5 裏切り者

 なぜこうなった。


 深川花子に続いて本所市と本郷蜜の両名を失うなんて。

 こんなのは全く予期していなかった事態である。


「くそっ!」


 フリーダムゲイナーズ本拠地、古大路の自室。

 古大路偉樹はモニターを睨みながら壁を殴りつけた。


 そもそも花子が戦死したときからおかしかった。

 こちらは相手の動きを掴むため情報を何よりも重視していたのに。

 連絡網はきっちりと整え、細心の注意を払って演説場所を選んでいたつもりだ。


 だが、一度ならず二度までも赤坂綺は予期しない場面に現れた。

 今回に至っては事前に手に入れた情報そのものが誤りであった可能性が高い。

 赤坂の機動力の過少評価や、生徒会側が一枚上手だったというだけでは説明がつかないのだ。


 切り札は残っているとはいえ、せっかく味方に引き入れた戦十乙女を三人も失った。

 決戦時の勝率は大きく下がるだろう。


 古大路は失敗の原因を考えた。

 そして、とある可能性に思い至る。


 頭を冷やして論理を組み立て直す。

 キーを叩いて気になる情報を片っ端から引き出す。


 おもむろに立ち上がった時、古大路の顔は憎しみに歪んでいた。


 第三校舎に向かう。




   ※


 カタカタとキーボードを打つ規則的な音だけが小さな部屋に響いている。

 クーラーで冷えきった室内で、少女が画面と向き合っていた。


「……よし」


 少女は呟き、パソコンからSCD記録媒体を取り出した。

 瞬間、激しい音と共にドアが開いた。


「こんなところで何をやっている」


 ノックもせず入ってきた無粋な客。

 少女は特に驚いた様子もない。


「答えろ、芝碧」


 少女――戦十乙女の芝碧は無表情のまま古大路偉樹の顔を眺めた。


「先月の頭から昨日にかけて複数回、この部屋から僕のPC内データを閲覧していた記録が残っていた。君が敵に情報を流していたのか」


 碧は答えない。

 だが、状況は事実を雄弁に物語っていた。

 学内ローカルネットワークに繋がっている第三校舎の情報室。

 そこに密偵のリーダーである碧がいて、こっそりとデータを記録媒体に移している。


 どう足掻いても言い訳のしようがない。

 また、碧もそのつもりはなかった。


 相手が行動を起こすより早く、碧は素早く窓から外へと脱出した。


「逃がすか!」


 古大路が≪虚真矢レイアロー≫を具現化させ射出する。

 しかし、すでに碧は射程外まで逃れている。 

 標的を失った光の矢が地面に突き刺さる。


 碧は表に出ると、校舎と校舎を繋ぐ中庭を走った。

 周囲のスピーカーから放送が流れる。


『密偵隊の芝碧は裏切り者だ、見つけしだいに抹殺しろ!』


 これまでのような芝居がかった喋り方ではない。

 焦りの感情にまみれた乱暴な言葉づかいは古大路偉樹の本性だろう。


 残念だが、これ以上ここにはいられない。

 碧はSCDを手に全力で走った。


 窓から再び校舎内に入る。

 表を走るよりはこちらの方が逃れ易い。

 狭い場所での戦いは碧にとって有利という理由もある。


「見つけたぞ、捕まえろ!」


 前方から数名の男が近づいてくる。

 密偵活動を続けていた碧には見覚えがある顔ばかりだった。

 たいした能力者はいない。


 碧は素早く地面を蹴った。

 天井、壁、窓と飛び移りながら接敵。


「ぎゃひいっ!」


 袖口から取り出した刃付きの鉄扇が男たちの頸動脈を切り裂いた。

 噴出した血液が放物線を描いて壁に付着する。


 碧は倒した男たちには一瞥もくれない。

 爆撃高校の混乱をアリスの庇護を受けることなく一匹狼で乗り切った女。

 かつて赤坂綺と互角の戦いを演じ、戦十乙女の称号まで得た碧の実力は本物である。


 SHIP能力による高い機動力。

 暗殺者の様に死角から繰り出す鉄扇。

 彼女の戦闘術は敵対した人物に絶対の死を与える。


 生半可な能力者が束になろうと、碧の行く手を遮ることはできない。




   ※


 逃亡を続ける碧。

 行く手を塞いだ生徒は悉く瞬殺。

