5 助けたのは不思議少女
人目につかないところにも、幾つかの個人経営のいい店がある。
今日はそちらを回ろうと花子は繁華街中心から少し外れた
そう言えば、誰かがこの辺りでいい古着屋を見つけたとか言っていた。
ちょっと知らない道でも散策してみようかなと裏路地に入った時、
「なあいいだろ? ちょっとだけ付き合ってくれればいいんだ」
「悪ぃようにはしないからさ。一緒に楽しもうぜ」
先ほどとは別種の直接的な苛立ちを覚える下品な声が聞こえてきた。
原千田大通りより東は細い路地が入り組む一帯だ。
このあたりは店舗も少ない割に雑居ビルが密集していて薄暗い。
目的もなければわざわざ立ち寄る者も少ない、繁華街と住宅街の間にある隙間の空間だ。
夜間はジメジメした所を好む陰気なグループがたまり場にしているが、それは昼間も似たようなものであるようだ。
二人組の男が女の子を壁際に追い詰め、脅し混じりのナンパをしている。
花子が苛立ったのは彼らが爆撃高校の学ランを着ているからであった。
フェアリーキャッツにも爆撃高校の生徒はいる。
だから差別をするつもりはないのだが、水学生の性として基本的にあいつらは気に入らない。
チームの掟で昼間のナンパ行為は絶対禁止しているから、少なくともフェアリーキャッツのメンバーではないはずだが。
花子はため息を吐き、暗い笑みを浮かべながら彼らに近づいた。
「ちょっと、あんたたち」
「ああ?」
露骨に不機嫌そうな顔で男二人がこちらを振り向くが、すぐにその顔は青ざめた。
「ふっ、フェアリーキャッツのっ!?」
「誰に断ってこの辺りでナンパなんかやってんだよ。昼間だからって勝手なことされちゃ困るんだよね」
「な、なんすか、俺たちは別にあんたらには……」
「おい、やめとけ! この人とだけは関わり合っちゃいけねえよ!」
男たちはビクビクしながら互いの顔を見合わせる。
花子のことを知ってケンカを吹っ掛けてくる雑兵はこの街にまずいない。
敵対グループの人間だったとしても同じことだ。
勝手にフェアリーキャッツとの火種を作れば、グループリーダーに叩きのめされてもおかしくない。
「……ちっ、すんませんでした」
男たちは形だけの謝罪を口にし、そそくさと退散していった。
面倒だし別にそれを無礼だと咎めるつもりもない。
後には花子と絡まれていた女の子だけが残った。
「大丈夫? なんにもされなかった?」
人助けなどというガラでもないが、さすがに黙って行くのもどうかと思って話しかけてみる。
彼女は怯えるでも感謝するでもなく、きょとんとした顔で花子を見ていた。
「はぁ。あの方たち、どうして急にいなくなってしまったのでしょう?」
「どうしてって……あたしが追い払ったからだけど」
「まあ。せっかく楽しい所に連れて行ってくださると言って下さりましたのに」
予想外な反応に花子はキョトンとした。
「楽しいところって……あんた、あいつらについてったらどうなるかわかってんの?」
「一緒に遊んでくれるのではないのですか?」
あまりにすっとんきょうかつ見当ハズレな認識である。
彼女の不用心さに花子は頭を抱えた。
「あのね、あいつらはあんたをナンパしようとしてたの。爆高のバカ共のヤバさは知ってるよね。あんなのについて行ったら速攻でヤラれてボロッボロになるまで弄ばれた挙句、最後は捨てられてポイよ」
必ずしもそういうわけではないが、まったくあり得ない話でもない。
爆撃高校の荒廃ぶりは夜の千田中央駅よりも酷いのだ。
怪しい男を見かけたら犯罪者だと決めつけて避けるくらいの慎重さは必要である。
「はぁ……そうなのですか?」
彼女はまだよくわかっていないようだ。
あんまり長く付き合っていても疲れそうである。
花子は適当なところで話を切り上げてしまおうと考えた。
「そんじゃ、あたしは行くから」
「危ないところを助けてくださって、どうもありがとうございます。もし宜しければお名前をお聞かせ願えませんでしょうか」
「深川花子。それじゃあたしはこれで」
「花子さま……まあ、とても素敵な名前ですね」
一度は背を向けた花子だったが、思わず足を止めて女の子を振り返った。
