8 ヘルサードの呪い
ラバース支社ビル二十六階の廊下を五人の男女が歩いている。
一番先頭を歩くのは豪龍爆太郎。
続く男女一組の生徒はそれぞれ手に鎖を握っている。
その鎖の先はヘルサードと荏原真夏がつけた首輪に繋がっていた。
十五階より上の階では、それぞれの階のフロアを端から端まで横切る必要がある。
二十七階に戻るためには主要メンバーの個室が並ぶ二十六階の廊下を横切らなくてはならない。
そこでふと、鎖に繋がれたヘルサードが足を止めた。
「もうこの辺でいいかな」
ヘルサードの首に繋がれた鎖を握っていた少女が慌てて振り返る。
「も、申し訳ありません。ただちに外しますのでっ」
「いや、自分でやるからいいよ」
そう言うと、ヘルサードはポケットから二つのジョイストーンを取り出した。
その片方を左手に握りしめ念を送る。
彼の自由を奪っていた手錠が音を立てて砕け散る。
同時に首輪と繋がっていた鎖も弾け飛んだ。
「おお……」
もう一人の男子生徒が感嘆の声を上げる。
それは美しさに目を奪われていたからに違いない。
女構成員や真夏は声も出ないほど彼に見とれていた。
透明な輝きを持つ翼――≪
この能力は使用者の身体能力を超強化する力がある。
また、透明な障壁を自動で展開し、敵の攻撃から身を守る盾ともなる。
もちろん空を自在に飛び回ることも可能だ。
赤坂綺の≪
自由を取り戻したヘルサードは右手に握りしめたもう一つのジョイストーンを発動する。
手の中で宝石が形を変え、東洋風の柄をもつ長剣へと姿を変えた。
目も冷めるような真っ白なJOY の名は≪
ヘルサードは白き刃を軽く振り、真夏の自由を奪っていた鎖を切り裂いた。
「ありがとうございますっ!」
真夏は満面の笑みを浮かべ、その場で平伏して感謝の意を伝える。
ヘルサードは苦笑しながらその姿を見降ろした。
「お礼はいいから、早く戻ろうよ」
「ありがとうございます、ありがとうございま……っ」
しかし真夏はなかなか顔を上げようとはしない。
感謝の気持ちに感極まり、止めどなく涙をこぼしている。
ヘルサードは豪龍の人質ではない。
豪龍がグループを率いてラバース支社ビルを占拠した後、友人たちを引き連れて自らの意思でここへやってきたのだ。
二十八階から上の階はヘルサードと仲間たちが住む部屋である。
彼らはそこで何不自由のない生活を送っていた。
ただし、外には豪龍を通して自分たちが人質にされたという情報を流している。
あえてそうしたのは彼の『計画』を遂行するのに都合がいいからだ。
そもそも豪龍の支配自体、彼ら運営の人間によって手引きされたところが大きい。
恋歌の前にわざわざ姿を現したのも、今の時点で邪魔をされては都合が悪いからだ。
「さて……あれ、涼花ちゃん、どうしたの?」
真夏を起こして上の階へ戻ろうとするヘルサード。
彼の前に首輪に繋いだ鎖を持っていた少女が立っていた。
「お願いがあります」
「なに?」
「私を殺してください」
唐突かつ物騒な要求であった。
ヘルサードは特に焦った様子もない。
彼女は言葉を続ける。
「たとえ命令とはいえ、貴方様に首輪に繋ぐという、あまりにも恐れ多い行為をしてしまいました。この非礼は死んでお詫びするしかありません」
「人質に見せかけるようお願いしたのは俺だよ」
「わかっています。崇高な貴方様の計画に私ごときを使ってもらえたことは嬉しく思います。ですが、それとこれとは話が違うのです。罰として殺していただかなければ気持ちが収まりません」
ヘルサードは目を伏せて小さく息を吐いた。
実をいえば、彼女を使うと決めた時からこうなることはわかっていた。
恋歌の力を削ぐため、仮面を外して素顔をさらしてしまったことが、さらなる追い打ちをかけた。
しかし、この役目は誰かにやってもらわなくてはならなかった。
ならばせめて彼女の心を満たしてあげよう。
「わかった。望み通りにしてあげるよ」
ヘルサードは≪
シンと空気が静まり返る中、涼花は本懐を遂げたような安らかな表情をしていた。
無造作に剣が振り下ろされる。
