6 紗枝の離反

 麻布紗枝は水学第三校舎の自室で塞ぎ込んでいた。


「やだよ、もう……こんなの……」


 今日もまた人が死んだ。

 そのうち二人はずっと一緒にやってきた仲間である。


 綺に忠誠を誓い、彼女のために必死に戦ってきた足立美樹はバラバラになって死んだ。

 物言わぬ肉片となった彼女の残骸を詰めたゴミ袋の重さはきっと生涯忘れない。


 もう一人、中野聡美は赤坂綺の手で裏切り者として処刑された。

 姉の友人で紗枝も中学生の頃から知っている人だった。

 優しくて本当にいい人だったのに。


 赤坂綺は狂っている。

 直接の原因は美紗子の死だろう。

 だが彼女はL.N.T.そのものを象徴するように、いくつもの死を飲み込んでさらにおかしくなった。


 止めようと思っても赤坂綺は強すぎる。

 戦十乙女と呼ばれる最強クラスの能力者でも敵わない。

 自由派の刺客さえも赤子の手をひねるようにあっさりと殺してしまう。


 逃げることはできない。

 逆らうこともできない。

 紗枝は自分が何をすべきかもわからなかった。


 お姉ちゃんが赤坂さんに託したかったのは、こんな未来じゃないはず。

 それを言ったところで今の赤坂綺には伝わらない。


「どうすればいいんだろう、お姉ちゃん……」


 紗枝は呟き窓の外を見た。

 今夜は曇に隠れて月も出ていない。

 学園の中庭には薄暗い闇が広がっていた。


「ん?」


 ふと、闇の中で何かが動いた気がした。


 紗枝はそちらに目を向ける。

 人ではない、もっと小さい何かだ。

 それはゆっくり紗枝の部屋に近づいている。


 手近にあった目覚まし時計を掴む。

 紗枝は近づく物体の正体を確かめるために目を凝らした。


『紗枝!』


 名前を呼ばれた。

 直後、それは大きくジャンプして部屋の中へ入り込んできた。


『よかった、まだ無事だったんだね!』


 喋っているのは身長三十センチほどのクマのヌイグルミだった。

 しかし、その声には聞き覚えがある。


「ちえり!?」


 中学時代のクラスメート、江戸川ちえりの声だった。


「なにやってるの? っていうか、その姿は何?」

『えへへ。これ私のJOY』


 紗枝とちえりは菜井第三中学に通っていた頃の友人だった。

 この戦乱が始まってからは会うことも少なくなっていたのだが……


『あの時に言った通り、また会ったね』

「うん……」


 実は一度だけ会っている。

 あれは荏原恋歌が倒れた日のことだ。


 あの日、紗枝は美樹と一緒に偵察任務を行っていた。

 ところがちえりと仲間たちの策略にはまって分断されてしまう。


 一時的に囚われの身となったが、彼女たちは紗枝をどうこうするつもりはなかったらしく、荏原恋歌が打倒されたとの情報が入るなりすぐに解放された。


 その時のことは赤坂綺にも報告していない。

 美樹と離れた後は一人で偵察を続けていたと言ってある。


『詳しく話している暇はないから単刀直入に言うね。紗枝、私と一緒に来て』

「えっ」

『今の生徒会はあの時紗枝が言ってたみたいな平和のための組織なんかじゃない。このままじゃ紗枝だっていつか殺されちゃうよ』


 そんなことは誰よりも紗枝がよくわかっている。

 だが、逃げることは不可能だ。

 それに……


「ダメだよ、赤坂さんを放ってはおけない」


 もう紗枝以外、彼女の傍に正気の人間はいないのだ。

 速海は今の綺を肯定しているし、神田和代たちは一定の距離を置いている。

 紗枝がいなくなれば赤坂綺はきっと今以上に暴走する。


「それに逃げられっこないよ。赤坂さんはきっとすぐに追いかけて来る」


 紗枝の≪不可視の夢ライヤードリーム≫が綺に通じないことは証明されている。

 いくら姿を消して逃げたとしても、気配だけで気づかれてしまうのだ。


 能力を使って不審なことをしていたとバレたら、聡美と同じく裏切り者扱いで殺されるだろう。

 美紗子の妹だからという理由なんかで彼女は容赦はしないはずだ。


『その点は大丈夫、助っ人を呼んであるから』

「助っ人……?」

「私ですわ!」


 いきなり部屋のドアが開いた。

 紗枝はびっくりして叫びそうになった。


 懸命に声をこらえて振り向く。

 そこには相変わらず自信満々な元美女学生徒会長、神田和代が立っていた。


「私たちも協力いたします。皆でこの狂った学園から抜け出しましょう! こっそりと慎重に行動すれば見つからないよう脱出するのも難しくありませんわ!」

「……こっそり行動するって言いながらどうして大声をだすの? もしかしてわざとやってる?」


 和代の後ろで呆れたように頭を抱えているのは水学の穏やかな剣士こと四谷千尋。

 どちらも赤坂綺によって半強制的に平和派に加入させられた戦十乙女の能力者である。


「今の赤坂さんは異常です。しかもその強さは桁外れで誰にも止めることはできないでしょう。とはいえ、私たちの本当の敵は彼女ではありません。力を合わせて解決すべきことを一つずつ片付けていけば、いつかは彼女を改心させることもできるはずですわ!」


