5 悪の中枢

「うぷっ」


 ミス・スプリングは急に立ち止まり、口元を抑えてしゃがみ込んだ。

 後ろを歩いていた香織が心配そうに声をかける。


「どうしたの、大丈夫?」

「へ、平気。何でもないよ」


 笑顔を作って立ち上がるが、ミス・スプリングの顔は青い。


「何でもないはずはないでしょう。何があったのか言ってごらんなさい」


 和代が高圧的な態度で尋ねる。

 本名を頑なに教えようとしない彼女に対して、和代は特に不信感を持っていた。

 仕方なく仲間たちはみな彼女が自ら名乗った『ミス・スプリング』という名で呼んでいる。


 ちなみに髪の色は艶のある黒。

 典型的な日本人顔で、どうみても外国人ではない。


「本当に何でもないよ。ほら、もうすっかり元気だから」

「あなたの心配はしてません。あなたが何を『見た』のかについて尋ねているんです」


 もう一度、今度は強めに問い質す。

 ミス・スプリングから笑顔が消えた。


「和代さん、そんな言い方は……」

「ちーちゃんは黙っていてください」


 千尋の制止を振り払って和代はさらに詰め寄った。


「さあ、答えてください。いったいどこで何があったのです?」

「……人がいっぱい死んだ。水瀬学園の中と駅前は大変なことになってる」


 ミス・スプリングは視線を地面に向けたまま言った。

 それを聞いた三人の顔色が変わる。


「それは、一体どういうことですか?」

「フリーダムゲイナーズが水瀬学園に攻め込んだの。その戦いがさっき終わった」

「聞いていませんわよ。どうしてそんな大事な情報を黙っていたんです」

「言ったら止めに行ったでしょ」

「当たり前です。見過ごせるわけがありませんわ!」

「そしたらきっとみんな殺されてたよ。あれはこれまでの戦いとは違う。どっちも切り札を使った全力の戦いだった。それに、おかげで『あいつら』の目がそちらに向いている」

「……だから今日がチャンスだと仰ってたんですね」


 和代たちは現在、とある場所の調査に来ていた。

 ラバース社員の残党が潜んでいると目される研究施設である。

 若者たちを争わせ、安全な場所で観察をしている者たちへ反撃の下準備だ。


 ミス・スプリングは非常に精度の高い千里眼能力を持っている。

 彼女の発見によってこれまで巧妙に隠されていたいくつもの事実が浮かび上がった。


 そのうちの一つが、これ。

 支社ビルを捨てた後のラバース社員の隠れ潜んでいる場所だ。


 流瀬地区のさらに東、串野地区と呼ばれる造成中の新興住宅街の一番奥。

 外周の森との境にある小さなトンネルを潜った先に、その施設はあった。


「普段からあれだけ飛びまわってる小型カメラが全然ない。きっと水瀬学園の戦いに夢中なんだよ」

「……わかりました。過ぎてしまったことはもう仕方ありません」


 彼女に怒りをぶつけても何も解決しない。

 そもそも、研究施設を発見したのは彼女の功績なのだ。

 今日を逃せば研究施設に近づくことができなかったというのも本当だろう。


 L.N.T.の至る所を飛び回っている小型カメラの位置を把握できるのも彼女しかいない。

 和代も他の誰も、先日までカメラの存在など考えもしなかったのだ。

 壊れた微細な残骸を見せられて初めて存在に知った。

 ラバース社員たちはそれを使って街で起こっている争いをそうやって観察していたのだ。


「それで、戦いはどうなったの? どれくらいの被害がでたの? 水瀬学園はどうなったの?」


 和代に代わって千尋が尋ねた。

 香織はその後ろで黙ってミス・スプリングを見つめている。

 水瀬学園の生徒である二人にとって、学園で起きた戦いの結果は知っておきたいことだろう。


 少しの間を置いてミス・スプリングは小声で衝撃な事実を告げた。


「学園はぜんぶの校舎が燃えた。生徒はかなりの数が焼け死んだか、フリーダムゲイナーズの人たちに狩られて殺された。平和派って呼ばれる人たちのうち少なくとも一〇〇人以上は死んだと思う」

「……は?」


 話を聞いた三人の誰もミス・スプリングの言葉の意味が頭に入ってこない。


「駅前はもっと酷いよ。第二踏切から御谷の交差点まで、足の踏み場もないくらいの死体で埋まってる。ほとんどが自由派に味方した大人のひとたちで、死者数は数百……もしかしたら一〇〇〇人に近いかもしれない」


