2 生徒会長、麻布美紗子

 第一校舎には教室の中を覗けるような窓はない。

 廊下には木造りの扉がいくつか並んでいるだけである。

 そのためプレートがなければ何の部屋だかわからないのだ。


 なんとか四階までたどり着き、真ん中くらいまで歩いたところで女の子は足を止めた。


「ここ。生徒会室は隣だよ」

「わかった、ええと」

「荷物はここに置いておいてくれればいいよ。手伝ってくれてどうもありがとうね」


 名前を聞こうとしたのだが、女の子は爪先で器用に扉を開けて部屋の中に入っていってしまった。

 仕方なく空人は自分の持っていたダンボールをその場に置いて生徒会室へ向かう。


 できればもう少し話をしてみたかったが仕方ない。

 別に下心があるわけでなく、あの不思議な髪の色について聞きたかったのだ。


 きらびやかな装飾が施された両開きの扉が重々しいまでに荘厳な雰囲気を醸し出している。

 清次はすでに中にいるのだろうか?

  ノックしていいものか迷っていると、中から扉が開いて清次が顔を出した。


「なにボーっと突っ立ってるんだよ、早く中に入れ」

「あ、ああ」




   ※


 誘われるまま部屋の中に入る。

 まず目についたのは部屋の奥一面ガラス張りの壁と、隙間から光を漏らす純白のカーテン。

 そして、備え付けられた巨大なデスクと左右に並ぶ長机だった。


 大げさでも何でもなく、生徒会室と言うよりはどこぞの大企業の社長室と言った方がしっくりくるような部屋である。そしてデスクの反対側、大きな黒革の椅子に腰かける少女がいた。


「こんにちは」


 水瀬学園の制服。胸元には二年生であることを示す赤色のリボン。

 長くつややかな黒髪を背に流し、白磁に桜を薄めて混ぜたような頬に柔和な笑みを湛える少女。

 思わず言葉を失うほどの美少女だった。


「はじめまして。生徒会長の麻布美紗子あざぶみさこです」

「あ、えっと、一年四十二組、星野空人です」

「好きな所に腰掛けてください。みんな出払っているので、なんのお構いもできませんが」


 麻布美紗子生徒会長は極上の笑顔でそう言った。

 なるほど、清次の言った通り綺と比べても全く見劣りしない。

 超がつくほどの美人である。


 この美しい人が総勢三万人に迫る水瀬学園生徒のリーダーなのである。

 本当ならお近づきになるのも難しい立場の人だ。

 ある意味これも役得だろうか、清次のお使いに付き合った甲斐はあった。


「さて」


 美紗子生徒会長は手にした書類をまとめると、机の上に置いて難しい顔をした。


「残念ですけど、これはちょっと許可を出せないですね」

「ええっ?」


 まさかの返答に驚く清次。

 そこで初めて空人は生徒会長が読んでいた書類が芳子先生から渡されたものであったことに気づく。


「なあ、あの書類はなんなんだ?」

「グラウンドの使用許可を求める書類だって」

「先生が生徒会に許可を求めるのか?」


 空人の質問に美紗子生徒会長が丁寧に答える。


「うちは生徒数が多い上にそれぞれの校舎ごとに授業単位が決められていますからね。施設の利用は生徒会が目を通した後で学園長に最終判断をお願いするんですよ」

「水瀬学園の生徒会は絶大な権力を持ってるからな。下手な教師より美紗子さんの方が発言力あるくらいだぜ」


 清次が美紗子生徒会長に聞こえないよう小声で耳打ちしてくる。


「でも、正直このシステムはどうかと思うんですよね。せっかく中央職員室ができたんだから施設の調整くらい先生方でやってくれればいいのに。現状では私たちに負担が多くって、最近は夜の見回りも忙しいっていうのに……」


 机に片肘をつき、綺麗な顔に疲れの色を滲ませる美紗子会長。

 一秒後にはハッとして元の表情に戻り、生徒会長としての威厳を取り繕おうとする。


「こほん、失礼。ともかくこの内容では許可は出せません。古河先生には企画を練り直して再提出をしてもらってください」

「そりゃ困りますよ。許可を取ってこないとオレが芳子ちゃんにボコボコにされちゃう」

「そう言われても、周りのクラスとの兼ね合いもありますからね」


 ゴネる清次。会長も凛として譲らない。

 と、空人の後ろのドアが控えめにノックされた。


「失礼します」


 会長の返事も待たずに入ってきたのは背の高い男子生徒だった。

 オールバックヘアの学生らしからぬ風貌の男で、空人たちと同じ学生服を来ていなければ教師か何かだと思っただろう。

 イケメンだが、かなり冷たい印象がある。


「グラウンドの使用許可をいただきたいのですが」

「あ、ごめんなさいね。先客がいるので少し待っていてもらえるかしら」

「早くしてもらえませんか。急いでいるんです」


 後から来て随分と偉そうなやつである。空人はムッとした。

 それは清次も同じみたいだったが、彼が何か文句を言う前に美紗子会長が口を開いた。


「えっと。一年四十三組の古大路こおおじ偉樹いさきさんですよね。原則としてアポイントなしの生徒はすべて来客順に応対させてもらっています。そちらの席に腰掛けてお待ちくださいね」

