4 停戦協定

 セカンドキッカーの本拠地である体育館に、メンバーの大半が集合していた。


 技原はステージ手前でいつものソファに腰掛けて待つ。

 背後にはそれぞれ二宮と速海が一歩ずつ下がって左右に立っている。

 速海は厳密にはグループの人間ではないが、今回ばかりは立場を明確にする必要があった。


 正面の人垣が割れた。

 静まり返っていたメンバーたちがにわかにざわめき始める。

 奇妙に静まる体育館の中を、豪龍とその側近たちが技原の方へ向かって歩いて来た。


 豪龍に同伴する豪龍組のメンバーは一〇人。

 停戦協定を結びに来たにしては物々しい護衛だ。

 しかし、普段を考えればこれでも少ない方なのである。


 豪龍が技原の目の前に立つ。

 技原は指を鳴らした。


 別方向の人垣が割れ、一人のメンバーがボロボロのソファを運んでくる。

 それを豪龍の前に置くと男は唾を吐き捨て人垣の中に戻って行った。


「悪ぃけど、急だったもんで席は一つしか用意できなかった」

「いきなり訪れたのはこっちの都合じゃ。気にせんといてくれぃ」


 ソファに座ろうとした豪龍は、ソファの表面が破れているのに気づいて動きを止めた。

 が、何事もなかったかのようにそのまま腰を下ろす。


 画鋲でも仕込ませておけば面白かったかもな……と技原は思った。


 まあ、この程度の嫌がらせが関の山だろう。

 使い古しのソファでも用意してやっただけでも十分すぎる。


 護衛の男たちは主を守る家来のごとく豪龍の周囲を取り囲んでいる。

 豪龍は自室で寛ぐかのように鷹揚とした態度で足を組んだ。

 その態度にイラッとした技原は軽くジャブを打つ。


「それで、降伏の申し入れと聞いたが」

「降伏ではない。対等な立場で停戦協定を結びたいと思っている」


 技原の挑発的な態度に豪龍組のメンバーたちが色めき立つが、当の豪龍は冷静に訂正した。


「おい、あまり挑発するな」


 速海が後ろから技原を窘める。

 わかってるよ、と技原は肩を竦めた。


「で、どんな意図があって停戦なんて言い出すんだ?」


 豪龍組は依然として爆撃高校内において圧倒的な最大勢力である。

 第二勢力のセカンドキッカー相手に譲歩する理由がわからない。

 まさか平和な学園を作ることを望んでいるわけでもあるまい。


「その前にひとつ聞きたいんじゃが、そちらのグループの兵力はこれで全てか?」


 聞き様によってはバカにしているとも取れる質問だった。

 今度はこちら側のメンバーがにわかに殺気立つ。

 技原は手を上げて彼らを制止した。


「全員じゃないが、ほとんど全てだと思ってもらって間違いない。ごらんの通り、豪龍組に比べりゃまだまだ弱小グループだよ」


 やや皮肉を込めた言い回しで返すと、豪龍は満足そうに笑みを浮かべた。


「いやいや、よく統率が取れている。非常にいいグループじゃのぅ」


 どうやら質問に意味はなく、単なる先ほどの意趣返しのようだ。


 食えない男だ。

 真意がどこにあるのかまるで読み取れない。


 少数の側近がいるとはいえ、今は大多数の敵対者に囲まれている状況なのである。

 もし乱戦になれば、いくら豪龍が強力な能力者だとしても、数を頼りに叩き潰せるだろう。

 一体、この尊大な態度の根拠はなんなのだ?


 しかし、それにしても……


 技原は疑問に思った。

 豪龍とこうして顔を突き合わせるのは初めての事である。

 はたして、この男が本当に爆撃高校の頂点と呼ばれている男なのだろうか?


