでもない人間に渡すわけにはいかない。
ルシールは飛び回る光球をかわし、落した石を拾うため手を伸ばした。
途端、とてつもない激痛が体のいくつかの箇所に走った。
「痛あっ!」
動きを止めて自分の体に起こったことを確認する。
脇腹、右肩、左太ももの三か所を矢が貫通していた。
ルシールは視線を遠方に向ける。
校庭の隅に弓手の姿を見つけた。
射ってきたのはさっきの弓矢部隊か。
おそらくは恋歌の部下だったのだろう。
存在を失念していたのは致命的な失態だった。
「勝負あったわね、ルシール=レイン」
荏原恋歌がジョイストーンを拾い上げる。
彼女は勝利を確信した表情でルシールを見下ろしていた。
奥歯を強く噛みしめながら、ルシールは立ち上がり、敵に背を向け走り出す。
「逃がさないわよ」
光球が追いかけてきたが、直前に≪
飛んでくるスピードを減速さしたおかげでなんとか避けることができた。
「くっ……」
とはいえ、この怪我では遠くまで逃げることはできないだろう。
ルシールはすぐ傍の体育倉庫らしき建物に飛び込んで内側からカギをかけた。
※
痛みをこらえて矢を引き抜く。
夥しい量の血が流れ出た。
疲労と痛みは限界に達している。
目の焦点も合わなくなっている。
完全な敗北だった。
傷はほとんど致命傷。
≪
荏原恋歌。
彼女は力の差を戦術と連携で埋め、見事にルシールを倒した。
ルシールにとってはあまり納得の行く結末ではない。
しかし、約束は果たされたとしてもいいだろう。
ヘルサードが最後にルシールにくれた「もっとも素質があると見込んだ者に≪
納得できずとも、これが運命か。
いや、運命なんてものは存在しない。
ルシールがヘルサードを愛したことも。
外での平穏な生活を捨て、L.N.T.を訪れたことも。
こうして大勢の人に恨まれて人生を終えようとしているのも。
すべては自分で選んだ生き方だ。
そう思わなければ、やっていられないじゃない。
もうすぐ恋歌がトドメを刺しに来るだろう。
不思議と死の恐怖は感じない。
敗北を認めてしまえば、命を全うしたという奇妙な満足感だけがあった。
壁に寄りかかって体重を預ける。
大きく息を吐く。
このまま眠ってしまいそうな虚脱感に襲われる。
まぶたの裏に浮かぶのは幼年時代の思い出。
父がいて、母がいて、姉のエイミーがいて、下の姉がいて……
幸せな時間。
家族みんなが心でずっと繋がっていた。
他の同年代の誰よりも素晴らしく濃密な時間だった。
胸を張ってそう言うことができる。
たとえその記憶が、この姿で生まれた時に与えられた、作り物だったとしても。
「うう……」
痛みに顔を歪め、うっすらと目を開いた。
そこにあるのは埃にまみれた真っ暗な体育倉庫の景色だけ。
夢を見ていたのか。
ありもしない記憶の夢を。
思わず苦笑いがこぼれてしまう。
ふと、目の前に人が立っていることに気がついた。
荏原恋歌がトドメを差しにやってきたか。
ドアが開いた音は聞こえなかったけれど。
「ルシール様」
「ああ、あなたか」
荏原恋歌ではなかった。
慇懃に頭を下げている少女。
名前は確か双葉沙羅とか言った。
この街に来てすぐルシールに伝言をくれた、ヘルサード直属の密偵の一人だ。
その傍らに寄り添うように小学生くらいの女の子の姿が立っている。
沙羅の足をぎゅっと抱きながら、無機質な瞳を向けている。
「ひさしぶり、元気にしてる?」
その少女は無表情のままルシールの質問に答えない。
少し前まであんなに感情豊かな子だったのに。
まあ、仕方ないことか。
この子もずいぶんと辛い宿命を背負っている。
間もなく命を終えるルシールにとってはどうでもいいことだけど。
「今ならまだ間に合います。手当てを受けてください、ルシール=レイン。あのお方も貴女が『新しい世界』に来ることを強く望んでいます」
「しつこいな。その話はもう断ったって言ったはずだよ」
「しかし……」
「私はお母さんの所に行くの。ミイさん……ヘルサードには支えてくれる人がいっぱいいるし、最後のお手伝いも立派にできたでしょ? 私はもう十分満足したから」
「……わかりました」
沙羅は辛そうに視線を逸らす。
本当に自分のことを気にかけてくれているのだ。
その優しい気持ちが伝わって、少しあったかい気持ちになった。
「最後に二つお願いがあるの」
「なんなりと申しつけてください、私に出来る事ならば」
「恋歌さんが来る前に貴女の手でトドメを刺してほしい。できるだけ痛くないように」
「それは……いえ、わかりました」
「あと、最後に、その娘を……お姉ちゃんの子どもを抱かせて」
沙羅は少し考えた後、少女の表情のない顔をちらりと見て、背中を押した
ルシールの腕の中に華奢な少女の身体が収まる。
その温もりを全身で受け止める。
「……人形でも、命を繋げるんだね」
腕の中に抱いたこの子はお姉ちゃんの子供。
自分と同じ作られた命であるエイミー=レインの娘。
それならば、ルシールにとっても自分の娘みたいなものである。
抱き返してくれることはない。
けど、その温かさは生きている証拠。
この子は間違いなく命を持つひとりの人間だ。
安心したら、このまま眠ってしまいそうになる。
沙羅に介錯を頼むまでもなかったか。
次に意識が途絶えた時、自分は二度と目を覚ますことない。
今度こそ母の下へ旅立つことができるだろう。
「ごめん、やっぱり最後にもう一つだけお願い、いいかな」
「はい。何なりと」
「お姉ちゃんをよろしく。それから……あなたも体に気をつけてね」
沙羅はこれからも、この演目を裏から支えていくだろう。
早々に舞台を降りるルシールが贈れる言葉はそれだけだった。
「……了承しました」
眠い。
もはや痛みも感じない。
胸の中にあるのは少女の体温と、心地良い満足感だけである。
素晴らしい人生だった。
お母さんの娘に生まれて、お姉ちゃんと一緒に暮らして……
最後の最後で大好きな人の役に立てた。
これ以上を望むのは欲張りだ。
私にはここで人生を終えることが最良なんだ。
だから、いま行くね。
天国のお母さん。
本当のあなたは存在しないかもしれないけれど。
この思い出は私の記憶の中だけのことなのかもしれないけれど。
あの人を大好きだというこの気持ちも、ぜんぶ偽りなのかもしれないけれど。
私は信じてるよ。
もう一度、会えるって。
穏やかな微笑みを浮かべながら、ルシールはゆっくりと瞳を閉じた。
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