3 留年の理由

 二日後の夜。

 空人がいつものように公園で訓練をしていると、ジャージにパーカーを羽織った格好のメガネ少女、小石川香織がやってきた。


「こんばんは。今夜もがんばってるね」


 にっこりと微笑んでジュースを差し出してくれる。

 空人はお礼を言ってありがたくそれを受取った。


 香織は近くのベンチに腰掛け、自分のジュースを開けて飲み始める。


「空人くんも少し休憩したら? いつも通りならもう二時間くらい動きっぱなしでしょ」

「あ、うん」


 夜中とはいえ夏場に動きまわれば汗もかく。

 空人は自分の体が臭わないか確認し、とりあえず大丈夫だと判断して彼女の隣に座った。


「ありがとう。いただきます」


 ジュースを飲みながらちらりと横を見る。

 香織と目が合うと、眼鏡越しの瞳を細めてニコニコと笑っていた。


 地味な印象ではあるが、よく見ればわりと可愛い。

 小柄でふっくらしていて小動物的な愛らしさがある。


「小石川さんの家はこの近くなんですか?」

「うん。そこの角を曲がったところ」

「ああ、だから僕がここで練習してたことを知ってたんですね」


 空人がここを練習場所に選んだのは、周りに人が住んでいる気配がなかったからである。

 だが、まさかそんな近くに同じ学校の生徒が住んでいたとは。

 観察力が足りない証拠であった。


「そうだ、こないだはごめんね? なんか私のせいで雰囲気悪くしちゃって」

「あ、いや……」


 別に空人は香織が悪かったとは思っていない。

 というか、あの気まずい空気は確実に清次のせいだろう。


「小石川さんは……」

「香織でいいよ」

「香織さんは、清次の知り合いなんですよね?」

「中学二年の時に同じクラスだったの。って言っても特別仲が良いわけじゃなかったけどね」


 どうしよう、聞いてもいいものだろうか。

 実を言うと空人はこの前から清次の過去が気になっている。

 しかし気にしないと言った手前、本人に直接聞くのはためらっている。


 昔の同級生ならそれとなく教えてくれるんじゃないかと期待したのだが、雰囲気から察するに香織もその時のことを気にしているようだ。

 無理に聞けば今度は香織に不快な思いをさせてしまうかもしれない。


 結局、空人は何も言いだすことができなかった。

 こういう時、自分が口下手だと実感する。

 黙ってジュースで喉を潤した。


「あのさ、空人君」


 わずかな沈黙の後で香織の方から話しかけてきた。


「はい、なんですか?」

「私のことさ、内藤君から聞いてると思うけど……」


 言われて空人は清次から預かっていた伝言を思い出した。


「あの、清次はぜんぜん気にしてないって言ってました!」

「え?」


 しまった、いきなりじゃ意味不明だったか。

 ええと……しかし何て言えばいいんだ?


 空人は彼女と清次の間の事情なんて知らない。

 だからどうフォローすべきかなんてわからない。

 ええい、いいから思いつくままに喋ってしまおう。


「あいつが本当だって言ったら、本気で言ってるに決まってますよ。二人にどんな過去があったかは知らないけど、あいつは人を恨み続けられるような器用なやつじゃないです。友人の僕が保証します」

「え? えっと、その」

「それでも香織さんが納得できないなら、明日にでもあいつを連れてきて本人の口から」

「ちょ、ちょっと待って。私はただ、敬語はやめて欲しいって言おうとしただけなんだけど……」


 あれ?


