2 テロ対策本部

 ミイ=ヘルサード。

 異性の心を強く惑わせるSHIP能力の持ち主。

 彼が姿を現しただけで、この場の全員が抗いがたい衝動に囚われてしまう。


 誰もが声を出せない。

 身動きも取れない。


 彼の姿を見て平静でいられる女性はいない。

 どれほど強く己を律することができる者だって関係ない。

 その姿を一目見た瞬間、強制的に恋する乙女にさせられてしまう。

 能力による影響だと知識でわかっていても抗えない。


 ヘルサードがテーブルの末席に腰掛ける。

 役員たちは完全に固まってしまっていた。


 しかし、今は非常事態である。

 美紗子は内面の動揺を堪え、可能な限り落ち着きながら尋ねた。


「さ、先ほどの言葉は、どういう意味でしょうか?」


 それでも声がうわずってしまうのは止められない。

 綺という恋人がいるとはいえ、彼の存在はそれとは全く別なのだ。


 かつての甘い記憶が甦る。

 崩壊しそうな理性を美紗子は何とか気力で押し止めた。


「実はね、彼らの条件を一部飲もうと思っているんだ」


 予想外の言葉に固まっていた役員たちが再びざわつき始める。


「そんな……」

「ジョイストーンの存在を世間に公表したらどんな混乱があるか……」

「静かに! 最後までミイさんの話を聞きましょう!」


 ジョイストーンの秘密が外の世界に漏れれば混乱は必死。

 L.N.T.の存続は危ぶまれ、ラバースにも重大な損害があり得る。


 どんな大企業や権力者であっても世論を敵に回せば次第に力を失っていく。

 そんなことはヘルサードもわかっているはずだ。


 普通に考えれば街のトップの一人である彼だからこそ反対するに決まってる。

 ともすれば「人質を犠牲にしても強行突入しろ」くらいは言われると思っていたのだが……


 ヘルサードがテーブルの上に置いてあった紅茶を一口啜った。

 仮面の口元が開いて隙間から見えた彼の唇が動く。

 美紗子は思わず内股をすりあわせた。


「ジョイストーンの公表はもちろん、L.N.T.の出入りも一切認めない。認めるのは第三の条件だ」


 第三の条件は『能力付与済みのジョイストーン一〇〇個を差し出せ』というものだ。

 確かにこの条件に限って言えばL.N.T.の存続にはあまり関係がない。


「あえて可能なところを譲歩することで、交渉を長引かせようということですか?」

「まあ、そういうことだね」


 テロリストたちが一体何を考えてこんな要求を出したのはわからない。

 街の解放という目的からは明らかにかけ離れた要求だ。

 この項目からは彼らの私欲が垣間見える。


「一〇〇個もの能力付与済のジョイストーンを工面できるのでしょうか?」

「すぐにでも用意できるよ」

「どうやって――」


 尋ねようとして、美紗子は言葉を飲み込んだ。

 ヘルサードが言わんとしていることに気付いてしまったのだ。


「質問を撤回します。申し訳ありませんでした」

「いや、いいんだよ」


 原石ならともかく、能力付与済のジョイストーンは大量生産などできない。

 能力を付与するためには必ず人間から力を引き出す必要があるのだ。


 ジョイストーンはL.N.T.に住む生徒にとって半身も同然。

 手放すことを承知する生徒は少ないだろう。


 ならば、答えは簡単だ。

 すでに能力が付与され、持ち主のいないジョイストーン。

『転校』したとされる死亡した生徒のジョイストーンの大半は今も運営が保管していると聞く。


「話を続けるよ。もちろん、ただで渡すだけじゃない。受け渡し役と称して向こうにひとりスパイを送り込もうと思っている」

「スパイ……ですか?」

「内部から人質に脱走を促すためのね」

「ああ、なるほど」


 それは良いアイディアである。

 とにかく人質さえ救い出せば、あとはどうにでもなるだろう。


 誰かにとっての形見であるジョイストーンを差し出すことに引っかかりを覚えないでもないが、それもテロさえ鎮圧できればすぐに取り戻せるだろう。


「では、その役目は私にお任せください」


 当然、美紗子は自分が指名されるものと思っていた。

 危険な任務だが、SHIP能力者である自分なら彼らに後れを取ることはない。


 しかし、ヘルサードは首を横に振った。


「名の知れたSHIP能力者である君を彼らは人質にしないよ。当然、警戒するだろうからね」


 言われてみればその通りか。

 わかりやすい強敵を内部に招き入れるバカはいない。


「そうなると、テロリストに警戒されずにスパイ任務を遂行できる人間なんて……」

