7 全力の対決

 振り下ろされた≪无覇振動刀ブイブレード≫の刀身が和代に当たる直前で止まる。


「どうしました? そのまま振り抜けば、あなたの勝ちですわよ」


 千尋は動きを完全に停止させていた。

 汗のしたたる前髪越しに視線を交わし、千尋は和代に問いかける。


「……なんで、避けないの?」


 もう少し腕を前に出して振動を伝えれば和代の敗北は決する。

 確実な勝利を目前にしているのに、まるで千尋の方が追い詰められているように体を震わせていた。


「ううん、その前もだよ。なんであんな無茶な戦い方をしていたの? いくらDリングで守られてるからって、私の≪无覇振動刀ブイブレード≫頭に当たったらタダじゃ済まないって、わかってるよね?」

「つまりあなたは私に怪我をさせたくないから、今こうして手を止めていると仰る?」

「……っ、だって、和代さんは友だちだし」


 和代の≪楼燐回天鞭アールウィップ≫が消失する。

 正確に言えば彼女の手の中でジョイストーンに戻った。

 JOYを解除したのだ。


 会場内がざわめく中、和代は左手で≪无覇振動刀ブイブレード≫を掴んだ。

 掌とはいえ震動が伝われば致命的なダメージを受ける。

 しかし、そうはならなかった。

 千尋が震動を起こしていないからだ。


 乾いた音が響いた。

 和代が平手で千尋の頬を張った。


「ふざけないでください!」


 Dリングの守りの効果があるから痛みはない。

 だが、頬を打たれた千尋はショックに目を見開いた。


「友だちだから怪我をさせるのが嫌? ここはどこで、今はどんな時ですか。あなたは対戦相手である私を……そして貴重な時間を割いて見に来てくださっている皆さんを侮辱するつもりですか!?」


 これは安全に細心の注意を払っているスポーツ競技ではない。

 能力者同士の試合では万が一の事故だって起こりうる。


 しかし、和代はあえてそれを無視して言った。

 この激情は彼女の本心だった。


「……きっと、あなたはこんな事を考えているのでしょう。ある程度の互角の勝負をした後、適当な所で負けたフリをして私に勝ちを譲ろう……と」

「うっ……」

「わかっていますわ。この試合で負けたら私の評判は再び地に落ちる。もしかしたら生徒会長としての地位も失脚するかもしれません。それは夜の街にも悪影響を与え、ひいては水学の生徒たちの平和にも関わる問題です」

「わ、わかってるならっ!」

「ですがそれとこれとは別問題です。すべてを失うことを承知の上で試合に望んだのは私自身の意思。こうしてリングの上に立っている以上、あなたと私は対等な敵同士……そうではありませんか?」


