8 退屈な日常

 アリスが赤坂綺と闘ったという噂は瞬く間にL.N.T.中を駆け巡った。

 噂の内容としては主に、


「旧校舎の主アリスと互角に戦って生き延びた一年生がいる」


 という、赤坂綺の実力を評価するものだった。

 その一年生が荏原恋歌を倒した水学の生徒会役員ならば話題性はなおさらだ。

 中には「アリスや荏原恋歌が恐れていたほどではなかった」と囁く人間もいたりする。


 旧校舎の生徒たちも不安半分、興味半分に噂話に夢中になっていた。

 アリスが翼の女の噂を聞いて出ていった理由を深読みする者もいる。


 あのアリスが戦った相手を仕留め損なった。

 そんな話はこれまでに聞いたことがない。


 ちなみにアリスが帰りがけに殺した男たちのことは話題の端にも上がらなかった。


 当のアリスは噂話など欠片ほども気にしていない。

 いつものように視聴覚室でひとりゲームに興じていた。

 他人の評価なんかどうでもいいし、邪魔なら排除するだけだ。


 もし万が一アリスが機嫌を悪くしており、逆鱗に触れたら……

 そのようになるのを恐れてか、昨晩の事を尋ねてくる生徒は誰もいなかった。

 しかし、どこの世界にも噂を鵜呑みにして浅はかな行動を起こすバカな人間はいるものだ。


「あ、アリスさん! 男子のやつらが数人、旧校舎の前に――」


 アリスは溜息を吐き、パソコンの電源を落として立ち上がる。




   ※


「オラァ、女子ども! 旧校舎に寄生していい気になるのも今日までだァ!」

「さっさと出て来いアリスぅ! 今日からテメエは男子専用の便所にしてやるからよぉ!」


 下品な声が一階の廊下にまで響いている。

 アリスは昇降口に姿を現した。


 武装して下駄箱の影に隠れていた女子たちが一様に安堵の表情を浮かべる。


「アリスさん、あいつら――」

「いい」


 アリスは話しかけてきた女生徒の言葉を遮って一人で校舎から出た。


「お、姿を現したな!」


 旧校舎の前に陣取っているのは十数人の爆撃高校男子生徒。

 ひとりが鉄パイプを肩に担いで前に出る。


「お前がアリスかよ。実際に見るのは初めてだが、やっぱ噂ってやつはアテにならねえな」


 アリスは男の喋りに付き合わず黙って彼に近づいていく。


「今からお前をボロ雑巾にするチームの名前を教えてやる。一年生を中心に結成された『アングリータイガー』だ。そして俺がリーダーの――」


 最後まで言葉を言わせることはなかった。

 アリスはカッターで男の胸を一突きにする。


「あ、あれ……?」


 自己紹介すら果たせなかった男は、自分の胸に突き立つ刃を間抜けな顔で見下ろしていた。

 やがて力を失って崩れ落ち、刃が抜けた傷口からは盛大に血が噴出する。

 倒れた男の体はビクビクと痙攣を続けていた。


 攻撃に対する警戒どころかDリングで防御さえしていない。

 油断というにもあまりにお粗末だ。


「ううあ、ううぉ……ぐぼぁっ!」


 足もとでうめく男の傷口を踏みつけ、アリスは他のメンバーを見回した。

 おそらくは能力者であったリーダーだけが頼りだったのだろう。

 残りの男たちは目に見えて狼狽えるばかりである。


「お、おい。そりゃいくらなんでもやり過ぎじゃ……」


 抗議しようとした男に視線を向ける。

 睨んだつもりもないが、男はそれだけで言葉を失った。


 アリスはさらに足元の男の傷口をグリグリと踏みにじる。


「ぎゃぁ――」


 消え入りそうな叫び声が校庭に響いた。

 残りのメンバーたちは顔を青くする。


「な、なあ。俺たちが悪かったよ。もう二度と手は出さないって誓うからさ、リーダーの手当てをさせてくれよ、な?」

「まって。もう少しで覚えられる」

「あ? 何をだよ」


 アリスの不可解な言動に男が短い言葉で聞き返す。


「全員の顔」


 もうこんなバカなことをしない様に。

 どこに逃げても狩ってやる。


「ひっ――」


 アリスの言葉の意図を理解した後ろの男が短い悲鳴をあげて一目散に逃げ出した。

 一人が逃げると残りののメンバーも蜘蛛の子を散らすように去っていく。


 あまりに冷徹なアリス。

 誰もが次は自分が殺されると悟ったのだ。

 リーダーに恩や情はあったとしても、誰だって死ぬのは嫌だ。


 アリスは追う気はなかった。

 顔を覚えたというのも嘘。

 面倒だが、来たらまた追い払えばいい。


 自分に手を出せば話は別だが、そうでないのなら旧校舎に近寄らなければ構わない。


「た、助けて……」


 残ったのはアリスの足元で涙を流しながら許しを乞うリーダーの男のみ。

 治療してやる気も、仲間の元に送り届けてやるつもりもない。

 放置しておけばそのうち死ぬだろう。


 しかし、いつまでも旧校舎の前で呻かれていては耳障りである。

 アリスはしゃがみこんで男の首筋にナイフを当てた。


「ぐげっ」


 飛び散る血しぶきを体に浴びながら慣れ親しんだ感触を味わう。

 それ以外、アリスは特に何も感じなかった。




   ※


 その日の夜、中央にて。


「ゆ、許してくれ。正志のやつもあんたの顔を知らなかっただけなんだ。二度とこんなことは起きないよう、他のやつらにはちゃんと教育しておくから……」


 怯える男たちを見据えながらアリスは立っていた。

 その手に握られたナイフにはべったりと血が付着している。

 たった今始末したばかりの男の臓器が先端に引っかかっていた。


 昨晩、アリスに絡んできた男が所属している『バニシングトラップ』の本拠地のバーである。

 ちなみに絡んできた下っ端の男はすでに物言わぬ骸となって壁際に転がっていた。


「正志は死んだんだ。もう気は済んだだろう。俺たちは何の関係もない。あんたの恐さは十分にわかってるよ。だから……」


 リーダーらしい男がうずくまって土下座しながら懇願する。

 よほどアリスが怖いのだろうか、仲間たちの前だというのに恥も外聞もない。

 彼に続いて、他のメンバーたちも我先にと地面に頭を打ち付けて許しを乞い始める。


 醜い光景だった。

 アリスは別に謝罪を求めているわけではない。


 昨日の男は許可を得ずにアリスの体に触れた。

 だから殺しただけだ。


 この体に触れて良いのはパパだけ。

 それ以外の男が触れるのは、死に値する罪である。


 彼らの命なんてどうでもいい。

 連帯責任を取らせるほど怒りも感じていない。


 だから、これはただの気まぐれ。

 アリスは男たちに背を向けて入口のドアから出て行った。

 ドアを閉める直前、部屋の中を振り返り、安堵した男たちにむけて電撃を放った。


「うっぎゃあああああああっ!」


 男たちの絶叫を無視してアリスはドアを閉めた。

 Dリングで防御していれば運よく助かった人間もいるだろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。


 パパのいない世界は、アリスにとって退屈以外の何物でもないのだ。

 夜の中央、悪童たちがうごめく街を、無人の野を行くよう歩きながらアリスは空を見上げた。


 その眼に映るのは満天の星。

 美しい夜空もアリスの興味を引くことはない。

 すぐに視線を前方へ戻していつものねぐらに戻る。


 今日もまた、退屈な一日が終わる。

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