9 空人たちの戦い
香織の一撃を受けたアリスは倒れたまま動かなくなった。
≪
荏原恋歌に続き、かつての三帝の一角が崩れた。
ただし今回は香織一人による勝利ではない。
アリスを上回る反応速度と絶対的な防御力で追い詰めたミス・スプリング。
トドメに一撃必殺の≪
そして二人に対して言葉で完璧なサポートを行った星野空人。
一人の力はアリスに及ばなくても、三人は見事な連携で爆撃高校旧校舎の悪帝を上回ったのだ。
「さて、どうするか……」
倒れたアリスを前に空人が呟く。
≪
加えてアリスはこの後も長期間に渡ってJOYを使うことができない体になったはずだ。
普通の能力者が相手ならこの時点で完全に無力化したも同然である。
だが驚異的なナイフ格闘術を持つアリスは安心できない。
能力なんてなくても恐ろしい女なのだ。
「とどめを刺すべきだと思うけど?」
そう主張するのはミス・スプリングだった。
彼女の眼には怒りも覚悟も、狂気の色すら浮かんでいない。
ただ、そうするのが当然だというようにアリスの息の根を止めることを主張した。
「……殺す必要はないんじゃないかな。武器だけ奪って放っておけばいいと思う」
それに反対したのは香織だった。
アリスの恐ろしさは彼女もよくわかっている。
ただ、どんな凶悪な人であっても殺すべきではないと思っているのだ。
そしてなにより、敵でも味方でもこれ以上人が死ぬのを見るのは嫌だと感じている。
ミス・スプリングは反論をしなかった。
香織の方を見ようともせず、空人にちらりと目くばせする。
「どっちも一理あるけど、迷っている時間はない。武器だけ奪って放っておこう」
どこからか人の声と複数の足音が聞こえてくる。
香織の逃走に気づいて追ってきた平和派の人間だろうか。
こんな場所でモタモタしていては気づかれるのも時間の問題だろう。
「わかった。空人くんの言うとおりにするね」
にっこりと微笑んでミス・スプリングがアリスに近づく。
倒れてもなお握ったままのナイフを手から奪おうとした瞬間。
「――さわるな」
「痛っ!」
突如、アリスは目を覚ました。
ナイフが閃く。
ミス・スプリングが腕を斬られた。
空人と香織は小さく声を上げ、即座に身構える。
「そ、そんな、ありえない……!」
≪
荏原恋歌ですら一両日は目覚めることもなかったのに。
「つばさ……パパのつばさは、誰にも渡さない……」
しかしアリスは俯いたまま体を起こさない。
うわごとのように呟くだけである。
気力か、はたまた執念か。
意識を覚醒させただけでも驚くべきことだが、それ以上は何もできないようだ。
「やっぱりトドメを刺しておこうよ」
ナイフで腕を斬られたミス・スプリングが一番落ち着いている。
さっきと同じく、たいした感情も込めない平坦な目でアリスを見ている。
「ダメだ、追手が来る。すぐに逃げなきゃ大勢に囲まれることになるぞ」
「わかった。空人くんの言うとおりにするね」
結局、三人は走ってその場から離れた。
住宅街の中では何度かランダム方向転換を行う。
幸い一度も自由派の追っ手に出くわすことはなかった。
最後尾を走る香織は、安全なところにたどり着くまで、何度も後ろを振り返ってアリスの追撃に備えていた。
※
「香織さん!」
「千尋ちゃん!」
自分と同じように水瀬学園から脱出した千尋たちと合流。
二人は声を上げて再会を喜び合った。
香織と千尋は中学時代からの友人でもある。
敵対する陣営に属しながら一度も争うことなく再開できたのは僥倖だったと言えるだろう。
香織も千尋もここに来るまでいろんなものを失った。
そして、それは二人だけの問題ではない。
「再会を喜ぶのは結構ですが、これからのことを考えた方が良いのではなくて?」
抱き合う二人をおもしろくなさそうに見て文句を言ったのは神田和代だ。
元美女学生徒会長で香織たちと同様に最初期の能力者の一人である。
高い実力とカリスマ性を持つ彼女が味方にいるのは非常に心強い。
だが彼女はまだどこか香織を警戒しているようだ。
「弦架地区は生徒会に占領されちまってたな」
内藤清次が悔しそうに呟いた。
彼は空人と同じく水学から逃げる仲間たちのサポートを引き受けてくれた。
もっともこちらの三人はほとんど自力で逃げ出したため、合流の手引きくらいしかしていないのだが。
本当なら北部自警団のホームであった弦架地区に集合する予定だった。
ところが赤坂綺による電撃作戦を受け、あっという間に地区ごと制圧されてしまったのだ。
仕方なく彼らはさらに北東へと逃げ、人の住んでいない山際の空き地でようやく集合を果たした。
