2 監禁生活
その日から、『少女』は『アリス』になった。
男はアリスのことを絶対にかつての名では呼ばない。
本名を主張すると殴られる。
男はアリスから本当の名前を奪った。
暴力によって記憶の中からも強引に消し去ってしまった。
ここに連れて来られた最初の数か月は、よく両親の夢を見た。
泣いて助けを求めると二人はアリスの本名を呼びかける。
二か月も経った頃には名前が聞き取れなくなった。
夢を見なくなる頃には、完全に記憶の中の両親の声から音が消えていた。
男はアリスにたくさんのひどいことをした。
殴られたくないから、アリスは必死に男を受け入れた。
「ああアリス、大好きだよ。アリスもパパのこと、好きかい?」
無理やり誘拐され、殴られ、ひどいことをした相手である。
好きなわけがない。
けど、
「うんパパ。アリスもパパのことだいすきだよ」
アリスは殴られたくない一心で必死にそう言った。
次第に嘘のつき方が上手くなって、男を満足させることができるようになった。
※
朝が来ると、男はスーツに着替えて仕事に出かけていく。
その間、アリスは窓のない部屋に閉じ込められる。
ドアは外からカギがかけられ逃げ場もない。
待っている間にすることはなにもなかった。
あるとすれば、男がわざと置いていった気持ちの悪い雑誌を読むことだけ。
最初のうちは強い抵抗を感じたが、ちゃんと知識を得て実践しないとまた殴られるので、仕方なく本を読んで勉強した。
時計もないので時間もわからない。
夜になると男はふらりと家に帰ってくる。
帰ってくるなり、汗くさい体でアリスを抱いた。
「ああ、愛してるよ。パパの可愛いアリス」
一緒に風呂に入る。
そこでも男に求められた。
風呂から出るとすぐ食事になる。
アリスにとっては朝以来の食事である。
幸いにも食事だけはちゃんとしたものが与えられていた。
その後の行動は男の気分次第である。
一晩中アリスにひどいことをすることもあれば、パソコンに向かって仕事をして早めに眠ってしまう時もある。
最悪なのは男の機嫌が悪いときだった。
適当な言いがかりをつけて意味もなく殴られる。
そんな時にできるのは、ただ早く時間が過ぎるのを祈るだけだった。
※
そんな日々が半年も経った頃、アリスの心に変化が訪れる。
「ああアリス、愛してるよ。ぼくの可愛いアリスっ」
「アリスもパパのことあいしてるよ。アリスの大好きなパパ」
毎日果てなく繰り返される醜悪な行為。
その中でアリスは心の平穏を求めずにはいられなかった。
機嫌がいい時、男はアリスに優しくしてくれる。
やることは変わらないがアリスのことを愛してくれる。
少なくとも、二人で楽しむよう努力をしようとしてくれる。
「パパ。アリス、もっとパパを喜ばせてあげるからね」
何もかも奪われたアリスは、男との触れ合いだけが、唯一の生きがいになっていった。
※
そのうちに男はアリスに別の楽しみを与えてくれるようになった。
男もアリスに情が移ってきたのだろう。
前みたいに理不尽に殴られることはほとんどなくなった。
機嫌が悪い時はあっても、アリスが一生懸命慰めるうちに平静を取り戻すようになった。
男は留守中の暇つぶしにとアリスにおもちゃを与えてくれた。
手に入れたのは古い型のノートパソコンだった。
ネットに接続することはできないが、違法に落とした古いゲームが無数に入っていた。
他にやることがないアリスはすぐにゲームに夢中になった。
特に好きだったのが中世風のRPG。
気がついたら男が返ってくる夜までやり続けていたこともあった。
昼食にも買い置きのおにぎりやカップめんが与えられるようになる。
アリスはいつしか日常に苦痛を感じることがなくなっていった。
※
ある日、男が突然こんなことを言いだした。
「アリスは友だちが欲しいかい?」
思ってもいないことだった。
