第10話 要人護衛

1 外へ

 冷たい風が吹いていた。

 彼女がL.N.T.に来てから五回目の冬が近づいている。


 コートでも着てくればよかったかもしれないな……などと考えながら、麻布美紗子あざぶみさこは制服の袖を伸ばして、少しでも素肌を風に晒すまいとしていた。


 しかし、この寒さは単に気温のせいだけではないとも思う。


「昼間の中央ってさ、こんなに静かなんだね」


 美紗子の隣で駅ビルの壁に背中を預けていた深川花子ふかがわはなこが呟いた。

 彼女のの視線は目の前の奇妙なオブジェに向いている。

 アルファベットのOとAを横たえた文字を重ねたような、銀色の前衛芸術である。


 ペデストリアンデッキの中央に聳えるそれは確かに人の目を引く。

 が、花子は別にそれを珍しがって眺めているわけではない。


「……この時間は普通、みんな学校ですからね」


 放課後になればここにも多くの人が集う。

 夕方から深夜まで多くの学生たちでひしめき合う街の中心部だ。


 しかし今は人っ子一人見られない。

 元々が人口に対して不釣り合いに巨大な繁華街をもつ千田中央駅であり、人のいない時間の寂しさは際立っている。

 L.N.T.が学生のためだけに作られた実験都市であることを再確認するような寂しい光景だった。


「で、いつまでこんなところで待っていればいいわけ?」

「約束では十時集合ということだったんですけど……」


 あからさまに不機嫌そうな様子を隠さない花子。

 彼女に声をかけた美紗子も肩身が狭くなる。

 というか美紗子も呼ばれた側なのだが。


 寒空の下で一時間近くも待ちぼうけを食らえばイライラする気持ちもわかる。

 最初こそ先の対校試合のことなどを楽し気に喋っていたが、三十分ほど前からこうしてグチを呟くばかりになってしまった。


 ちなみに現在の時刻は十一時五分前。

 待ち合わせ相手は明らかに大幅な遅刻をしている。


「いくらの命令だからって、一緒に行くのってどこの馬の骨かもわかんない爆高生でしょ。あと五分待って来なかったら帰るよあたし」

「それは……」


 美紗子がそろそろ尽きてきた説得の言葉を必死にひねり出そうとしていると、デッキの向こう側の階段を上ってくる二人組の姿が見えた。


「あ、ほら。来ましたよ」

「ったく、どんだけVIP出勤だっつーの。これで謝罪のひとつもなかったらぶん殴ってやるから――」


 花子の言葉が途中で途切れた。

 向こうからやってくる人物のシルエットを確認すると、


「げっ」

「げっ」


 美紗子と花子は口をそろえて表情をゆがめた。


「おー、悪い悪い。待たせちまったみてーだな……って、一緒に来る水学の生徒ってあんたらかよ。ま、全く知らないやつよりかはやりやすいか」


 初冬だというのにタンクトップ。

 少年漫画のような逆立てた金髪のツンツン頭。

 盛大に遅刻しておきながら悪びれも無いこの男は、二人にとって見知った顔だった。


「……あたしは全く知らない人間の方がまだよかった」

「……同感ですね。とりあえず遅刻したことに対して謝罪の言葉くらいは欲しいです。技原さん、でしたっけ」

「だから悪いって言ってんだろ水学の会長さん。フェアリーキャッツのあんたも突っかかってくんなよ。今日は一緒に仕事する仲間なんだからよ」


 彼の名は技原力彦わざはらりきひこ

 爆高の一年生で、ロックな外見通りに自由奔放な不良男である。


 以前に彼の率いる『セカンドキッカー』は、弱小の新興グループでありながら、夜のL.N.T.最大勢力である花子の『フェアリーキャッツ』と争いになった事がある。

 美紗子も先日爆高に赴いた時、この男にいきなりケンカを売られた経験があった。


 それらの因縁に加えてこの態度。

 花子がもし暴れても止めないでおこうと美紗子は決意した。

