9 大団円

 空中に投げ出されてスローモーションのように地面に落下していく荏原恋歌。

 空人は目の前の光景を信じられない思いで見ていた。


 本当に勝ってしまった。

 最強のJOY使い、夜の女王と恐れられた、あの荏原恋歌に。


 綺が倒したのだ。


「は、はは……」


 言葉が見つからない。乾いた笑いだけが漏れてくる。

 と、綺の体がふらついた。


「だ、大丈夫か?」


 空人は慌てて駆け寄って倒れそうになる綺を抱きとめる。

 肩に彼女の重みがのしかかる。足に力が入っていない。


「ご、ごめんなさい……ありがとう」


 流石の綺も限界のようだ。

 空人自身も身を持って味わったが、あんな攻撃を何発も受けて無事で済むはずがない。

 最後まで気を張って闘っていたけれどすでに綺は満身創痍だったのだ。


「みんなは、無事……?」

「ああ。誰も怪我をしてないよ。綺のおかげで助かった」

「そう、よかった」


 綺は空人の腕の中で安堵の笑みを浮かべ脱力する。

 ヒーローに憧れ揉め事に首を突っ込みたがる少女。

 その原動力はやはり自分自身の正義感なのだ。


「てて……ん。な、なんだ? なにがあったんだ? なんで赤坂さんが? 荏原恋歌は?」


 今ごろになって清次が目を覚ました。

 どうやら状況がよくわかっていない様子で、キョロキョロと辺りを見回している。

 そんな姿がおかしくって綺と二人で笑ってしまった。


 一通り笑った後、空人と綺は顔が触れあいそうなほどくっついていたことに気づいた。


「ご、ごめん」

「ううん、こっちこそ」


 慌てて体を離す二人。

 まだまだお互いぎこちない、初心な関係である。


「……さて、帰りましょうか」

「そうだな」


 人質だった少女たちを含めたみんなが無事だった。

 悪夢から解放された今、誰もが喜びに充ち溢れている。


「さて、じゃあ千田中央駅に急ぎますよ」


 麻布美紗子の妹が言う。

 それに対して清次が嫌そうに文句を言った。


「おいおい行かなきゃいけないのか? 首謀者はもうやっつけたんだぜ」

「当然です。お姉ちゃんたちがフェアリーキャッツと争ってたらどうするんですか」

「仕方ねえなぁ……まあ、オレはまったく役に立たなかったし、彼女を連れてひとっ走りしてくるよ」

「あ、僕も」


 行くよ、と空人が言おうとしたが、清次は掌を向けてそれを止めた。


「お前はいいよ。赤坂さんと一緒にその娘たちを送っていってやってくれ」


 清次が原付に乗って行けば移動手段はなくなってしまう。

 家まではかなりの距離があるし、女の子たちだけで暗い夜道を歩かせるのはよろしくない。


「あいつはどうする? このまま放っておいてもいいけど、もし目を覚ましたらヤバイぜ」

「そうだな。一応ジョイストーンを奪って他の人たちと同じように縛っておけば――」


 親指を立てて恋歌の方を指し示した清次。

 空人はそちらに視線を向け、思わず言葉を失った。


「なんだ、どうし……」


 振り返った清次も動きを止める。

 この場の全員が同じように凍りついていた。


 荏原恋歌が、立ち上がっていた。




   ※


「よくも……やってくれたわね」


 吐血するほどのダメージを追っているが、確かに彼女は両足で立っていた。

 彼女の周りには≪七星霊珠セブンジュエル≫の光球が浮かんでいる。

 押し潰されるような威圧感も健在だ。


「ふふ、まだやる気かしら……」


 綺がみんなを守るように前に出る。だが彼女もほとんど力は残っていないはずだ。