 絶句する和代たちをよそにミス・スプリングは淡々と説明する。

 彼女が見ていたこれまでの経緯を含めて。


 JOYインプラントという新技術で自由派は街の大人たちを味方につけた。

 彼らは数を頼みに、圧倒的な物量でもって水瀬学園に攻め込んだ。


 自由派はさらに小型の能力制限装置というものを開発していた。

 かつてL.N.T.全域に影響を及ぼしていた制限装置の範囲限定版のようなものだ


 それを使って裏口から容易く水瀬学園に進攻。

 平和派の根城である水瀬学園に決定的ダメージを与えるため火攻めを行った。

 その結果、十八棟あった校舎はすべてが燃え落ち、能力を封じられた生徒たちは一方的に殺された。


 それ以上に被害が大きかったのは主戦場である学園駅前だった。

 三千人に迫る主力部隊を相手に戦ったのは、なんと赤坂綺たった一人。


 数の優勢も悪魔の前には全くの無力だった。

 赤坂綺の殺戮から逃げ延びることができたのはおよそ七割弱。

 道路は血と死体で埋め尽くされ、本物の戦場のような様相を呈しているという。


 水瀬学園を完全制圧したにも関わらず、駅前の惨状を聞いた古大路偉樹が撤退命令を出したのは、わずか数分前のことだそうだ。

 なお、裏門付近で一騎討ちをしていたアリスと速海駿也はどちらも軽い怪我を負い、決着はつかず互いに戦場から姿を消したらしい。


「そんな、そんなことって……」


 香織は今にも倒れそうなほどに青い顔をしていた。

 あまりにも酷過ぎる結末と、大きすぎる犠牲。

 いよいよL.N.T.は終局へと突き進んでいる。


 なぜこうなる前に救えなかったのか。

 終わったことを嘆いても時間が戻るわけでもない。

 和代は血が滲むほど握り締めた拳を開き、俯いている千尋の肩を叩いた。


「行きますわよ、千尋」

「え、どこに?」


 親友に対する普段とは違う呼び方は和代の決意の表れか。


「このまま研究所に乗り込むのです」

「今日は偵察だけの予定じゃ……」

「気が変わりました。もうこれ以上、一日だって奴らの好き勝手にはさせたくありません」


 今日の四人はあくまで下調べのつもりで来ていた。

 いざ乗り込むのはすべての準備が整った後の予定だった。


「ダメだよ。空人くんの修行が終わった後で、みんなが力を合わせて戦わなきゃ」


 逸る和代をミス・スプリングが止めようとする。

 星野空人は現在、内藤清次の協力の下で≪白命剣アメノツルギ≫を扱うための特訓をしている。


 ≪白命剣アメノツルギ≫は元々はヘルサードの所有していたJOYだ。

 L.N.T.の敵となったルシール=レインが受け継ぎ、麻布美紗子の死の遠因にもなった最強の剣。


 それが紆余曲折を経て星野空人の手に渡った。

 もし扱いこなせれば、これ以上ない切り札になるだろう。

 だが、和代はそれを期待しながら待っているつもりはなかった。


「≪白命剣アメノツルギ≫は赤坂綺打倒のために取っておけば良いことです。むしろ星野さんのためにも、今ここで私たちがラバースの残党を潰しておくべきではないでしょうか? 彼に余計な手間をかけさせる必要はないはずです」

「和代ちゃんの言う通りだね!」


 あっさりとミス・スプリングは意見を翻した。

 和代は空人を思っているかのような嘘をついたが、効果は抜群だった。

 本当は全くそんなこと全く考えていないが、下手な言い方をして対立するよりもこの方が早い。


「千尋と香織さんはいかがでしょう? 敵の本拠地とはいえ、潜んでいるのはただの研究者たち。我々四人なら戦力的にも十分だと思いますが」

「私はやるよ。こんな話を聞いて、黙って帰るなんてできない」

「わっ、私も!」


 千尋も香織も闘志は燃えている。

 自分たちを実験動物のように扱う者たち。

 たくさんの命が消えるのを笑いながら見ている誰か。

 このL.N.T.に住む人間たち全員の敵が目と鼻の先にいるのだ。


「決まりましたわね。行きますわよ、皆さん」


 このふざけた争いに終止符を打つために。

 四人の少女は悪の中枢へと乗り込んだ。

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