 すると彼の隣にいたもう一人の爆高生が慌てた様子で口を挟んでくる。


「いや、本当に申し訳ない! 遅刻したことは謝罪するんで、お二人ともどうか怒んないでくださいよ。悪いのは全っ部技原! こいつが寝過したせいなんで!」

「んだよ速海。悪いのは俺じゃなくて、ぶん殴ったくらいで壊れやがった目覚ましだっつーの」

「うるさい、いいからお前も頭を下げろ!」


 速海と呼ばれた男が技原の首根っこを捕まえ、無理やり頭を下げさせつつ自分も丁寧に謝罪をした。


 一見するとアイドルのように整った容姿の美少年である。

 美紗子がちらりと隣を見ると、花子は毒気を抜かれたような表情で怒りのやり場を失っていた。


「改めて自己紹介します。こいつは技原力彦で、オレは速海駿也はやみしゅんや。どっちも爆高の一年生です。今日はどうぞよろしくお願いします」




   ※


「花子さんの噂はよく聞いてますよ。曲者ぞろいの連合グループをまとめ上げるすっごい人だって」

「そ、そう? まあ、あたしも結構苦労したしー?」

「ええ。ついでに技原の鼻っぱしも折ってやってくれると助かりますが、いかがでしょう?」

「おっけーおっけー、あたしにまかせない!」


 速海はかなりの話し上手だった。

 おかげで花子の機嫌はすっかり良くなっている。


「ちっ。いつまでも調子に乗ってんなよ。そのうち王者の座から引きずり降ろしてやるぜ」

「へっへーん、いつでもかかって来なさい」


 それどころか技原も一緒になってデンジャラスな冗談も交えながら楽しそうに喋っている。

 美紗子にとってはホッと一息つける状況であった。


 四人は千田中央駅からまずは電車に乗った。

 普段利用しているホームとは少し離れた南方面行きの電車が出る寂れたホームである。


 L.N.T.は千田中央駅を中心に東西南北に一、二駅ずつ十字型に線路が走っている。

 西部は美隷女学院。

 北部には水瀬学園。

 東部には大規模な住宅街。

 それぞれ主要な施設や人口密集地帯がある。


 だが、この南部方面路線は違う。

 南部は街が造成される時に稼働していた工業地帯が残っているが、今はそのほとんどが放棄され、半ばゴーストタウンと化している。


 夏前、美紗子は荏原恋歌事件の時にこの南部地域を訪れた。

 あの時は電車も動いていない深夜だったので、移動には学校から借りた車を使用。

 南部方面に向かう路線があるのは知っていたが、実際に列車が走っているのを見るのは初めてである。


 電車は千田中央駅を出るとすぐに地下に潜った。

 数分ほどであっというまに南千田みなみちだ駅に到着する。


 ホームと改札があるだけの寂しい地下駅である。

 地上に出ると、目の前の道路を挟んだ向こうにはいくつかのみすぼらしい工場跡が見えた。

 近隣には住宅もなく、もちろん人っ子一人歩いていない。


「あれに乗れば良いのかしら?」


 近くの空き地に大型バスがアイドリング状態で停車していた。

 美紗子たちが近づくと自動でドアが開く。

 中からひょっこりと顔を出したのは黒服にサングラスの男。

 どう見ても公営バスの運転手には見えない姿だった。


「麻布美紗子様、深川花子様、技原力彦様、速海駿也様でお間違いないですか?」

「ええ……あなたは?」

「お待ちしておりました。どうぞお乗りください」


 こちらの質問を無視して黒服は運転手席に収まった。

 美紗子は肩をすくめて車内に足を踏み入れる。


「うっしゃ、一番後ろの席とったあ!」

「ばーか、あたしの席だ!」


 花子と技原は小学生のようにはしゃぎながら後ろの最後列に向かってダッシュする。

 それぞれに左右の窓際に陣取ると、睨みあって舌を出し歯をむき出しにして牽制し合っていた。


 ちょっとの間に随分と仲良くなったものである。