言葉の意味が理解できずアリスは戸惑ったが、
「ううん。パパがいるから、大丈夫」
この答えはアリスの本音だった。
ここに来る前は友だちと遊ぶことが何より好きだった。
けれど、今のアリスの生活はパパとの触れ合いがすべてなのである。
待っている間にやるゲームもパパが返ってくるまでの暇つぶし。
友人を望むような気持ちは全くなかった。
だが、男には別の思惑があったようだ。
「いや。やっぱり若いうちは同年代の子との触れ合いが大事だよ。そうだ、仲良くなれそうな子を連れて来てあげよう」
その言葉にアリスはゾクリとしたものを感じた。
忘れていた不安がわずかに顔を出す。
アリスは男の考えを理解した。
なんのことはない、別の女の子が欲しくなったのだ。
しかしアリスが男に意見をできるはずもない。
今でこそ仲良くしているとはいえ、それは自分が良い子にしているからだ。
男の機嫌を損ねて前のように暴力を振るわれたくない。
アリスは翌日、何も言わずに男を見送った。
その日、男はいつもより少しだけ帰りが遅れた。
家に帰ってきた男は新たに二人の女の子を連れていた。
※
長い髪の女の子は『かぐや』
透き通るように肌の白い女の子は『フローラ』
もちろん、それぞれ男によってつけられた偽りの名前である。
「いやだよ、お家に帰して!」
「たすけて! ママ、パパ、たすけてよぉ!」
二人の女の子が泣いている。
たぶん、アリスと同じくらいの年齢だろう。
泣いて抵抗する二人に構わず、男はアリスにしたのと同じ『家族になるための儀式』をした。
男が力づくで彼女たちにひどいことをする光景は、アリスに初めてここに来た頃を思い出させた。
アリスは彼女たちの苦しむ様子を見ていられなかった。
けど、男の命令で監視していなくてはならない。
「がんばって、がんばって……」
アリスにできるのは二人に声をかけ続けることだけだった。
男が満足して隣の部屋に去った後、すすり泣く二人をアリスは慰めた。
「だいじょうぶ、すぐに慣れるから」
最初こそ警戒されたものの、二人はすぐにアリスに懐いてくれた。
二人はそれぞれ別々の町から連れて来られたらしい。
今は心細い気持ちでいっぱいだろう。
先輩であるアリスには彼女たちの心のケアをする義務があると思った。
アリスは二人にさまざまなことを教えた。
パパの喜ぶこと。
ご機嫌の取り方。
怒らせない言葉使い。
決して逆らってはいけない。
ただ、男の言うとおりにすればいい。
初日に痛みを覚えさせられた二人は、すぐにアリスの言うことを理解してくれた。
※
かぐやは従順だが要領が悪かった。
よく男から殴られ、そのたびにアリスがさり気なく庇う。
アリスの苦労は増えたがその分だけ彼女は強くアリスを慕ってくれた。
フローラは物覚えが良く、教えた技術もすぐに身につけていった。
だが頭がいいだけあって反骨精神も強く、男が新しいことをしようとするたびに強い抵抗を見せた。
フローラは一度、二人に逃亡を唆したことがあった。
男が寝ている隙に鍵を奪おうとしたのだ。
しかし、アリスには逃げたいという気持ちはない。
かぐやも失敗した時のことを恐れて協力を拒んだ。
結局、フローラは一人で作戦を実行した。
アリスは止めなかった。
彼女が本気で嫌なら仕方ないと思っていた。
結果を言えば、この計画はあっさり男に気づかれることとなった。
フローラはアリスも受けたことのないほどの暴力の限りを尽くされた。
顔が真っ赤に腫れ、体は痣だらけになり、三日間も生死の境をさまよった。
アリスは自分の仕事が終わった後、男の許可を得て必死に彼女を看病した。
必至の看病の甲斐もあってなんとかフローラは一命を取り留めることができた。
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