「ここにいるだろう? 学生たちはほとんど誰もその力を知らず、かつ人質として大きな価値を持っている人物が」

「……まさか」


 危険な役目を任されるほどの能力を持ち、さらにそれを一般には知られてなくて、人質としての価値も高い人物といえば――


「エイミー、行けるか?」


 全員の視線がエイミー=レイン学園長に注がれた。

 黙って話を聞いていた彼女の横顔を見て美紗子は息を飲んだ。


 彼女に動揺は見られないが、心中は察するにあまりある。


 先日の人質交換に続き、またしても大切な人の手で危険な場所に送り込まれるのだ。

 提案した相手がヘルサードじゃなければ美紗子が代わりに文句の一つでも言いたいところである。


「……わかったよ」


 ヘルサードと視線を交わらせ、彼女はフッと笑った。


「学園の生徒たちはみんな私の子どもみたいなものだしね。私が頑張らなきゃしょうがないでしょ」

「悪いな、頼むぞ」

「いいってば。それより、人質を開放できてもテロを制圧できなきゃ意味ないよ? 武装した相手に立ち向かうための方法は考えてあるの?」

「それに関しては私から話そう」


 別の声がドアの向こうから聞こえた。


「しゃ、社長!?」


 誰かが素っ頓狂な声を上げた。

 ヘルサードに続き、あまりに意外な人物の登場であったからだ。


「邪魔をするよ、水学生徒会諸君」


 ラバースの若社長、L.N.T.の最高権力者、新生浩満しんせいひろみつ


 一般生徒たちにとってまさしく雲上人である。

 美紗子ですら二度遠くから見たことがあるだけだ。

 もちろん、こんな間近で会うのは初めてのことである。


 狭い雑居ビルにL.N.T.トップ3のうちの二人までが集まっている。

 古大路氏が亡くなった今、実質的に街を支配している二大巨頭だ。


「今晩八時、普段より二時間早く能力制御装置を停止させる」

「なんですって!?」


 美紗子は思わず声を上げた。

 すぐに我に帰り、咳払いして社長に問いかける。


「ただ長引かせるだけでなく、相手の意表をついて交渉中に救出作戦を行うということでしょうか?」

「察しがいいね。流石は水瀬学園の生徒会長さんだ」


 これは非常に重大なことである。

 爆撃高校校内を除き、L.N.T.は常時能力制御装置の力が働いている。

 JOYという特異な力を手に入れた学生が、むやみに力を行使するのを阻止するためだ。


「今回は中和装置を使うのではなく、完全に制御装置を停止する。テロリストにとっても想定外のことだろう」


 制御装置の在り処は最重要秘密とされ、一部の人間しか知らない。

 その休止はあくまで止むを得ない場合の措置である。


 たった二時間。

 それだけでも能力解放時間が早まれば、何が起こるかわからない。

 その危険性は夜の住人たちや爆撃高校の無法を見るまでもなく明らかである。


 美紗子の知る限り、時間外に装置が停止されたのは半年前の合同運動会の時だけである。

 それも範囲は水学の競技場のみ。

 特殊な中和装置を使って一時的に効果を打ち消したに過ぎない。

 時間も試合開始直後から終了までの数分間だけという、非常に徹底されたものであった。


「普段から君たちに迷惑をかけていることは承知している。だからこそ、我々はこの非常事態に全力で当たらなければならない。しかしこの作戦の要となるのは君たち有力な能力者だ」


 社長は真剣な目で美紗子を見た。

 ヘルサードのような心を惑わす力があるわけではない。

 けれど、ずっと見ていると吸い込まれそうな錯覚に陥ってしまう、不思議な魔力があった。


「ジョイストーンの研究が進めば世界のエネルギー事情は一変する。個人に付与されるJOYやSHIP能力はあくまで副次的なものであって、それを私欲のために利用するなど、決してあってはいけないことなんだよ。恥を承知で頼む……どうか力を貸してほしい」


 ずるい言い方だ、と美紗子は思った。

 そんな頼まれ方をされたら断れるわけがない。

 実際の所、それが最も良い方法だというのもわかっている。


 エイミー学園長が人質を解放し、その間に能力者がテロを制圧する。

 少なくとも美紗子にはそれ以上の手段は思い浮かばない。

 しかもこの作戦は運営の協力なくしては決して成り立たないのだ。


「……わかりました。水学生徒会はテロ打倒に協力を惜しみません」

「ありがとう」


 美紗子が答えると、社長は二コリと人畜無害そうな笑みを浮かべた。

 この人はヘルサード以上に何を考えているのかわからない。

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