「ふん」


 古大路と呼ばれた長身男子はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 ズカズカと前に歩み出て生徒会長の机に書類を置き、壁際の椅子に腰かけて偉そうに足を組んだ。


「古大路って、まさかあの古大路家の御曹司かよ」

「知ってるのか清次?」


 隣のクラスの生徒らしいが空人には見覚えがない。

 一年生なのに生徒会長が名前を知っているくらいだし、ひょっとしたら有名人なのだろうか。


「知ってるも何も、古大路家はこの辺り一帯が開発される以前の大地主だぜ。孫が入学したって聞いてたけど隣のクラスだったのかよ」


 清次の声は聞こえているだろうが、古大路偉樹はちらりともこちらを見ようともしない。

 相手にする価値もないと思っているのだろうか。彼

 は美紗子会長を冷めた目で眺めている。


「目を通して許可を出すだけでしょう。そんなに時間が必要ですか?」


 美紗子生徒会長は仕方なさそうに古大路の置いた書類を手に取った。

 一通り目を通すと、彼女は目を閉じて大きく溜息を吐く。


「これは困ったわね。どちらも同じ日、同じ時間を希望ですか」

「無理なら却下してくれても構いませんよ。どうせくだらないお遊びだ」

「あっ、待ってください!」


 古大路偉樹はおもむろに立ち上がると、挨拶もせずに部屋からを出て行った。

 会長が呼び止めようとした時にはすでに古大路の姿は見えなくなっていた。


「なんだあいつ、感じ悪いやつだな」

「御曹司さまは庶民ごときに待たされるのがお嫌いなんだろ」


 空人と清次はそろって古大路の態度に不満を感じた。

 大地主の跡取りだか知らないが、あの態度はないだろう。

 絶対クラスに友だちとかいないタイプだ。


「まあ、彼がこの提案に賛同してないのはなんとなくわかりますけどね」

「あいつのクラスは何をやるつもりだったんですか」


 清次が会長に尋ねた。


「本当は教えちゃいけないから特別ですよ。ドロケイですって」

「ドロケイって、あの警察と泥棒にわかれてやる鬼ごっこみたいな遊び?」

「内容を読む限りそれで間違いないですね」

「うちのところではケイドロって呼んでたな」


 空人も会話に交じる。

 しかし高校生にもなってドロケイとは。

 四十三組は一体何を考えているのか……


「ところで会長。あっちを断ったなら、うちの方に許可をもらえないんですかね」

「あなた達のクラスはそもそも企画自体が良くないの。さすがに学園内でこんなイベントを認めるわけにはいきません」

「いったいどんな企画なんですか」


 空人が話に割り込むと会長は「え?」と不思議そうな顔をした。


「自分のクラスの企画内容を知らないの?」

「オレたちは芳子ちゃんにその書類を渡せって言われただけだし。そもそもグラウンドの使用許可嘆願書ってことも聞いてなかったです」

「古河先生は、もう……」


 美紗子生徒会長は額を抑えて首を振った。

 この人も芳子ちゃんのフリーダムさに頭を痛めているうちの一人なのかもしれない。


 彼女は黙って書類を差し戻す。

 それを受け取った清次は一読して顔色を変え、即座に書類を投げ捨てた。


「おい、なにするんだよ」


 文句を言いつつ書類を拾った空人は、そこに書かれていた文字を見て我が目を疑った。


『おっぱい祭り』


 気がついたら書類を地面に叩きつけていた。


「なんですかこれ」

「私が聞きたいですよ」


 芳子先生の考えていることが全く理解できない。

 企画についての内容はいろいろと詳しく書かれているが、タイトルを見ただけで中身にまで目を通す気力など欠片もわいてこない。

 よく会長はこれをレポート用紙三枚分も読んでくれたな。


「これは却下されても仕方ないと思います。すいませんでした」

「オレもそう思う。すいませんでした」

「わかってくれてうれしいわ」


 清次が書類を拾い上げ、二人して謝罪をして生徒会室から退出しようとした時。


「ちょっと待った!」


 少女の声が響いた。

 重々しいドアが外側から勢いよく開かれる。

 そこに立っていたのは、さっきの青色の髪の女の子だった。

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