9 底知れぬ恐怖
「お互いの恐ろしさはもうわかったはずです、私たちみたいな人たち同士は戦っちゃいけないんです!」
「なん……ですって?」
恋歌は我が耳を疑った。
強すぎる力を持つ者同士は殺し合いにしかならない。
どちらかが死んでしまう可能性があるような戦いはやるべきではない。
実に生徒会らしい発言だ。
偽善者の麻布美紗子の考えをしっかりと受け継いでいる。
だが、奴は言葉の裏でこう言っている。
私と戦えばあなたは傷つく。
私はあなたを殺したくはない。
あなたは私に絶対に勝てない、と。
プライドを傷つけられた恋歌は怒りにまかせて叫んだ。
「戦って決着をつけずに、どうやって勝敗を決めるというの!」
「争う必要なんてないんです。お互いに相手からすべてを奪おうとしないで、話し合って譲り合えば、きっと解決方法が見えてくるはずです!」
信じられない。
本気で言っているのか。
この狂ったL.N.T.で、話し合いで全てが解決できる?
いいや、奴の真意はわかっている。
理想はどうあれ、今は早くこの戦いを終わらせたいだけだ。
先に行った麻布美紗子たちを追いかけて、おそらくは≪
バカな奴らだ、いまさら奴の遺産を手にしたくらいで戦いが終わるはずはない。
こいつらの唯一の希望であるエイミー=レインも、今ごろ古大路偉樹の手で殺されているはずだ。
恋歌は目の前にいる赤坂綺が自分以外の存在を見ていることが許せなかった。
そのような集中を欠いた状態であっても、なお仕留めることができない奴の力も憎い。
「私は退かない! どちらかが倒れる以外にこの戦いの終わりはないと思え!」
「くっ……」
赤坂綺が苦い顔で見下ろす。
そうだ、平和的な解決策などないと知れ。
そして目の前の
その上で必ず貴様を地に這わせてみせる。
「……それでも、私は」
「赤坂さんっ!」
煮え切らない態度の赤坂の言葉を遮って、若い女の声が響いた。
恋歌と赤坂綺は同時に声のした方を向く。
そこには誰もいなかった。
が、明らかに何者かの気配がある。
空間が揺らぎ、麻布美紗子の妹が姿を現した。
「姿を消すJOYだと?」
珍しい能力だが、あり得ないことではない。
赤坂は恋歌から守るように麻布妹の前に降り立った。
素早い判断だ。
何かを守ることに対しては全力を尽くせる女か。
……奴を利用すれば、赤坂綺の本気を引き出せるかもしれない。
「一人でどうしたの? 美紗子さんは――」
「お姉ちゃんが! お姉ちゃんが罠にかかって、大怪我して、大勢の敵にかこまれてっ!」
赤坂綺の顔色が目に見えて変わっていく。
そういえば、メンバーの誰かがそんな作戦を提案していた気がする。
恋歌は赤坂綺との対決以外には興味がなかったので、校舎内のことは任せておいたのだが。
「場所はどこ?」
「あ、あの、校舎の四階の」
「おい。まさか逃げる気じゃないでしょうね」
恋歌にとって麻布美紗子がどうなろうと知ったことではない。
もし背を向けるなら躊躇することなく麻布妹を狙うつもりだ。
「お願い恋歌さん。私と決着をつけたいなら後日改めて都合をつけるから」
「今を逃したら本気の貴女とは戦えない」
いくら奴でも仲間と敵の命を秤にかければどちらが重いかの判断はつくはずだ。
麻布美紗子を助けたいならこの闘いに全力を尽くすしかないという状況に追い込んでやる。
「次は必ず全力を出すと誓いますから。お願いします、見逃してください」
「……チッ」
この期に及んでまだ火が着かないか。
なら強引にその気にさせてやる。
恋歌は三つの≪
赤坂綺が防御に集中することでギリギリ守れる程度の威力だ。
「危ない!」
思った通り、赤坂は身を翻して下級生を庇った。
恋歌は口元を歪め残り四つの光球を四方から撃ち込んだ。
七つの光球が同時に≪
この戦いが始まって以来、最大レベルの衝撃だろう。