 破れた学ランを肩で着ているのはファッションだろうか。

 シャツがはちきれそうなほど膨れ上がった筋肉も見た目の威圧感はある。


 だが、それだけだ。

 この男からは高位の能力者特有のにじみ出るような凄味が伝わってこない。


 技原が入学した時にはすでに豪龍組が爆高の最大勢力であった。

 その後もセカンドキッカーの躍進と並行して豪龍組は他の弱小グループを制圧し続け、秋口には学内のおよそ半分を統べるほどまでに勢力を拡大した。


 夏頃に深川花子に謝罪した一件の後も、離反したメンバーはほとんど出なかったと聞いている。

 あの程度では豪龍の威信は微塵も揺らぐことはないのだ。

 統率もしっかり取れている。


 にも関わらず、豪龍が実際に戦闘しているところを技原は一度として見たことがない。

 まさか舌先三寸だけで渡り歩いてきたというわけでもないだろう。

 この男はとにかく謎が多すぎる。


「こっちの質問に答えてくれ。現段階において最大勢力である豪龍組が、わざわざ格下のグループに停戦を申し込むメリットはなんだ?」

「平和な学園を作りたい……という答えでは不満かの?」

「大いに不満だね。真面目に答えてくれ」


 技原が再度尋ねると、豪龍はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

 考えられる理由といえば、中央で争っているフェアリーキャッツへの対抗に集中したいためか。


 技原はもちろん、大半の爆校生は夜の街には興味がない。

 そんな一方的に豪龍組を利するような提案なら願い下げである。

 相手の真意を測りつつ黙っていると、豪龍はボソリと呟くように言った。


「『三帝』という言葉を知っておるか?」


 技原は答えない。

 もちろん、その言葉の意味は知っている。

 この街で戦いに身を投じている人間ならば語るまでもない質問である。


 三帝とは――

 このL.N.T.で最強と呼ばれる三人の人物のことである。


「美女学の荏原恋歌えばられんか。旧校舎のアリス。そして水学の赤坂綺あかさかあや


 黙ったまま答えない技原に代わって、豪龍がその称号に列せられる者たちの名を並べた。


 L.N.T.最強のJOY使いと呼ばれ、少数の仲間と共に夜の中央を闊歩する美女学の『女帝』荏原恋歌。

 爆撃高校旧校舎を根城とし、無断で立ち入った男子生徒を物言わぬ骸へ変えていく狂気の『暴帝』アリス。

 嘘か真かその両者と互角以上に戦い、水学生徒会役員として中央の争いの芽を潰して回る水学の『新帝』赤坂綺。


 この三人こそが今のL.N.T.で三強と目される人物である。


「もちろん、そいつらの名前は知っている。それが何か?」

「不愉快に思わぬか? 実際に拳を交えたわけでもないのに、我らの名前がそこに連ならぬことを」


 技原は眉をひそめた。

 そのようなことを考えたことがないわけではない。

 戦って負けた記憶もないのに、そいつらより弱いと思われるのは不快である。


 技原が今まで「勝てない」と思った相手は一人だけ。

 そして、その女の名前はそこにはない。


「いや……所詮は人の噂だからな」


 噂相手にムキになっても仕方ない。

 技原は冷静にそう答えた。


 豪龍は言葉を続ける。


「噂とはいえ、爆高の争いの外にいるアリスごときが過大な評価をされていては、日々血を流している我々の立場がないんじゃあ」


 技原はだんだんと豪龍の考えが読めてきた。


「だったら、ご自慢の兵力でもって旧校舎に攻め込んでみたらどうだ? 喜んで相手をしてもらえるぞ」

「それができぬから困っているのだ。仮に総力を結集してアリスを倒したとしても、半減した兵力では後方からの敵に備える余裕がない」

「つまり、先にアリスを倒すため一時共闘したい……そういうことか?」

「そう考えてもらって結構」


 豪龍はアリスを潰したいと思っている。

 だが、その隙に背後から攻撃されるのは面白くない。

 そのためアリスを倒すまでは一時的に停戦協定を結びたい。

 そう言っているのだ。