「あんた、あたしのこと知らないの?」
「初対面だと思いますが、以前にどこかでお会いしましたか?」
夜の街の住人でなくとも深川花子の名は有名である。
L.N.T.に来て間もない新入生でも、三か月も暮らせば一度は耳にする機会があるだろう。
水瀬学園では一応夜の町に関して箝口令を敷いているが、実際の所はほとんどみんな知っている。
まさか中学生とも思えないが、悪名ばかり高くなってしまった花子にとって、自分を知らない同年代の相手というのは貴重だった。
あと、田舎くさい自分の名前を褒めてもらえたことが嬉しかったというのもある。
「あんた、遊びに行きたいって言ってたよね」
「ええ。街に出るのは初めてなもので」
やはり最近引っ越してきた新入生か。
たまにはこういう相手と遊ぶのもいいかもしれない。
「よかったらあたしがいろいろ案内してあげるよ」
※
女の子の名前は市(いち)と言うそうだ。
水学生ではなく
花子は市を連れてウィンドウショッピングを再開した。
途中、大通りに出てCDショップやらゲームセンターやらにも足を運ぶ。
どこに行っても市は見ているこちらが楽しくなるくらいに大袈裟に驚いてくれた。
花子がL.N.T.に来る前に住んでいたところは山陰地方のド田舎だった。
それでも時々は隣市の大きな街に赴くこともあったし、今の市ほど田舎者っぷりを晒すことはなかった。
この娘はいったいどこの山奥から出てきたのだろう?
通りに出ると時々、すれ違ったフェアリーキャッツのメンバーから挨拶をされる。
面倒そうに返事をする花子を見て市は、
「友だちが多いのですね。うらやましいです」
と、また少しズレた反応をしてみせた。
「違うよ。あいつらはあたしのグループのメンバーなんだ」
「グループ?」
「そ。フェアリーキャッツっていうんだけど」
「まあ、可愛らしい名前ですわね。一体どのような活動をされているのですか?」
「はは……」
聞く人が聞けば怯えて震え上がる名である。
可愛いなどと言われたのは初めてのことだ。
「そうだね。夜にみんなで集まってバカ騒ぎするための集まりかな」
「それはとても楽しそうですね」
「あんたも参加する?」
「せっかくのお誘いですけれど、夜間の外出は固く禁止されておりまして……」
まあ、当然だろう。
※
その後に入ったカラオケは、ほぼ花子のワンマンライブになった。
それでも市は少しも嫌な顔をせずに終始笑顔で付き合ってくれた。
乾いた喉を潤すため喫茶店に入る。
「あちこちつき合わせて悪かったね。疲れたっしょ」
「いいえ、とても楽しかったです。今日は花子さまにお会いできて本当によかったですわ」
本当に満足そうに微笑む少女。
そう言われれば花子も悪い気はしない……が。
「そりゃよかった……ところで、その『花子さま』ってのはやめようよ」
「お名前でお呼びされるのはお嫌いでしょうか?」
「じゃなくてさ、呼び捨てでいいよ。花子って呼んで」
「申し訳ありませんが、人様のお名前を不躾に呼び捨ててはいけないと母様から厳しく言われておりますので……」
「マジで?」
田舎者どころか、どこぞの名家の生まれか。
慇懃な言葉遣いからもしかしたらと思ったが、これはどうやら本物の箱入りお嬢様らしい。
「でしたら、『ハナちゃん』というのはどうでしょう」
「は? はなちゃん?」
「花子さまの花の字をとって、ハナちゃんと……いけませんか?」
「いいや、いけなくはないけど……くくっ」
自分がそんな風に可愛く呼ばれることなんて想像すらしたことなかった。
花子は思わず吹き出してしまう。
「じゃあ、あたしも『いっちゃん』って呼ぶよ。市だから、いっちゃん」
「まあ、とても素敵なあだ名ですね。ありがとうございます」
市はおっとりとしていて、どこかズレている。
今までに接したことのないタイプだが決して悪い感じはしない。
花子の裏の顔を知らない純粋な子。
彼女とはいい友達になれるような気がする。
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