「仕方ないですよ、逃げられただけで幸運と思わないと」
「そうそう。一時はどうなるかと思ったけど、空人さんも清次さんもしっかり立ち上がってくれたし、これからは私たちが反撃する番だって!」
明るい調子の麻布紗枝と江戸川ちえりの下級生コンビ。
彼女たちもこの数カ月の間に大切なものを失っている。
それはきっと掛け替えのないもの。
自分の命よりも重いもの。
それでも皆、諦めることなく戦い続けた。
狂気に捉われたそれぞれの陣営から抜け出して。
今、自らの手で真実の平和と自由を掴もうとしている。
「みんな、聞いてくれ」
全員の顔を見回し、空人は言葉を発する。
隣には変わらぬ笑顔のミス・スプリングがいる。
「このL.N.T.は狂ってしまった。生徒会も、古大路のフリーダムゲイナーズも、たくさんの血を流し過ぎたせいで正常な思考ができなくなってしまっている」
拳の中のジョイストーンを握りしめる。
空人の瞳に迷いはない。
「僕たちが戦うべき敵は一体何なんだ? 偏った考えで自由を束縛する生徒会? 独善的なやり方で平和を乱すフリーダムゲイナーズ? どちらも違うはずだ。自由派も平和派も、どちらも街のおかしな空気の中で暴走しているんだ。僕たちが戦うべき相手。それは今もこの街のどこかで生徒同士の殺し合いを演出して、のうのうと観察をしているラバース社の人間たちだ」
空人の演説に神田和代が口を挟む。
「そんなことはわかっていますわ。けど、実際に暴れているのは生徒会とフリーダムゲイナーズでしょう。彼らを止めないことには平和も自由もありませんわ」
「その通りだ神田さん。僕たちはラバース社の陰謀を阻止すると同時に、生徒同士のいがみ合いも止めなきゃならない」
打倒ラバースを語るだけならフリーダムゲイナーズと一緒。
それができないから結局、彼らは目の前の敵と争うことしかしなかった。
「言うだけなら簡単ですけどね。私たちだけでどうやって運営に挑むと言うのですか? 古大路ですら奴らの居所は知らないのですよ。結局、彼らと繋がっていると目される赤坂綺を縛り上げるしか……」
「ラバース社の人たちが潜んでる場所ならわかっているよ」
ミス・スプリングが透き通るような声で発言した。
声量は小さいのに何故かよく通る不思議な声だ。
「なんですって? いったいどうやって……」
「詳しい説明は後でするけど、反撃の道筋は立ってるんだ。生徒会やフリーダムゲイナーズを止める手段も考えてある。ただ、それを実行するには僕たちだけじゃ戦力が足りないんだ。僕に従ってくれとは言わない、この街の未来のために力を貸してくれ」
空人が握りしめた拳を突き出す。
最初に手を添えたのは香織だった。
「みずくさいな。いまさら難しいこと言わなくても、私たちは空人君を信じてるよ」
「私も」
続けて千尋が。
「この手は何も生み出せないかもしれないけど、未来を切り開くため剣を振ることはできる。最後にここに辿り着いたのも何かの縁だ。存分に私の力を使ってよ」
さらに紗枝も。
そしてちえりも。
「お姉ちゃんの仇を討つには、生徒会にいてもフリーダムゲイナーズにいてもダメなんだ」
「やってやろうよ。みんなが力を合わせれば、きっと自由で平和な世界が戻ってくる!」
「これまでに失ったものは大きいけど――」
清次も。
「これ以上は何も奪わせない。今度はオレたちの方から仕掛けなきゃな」
「……ふん」
和代も。
「力を合わせるのが大切なことくらいわかってますわ。あなた方を信頼できるかどうかは、これから行動を共にする中で見極めます。私のような高貴な人間の協力を得られることをありがたく思いなさい」
照れているのか頬を染めてそっぽを向いているが、添えられた手から彼女の情熱は確かに伝わった。
「私は空人くんのためならどこまでも」
最後に、絶えず笑顔を崩さないミス・スプリングも。
無名だった空人の下に、これだけの人が集まってくれた。
それは決して空人自身の人望じゃないけれど、友が友を呼び、今こうして手を取り合っている。
彼らが選んだのは争いを終わらせるための戦いの道。
きっと他の何よりも困難な道になるだろう。
だが迷うことはない。
この八人だけがL.T.N.の狂気の外にいるのだから。
自分たちしかできないのなら、精いっぱいの気持ちでやるしかない。
真の平和と自由を掴むため。
空人たちの戦いが始まろうとしていた。
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