18 速海の絶望、清次の希望

 庵原の山奥。

 L.N.T.北西の端に爆音が響いていた。


 この辺りはかつて如村弾妃が一時的に隠れ住んでいた場所でもある。

 木々に囲まれたL.N.Tで最も標高が高い場所で、市街地を西から東へ流れる二つの河川の源流がある。


 ひときわ高い岩の上に座って眼下の濁流を眺めているのは速海駿也だった。

 彼はもうすべてに飽き、何もかもがどうでもいいと思っていた。


 外の世界なんてくだらなかった。

 だからヘルサードに誘われるままL.N.T.にやってきた。

 ここでの生活はそれなりに刺激的で、彼にとっては充実したものだった。


 親友がいた。

 尊敬に足る女性もいた。

 どちらも外の世界では考えられないことだった。


 だが、みんな死んだ。

 太田も、技原も、水学生徒会長を務めた彼女たちも……


 片や聖母のような優しさと力強さですべてを包み込む、芯の通った女だった。

 片や悪鬼のような恐怖と圧倒的な力ですべてを飲み込む、狂気を支配した女だった。


 そのどちらも無残に死んだ。


 速海は自分たちがラバース社に都合よく扱われる実験体であることを自覚していたが、そんなことはどうでもいいと思っていた。


 自由意思は縛れない。

 自分はこの街で好きに生きる。

 そう考えて、無関心を貫いてきた。


 ところが、やはりラバースの掌の上から逃れることはできなかった。

 星野空人に敗北し、目が覚めた後で速海は赤坂綺の死を知った。


 その瞬間、心の箍が外れた。

 この世界の何もかもがどうでもよくなった。

 ならばいっそ、すべてを消してしまおうと速海は考えた。


 速海の≪大海嘯ワダツミ≫は海水を召喚して操る。

 通常は水龍を槍に纏わせ攻撃する程度の用途にしか使わない。

 しかし形成を無視して全力を出せば無制限に海水を呼び出すことができる。


 街の一番高いところから全開で水を流す。

 今は河川の増水程度だが、あと半日もすれば街の低地は水浸しになるだろう。

 異変に気付いて誰かが止めに来てもその頃には土砂崩れが起きていて、周囲に近づくのも不可能になるはずだ。


「なんだ、こんなにも簡単なことだったのか……」


 速海は自嘲気味に笑いながら天を仰いだ。

 地面に突き立てた槍先から溢れる水を眺めながら静かに終わりの時を待つ。


 すると、東の空から何かが飛んでくるのが見えた。

 翼を広げたそれは、ものすごいスピードでこちらに近づいてくる。


 ラバースの刺客だろうか。

 速海は一旦海水を止めて槍を手に取った。

 エンジェルタイプの能力者がまだ残っているとは知らなかったが……


「え……?」


 まさか、あれは。

 期待と不安に速海の胸は高鳴った。


 可能性はあるのではないか?

 速海自身は彼女の死を見ていない。

 何より彼女がそう簡単に死ぬとは思えない。


 赤坂綺が生きていた!


 速海は確信した。

 赤坂綺と思われる人物が近づいて来る。

 背中の赤い翼がやけに不格好であることに気づく。


 三枚の片翼。

 非常に不安定な形だ。

 とはいえ、見慣れたあの≪魔天使の翼デビルウイング≫であるのは間違いない。


「レッド!」


 速海は知らず知らずの内に喜びを表情に浮かべていた。

 彼女が自分に呼ばせていた名で呼び掛ける。

 数秒後、速海は間違いに気づく。


 違う。

 あれは赤坂綺じゃない。


 目を見開いて現実の光景を直視する。

 それがすぐ傍に降り立った後も信じられなかった。


 だって、彼女はもうずっと前に――

 

 疑問を口にする余裕が速海に与えられることはなかった。




   ※


「うおおおおっ!」


 咆哮と共に打ち出した≪七星霊珠セブンジュエル≫を四方から敵に浴びせかける。

 少女の形をしたゾンビ人形はまるで踊るように次々と光球に体を弾かれた。


 能力を使う暇なんて与えない。

 清次は攻撃を受け続ける敵に対して三つの光球を集中させた。


「食らえッ!」


 高速回転で威力を高めてぶつける。

 顔面に『三連星』を受けた再生ゾンビは、狭い部屋の壁に叩きつけられて動かなくなった。


「ば、ばかな……我らの研究の粋を集めた再生兵士が、こんなにあっさりと……」

「戦闘力だけなら戦十乙女にも匹敵すると言われていた『エンドルフィン』の板橋功美を素材としているんだぞ!? いくら荏原恋歌のJOYを使っているからってでぼあっ!」

「いいから死んでろ」


 グダグタと喋り続けるデブ研究員の二人組をそれぞれ一撃でもの言わぬ躯に変える。


「さて、次はっと……」


 清次はスポーツ用品店に偽造された研究施設を完膚なきまでに破壊しつくした。

 商品の陳列棚の奥、使用禁止の試着室にも機械の端末があった。

 あちこちでコンピューターが残骸をまき散らす。


 一通り暴れると、清次は窓を破って建物の外に飛び出した。

 足元の光球に乗って二階から通りに降り立つ。

 周囲には学生の能力者たちがいる。


「お前らもやるか?」

「ひっ、ひぃっ……!」


 彼らはスポーツ用品店を取り囲むように待ち伏せていたが、清次がひと睨みすると蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


