17 絶零玉

「いい加減に諦めてくれないかなあ……」


 振り上げた拳が宙を裂く。

 薫は声の方を振り返った。

 その途端。


「……っ!?」


 急に呼吸ができなくなった。


「なにも無抵抗の相手を斬りつけるだけが攻撃じゃないんだよ。ほら、そのままだと窒息するよ?」


 喉の中に何かを詰め込まれたようだ。

 だが、動けないことはない。


「オオオオオッ!」


 薫はさらに攻める。


 攻撃は虚しく宙を裂く。

 体に傷が増える。

 声の方を向く。


 そんなことを何度も繰り返していると、これまでにない激痛が左目を襲った。


「あ、がっ……!」

「最後の警告だ。これ以上は許さないよ」


 目を潰されたか。

 いよいよ浩満の顔からも余裕が消える。


 次は本気で殺される。

 呼吸を止められてから体感時間ですでに二分近くが経過している。


 息のできない中での戦闘は体力の消耗が非常に激しい。

 頭がボーっとして思考が働かなくなる。

 体が前のめりに倒れる。


「だから言わんこっちゃない」


 浩満がため息を吐く。

 直後、薫は思いっきり地面を蹴った。

 一足飛びで浩満の体を掴み、思いっきり首を裸締めにする。


「ぐ、がっ……!?」


 浩満の顔に苦痛が浮かぶ。

 こいつの力では振りほどけまい。

 時間を止めたところで逃げることは不可能だ。


「死ね」


 薫は冷酷に言い放つ。

 わずか数秒で浩満の顔は蒼白になった。


 腹や腕に傷が増える。

 残った右目も見えなくなる。

 停止した時の中で抵抗しているのだろう。

 それでも薫は決して力を緩めない。


 言葉を発することも出来ず、浩満は救いを求めるように手を伸ばす。


「や、やめ……」


 もちろん手を緩めるわけはない。

 窒息させるどころか首の骨を圧し折るつもりだ。


 震えながら伸ばされた浩満の手が、そっと薫の体に触れた。




   ※


 首を絞めていた手から力が抜ける。


「げほっ、げはっ!」


 拘束から脱した新生浩満はその場にへたり込んで激しく噎せた。

 赤坂薫の巨体が派手な音を立てて仰向けに倒れる。


 目は大きく見開かれている。

 うつろな瞳は何も映してはいない。


「はあっ、はあっ……」


 ようやく呼吸が落ち着いてきた。

 浩満は立ち上がって憎々し気な目で薫を見下ろした。


 薫はすでにこと切れていた。

 心臓を止めてやったのだから当たり前だ。


 この男は浩満の能力が時間停止だと気づいていた。

 その上で脱出不可能の絞め技で一気に勝ちを狙うつもりだったのだろう。


 それは半分正解で、半分間違いだった。


 浩満のJOY、神器≪絶零玉コキュートス

 それは単なる時間停止の能力ではない。

 時間、物質、そして概念と、あらゆるものを『止める』能力なのだ。


 たとえばこんなふうに胸にそっと触れるだけで、心臓を止めて簡単に相手を殺すこともできる。


「馬鹿な男だ。素直に従っていればよかったものを……!」


 憎みながらもたった今自らの手で殺した人間の死を惜しむ。

 しかし、それは単なる実験材料の一つを失った程度の嘆きでしかない。

 生身の体でここまでの戦闘力を発揮できる人間を是非もっと詳しく研究してみたかった。


 まあ死んでしまったものは仕方ない。

 これから先のことを考えないと。


「さて、貴重な手駒が使えなくなったことだし、どうしたものか」


 浩満はとりあえず携帯端末を取り出した。

 L.N.T.では遠距離通話といえば専ら無線が主である。

 しかし、浩満らラバースの重役だけは専門の電波を使った携帯端末での相互通話が可能なのだ。


「私だ。HSとAMリペアはすぐに使用できるか?」

『……――』


 電話の向こうの相手の返答を浩満は無言で聞いた。


 思考を巡らせる。