翼の防御の上からは致命傷にならない。
だがそこそこのダメージは与えたはずだ。
いい加減に本気に成らざるを得ないだろう。
しかし、恋歌の思惑は外れた。
防御を解いて再び翼を広げた時、そこには無傷の赤坂綺の姿があった。
その翼で守った美紗子の妹にも傷一つついていない。
「バカな……」
以前に戦った時はここまで強固ではなかった。
三つの光球の同時攻撃でも、奴を翼ごと吹き飛ばす程度にはダメージを与えることができた。
この一年で奴の能力が多少パワーアップしたのは間違いない。
だが、あの時の二倍以上の威力がある攻撃を受けて無傷なんてことがあるか。
まるで悪夢の中にいるようだった。
信じられない防御力を見せつけた後でも赤坂綺の表情に余裕はなく、
「お願い、見逃して!」
まだ甘っちょろい訴えをしている。
そして言葉と裏腹に、奴は目でこう訴える。
お願いだから見逃して。
そうしないと、あなたを殺さなきゃいけなくなる。
「っ!?」
背筋が凍るような一瞬の恐怖感。
直後、背後から何者かが襲い掛かってきた。
空を切る槍先を紙一重でかわした直後、≪
長槍を手にした青年は素早く後ろに飛び退き緊張した表情で恋歌を睨む。
「赤坂さん、すぐ水学に戻ってください。古大路の襲撃を受けているそうです」
見たことがない顔だが、水学の生徒会関係者だろうか?
動きを見るにSHIP能力者、それもかなりの使い手だろう。
だが、さっきの悪寒の正体はこいつではない。
思わず動きを止めるような恐怖を身に迫った危険がかき消しただけだ。
あの恐怖の出所は……
「は、速海君! 校舎の中で美紗子さんが大怪我をしているらしいの!」
「えっ」
悲鳴に近い声を上げる赤坂綺。
彼女の取り乱した様子に男は歯を食いしばった。
「……わかりました、じゃあそちらに向かってください。荏原恋歌はオレが食い止めます」
「食い止める? お前が? 私を?」
面白い冗談だ。
赤坂綺ならともかく、貴様ごときに何ができる。
名も知らない男がたった一人でこのL,N.T.の女帝の相手をしようというのか。
「わかった、任せたわ! 速海君もどうか無事で!」
赤坂綺は踵を返すと同時に翼を広げて飛び立った。
「待て!」
恋歌はその背中に向けて≪
しかし、光球が赤坂綺に追い付くことはなかった。
赤坂綺は飛び立つと同時に最高速度に達し、瞬く間に能力の射程範囲を抜けてしまう。
「せいっ!」
槍の男が斬りかかってくる。
恋歌は難なくその攻撃を避けた。
だが反撃の炎を上げることはできなかった。
綺が飛んで行った方向を見ながら呆然とする。
なんだ、あのスピードは。
槍の男に注意を向けていたとはいえ、あそこまで簡単に≪
ありえない。
これまで見せていた動きとは桁外れの速度だ。
さっきまではずっと手加減をしていたとでも言うのか。
そう考えなければ説明がつかない。
そうなのか?
この二十数分、自分は赤坂綺に遊ばれていたのか?
柳を殴るような手ごたえのなさは、奴が全く力を出していなかったからだというのか?
そして、さっきの一瞬の恐怖感。
出所は間違いなく正面にいた赤坂綺だ。
本気を出しかけた赤坂綺を恐れたのか。
この荏原恋歌が。
腹の奥底から煮えたぎるような怒りが湧き上がる。
しかし、いまさら赤坂綺を追いかけても仕方ない。
奴はとっくに校舎にたどり着いている。
すぐに麻布美紗子を連れて逃げ出すだろう。
ならば、今の自分がやるべきことは一つ。
「さあ、お前の相手はこっちだ」
「……いいわ。そんなに望むなら、殺してあげる」
放っておけば体を焼き尽くしそうなこの憎悪を吐き出すこと。
文字通り横槍を入れてくれたこの男を、できる限り痛めつけて殺す。
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