3 気の休まる時間

 箱型の機械のスイッチを入れてレバーを調節する。

 すると、スピーカーから音声が聞こえてきた。


『ボキなノ』


 脂ぎった低い男の声である。

 それを聞いた二人の表情が緩む。


「やあ太田くん」

「ひさしぶりだな、太田」

『おお。技原も一緒なノ』


 彼らのもう一人の友人、太田二利おおたふとしである。

 太田もまた外の世界で知り合い、ヘルサードに救われた同志だった。


「元気してた? 例の研究は進んでる?」

『ぼちぼちなノ。次の実験が成功すればいよいよ実践段階に移るノ』


 太田は敷地外れの第九校舎に籠ってさまざまな実験を行っている。

 この通信機も彼と科学技術部の面々が独自開発したものである。


 L.N.T.内部はとにかく通信手段に乏しい。

 そんな中で通信機は重宝、大きなアドバンテージとなっている。

 太田自身は何の能力者でもないが、技原たちにとって無くてはならない協力者である。


「実はね、いよいよ技原が豪龍と一戦交えようとしてるんだ」

『ほうほう。それは一大事なノ』

「できれば全面戦争は避けたいんだ。どうにかして豪龍と技原の一騎討ち、もしくは少数同士での決戦に持ち込めないかって考えてるんだけど」

『大きな戦争になれば第九校舎にも被害が出るノ。それだけは避けてもらわないと困るノ』


 第九校舎はアリスの旧校舎と並んで数少ない安全地帯と呼べる場所だ。

 もちろん、旧校舎が女子専用であるように誰でも簡単に入れるわけではない。

 そこでは非戦主義者たちが徒党を組んで自警団を組織し、校舎防衛に専念している。


 第九校舎の住人は定員制。

 しかも何らかの技術的スキルがなければ入ることはできない。

 ただし、その中にいる限りは余程のことがなければ外の抗争に巻き込まれることはない。


 とはいえ全面戦争ともなれば安全を保てる保証はない。

 太田にとっても大規模な抗争は絶対に避けたいことだろう。

 だからこそ良いアイディアはないかと速海も期待したわけだが……


『豪龍の奴はいつも側近を侍らせてる臆病者なノ。チャンスを作るためにはかなり周到な計画が必要で、ボキにもちょっとすぐには思いつかないノ』

「太田くんでもダメかぁ」


 速海は落胆していたが、技原は仕方ないと諦めた。

 そう簡単にアイディアが出せるなら苦労はない。


 逆に言えばそういった隙を見せないからこそ、豪龍はほとんど自身の力を見せる事もなく、あの地位を保っていられるのだろう。


『力になれなくてすまんノ』

「いいんだよ。太田くんの元気な声が聞けただけでよかった」


 友人をねぎらう速海の声に嘘はない。

 彼らは気心の知れ会った友人同士なのである。

 利害だけの関係で協力しているわけではないのだ。


『お詫びにこんどボキのラボに来るノ。こっちは食料物資があり余ってるから、多少のもてなしはしてあげられるノ』

「ありがとう。楽しみにしてる」

『太田もすまんノ』

「仕方ないさ、何か別の手段を考えるぜ。それより……」


 良いアイディアが浮かぶまでは無理をすることもない。

 技原は立ち上がって部屋の隅にある棚からゲーム機を取り出した。

 勝手知ったる速海の本拠地、どこに何があるかは彼もよくわかっている。


「久々に一戦やろうぜ」

『いいノ』


 技原は手慣れた動作でゲーム機をテレビに接続する。

 これもまた、太田がどこからか仕入れていた貴重な物資だった。


 しかも、離れた場所にいる太田とも通信機を通して同時対戦することができる。

 ゲームは外の物だが、通信システム自体は太田個人が開発したものである。


 三人はいつも顔を合わせると真面目な話は適当に切り上げて談笑しながらゲームに興じる。

 血の気が多い技原にとっては特に、この時が唯一と言っていい気の休まる時だった。




   ※


「うわ、そりゃねえよ太田ぁ」

『くっくっく。勝負の世界は非情なノ』


 ゲーム内で太田に完膚なきまでに叩きのめされ、技原は大げさに頭を抱える。

 その様子を寝転がりながら見ていた速海が笑う。


「あっはっは。やっぱ太田くんには敵わないな」

「ちっくしょー、見てろよ。今度は絶対一セットくらいは取ってやるからな」

『ふふん。やれるもんならやってみろなノ』


 速海と太田、二人の友人といる時の技原は、普段からは考えられない穏やかな表情を見せる。

 荒んだ生活の中でも友と過ごす時は冗談を言って笑い合うことができる。


 普段の技原は明らかに生き急いでいる。

 そんな友人を速海はいつも心配に思っていた。

 たまにこうして素の顔を見せてくれると本当に安心する。


 しかし、楽しい時間はあっけなく過ぎ去ってしまう。

 廊下から聞こえてきた無粋な音が彼らの休息に終わりを告げた。


「わ、技原さん! 技原さんはいますか!?」


 慌ただしく廊下を駆ける声の主は、セカンドキッカー参謀の二宮だ。


「作戦会議中だ、静かにしやがれ!」


 技原は娯楽の邪魔をされることを極端に嫌う。

 彼は怒りを込めたドスの利いた声で部下に応じた。

 さっきまでのギャップに速海はひそかに笑いを堪える。


「す、すみません。ですが一刻も早くお伝えしたい、大変な事態が発生しましたので……」

「いったい何があったってんだ」


 二宮はグループにおいて技原の腹心と言える立場にある。

 技原がこの場所によく訪れていることも知っている。


 以前に彼は技原の休息を邪魔してきつく叱られたことがある。

 それ以来、よほどのことがない限はこの部屋に近づくことはなかった。

 叱責を覚悟してでも報告したいほど、本当に大変な事態が発生したのだろう。


「豪龍が、豪龍組が……」


 そして二宮の口から出た言葉は、二人が予想もしていなかったものだった。


「豪龍組が、セカンドキッカーに停戦協定を申し入れてきました!」

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