 その証拠に≪|魔天使の翼(デビルウイング)≫が具現化できていない。

 口では強がっていても、表情の硬さまでは隠せない。


「この痛みと屈辱、万倍にして全員に返してあげるわ!」

「くっ……」


 誰もが絶体絶命だと悟っていた。

 綺でさえ強気の言葉が続かない。


「皆殺しにしてやる。私を侮辱したこと、あの世で後悔するといいわ!」


 おしまいだ。今度こそ助からない。

 誰も守れない我が身の弱さを呪いながら空人が目を瞑った、その直後。


「そうはさせないわ!」


 外からの光が工場内を照らし出した。

 さっき恋歌が入ってきた工場の入り口。

 そこに今度は複数の人間が立っていた。


 ライトを照らす左右の女生徒。その間に挟まれ先頭に立っている人物は空人もよく見覚えがあった。人質の女子中学生が歓喜の声で叫ぶ。


「お姉ちゃん!」


 水瀬学園生徒会長、麻布美紗子だった。




   ※


「荏原恋歌さん。一般生徒に危害を加えた罪で、貴女を拘束します!」


 麻布美紗子が荏原恋歌の前に進み出る。その後ろに三人の生徒が続いた。


「同士討ち狙いなんて、やり方が豪龍と同レベルじゃん? ま、あたしと美紗子ちゃんの友情の前にそんな姑息な手段は通用しないけどね」


 夜のL.N.T.最大グループ『フェアリーキャッツ』のリーダー、深川花子。


「友人を自称するなら、もう少し美紗子さんを気遣ってさしあげてはいかがかしら? あなたがもう少し大人しくなれば美紗子さんの心労もちょっとは和らぐでしょうに」

「和代さん、こんな時に仲間割れするような発言はやめとこうよ……」


 美女学生徒会長、神田和代。

 水学の『穏やかな剣士』、四谷千尋。


 最初期からの能力者がこの場には四人も集まっている。


「いやあ、今回ばかりは助かったよ。あんたたちが荏原恋歌の手下を捕らえてくれなかったら、うちのメンバーは生徒会とやり合う気まんまんだったしね。美紗子ちゃんが人質取るとかありえないのに」

「部下の管理がなっていない証拠ですわ。まあ一番厄介な人が消えることですし大目に見ましょうか」


 からからと笑う深川花子。

 神田和代はそんな彼女に肩をすくめたのち、荏原恋歌を睨み据えながら言った。


「この期に及んで抵抗しようなどと思わないでくださいね、恋歌さん?」


 四人の後ろには水学・美女学両生徒会役員やフェアリーキャッツのメンバーも控えている。

 荏原恋歌が最強のJOY使いとはいえ、かなりの体力を消耗している。

 今、一人で相手をできる数ではないはずだ。


「……くっ」


 どっちにせよ、これだけ派手にやらかした異常は制裁を免れない。

 恋歌は降服の証としてJOYを解除すると、ジョイストーンとDリングを叩きつけるように投げ捨てた。


「確保!」


 美紗子が命令を下すと、生徒会役員たちが一斉に恋歌を抑えつけた。

 恋歌は抵抗らしい抵抗もせず素直に生徒会専用の車へと運ばれていった。




   ※


「お疲れ様、みなさん」


 美紗子は人質になった生徒たちに声をかけた。

 内心ではなんとか間に合ったことに安堵しながらであるが。


「うわぁん。お姉ちゃぁん」


 妹の紗枝が抱きついて泣きじゃくる。

 張り詰めていた気が切れたのだろう。

 気丈ぶっていてもまだ中学生なのだ。


「よしよし、泣かないの」


 妹をあやしながら工場の中を見渡す。投げ込まれた手紙では人質は三人となっていた。向こうで縛られているのは荏原恋歌の仲間だろう。では、それ以外の人たちは?


