3 幸せな暮らし
フローラは二度と逃げ出そうなんて口にすることはなくなった。
かぐやも男を恐れ必死になってミスをしないよう頑張るようになった。
怪我の功名とは言えないが、脱走事件をきっかけに三人の絆は更に深まった。
半月が経つ頃には三人ともこの生活になじんでいた。
三人は進んで男を受け、男から与えられる『愛情』に感謝の言葉さえ贈った。
かぐやとフローラがこの生活に慣れてくれたことは喜ばしい。
幼いアリスにとって友だちが増えることはやはり純粋に嬉しかった。
ただ、アリスには一つだけ悩みがあった。
みんなでパパと遊ぶのはすごく楽しい。
けれどパパが他の子に「愛してる」と言うと、なぜか胸の奥がモヤモヤする。
アリスにはその感情が何なのか理解できない。
でもパパがアリスに言葉を向けてくれれば嫌な気分はすぐに消えてしまう。
少しだけの嫌な感じにさえ目をつぶれば、アリスの暮らしには何の悩みも苦しみもなかった。
※
相変わらず自由は制限されていたが、男が出かけている時はみんなでゲームをして遊んで過ごした。
いつしか男が仕事をしている最中も男の部屋に立ち入ることを許可されるようになった。
三人は簡単な資料整理の手伝いなども行うようにすらなっていた。
「ちくしょう……なんで上手くいかないんだよ」
パソコンに向かう男が苛立ちの声を上げる。
男の感情に敏感な三人はこういう時、男を刺激しないよう大人しくしていることが多い。
だけどこの日、アリスは思い切った行動に出てみた。
「あのねパパ。ちょっといい?」
アリスは男の許可を得てキーボードに触れた。
男が止めに入るより速くキーを叩く。
タイピング速度に男が呆気にとられる間に、アリスは問題を解決していた。
「動いた……アリス、どうして……?」
「まえにパパがやってたの見てたから」
アリスは男の仕事をよく見ていた。
前に男が行った手順を応用しただけだが、傍から見ないと気づきにくいこともある。
男はすごく喜んでくれた。
以後、ちょくちょくとアリスに複雑な仕事を教えるようになった。
アリスたちに外の世界がどのようになっているのかを知る術はない。
けれどもクリスマスやお正月など行事のある日は、必ず男がパーティーを開いてくれた。
三人の誕生日にはケーキも買ってきてくれた。
男の誕生日にはお料理好きなフローラを中心に手料理を作って盛大にお祝いした。
アリスは幸せだった。
この生活がずっと続けばいいとも思っていた。
また、そうなると信じて疑わなかった。
男が次第におかしくなり始めるまでは。
※
アリスが誘拐されてから二年半が過ぎようとしていた。
三人ともすっかり男と暮らす日常に慣れ、笑顔でいるのが当たり前になった頃。
仕事から帰った男が不機嫌であること多くなった。
難癖をつけてはまた暴力を振るうようになった。
アリスたちは必死に男をなだめた。
恥ずかしい行為も積極的にやった。
しかし努力の甲斐はなく、男は怒ってふれあいを止めてしまうこともあった。
アリスにはどうにか男に平穏を取り戻してほしかった。
自分たちのためではない。
男のために。
すでにアリスにとって男は本当のパパであり、誰よりも大切な家族である。
それはかぐやとフローラにとっても同じことだった。
三人で相談してパパが喜びそうなことを考えた。
男はパソコンの前に座っていることが多くなった。
アリスが手伝っていたプログラムの仕事はもうやっていない。
代わりに何か図形を描く作業を行っていた。
さらにしばらくすると、男は工作を始めるようになった。
「ちくしょう。バカにしやがって。どうして必死に会社に尽くしたぼくが、リストラなんか……」
ぶつぶつと恨みごとを呟きながら男は熱心になにかを作っている。
アリスにはそれが巨大な翼に見えた。
「そうだ。ぼくは空を飛ぶんだ。そして、本当の自由を手に入れるんだ」
男の態度には鬼気迫るものがあった。
きっと嫌なことがあって疲れているんだ。
これが完成したら元のパパに戻ってくれる。
アリスはそう思い、頼み込んで男の工作を手伝った。
同時期、男はアリスとかぐやに巨大なサバイバルナイフを渡した。
工作に使うものとはまるで違うそれを、男は必ず毎日三〇〇回振るように命令した。
意図はわからなかったが、二人は男の言うことを素直に聞いた。
男の工作が完成したのは奇しくもフローラの誕生日だった。
「フローラ、プレゼントをあげよう」
それはアリスの思った通りに大きな翼だった。
ランドセルのように手を通して背中に装着する翼。
そうしていると、フローラは本物の天使みたいに見えた。
「わあ、ありがとう!」
初めて男から貰ったプレゼント。
フローラは心から喜んでいた。
みんなで作ったものだから喜びもひとしおだ。
アリスは男が満足そうにしているのを見て安心した。
やっぱりパパは優しいパパだった。
フローラのためにこんな素敵なものを作ってくれるんだから。
怖い時のパパはもういない。
今日はフローラのために頑張ってお料理を作ってあげようと思った。
「よし、じゃあ行こうか」
しかしアリスの思惑とは裏腹に、男はフローラを連れて家を出て行ってしまった。
パパと一緒に外に出るなんて、三人の少女がこの家に来てから初めてのことだった。
「二人だけで特別なお祝いをしてもらえるんだね。いいなぁ」
かぐやが羨ましそうに言った。
そう、誕生日だから特別なことをしてもらえるんだ。
そう思いながらもアリスは妙な不安を覚えずにはいられなかった。
※
数時間後、男は帰ってきた。
その傍らにフローラの姿はなく、男はひとり折れた翼を抱きかかえていた。
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