 神田和代は力強く語る。


「紗枝ちゃんが心配する気持ちもわかるよ。けど和代さんの言う通り、私たちの戦うべき相手は赤坂さんじゃない。もちろん自由派の人たちでもないはずだ」


 四谷千尋が優しく諭す。


『戦うべき敵は他にいる。この街をこんなにした奴ら、人が次々と死んでいくのを笑いながら見ているような真の悪人たちを倒すためには、自由派も平和派も手を取って協力しなきゃいけないんだよ。みんなで力を合わせて、本当の平和も自由も手に入れてやろうよ!』


 江戸川ちえりが背中を押す。


「一人じゃ何もできなくても、みんなで力を合わせればきっとやれることがある……」

『そう。だから紗枝も私たちに力を貸して欲しいんだ』


 ちえりの言うとおりだった。

 紗枝がここに残っても赤坂綺を止められるわけじゃない。

 だったら彼女たちの言う通り、わずかな希望に賭けて脱走すべきかもしれない。


 たとえそれが、亡き姉に対しての裏切り行為であっても……


「……わかった」


 紗枝は頷いた。

 水学を出る決意を固めた。


『おっけーだね。作戦開始は明日のお昼、赤坂さんがいつも通りに出かけた隙に開始するよ』

「心配せずとも邪魔な敵は私とちーちゃんが蹴散らしますわ」


 紗枝はもう一度深く頷いた。

 一度決めたら、もう迷わない。




   ※


 翌日の脱出劇に作戦らしいものは何もなかった。


「死にたくなければ道を開けなさい!」


 和代を先頭に三人は堂々と敷地内を歩いて出て行く。

 紗枝も≪不可視の夢ライヤードリーム≫は使っていない。


 彼女はたった一人でエンプレスの手に落ちた美隷女学院を奪還した最強クラスの能力者。

 アリスや荏原恋歌に代わって『新三帝』の称号を得た女、神田和代。

 その行く手を阻もうとする者など誰もいなかった。


 彼女が怒りのオーラを放ちながら進むだけで並の能力者は委縮する。

 結局、学園正門まで三人は問題なくたどり着いた。


『駅は避けてこのまま住宅街に入っちゃいましょう。途中で仲間が迎えに来るハズだから』


 手の中でクマのぬいぐるみが喋る。

 ちえりの能力は『人形に意識を移す』というものだ。

 紗枝と同じく補助型のJOYだが、より潜入に役立ちそうな能力である。


 三人は正門を出てすぐ右に曲がった。

 学園近くの踏切の傍の交差点に男が立っている。


「そこのお三方、ちょっと待った」


 四天王最後の一人で生徒会唯一の男子生徒。

 緑髪のSHIP能力者、槍使いの速海駿也だった。


「そこをどいていただけるかしら?」


 速海と和代が睨み合う。

 どちらも相手に委縮する様子はない。

 今にも殺し合いが始まりそうなほど空気が張り詰める。


「……」

「……ふっ」


 道を譲ったのは速海だった。


「さすがに三対一では勝ち目がないと察したようですわね。賢明な判断ですわ」

「それもあるけど、あんたたちには少し期待してるんだ」


 紗枝は速海の意外な言葉に驚いた。

 彼もまた美樹と同じように赤坂綺に心酔している者と思っていたのだ。


「早く行け。今日はしばらく赤坂さんは帰ってこないけど、中途半端な逃げ方をしてたらすぐ追いつかれるぞ。あんたら三人がかりでもあの人には敵わないだろ」

「言われなくても彼女と戦うつもりはありませんわ」


 まずは和代が、そして千尋が速海の横を通り過ぎる。


「こっちの事は任せてくれ」


 紗枝が横を通ったとき、速海は小声でそう呟いた。

 思わず足を止めて彼の横顔を見る。


「速海さん、あなたは……」

「あんな人でも美紗子さんが大切にした人だからな」

「……っ、お願いしますっ!」


 紗枝は彼に学園の後を任せ、未練を断ち切るように前に進んだ。

 速足で先を行く和代たちを追いかけて。

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