9 外から来た調停者

 水瀬学園第三校舎、学園長室にて。


「――報告は以上です」


 美紗子から同盟会議の結果と、その後の荏原恋歌によるラバース支社ビル襲撃の結末を聞かされたエイミーは、溜息が零れるのを抑えることができなかった。


「ありがとう。美紗子ちゃんもゆっくり休んでちょうだい」

「……はい」


 沈んだ気持ちが伝わってしまったか。

 美紗子の返事にも元気がなかった。


 もちろん、彼女に対して不満があるわけではない。

 美紗子は生徒会の中心として誰よりも一生懸命働いてくれている。

 学園長という立場にありながら何もできない自分に代わって心を砕いてくれている。

 自分の迂闊な態度をエイミーは反省した。


「ごめん、苦労ばっかりさせて。私がもっと動ければいいんだけど」

「いえ。エイミーさんが手を出せないのはわかっていますから」


 エイミーは立場上、たとえ無法者相手であっても生徒に手を出すわけにはいかない。

 水瀬学園の学園長であるエイミーが矢面に立って武力を行使しようものなら、彼女たちが取り戻そうとしている秩序ある学園という構想は、泡のように説得力を失ってしまう。


 あくまで治安維持という形でなくてはならない。

 それゆえ生徒会のバックアップくらいしかできることはない。

 ……という建前がある。


「ともかく、今日は帰って休んで。次にやるべきことはまた明日にでも考えましょう」

「はい」


 ねぎらいの言葉をかけると、美紗子は一礼して背を向けた。

 エイミーは彼女が退出するまでその背中を見つめていた。

 と、ドアに手をかけたところで美紗子の足が止まる。

 振り向いた彼女は心配そうな顔でこう言った。


「必ず……私たちが救ってみせます。だから……」

「ありがとう」


 エイミーが礼を言うと、もう一度ペコリと頭を下げて、今度こそ美紗子は退出していった。




   ※


 額縁の一つすらない学園長室の壁を眺めながら、エイミーは椅子に深く腰掛けてボーっとしていた。


 考えているのはもちろん最愛の恋人。

 ミイ=ヘルサードのことである。


 彼が豪龍組によって監禁されているという情報は事前に得ていた。

 荏原恋歌を救出した赤坂綺が彼の姿を目撃したことでそれは確実となった。


 情報によればヘルサードだけではなく彼の友人たち……

 学園創立に協力した真夏や清子らも一緒に捕らえられているらしい。


 なぜそのような事態になったかはわからない。

 ヘルサードが捕えられるなど信じられることではないのだ。

 たとえ豪龍がどのような工作をしていたとしても、彼が後れを取るなんてありえない。


 とはいえ音信不通になってから、三か月経っても何の音沙汰もない。

 やはり身動きが取れない状況に置かれているのだろう。


 そう思ったからこそ、エイミーの発案で戦十乙女ディスワルキリの同盟を呼びかけた。


 結果はもろくも失敗。

 先走って支社ビルに乗り込んだ荏原恋歌も敗北した。

 得たものと言えば、豪龍組の全戦力のうち十分の一を削ったという成果のみ。

 そして彼女を助けに突入した綺から伝えられた、真夏とヘルサードの目撃情報だけだ。


 戦十乙女の同盟には豪龍に対抗できるだけの戦力を集めると同時に、第二の支配者の出現を防ぐため互いを牽制をさせるという目的もあった。


 だが正直なところを言えば、誰か一人でも……例えば恋歌でもアリスでもいい。

 豪龍を倒してさえくれればそれでいいとエイミーは思っていた。


 秩序を取り戻す。

 それは確かに大事な目的である。

 しかしエイミーにとってはヘルサードの命より優先するものはない。

 できるなら今すぐにでも支社ビルに乗り込んで豪龍を倒し、彼のことを救い出したいと思う。


 けれど、それはできない。

 美紗子には秩序のためと言ったが本当は違う。


 実はエイミーは男性に対して逆らうことができない。

 老若を問わず男に暴力を振るうことが不可能なのだ。


 それは単なる性格によるものなどではない。

 魂の奥まで刻み込まれた絶対のルールである。


 例えば恋歌が豪龍を倒してそのままヘルサードを人質に支配者として君臨したと仮定しよう。

 その時、エイミーは迷わず動いて自らの手で恋歌を打倒しようとする。


 そして誰にも知られないうちに彼女を抹殺する。

 治安の回復なんて些事はその後で考える。


 ヘルサードが捕らえられていることは美紗子以外には伝えていない。

 同盟が成立するまでは彼女に硬く口止めを指示してあった。

 今回の突入で赤坂綺が知ることとなったが、彼女にも同じように言ってある。


 彼を助けるためならば悪人の謗りも甘んじて受け入れる覚悟はある。

 誰よりもヘルサードと長く付き合い≪テンプテーション≫の効果を強く受けているエイミー。

 彼女はすでに『人ではないモノ』になっている。


 だが、誰が彼女を責められるだろうか。

 洗脳でも精神操作でもましてや狂気の類でもない。

 それは純粋な恋心であり、無償の愛と言い換えてもいい。


 心などという曖昧なものではない。

 真に感情を司る器官、脳そのものを書き換えられてしまっているのだから。


「はぁ……本当に、どうしようかなぁ」


 同盟に失敗した今、次の作戦を考える必要がある。

 だがいくら考えてもいまのエイミーにできることはない。


 こうしている間も彼が苦しんでいると思えば気が気じゃない。

 恋歌が敗北したという事実はすぐに街中に伝わるだろう。

 反抗している者たちも活動を止めるかもしれない。


 ヘルサードが捕らえられている事もいつまでも隠し続けられるわけじゃない。

 豪龍の支配がこのまま続いても、街の治安が戻らなくても構わない。

 せめてヘルサードだけでも誰かが救出してくれれば――


 そんな無責任な祈りを捧げていると、誰かが部屋のドアをノックした。


「どうぞ」


 天井を見上げながら声をかけた。

 重たげな音がしてドアが開く。

 エイミーはそちらを見なかった。

 たとえ誰が来たところで、この悩みを解決してくれるとは思わなかったからだ。


 しばらく無視を続けていたが、入ってきた人物はいつまで経っても何も喋ろうとはしない。

 さすがに失礼かと思って視線を向けたエイミーは、最初そこに鏡が置いてあるのかと思った。


「久しぶりだね。お母さんのお葬式以来だっけ」

「え、どうしてここに……?」


 失意の学園長の前に現れたのは、まるで鏡に映したようにエイミーとそっくりな少女だった。

 違う点はやや外見年齢が若いことと、髪型がツーサイドアップであること。

 目の覚めるような水色の髪色は一緒である。


「噂を聞いて心配になってね。力になれないかなと思って」


 それはエイミーの『妹』

 ルシール=レインと言う名の少女が腰に手を当てて微笑んでいた。

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