真っ白な刃が少女の若い体を縦に割った。
左右対称に分かれた肉片と血だまりだけが後に残る。
「さっすが、神器と呼ばれる最強クラスのJOYじゃのう。いや、真に恐るべきは女の心をそこまで狂わせたお前のSHIP能力の方かのぅ」
豪龍が大げさ手を叩きながら言った。
同性である彼にヘルサードのSHIP能力は効かない。
また、目の前で人が惨殺されたくらいで動揺するような男でもない。
「わけもわからぬまま駆り出され、こんな風に無残な死を迎えるとは……この女は、はたして幸せな人生だったんじゃろうかのう」
「……考えるまでもない」
「そうじゃのう。お前さんの能力は洗脳などという生易しいものじゃあない。相手の脳を狂わせ、本心からお前さんに服従するよう
豪龍の言う通りだ。
ヘルサードが持つ力は、あまりに強すぎる。
それは『呪い』と呼んでも差し支えないほどだった。
「彼女は他の誰よりも、幸せな人生だったに違いないよ」
自嘲を込めてヘルサードは少女だった二つの塊を見下ろしながら言う。
ヘルサードが手に入れてしまった能力。
その名は≪テンプテーション≫である。
彼の能力……いや、彼の存在は無条件に異性を惹きつけ虜にしてしまう。
俗っぽい言い方をすれば、一目見ただけで彼に恋をさせてしまう力だ。
ところが長く共にいれば恋心はさらに純度を高め、それはやがて崇拝となる。
そして、彼に服従することしか考えられない『人ではないモノ』になってしまう。
初めて力に目覚めたのは高校時代。
この能力は自分の意思による制御がきかなかった。
年を重ねるにつれ、段々とその力は強まる一方であった。
そしてついには先ほどの涼花のような狂気じみた崇拝者すら生み出してしまうほどになった。
こんな能力を持っていては、とてもではないがまともな生活は送れない。
ここ数年、彼は力を和らげるため素顔を隠す仮面をかぶっている。
L.N.T.では人前に姿を現すことも極端に避けていた。
人々にも自分の本当の名を呼ぶことを禁じた。
それが逆に彼を神格化し、思考と人格をさらに歪めていく。
「ところで≪
「最後まできっちりと協力してくれたらね」
繰り返しになるが、彼が支社ビルに居座っているのはとある計画を遂行するためだ。
豪龍組の圧政は機密を守るための絶好の盾である。
彼が暴虐な支配者として君臨している今、誰もここに近づくことはできない。
もっとも、豪龍からすれば命令に従っているつもりはないだろう。
あくまで利害が一致しているから互いに協力しているというスタンスである。
それでいいとヘルサードは思っていた。
時が満ちた暁には、豪龍に≪
おそらくJOYとしては最強クラスの攻撃力を有する武器であり、誇張なしに何でも斬れるが、計画が成った後には必要のないものだ。
逆にこれから支配を強めていく豪龍にとっては、喉から手が出るほど欲しい武器であろう。
神格化されたヘルサードのJOYを受け継いだとなれば、支配者としての正当性にも説得力がつく。
彼を含めた運営なき後の街を独力で支配するのも容易い。
豪龍に≪
「あと一週間は持ちこたえてくれよ。もう今回みたいなサポートはしないからな」
「わかっとるわ。あの荏原恋歌を退けた今となっては、もはや恐れるものなど何もないがのう」
それもそうだな、とヘルサードは思った。
豪龍が本気を出せば三帝と比べても遜色ないほどの力を持っている。
ヘルサードが人質になっている以上、女生徒のみで構成されている両生徒会は二の足を踏むだろう。
彼をどうにかするためにアリスが動くこともありえない。
もはや豪龍組を倒せる勢力は存在しない。
能力者たちが団結するには時間がなさすぎる。
「戻ろう、真夏」
「はいっ!」
ヘルサードが手を引くと、真夏は心から幸せそうな表情で彼の後ろを歩いた。
後にはこみあげてくる笑いを隠そうともしない豪龍と、涼花の死を目の当たりにしたきり、無表情を貫いていた男子生徒の二人だけが残された。
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