 それなら納得できる理由ではある。

 しかし、豪龍の本音は違うことを技原は見抜いていた。

 明言を避けたが、本当に恐ろしいのは背後からの奇襲ではないだろう。


 豪龍が恐れているのはアリス本人だ。

 彼女の不敗伝説はL.N.T.の誰もが良く知っている。

 先日も分をわきまえずケンカを売ったグループが二つ壊滅していた。

 どちらも死者数は三名で、片方は残ったメンバーも全員が重傷を負った。


 豪龍はアリスを爆高統一のための最大の脅威と見ているのだ。

 他のグループの力を借りてでも何とか潰したいという考えも理解できる。


 技原から見てもアリスはいつか敵となるである人物である。

 だからこそ、技原も簡単には首を縦に振れなかった。


「けどよ、俺たちはこれまで散々にいがみ合ってきたんだぜ? それが急に手をとり合って仲良くしようってのはちょっと無理があるんじゃないか? 言っておくけどアリスを倒した後の学校の支配権をお前と仲良く半分こするつもりはないぜ」

「だから一時的な停戦だと言っておる。目的を果たせばすぐに同盟解消だ」

「豪龍組とセカンドキッカーが敵同士であることに変わりはないと?」


 体育館の中に再び緊張が走った。

 豪龍の答え如何によっては、この場で始末すべきである。

 少なくとも多くのメンバーたちはそう思ったはずだ。

 そうなった時、技原は止めるつもりはない。


「……ひとつ言い忘れていたことがあるが、第一校舎の前に豪龍組の全戦力が集結している」

「なんだと?」

「四時を過ぎても我らが帰らなければ、全員で迎えに来るよう伝えてある。それ以外には何の命令もしていないが、平和的な話し合いが暴力によって流されたと知れたら、はたしてやつらはどの様な行動に出るかのう?」

「テメエ……!」

「言ったはずじゃあ。対等な立場で停戦協定を結びに来たとな」


 臆病者どころではない。

 こいつは目的のためなら己を人質にすることすら躊躇しない、強かさと豪胆さを持っている。


 名目上、あくまで豪龍は話し合いに来ただけである。

 こちら側の軽率な行動が原因での全面戦争――それは技原が最も避けたいことであった。


「技原さん。ここはひとつ、豪龍氏の言うとおり手を結んでみては?」


 技原の斜め後ろに立つ男が発言する。

 それは冷や汗を額に浮かべた二宮だった。


「会話をしているのは俺だ。お前は黙っていろ」

「す、すみません……」


 いつの間にか立場が逆転していたことへの苛立ちもあって、つい口調が厳しくなってしまう。

 怯えてしまった二宮に代わって、その隣に立つ速海が口を挟んだ。


「オレも彼に賛成だ。今は彼らと手を結ぶのがいいと思う」

「何故だ、速海」

「現状、攻められているのはこっちの方だ。この場を穏便にやり過ごすにはそれ以外にない。アリスが全男子の敵であることは確かだし、別にこちらに不利な申し入れと言うわけでもないだろう」

「ワシらも今日は覚悟を決めて来ているからのう。交渉が決裂して、セカンドキッカーやその支援団体と争うような事態も想定しておる」


 豪龍は暗に速海が動かせる戦力に関しても把握していると伝えている。

 そのくせ、表情には余裕の色が浮かんでいる。


「本当に食えないやつだ……」


 速海は冷や汗混じりに呟いた。


「わかった。停戦を申し受けよう」


 結局、技原は決断した。

 体育館にメンバーたちのざわめきが広がる。


 いったい誰が本気で爆龍組と手を組むなどと想像していただろう?

 技原にしてもつい数分前までそんな気は全くなかったのだ。


「賢明な判断に感謝する」


 豪龍はニヤリと笑って立ち上がり、技原に握手を求めた。

 死ぬほど不愉快だったが、技原は仕方なくその手を握り返した。


 この瞬間、セカンドキッカーと豪龍組の停戦協定は成立した。

 ガムでも噛んでおけばよかったと思いついたのは豪龍たちが体育館を去った後のことだった。

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