 詭弁であることは自覚している。

 自分勝手な行為で周りを巻き込むことを許容してもらおうとも思っていない。


 常識的に考えれば千尋の考えは絶対に正しい。

 和代の失脚は美女学の混乱に、そして夜の治安悪化に繋がる可能性もある。

 先ほどの深川花子と本所市のように、あらかじめ落としどころを決めておくのが賢いやり方だろう。


 だが。


「学園の代表として選ばれた者が戦いの場で相手に情けをかけようなど、恥を知りなさい!」


 和代のあまりに自分勝手で、けれど激しくまっすぐな言葉が、少女の魂に火をつけた。


「……わかった」


 千尋は数歩後ろに下がった。

 両手で≪无覇振動刀ブイブレード≫の柄を握りしめ、剣道でいう正眼の構えを取る。

 伏せていた顔を上げた瞬間、突風のような熱気が彼女から巻き起こったような錯覚を覚えた。


 ありったけの気迫を込めて、千尋は吠えた。


「うおおおおっ!」


 女子高生とは思えない、本物のサムライを前にしたような緊張感。

 対戦相手の本気を感じ取った和代はニヤリと笑った。


「そうですわ! それでこそ千尋さんです!」


 和代の手に再び≪楼燐回天鞭アールウィップ≫が現出する。

 ここから先は一切の遠慮は無しだ。


 本気で火がついた二人の女戦士による全力の戦いが始まる。


「さあ、第二ラウンドの開始ですわ!」




   ※


「やあ!」


 千尋が剣を振り下ろす。

 丸みを帯びた剣が和代を襲う。


 速度は今までとそれほど違うわけでもない。

 能力の質が変わったわけでもない。


 なのに、さっきまでとはまるで違う威圧感。


 先ほどのように武器狙いで震動球を飛ばすような愚を和代は行わなかった。

 あれはさっきまでの千尋が機械的な動きで攻めて来ていたからできた芸当である。


 本気の相手の攻撃なんて簡単に受け止められるものではない。

 しくじればその時点で勝負は決する。


 だから代わりに、和代は相手の懐に飛び込んだ。

 予想外の行動に千尋の動きが鈍る。


「くっ……」


 和代は≪无覇振動刀ブイブレード≫を握る千尋の拳を肩で受け止めた。

 JOYにさえ当たらなければ一撃で倒れることはない。

 打撃の衝撃はDリングの防御で防ぎ切れる。


 顔を合わせるほどの密着距離。

 手首の微妙な返しで≪楼燐回天鞭アールウィップ≫を操作する。


 震動球が千尋の背中に触れた。

 瞬間、振動を送り込む。


「うっ!?」


 本気を出した千尋相手に遊び心を加える気も戦闘を楽しむつもりもない。

 こちらも本気の奇襲で一気に決着をつける。

 ……つもりだった。


「それが≪无覇振動刀ブイブレード≫の真の特性ですのね」


 振動球を背中に受けた千尋は苦痛に顔を歪めていた。

 だが、一撃必殺のはずのバイブレーションタイプの攻撃を受けても、彼女は倒れない。


 千尋は和代を左手で突き飛ばして距離を離す。

 それと同時に強くリングを蹴って攻め込んできた。


 和代は反射的に身をかがめて攻撃を避ける。

 頭上数センチの位置を丸い刀身が通り過ぎていく。

 震動なしでも骨の一本や二本へし折られそうな強烈な斬撃だ。


 和代も即座に反撃に転ずる。

 下から顎を狙って振動球を打ち上げる。

 紙一重のところで千尋は体を反らして攻撃をかわす。


 千尋が剣を振る。

 和代が避ける。


 死角から迎撃する。

 愚直に飛び込んでくる。


 結局は接近戦になるわけだが、緊張感はさっきと段違いである。

 両者から発せられる気迫はまるで歴戦の兵士のようだ。


 千尋の≪无覇振動刀ブイブレード≫の真の特性――

 それは過剰なほどの防御力アップである。


 千尋の体をよく見ると体が薄く発光していた。

 Dリングの防御を発動させた時にも似たような現象が起こる。

 だが、今の千尋の全身はそれよりも遙かに強い光に包まれている。


 水学の代表選手たちはみな以前の対校試合以来、たゆまぬ自己研鑽を続けてきた。

 生徒会長として生徒たちを守り続けてきた麻布美紗子。

 夜の一大勢力を築き上げた深川花子。

 そしてもちろん、千尋も。


 彼女は剣道部のエースとして『穏やかな剣士』の異名を得るほどの活躍をしてきた。

 しかし、単に部活に精を出していたとだけではない。


 彼女は自分の能力を知った上で、より効果的に己の力を引き出す術を研鑽していた。

 余剰エネルギーを防御力に変えてさらに接近戦を強化。

 それは実に彼女らしいアイディアだ。


 口で言うのは簡単だが、JOYの特性を伸ばすのは非常に難しいことである。

 だが、おかげで和代の攻撃は当たったとしても一撃必殺とはならない。


 ――さすがちーちゃん、心から尊敬しますわ。


 今が試合中でなければ、称賛の言葉をハッキリと口にしていただろう。

 限界まで研ぎ澄まされた和代の精神は千尋の動きから一瞬たりとも目を逸らさない。


 当たれば確実に一撃敗北。

 こちらの攻撃は当たっても耐えて反撃してくる。

 本気になった達人による攻撃を避け続けるには、揺るがぬ意思をもって戦いに臨むしかない。


 そして和代は見つけた。

 その瞬間を。


 震動球が千尋の腹部に突き刺さった。

 もちろんそれだけで千尋の動きは止まらない。

 強く押されながら高い防御力に任せて強引に突っ込んでくる。


 千尋は剣のリーチに入る直前で頭上高く武器を振り上げた。

 避けるのではなく、あくまで攻撃を受けながら正面から攻撃するつもりだ。

 このまま踏み込まれたら和代は逆に逃げ場を失い、まともに斬撃を受けることになる。


「うおおおおおおっ!」


 和代は普段なら決して口に出さないような咆哮を上げた。

 拳に力を込め≪楼燐回天鞭アールウィップ≫を握った手を震わせる。

 その動きに連動するように振動球がうねりを上げた。


「く……!」


 あと一歩のところで足を止めた千尋は剣を大上段に構えたまま衝撃に耐えた。

 あと一歩踏み込まれたら和代の敗北は確定する。

 築き上げた信頼を失う。


 それがどうした。


 そんなことよりも、千尋がこうして全力で応じてくれることがたまらなく嬉しい。


「――ありがとう」


 和代は小声で呟いた。

 直後、威力を増した≪楼燐回天鞭アールウィップ≫の振動球が千尋の体を大きく吹き飛ばした。

 そのまま千尋はリングを囲むロープを飛び越えて場外へと放り出される。


 和代は素早く振動球を手元に引き戻す。

 そして観客に対してパフォーマンスするように右手を大きく振って見せた。


「私の勝ちですわ!」


 一瞬の静寂の後、爆発のような歓声が競技場を包んだ。

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