 ここまですでに十人以上の命を奪っている。


 第一校舎に入り込む。

 廊下を移動中に外から射撃を受けた。

 間一髪で避けたそれは、古大路の≪虚真矢レイアロー≫であった。


 本当は奴も仕留めておきたいが、この状況で高望みはできない。

 今は何より逃げきることを優先すべきだろう。


 次々と飛来する光の矢を避ける。

 そして碧は遂に第一校舎の裏口にたどり着いた。

 あとは校壁まで一直線、外に出てすぐ裏山に入れば追いつかれる心配はない。


 だが、最後の最後で碧の前に強敵が立ちふさがった。


「……アリス!」

「それ、おいていって」


 小柄な体躯。

 長い前髪に隠れた幼い容貌。

 爆撃高校旧校舎の支配者、アリスである。


 あまりものを喋らない性格や雰囲気。

 戦闘に小型の手持ち武器を使うところも碧によく似ている。


 ここ最近はまったく人前に姿を現さなかったため、世間ではすでに力を失ったと囁く者もいる。

 しかし、かつては荏原恋歌や赤坂綺と並んで三帝と呼ばれていたほどの人物だ。

 彼女を前にすればそんな噂は根も葉もないデマだったとわかる。


 かつて誰もが恐れた凶悪人物。

 その禍々しいオーラは隠しようもない。


「……倒す!」


 碧は覚悟を決めた。

 最後の難関を実力で超える。

 油断はしない、最高速で接近して一気に仕留める。


 先ほどに倍するスピードで廊下を上下左右に蹴り進む。

 いくらアリスが強くても、一撃を加えれば勝ちだ。

 旧三帝という悪名に怖気づく必要はない。


 背後を取った。

 斜め上から敵の白い首筋を見る。

 アリスはまだこちらの動きに反応できていない。


「もらった!」


 碧は天井を強く蹴り、鉄扇の刃をアリスの首に向けた。

 瞬間、体中をとてつもない衝撃が走り抜ける。


「いああああああっ!?」


 これは……電撃!


 アリスはこちらを見ていない。

 自分を中心にした全方位に電撃を放ったのだ。

 彼女の能力を知っている碧ですら信じられないことであった。


 知らない間に強化されたのか。

 それとも、今まで隠していたのか。


 考える余裕はもうなかった。

 幾つもの諜報・暗殺行為を行ってきた碧である。

 彼女はこの後に待ち受ける自分の運命を悟ってしまった。


「さよなら」


 アリスの視線が碧を射抜く。

 体に自由が戻るまで持たなかった。


 はたして予想通り、アリスのナイフが碧の首筋を掻っ切った。




   ※


「……やったか」


 ようやく第一校舎の昇降口にたどり着いた古大路は、返り血を浴びて半身を真っ赤に染めたアリスの姿と、首から夥しい血を流して動かなくなった芝碧の姿を認めた。


「彼女が裏切り者と気づかなかったのは僕の失態だ。そのせいで無駄な犠牲を出してしまった」


 自戒するよう呟きながら、古大路は黙って佇んでいるアリスの隣に並んだ。

 爆撃高校動乱以来目立った動きを見せていないが、アリスの力は三帝と呼ばれた頃のままだ。


 古大路の射撃をことごとく躱し、追手の能力者を次々と葬り去った非情の暗殺者。

 そんな芝碧をアリスは特に苦戦することもなくあっさりと倒した。

 やはり彼女をスカウトしたのは間違いではなかった。


「どうでもいい。それより研究が終わった」

「本当か!?」


 古大路は思わず叫んでしまった。

 これまでアリスに好きなようにさせていたのには理由がある。

 彼女の行っていた研究、それがフリーダムゲイナーズにとっての切り札となるからだ。


「あとは適当な人間で実験するだけ。それが終わったらしばらく暇になる」

「それは願ってもないことだ。君の協力には本当に感謝する」


 これで確実に生徒会に勝てる。

 その上、アリス本人が動いてくれるなら願ってもない。

 彼女一人がいれば失った三人の戦十乙女たちの戦力を補ってもおつりが出るくらいだ。


 待っていろ赤坂綺。

 そして水学生徒会。

 貴様らの天下もこれまでだ。

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