第2話 クラス対抗バトル!
1 第一校舎
「起立」
赤坂綺(あかさかあや)の透き通るような声が教室に響いた。
四十名の生徒が彼女の言葉に従って立ちあがる。
「礼」
次の号令で全員が教卓に向け頭を下げる。
「着席」
「はい、おつかれさまでした」
国語担当の山村陽菜(やまむらひな)先生は満足そうに頷き、教本を片手に教室から退出した。
いつも通りのありふれた授業風景である。
星野空人が水瀬学園に入学してから一か月が経つ。
常識外れのマンモス校、偏った男女比率、若すぎる教師たち。
そして外の世界にはない特殊な授業。
最初こそ戸惑いもあったものの、今ではすっかりこの日常に慣れてしまっている。
敷地面積が広いため、ほとんどの授業では第十一校舎以外の生徒と触れ合う機会もない。
男子は数が少ないかわりにみな仲が良く、二十代の若い女教師たちも中学時代のベテラン教師や塾の講師よりもよっぽど教え方がうまい。
丁寧にわかりやすく、それでいて退屈しない授業。
勉強嫌いの空人でもしっかりと話に耳を傾けてしまうくらいだ。
午後の授業もHRが終わり、今日もあっという間に一日が過ぎ去った。
さて帰るかとカバンを背負ったところで、担任の
「内藤くん、悪いけどこの後ちょっとだけ残ってくれる?」
「今日は早く帰れって親から言われていまして」
他の生徒の例に漏れず、清次ももちろん親元を離れての一人暮らしである。
芳子は彼の冗談に取り合わずに話を進めた。
「ちょっと仕事を頼みたいの。あとで職員室まで来てね」
「待ってください、なんでオレに頼むんですか。委員長でもないし日直ですらないのに」
「うーん。なんとなく、目についたからかな」
「なんだよそれ。もしかしてオレのこと好きなのか?」
「もちろん大好きよお。気が向いたらいつでも襲っていいからね」
教師とは思えない返答に清次が頭を抱えていると、綺が遠慮がちに手を挙げた。
「あの先生、もしよければ私が手伝います。学級委員ですし」
「いいのいいの、面倒くさいことは男に任せておきなさい。それが女の甲斐性ってものよ。赤坂さんも、今のうちから便利な男の使い方を覚えておくといいわ」
「はあ……」
「というわけで、内藤くん。よろしくねー」
芳子は言いたいことだけ言うと、返事も聞かずにさっさと教室から出て行ってしまった。
「毎度のことながら芳子ちゃんだけはフリーダムだよな……まあ、たいした仕事じゃないだろうし、後で文句を言われるのも面倒だから、大人しく行ってくるか」
「ごめんね、内藤君」
「いやいや赤坂さんは悪くないって。芳子ちゃんが強引なのはいつものことだし、ちゃっちゃっと仕事を済ませてくるからさ。行こうぜ空人」
「は?」
帰り支度を整えていた空人は首をかしげた。
自分が一緒に手伝いに行く理由がさっぱりわからない。
「なんで僕が」
「あえて言うなら、なんとなく目についたからだな」
清次も人のことは言えないくらいフリーダムだと思う。
「帰る」
「待てって、友達だろ。それとも面倒な仕事を赤坂さんに押し付ける気か?」
「ぐっ」
それを言われると反論できない。
綺は自ら学級委員を引き受けるくらい責任感が強い。
清次が頼めば本当に引き受けてしまうだろう。
空人としては、自分が逃げたせいで彼女に仕事を押し付けるはめになるのだけは避けたいところだ。
「わかったよ。行けばいいんだろ」
「おお。心の友よ」
清次が大げさに手を開き、空人は思わず身を引いた。
綺が口元を抑えてかわいらしい笑い声を漏らす。
「内藤君と空人君って本当に仲がいいのね」
「よしてくれ。たんなる腐れ縁だよ」
急に真顔で否定する清次。
それはむしろこっちのセリフである。
「お前が言うな。腐れ縁っていうけど、まだ会ってから一か月しか経ってないだろ。ほら、さっさと行かないとまた芳子ちゃんにどやされるぞ」
そういう空人の口元もわずかにほころんでいる。
もちろん清次に親友扱いされたことを喜んでいるわけではない。
なんだかんだ言っても、綺が笑ってくれるのが嬉しいのだ。
「またね、内藤君。空人君」
「ああ。またな綺」
「赤坂さん、またねー」
※
第十一職員室でお茶をすすりながらくつろいでいた古河芳子から命じられた指令。
それは第一校舎にある生徒会室に書類を提出するという最重要任務だった。
「ちょっとまてよ。そのくらい芳子ちゃんが自分で行けばいいじゃんか」
「今日は中央校舎に寄らずにまっすぐ帰りたいのー。あと、古河せんせーって呼びなさーい」
水瀬学園では十八ある校舎ごとに職員室がある。
中でも『中央校舎』と呼ばれる第一校舎には最も大きな総合職員室が存在し、教員会議などもそこで行われている。
生徒会室は第一校舎の四階にあるので芳子先生にとっては軽く足を伸ばす程度の距離のはずだ。
しかし、いくら文句を言っても聞くわけがない。
「それを
「はいはいはいはい。わかったよ、わかりましたよ。芳子ちゃんのアフターファイブのためにオレたちは面倒なお使いを引き受けますよ」
「わかればよろしーい。それと私のことは古河せんせーと呼びなさい」
「ったく、とんだ災難だぜ」
小声で悪態をつく清次に、それに巻き込まれた僕はもっと災難だと言いたい空人であった。