「あなた達が、恋歌さんを……?」


 美紗子は男子生徒二人に問いかけた。


 生徒会が確保したとき恋歌はすでにボロボロだった。

 もし彼女が万全の状態ならば、かなりの抵抗を受けていただろう。

 この人数であっても、振り払って逃げることは可能だったかもしれない。


「僕たちは見ていただけです。荏原恋歌をやっつけたのは彼女ですよ」


 全身傷だらけの男子生徒が言った。

 美紗子は彼に支えられた女子生徒に目を向ける。


 それは、あの赤坂綺だった。

 美紗子は彼女の前に進み出る。


「事件解決の協力ありがとう。赤坂綺さん」


 一年四十二組の学級委員、赤坂綺。

 長い黒髪、華奢な体。深窓のお嬢様のような儚げな容姿。


 一見すると戦闘なんてできそうにない少女だが、JOYの才能を伸ばすためのJ授業の成績は新入生トップクラス。嘘か真かジョイストーンを手にしたその日に能力を発現をしたという。


 美紗子はそんな人物を彼女の他に誰一人として知らない。


 少年の言うとおり恋歌をボロボロにしたのは彼女なのだろう。

 彼女からはJOY使いとしての強い素養が感じられる。


「あの。あの人、これからどうなっちゃうんでしょうか?」

「恋歌さんのこと? そうね、しばらくの間は行動を制限されるけど、数ヵ月後には自由になれるでしょう」


 これだけの事件を起こした生徒である。

 普通なら能力を剥奪された上で年単位の拘束を受けるだろう。

 しかし恋歌の優れた能力を考えればラバースが彼女に温情を与えることは容易に想像がつく。


 荏原恋歌は遠くない未来、また街に戻ってくる。

 それを知っているからこそ素直に補導に従ったのだ。


「そうですか……よかった」


 不思議な娘だ。第一声が倒した相手の心配とは。

 力に溺れて暴れまわるだけの夜の住人たちとは全く違う。

 恋歌が出てきたら今度は自分が狙われるとは考えないのだろうか?


 ともあれ一件落着である。

 大規模な争いもなく人質も無事に解放された。

 今回の事件の最大の功労者は間違いなく赤坂綺だろう。


 美紗子はやはり彼女が欲しいと思った。


「赤坂さん、改めてお誘いするわ。生徒会に入らない?」

「え、でも……」

「昨日のことは関係ないの。事件を早期発見し迅速に動いた行動力。あの荏原恋歌さんを相手に真正面から立ち向かう勇気と実力。生徒会は本当に貴女のような人を必要としているのよ」

「で、でも、私なんかじゃ……」


 綺がぶるぶると震えながら口籠る。

 美紗子もこの前とは違って真面目な態度だ。

 きっと断りづらい雰囲気を感じているのだろう。


 よし、あと一息だ。


「たしかに生徒会の仕事は大変で危険もあるわ。けどこの街を守るにはあなたの……いえ、私たちのような正義の力が絶対に必要なのよ!」


 ぴくり。綺の震えが止まった。

 瞳を輝かせ美紗子の目を真っ直ぐに見る。


「正義……ですか?」

「そうよ。悪い能力者から街の平和を守る、正義の味方よ」


 ずるいとは思うが、彼女のことは改めて調べさせてもらった。

 彼女が重度のヒーロー好きと聞いた時は耳を疑ったが……


 仲間を助けるため危険を顧みない勇敢な行動を見て確信した。

 彼女には間違いなく正義のために戦いたいという強い欲求がある。

 いわゆるオタクではなく、根っからのヒーロー気質の持ち主なのだ。


 ならば、その欲求を満たせる場を与えてあげよう。


「正義の味方……本物の……」


 美紗子は確かな手応えを感じた。

 さあ、もう一押し。


「貴女の力が必要なの。どうか私たちに力を貸してちょうだい」


 トドメとばかりに美紗子は手を差し伸べ握手を求める。

 赤坂綺はしばし戸惑っていたが、やがて柔らかな微笑みを浮かべた。


 彼女は美紗子の手を握り返す。


「……私なんかで、よかったら」

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