「……はぁ。ビビってくれて助かったぜ」


 清次は溜息を吐いた。

 ミス・スプリングと別れてからここまでに十四の研究施設を破壊している。

 いまさら雑魚の能力者など問題にはならないが、疲労はかなり溜まっているので体力は温存したい。


 それにしても≪七星霊珠セブンジュエル≫に対する能力者たちの畏怖は半端ではない。

 こんな無敵気分を味わえるなら荏原恋歌が調子に乗る気持ちもわかる気がする。


「さて」


 またひとつの研究所を潰し、次の施設に向かおうかと思った直後。


「な、なんだ?」


 千田中央駅を東西に横切る駅前通り。

 ものすごい速度でバスが走って来るのが見えた。

 いまさら定期バスなかが運行されているわけはないのだが……


 いよいよ特殊部隊でも投入されたか?

 そう考えて身を隠そうと清次は傍の路地に避難した。

 中から武装した兵隊でも出てきたら先制攻撃で光球をぶつけてやる。

 バスは路地に入った清次を通り過ぎた後、激しく急ブレーキをかけて停止する。


 ドアが開いた。

 作戦通りに先制の光球を放つ。

 ところが、光球は中から出てきた人物に叩き落とされた。


「は? ……って、小石川じゃねえか!」


 それは清次の友人、小石川香織だった。


「あ、やっぱり内藤君だ! 会えてよかったぁ……っていうかいきなりなにするの!? 危ないよ! 反射的に殴っちゃたよ!」

「反射的に殴るのもどうかと思いますけど」


 バスの中から聞こえてきた声は神田和代のものだった。

 窓から様子を探ると、他にも大勢の子どもたちが乗っている。


「ああそっか。まさに今、脱出しようとしてたところか」

「うん。予定より速いけどチャンスだからって」


 清次とミス・スプリングが研究施設を潰し回っているせいで街中が混乱している。

 こっそりと行動を起こすのにこれ以上の機会はないだろう。

 間接的に清次は香織たちをサポートしたのだ。


 しかし、ここで会えたのは好都合である。

 清次は彼女にどうしても伝えなければならないことがあった。


「なあ小石川。高速道路の出入り口なんだけどな、どうも一筋縄じゃいかないみたいだぜ」


 あの後、ミス・スプリングに頼んで調べてもらったことがある。

 L.N.T.唯一の外へ繋がる道には訓練を受けた『兵隊』が待ち構えているそうだ。


 特殊能力に頼った不安定な能力者ではない。

 人を殺すことを職業とし、人殺しの武器を備えた本物の兵士だ。


「大丈夫、こっちもちゃんと考えてあるよ。まずこのバスがバズーカも防ぐ装甲車両なんだ」

「強行突破する気か?」

「もちろん強引に通るだけじゃなくて、見張りがローテーションするタイミングがあるんだって。警備が一番緩む時間は園長先生が調べてくれてある」


 それは清次もまだ掴んでいない情報だった。

 どうやら香織たちの方にも頼れる情報源を持った人物がいるらしい。

 ただの破れかぶれの特攻ではないのなら、成功する可能性も十分にあるだろう。


「そうか、わかった……じゃあ無事を祈ってるぜ」


 これまで成功者がいないことへのチャレンジには違いない。

 祈るつもりで最後の言葉を贈った清次だったが、


「なに言ってるの、内藤君も来るんだよ!」


 香織が清次に手を差し伸べる。


「……」


 この手を掴めば生きてL.N.T.から出られるかもしれない。

 数秒の間、迷いの気持ちが体中を駆け巡る。

 だが清次は首を横に振った。


「悪いけど、やっぱオレは行けない」

「空人君を見つけるために……?」

「それもあるけど、少しでも多くの人たちを解放してやりたいんだ」


 研究施設を破壊すれば、それだけゾンビ人形の元となるデータも消失する。

 この千田中央付近だけでもあと五つの研究施設が残っているのだ。


「空人と会えるかどうかはわからないけど、決めたノルマくらいは達成したいからさ」

「……わかった。どっちにしてもタイミングが来るまでは逃げないから、もし納得できたら高速入口近くのパーキングエリアまで来てね」

「ああ、もう少し暴れたら必ず行くよ」


 光球に乗れば街の南東部にある高速出入り口まで十五分と掛からない。

 付近の研究施設を潰してからでも合流に間に合う可能性はあった。


 香織が名残惜しむように車内に戻る。

 ドアが閉まってバスが発進した。


 運転に慣れていないのかギアチェンジがぎこちない。

 本当に大丈夫なのかよと苦笑しつつ、今の会話の間に多少は休めたと自覚する。


「さて、もうひと頑張りだ」


 清次は次の研究施設へ向かって飛んだ。

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