 使える手駒、事態に対処できるユニットはわずか二体。

 それを投入すべき場所、現在問題が起こっている地点はいくつあるか。


 まず一番に対処すべきは庵原の山奥。

 大量の海水を召喚してL.N.T.を水に沈ませようとしている速海駿也だ。


 自暴自棄になっているのかなんだか知らないが、意味不明かつ余計なことをしてくれる。

 この街は第二、第三の実験の舞台として使っていかなければならない。

 ここには最も機動力の高いAMリペアを向かわせよう。


 次に千田中央付近で暴れている内藤清次とミス・スプリングだ。

 六年に及ぶ第一期実験の成果を台無しにしているこの二人も早急に始末しなければ。


 まだ調整の甘さは気になるが、HSを投入する。

 別々に行動しているのが厄介だが、ミス・スプリングは自ずとやってくるだろう。

 狙いは内藤清次に定める。


 第三に、外に逃げようとしている奴ら。

 おそらくは小石川香織と神田和代だろう。


 こいつらは放っておいてもさほど問題はない。

 装甲車両に乗ったところで防衛ラインを突破できるわけがない。

 AMリペアに速海を始末し終わった後で向かわせれば十分に間に合うだろう。


 よし、問題なくすべて対処できる。

 浩満はさっそく命令を下そうとした。

 直後、電話の向こうの部下がとんでもない情報を付け加えた。


「なんだと、アリスが……!?」


 信じられないことだが、アリスが最重要拠点に侵入したそうだ。

 あまつさえモニター越しに各界の協力者たちを皆殺しにしたらしい。

 信じられないが、こんな時にくだらない冗談を言うバカな部下ではない。


 これは大きな失態である。

 後始末は非常に大変になるだろう。

 最優先でアリスを捕らえなくてはならない。


 予定変更だ。

 HSをアリス捕獲に向かわせよう。

 とすると千田中央で暴れている二人に手が回らない。


「なんだよ結局は僕が動かなきゃダメじゃないか!」


 浩満は溜息を吐いてその場で寝転んだ。

 頭を抱えながらゴロゴロと床を転がりまわる。

 薫の亡骸にぶつかり、苛立ちまぎれに蹴り飛ばす。


「あーくそ、ここまで来て悔しいなぁ……」


 実験の成果を残すのが最優先。

 そのためには自ら手を出さないというルールを破るしかない。

 裏切り者である赤坂薫の征伐はギリギリ大丈夫としても、学生に手を出すのは敗北も同様だ。


「ま、嘆いていても仕方ないか」


 浩満は気持ちを切り替え立ち上がった。

 繋がりっぱなしになっていた携帯端末で命令を飛ばす。


 園舎の外に出ると、表を流れる川の流れは先ほどより激しさを増していた。

 下流で深刻な被害が起こるのも時間の問題だろう。

 だが別に急ぐ必要はない。


「おい、行くぞ」


 園舎の外に三人の少女が立っていた。

 三人とも旧式の体操服姿でうつろな目をしている。


 浩満が合図をすると、先頭の一人の肩に後ろの二人が内側の手をかけた。

 外側の手を掌を上向けにして下でしっかり組む。

 騎馬戦における騎馬の形である。


 この少女たちはヘルサードから譲ってもらった『人ではないモノ』だ。

 浩満の言うことを聞くことを至上の喜びと感じるように『命令』されている。


 彼女たちを浩満は『乗り物』として使っていた。

 

 浩満は少女騎馬の上に乗って≪絶零玉コキュートス≫を発動させた。

 彼と、乗り物である少女たち以外の世界の時間が止まる。


「千田中央に向かえ」


 少女騎馬はゆっくりと歩き出す。

 速度自体は自分で歩くのとほとんど変わらない。


 自分の足が疲れないだけで十分だ。

 止まった時間の中なら、いくらゆっくりでも問題ない。

 街道の景色を眺めながら牛車に引かれる貴族のような気持ちで浩満は駅前へ向かう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る