「留年してるから年上なんだけど、今は同級生だからって……あれ、もしかして聞いてない?」


 しまった、とんでもない早とちりをしてしまった。

 これじゃ香織が清次に恨まれるようなことをしたって言っているようなものだ。


「え、えっと、その……すいませ……ごめん」

「ううん、いいの。私の言い方も悪かったし」


 香織はベンチに後ろ手を着いて空を見上げた。

 二人の上空には今にも降り注ぎそうな星空が広がってる。


「内藤くんが私のことを恨んでないって、本当はわかってるんだ。彼は優しい人だからね。けどその優しさに甘えるのも申し訳ない気がしてね」


 やはり、二人の間には何か特別な過去があるのだろう。

 空を見上げる香織の目は星よりも遠くを見ているような気がした。

 憂いの混じった横顔は、さっきまでと違ってどこか大人びた印象を受ける。


「私ね、中学の時に肺の病気に罹ったの」

「肺の?」

「生死に関わるほどじゃないんだけど、どうしても長期間入院しなくちゃいけなくなって……半年くらいかな。それで、出席日収が足りなくて留年しちゃったの」

「今はもう大丈夫なの?」

「うん、すっかり健康。ちょっとだけ手術の痕が残っちゃったけどね」


 香織は胸のあたりに手を当てて苦笑いした。

 男として仕方ないとはいえ、控え目な膨らみに目が行ってしまう。


「入院した時は本当に大変だったんだよ。通学途中の道端で動けなくなっちゃって、その日に限って寝坊してたから、通学路には私の他に誰もいなくて」

「へえ……」

「そんな時、通りかかって私を病院まで運んでくれたのが内藤君だったの」


 あまりの激痛に立ちあがることさえできなかったと言う。

 そこにを校則違反のはずの原付に乗った清次が偶然通りかかったそうだ。


 当時は二人とも中学二年生。

 違法所有の原付に乗っているのが見つからないよう、清次はこっそり裏道を通っていたらしい。

 しかし、苦しんでいる香織を見かけた彼は迷わず彼女を後ろに乗せ、数キロ先の救急病院まで乗せて運んだそうだ。


「この街って公衆電話もないから救急車も呼べないじゃない? ボロボロ泣きながら痛いよ、痛いよーって叫んでいる私を、彼は大丈夫だから心配するなってずっと励ましてくれてね。誰にバレるのも構わずに大通りを走って、途中で外回りの先生に見つかっても無視して、本当に急いで病院まで運んでくれたんだ」

「あの清次がねえ……」


 意外そうに呟いてみる空人だったが、内心では納得もしていた。

 人助けなんてするガラじゃないように思えるが、彼が人一倍強い正義感を持っているのは空人もよく知っている。


「でも、そのせいでバイクの不法所持がバレて、一か月間の謹慎を受けちゃったんだって。彼はもともと出席日数がギリギリだったから、そのせいで……」

「あいつも留年しちゃったってわけか」

「私も先生に文句を言ったんだけどね。ルールはルールだから、特例を作ったら示しがつかないってさ。今は生徒会長をやってる麻布美紗子ちゃんとかも協力してくれたんだけど、結局ダメだったんだ」


 水瀬学園は校則に厳しいわけではないが、変な所で融通が聞かなかったりする。

 香織のいた学園中等部もそれは一緒だったらしい。


 ともかく、これで納得がいった。

 図らずも香織の口から聞くことになったが、清次が留年した理由をようやく知ることができた。


 香織が自分の責任だと感じているというのもわかる。

 その上で空人はハッキリと告げた。


「それ、香織さんはちっとも悪くないよ」

「え?」

「ルールはともかく、人助け自体は清次が自分の意思で行ったことじゃないか。あいつだって後悔なんてしてないよ。そもそも停学を食らったのは原付に乗っていた清次が悪い。出席日数が足りてなかったのも自業自得だし」


 早い話が元からリーチがかかっていたのである。

 たまたま香織の件があって最後のトドメになっただけだ。

 それでも、苦しんでいる香織を迷わず助けた清次は立派だと思う。


「……うん、ありがとう空人君」


 申し訳なさそうに香織が言う。

 空人の言葉をただの励ましだと思ったのだろうか。

 それともやはり彼女自身が納得できず、責任を感じずにはいられないのか。


 けど、これだけは言える。

 清次は間違いなく香織のことを少しも恨んでいない。

 今は気持ちの整理がつかなくても、これから少しずつわかってもらえばいいさ。


「というか案外清次のやつも喜んでるんじゃないか? 女の子の前で格好つけて、そうやって香織さんとも知り合いになれたんだし」

「あはは。それはないよ、だって内藤君には清子せいこさんが――っと」


 途中で香織は慌てて口を抑えた。

 清子? 聞いたことがない名前だが、いまの言い方は……


「それって、まさか」

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