 美紗子が二人を見て呆れていると、速海は落ち着いた動作で運転席から二つ後ろの席に腰掛けた。


「技原さんの所に行かないの?」

「いつでも二人一緒で行動してるわけじゃないさ。移動中くらいゆっくりしたいし、あの二人に挟まれるのは勘弁だね」


 それは美紗子も同感だった。

 が、それよりも速海の口調がさっきと変わっているのが気になった。


「花子さんには気を使うのに、私には使ってくれないんですか?」

「初対面の印象さえよけりゃギスギスすることもなくなるよ。あんたも普通に喋っていいぜ。誰に対しても常に敬語じゃ窮屈だろ」


 何となくだが「演技してるんだろ?」と言われたような気がして不快になった。


「心遣いはありがたく受け取ります。けど、普段からこれで通してますから。別にあなたに気を許した覚えもないですし」

「つれないね。でも好みのタイプだ」

「私は軽薄な人は嫌いです」

「それは残念」


 速海はたいして残念でもなさそうに言って座席に深く腰を沈めた。

 目の前が前輪の段差になっているため、立てた膝が自然に顔の目の前に来る。


「おーい、みさっちもこっち来なよー」

「ごめんなさい。乗物に酔いやすい体質なので、前の席に座らせてもらいますね。あとみさっちって呼ばないでください」


 美紗子は花子の誘いを断ってわざと速海の前に座った。

 目の前は運転席で、真下に前輪があるため、後ろの席よりも高い位置にある。

 座り心地はあまりいいとは言えない。


「光栄だね。水学の生徒会長さんの背中を眺めながらの旅行とは」

「あなたが監視したいのは私じゃないでしょう」


 後ろを振り返ると速海は笑っていた。

 そして窓に肘をついてバスの外に視線を向ける。


 美紗子は透明な板越しに運転手の後姿を眺めた。

 慣れた手つきで機械を操作してバスを発進させる。

 これは市内で使われている路線バスと同じ車両である。

 美紗子はあまりバスを利用しないが特に不審な点は見当たらない。


 バスはすぐに工場地帯を抜けて千田街道に出た。


「この座席までがあたしの陣地だからな。ぜったい入って来んなよ……って」

「おーっと足が滑った!」

「このクソガキ! さっさと引っ込め!」


 後ろからは花子と技原が言い争う声が聞こえてくる。

 美紗子は無視して運転手の監視を続けた。


 今のところ、普通に運転をしているだけである。

 見つめていても仕方ないと思い、美紗子は速海と同じく外を眺めることにした。


 南部工場地帯より南はもはや建物自体が全く存在しない。

 立ち入る理由もないので、こんな所に来ること自体が初めてだ。


 歩道の存在しない片側二車線道路。

 両側に街路樹が並ぶだけの殺風景な風景がしばらく続く。


 やがて、道が右側に大きく曲がる。

 高速道路の入り口だ。


 山間を切り開いて作られたL.N.T.における唯一の出入り口。

 四年半前に通ってきたはずだが全く記憶に残っていない。

 あの時も確か、バスに乗っていたと思ったが……


 気が付くとさっきまでのやかましい争いが止んでいた。

 花子と技原はそれぞれ反対側の窓にもたれて寝入ってしまっている。

 はしゃぐだけはしゃいだらさっさと寝てしまうとは、まるで小学生みたいだ。


「あんたも寝ておけよ。向こうに着いてからも遊べるわけじゃないんだからさ」

「ご忠告どうも」


 速海の嫌味っぽいセリフに内心で舌を出し、窓の外に視線を戻す。

 横を見ても前を見ても代わり映えのしない山々。

 そして一直線に延びる道路しかない。


 なんの面白みもない景色が続くのを見ていると段々と眠くなってきた。

 バスの心地よい揺れがまた強い眠気を誘う。


 いつしか美紗子は目を閉じて、誘われるままに意識を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る