最終話 始まりに続くエピローグ

1 手配犯

 ここはL.N.T.北部。

 菜井地区の外れにある植物園。

 草木をかき分けて歩く二人組の男の姿があった。


「いくらなんでもこんな所には隠れてないだろ」

「わかんねえぞ? 住宅街を一軒一軒しらみつぶしに探すよりは可能性あると思うぜ」

「暗くなったらこっちが危ないって。最近じゃ郊外にも能力者崩れの夜盗が出るっていうしよ」


 男たちは周りを注意深く観察しながら小声で会話をしている。

 何かを探しているというよりは、身を隠すため行動しているようにも見えた。


 すでに日は傾き、夕暮れ時が近づいていた。


「それでも街中よりはマシだろうが。どっちにせよ、生きて外に出たけりゃ手配犯を探し出してラバース社に売り込むしかねえんだ。今さらビクビクしたって仕方ねえよ」

「そうだけどよ……昼からずっと歩きっぱなしだし、いい加減に腹も減ったぜ」

「なら先に今夜の食料を調達するか。確か北口の近くに小さい個人経営の商店があったな」

「ちょっとでも残ってりゃいいけどな」

「よっぽどのバカじゃなきゃ看板しまってシャッターも締めてるよ。家に押し入って奪えばいいさ」


 男たちが小走りに去っていく。

 足音が遠ざかると、小石川香織は茂みから顔を出して周囲を確認した。


 彼らの他に人影はなかった。

 この隙に移動をしようと考えた時、かすかな音が聞こえた。

 羽虫が飛んでいるような、もしくは壊れかけた扇風機のような耳障りな音である。


 香織は茂みに隠れて音の出どころを探った。

 少し離れた所の空中にゴルフボール大の球体が浮かんでいる。

 体長の倍ある翅を持ち、高性能カメラを備えた、自立式遠隔監視装置だ。


 ミス・スプリングにその存在を聞かされるまでは気にも留めなかったが、今になって思えばなぜこんな目立つ物体に気付けなかったのだろう。


 カメラに移った景色はすべて研究所に送られデータとして処理されるらしい。

 ラバースは能力者を争わせながら、たくさんのあれを使って街中を観察していたのだ。


 もし、あのカメラに姿が映れば一巻の終わりだ。

 警報が鳴り、数分と待たず大勢の生徒たちに囲まれるだろう。




   ※


 香織たちは追われていた。


 ラバースは彼女たちを捕まえるよう街の住人に呼び掛けた。

 捕まえた者には望み通りの褒美を与えるという恩賞付きで。


 香織たちが古大路の死を目撃し、沙羅と戦ってからすでに二日が過ぎている。


 古大路偉樹、そして赤坂綺の死は大々的に公開された。

 今や自由派も平和派も完全に瓦解、拠り所を失った能力者たちは暴走を始めている。


 もはや人々をまとめ上げるに足る人物はいない。

 L.N.T.はほぼ全土に渡って完全に秩序が失われていた。

 到る所で暴動が起き、略奪、放火、殺人などが繰り返されている。


 そんな中でさらに奪い合いを誘発するような懸賞を出したのだから、混乱は留まるところを知らない。

 

 指名手配されたのは、小石川香織、神田和代、そしてミス・スプリングの三名である。

 香織は水瀬学園での顛末を詳しく知らないが、おそらくや空人や清次は命を落としたか、もしくは捕らえられてゾンビ人形にされてしまったのだろう。


 反ラバースの能力者で無事なのはこの三人だけなのだ。

 しばらく身を潜めていると、羽音が遠ざかっていく気配がした。

 香織はホッと息を吐き、そして隣で蹲っている神田和代に声をかける。


「カメラ、行ったみたい。今の内に移動しよう」


 とくに目指すところがあるわけではないが、夜を過ごすにはもう少しマシな場所があるはずだ。

 香織は共に逃亡者として行動する相方に言ったが、和代は膝に顔をうずめたまま返事をしない。


「和代さん?」

「先に行ってください」


 もう一度名を呼ぶと、ようやく蚊が鳴くようなか細い声が返ってきた。


「なに言ってるの、こんなところにいたら捕まっちゃうよ。さっきの人たちみたく、いつ欲に目がくらんだ生徒たちの手が伸びてくるかもわからないんだし」

「もう……いいです。捕まっても」


 和代は怯えるように頭を抱え震えていた。

 普段からは想像もできない弱気な声だ。


「どこに逃げても一緒です。もうおしまいなんですわ」


 香織は彼女の肩に手を触れようとした手を止めた。


「もう私は疲れてしまいました。お願いだから休ませてください……」


 命運をかけて行った作戦は失敗に終わった。

 香織もそうだが、和代もこれまでの戦いで大切な親友を失っている。

 特に彼女は大切な親友を、せめて苦しまずに逝けるようにと、自らの手で殺めてしまったのだ。


 今回の大敗北によって、なんとか保っていた緊張の糸が切れてしまったのだろう。


 彼女はずっと自分を責めていた。

 どれほど辛い思いを抱えているかは想像がつく。

 すべてを諦めたくなってしまうような絶望に浸る気持ちもわかる。


 しかし――


「和代さんっ」


 香織は和代の髪の毛を掴んで強引に顔を上げさせた。

 そして握りしめた拳で思いっきり頬を殴る。


「あぶーっ!?」


 和代の体が土の上に転がった。

 香織の手から髪の毛が数本ひらひらと落ちる。

 数秒の後、赤くなった頬を抑えながら和代は起き上がった。


「な、何をするんですの!?」

「ごめんなさい! 髪の毛を掴んだのはやり過ぎた!」

「殴ったことを謝ってください!」

「あやまらない!」


 ぐっと顔を近づける。

 和代は怯んだように身を引いた。


「弱気になってる和代さんなんてらしくない! そうやって元気よく怒ってる姿を見られたんだから、私が和代さんを殴ったのは正しい!」

「ぐっ……勝手なことを……」


 和代は頭を抑えて首を振り、呆れたように目を細めて息を吐いた。


「あなたがそんなに熱血な方だとは知りませんでしたわ」

「私は和代さんが諦めない強い人だって知ってたよ」

「……まあ、いいです。弱気になっていたのは認めますわ。活を入れてもらって感謝しています」


 和代は不満そうに言いながらポケットからジョイストーンを取り出し、≪楼燐回天鞭アールウィップ≫を具現化させた。


「えっ」


 まさか殴った仕返しに攻撃されるのか。

 そう思って香織は身構えた。


「景気づけの一発ですわ」


 和代が腕を振る。

 振動球が飛んでいた自立式遠隔監視カメラを強襲する。

 ここから離れようとしていたラバース社の監視装置は、あっという間に鉄くずに変わった。


「何やってるの!? それ壊したら私たちの居場所がバレちゃうじゃない!」

「姿が映っていないのだから正確な位置まではわからないはずですわ。それより、さっさと安全な場所に移動して作戦を練りましょう」

「……作戦?」

「もちろん、ラバース社に対して一矢報いる作戦ですわ」


 和代はすっかり立ち直っていた。

 ラバースによって青春を奪われ、仲間を奪われた。

 しかし、このまま自分の命まで奪われるのを待つつもりはない。


 なんとしてでも奴らに一泡吹かせてやりたい。

 だが、その手段がまだ思いつかない。


 簡単なことではないだろう。

 それでも、生きて復讐を果たさなければならない。

 それが彼女たちにできる、死んでいった友人に対する、唯一の餞なのだから。

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