※
水瀬学園はちょっとした町くらいはある広大な敷地面積を持つ。
第一校舎はそのほぼ中央に位置する巨大な建物である。
華美であり瀟洒。その威容は一見すると校舎というよりもお屋敷という方がふさわしい。
クラシックな両開きの木の扉を潜ると、中世の城に迷い込んだかと錯覚してしまう。
昇降口の時点でどこぞのダンスフロアかと見間違えるほどだ。
靴を脱いで来客用スリッパに履き替える。
廊下に敷かれた赤絨毯の上を歩いていると、ここが学校だということも忘れてしまいそうになる。
慣れた足取りでスタスタ先を行く清次。空人もその後を追う。
どうにも落ち着かない気分である。
第一校舎に足を踏み入れるのは入学して初めてだ。
話には聞いていたが、ここまでの別世界だとは思ってもいなかった。
「しかし、やっぱり奇麗だよなー」
「そうだな。学校の中とは思えないよ」
「じゃなくて赤坂さんだよ。あれは水瀬学園でも五本の指に入る美少女だぞ。オレが言うんだから間違いない。生徒会長といい勝負だぜ」
何がそんなに自信を持たせるのかわからないが、清次の言葉には全面的に賛成だった。
綺は奇麗だ。好きな人のことを褒められて空人も悪い気はしない。
「あんな美女と早速よろしくやれたんだから、空人も幸運だよな」
一瞬この前のことがバレているのかと思ってギクリとした。
なんのことはない、普段から彼女と仲良くしていることを茶化されているのだ。
「と、ところでさ、清次」
空人は話題を無理矢理話を変えることにした。
「なんだよ」
「ちょっとトイレに行きたいんだけど」
清次は振り向いて親指を立てた。
指し示す先にはどこの洋間かと思うような重々しい木造りの扉。
そこには黄金の立体文字で『toilet gentleman』と描かれた看板がかかっている。
「先に行ってるぞ。済ませたら四階に来いよ」
「なんだよ。待っててくれてもいいだろ」
「気持ち悪いな。オレはさっさと仕事を終わらせて帰りたいんだよ」
なら最初っから僕を誘うなと。
小声で文句を言って扉を開けると、トイレとは思えない大きな個室がいくつも並んでいた。
男性用のハズだが見慣れた縦長の陶器はどこにもない。
落ち着かない気分で用を足して廊下に戻ると、既に清次の姿はなかった。
このまま帰ってやろうかと思ったが、心細くて逃げだしたと思われるのは癪である。
空人は言われた通りに四階を目指した。
実を言うと、これだけ大きな学校の生徒を束ねる美人生徒会長とやらを一目見てみたいという気持ちもあるのだ。綺一筋とはいえ男として美人に興味はある。
階段を探してさまよっていると前方からダンボール箱が近づいてきた。
もちろんダンボールが勝手に動くわけはないので、誰かが運んでいるのだが……
その人物は二つ重ねられたダンボールに阻まれて足元しか見えない。
自分の背よりも高い荷物を運んでいるのだから、当然バランスも崩れる。
ぐらり。ダンボール箱が前のめりに傾く。
上に積まれた方がゆっくりと滑っていく。
「わ、わあっ」
かわいらしい女の子の声だった。
空人は急いで駆け寄り、滑り落ちる箱をキャッチ――
しようとするが、箱は意外に重かった。
腰を落として肩で荷物を支え、女の子が転ばないよう支えるので精いっぱいである。
「わわっ、ごめんなさいっ」
幸いにも女の子は転ばずに済んだが、箱がひとつ地面に落ちてしまった。
「けがはないっ?」
「いや。僕は大丈夫。それより、荷物落としちゃってごめん」
「ううん。割れ物とかじゃないから」
荷物を運んでいたのは中学生くらいの女の子だった。
空人はついその子に見とれてしまう。
可愛いという理由もあるが、その容姿はひどく人目を引いた。
髪の色が晴れた空のような透き通る水色なのだ。
眉毛までしっかり水色だが、顔形はどう見ても日本人である。
どちらかというとアニメキャラが現実に出てきたような印象だ。
制服を着ていないので、この学校の生徒ではないだろう。
ミニのスカートからのぞく足はやや肉付きが良い。
全体的にコンパクトにまとまった印象を受ける小柄な少女だ。
美少女と言って差し支えないだろうが、いかんせん幼い。
綺が大輪の花だとすれば彼女は花開く前のつぼみと言ったところか。我ながら例えが気持ち悪い。
「うわあ、やっぱり無理していっぺんに運ぶんじゃなかった!」
「もしよければ運ぶの手伝おうか?」
水色髪の女の子がぱあっと表情を輝かせる。
「いいのっ?」
「うん。一人じゃ大変だろ。どこまで運ぶの?」
「生徒会室横にある空き部屋までなんだけど、大丈夫?」
「ちょうどいいや。これから生徒会室に行こうと思ってたところなんだ」
空人は地面に落ちた荷物を抱え上げた。
ダンボールの箱はやはり見た目よりも重く、二つ重ねて運ぶのは辛いだろう。
「助かったよ、ありがとう」
空人はロリコンではないが、女の子にお礼を言われて悪い気はしない。
しかも探していた生徒会室まで案内してもらえるのだから助かったのはむしろこちらの方だ。
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